2015 IRONMAN CAIRNS | |
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2015年6月14日(日) 天候:曇り時々晴れ一時雨 |
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km |
記録:12時間35分25秒 総合408位/880人、60-64男子5位/17人 |
| スイム | | 1:19:49 | | 1:19:49 | (587) |
T1 | 5:28 | 1:25:17 |
バイク | 6:30:15 | 7:55:32 | (515) |
T2 | 4:36 | 8:00:08 |
ラン | 4:35:25 | 12:35:25 | (408) |
| レースデイ | 出発~帰着 |
■6月14日(日)
・レースデイ
《準備・スタート前》
起床は4時、外はまだ暗い。起きるといつもの朝の様に雨が降っている。それほどの雨でもなく、心配はいらなかった。まずは朝の準備を始める。寝る前に補給食や給水の準備は済んでいた。朝はバイクラックに行って、バイクの調整と補給食をセットするだけである。
朝食はいつもの様に餅、今日は4個焼いて食べたがやはり多かった。いつもは3個で十分。フライパンにクッキングシートを敷いて焼く。何の問題も無く、上手に焼く事ができる。家ではオーブントースターだが、今度は家でやってみようと思う。他にはフリーズドライのオニオンスープ、これは美味しかった。
5時頃には雨もやんでいて、雨の心配は無さそうだった。5時過ぎにバイクラックに出掛けて行って作業を済ませる。雨が降ったので、チェーンやディレーラーにはたっぷりと油を差しておいた。
バイクラックからホテルまでは近くなので、作業を済ませてさっさと帰って来る。ホテルの部屋には既に松岡一家や応援の人など全員が揃っていた。スタート時間まで暫くはみんなが部屋でくつろいでいた。
スタートの1時間前くらいに、スタート地点に向かう。雨の心配は無さそうだった。日の出はまだだが、もう既に明るくなっていた。7時頃からは70.3の部のスイムが始まっていた。アイアンマンの部は7時半頃に男子のプロ、7分後に女子のプロ、そしてエイジは7時45分からウェーブスタートで順次出て行く事になっていた。初めての事なのでどんな様子になるのかはまだ分からない。
スタート地点近くにスペシャルの委託場とその先にストリートウェアの委託場所。昨年よりもかなり分かりやすくなっていた。昨年は右往左往してしまった。こんなところも改善がなされていて、事務局の対応に感心する。
スタート地点にはまだそれほど選手は集まってきていない。暫くはスタート地点の海を眺めながら様子を見る。波が多少あるものの問題は無さそうだった。昨日の夕方、海で泳ごうと思ったが、波があったのでやめて、ホテルのプールで泳いで良しとした。
今年は一度も海で泳いでいなかった。とりあえずはスタート前に海に入ってみた。
南からの風が強く、潮の流れがある様に思えた。しかし風で流されていたのかも知れない。距離にして200mくらい泳いで岸に上がってきた。何か胸がざわざわする感じがして落ち着かなく、しばらくみんなから離れて、ホテルの前のベンチに座って気を落ち着かせた。その後はみんなに混じってスタートを待った。
《スイム》
スタートはウェーブスタート。待機場所が4つに分かれ、速い順に出て行く様だった。私は2番目のブロックに入り人の後ろに付いてスタート地点へ向かった。スタートのマットを通過したのはちょうど8時頃だった。
スタートして行った選手はバトルも無く、落ち着いていて整然とスタートして行った。その光景を見て、私はスイム位置をブイの近く、左側に取った。最初のうちはブイの内側に入っていた。何も問題は無い。ターンするブイで外側を回れば構わない。ターンするまでにオレンジのブイが2つあった。3つ目の黄色いブイを左に回る。やっとひとつめのコーナーでここまでやや長く感じた。
次は岸と平行、追い風の方向なので速いだろうと思っていたが、そんなことは感じなかった。たぶん1000m近く泳いだはずである。2つ目の黄色いブイを回って岸の方へ向かう。70.3ならばこれで終わり。もう半分来たと思い、気もやや楽になる。
岸に上がって時計を見れば38分ほど、40分を切ってまずまずと思う。実力どおりだろう。岸に上がったので水でも貰えるかと思ったが、応援以外は何も無かった。アイアンマンは日本のレースほど親切ではない。仕方なくそのまま海に入って行く。
今度はブイの右側に近付いて行く。なるべく内側を行くつもりでいたが、いつの間にかひとり違う方向を向いて、だいぶ外の方、左へ泳いでいた。慌ててまた右の方へ向かって行く。帰りの曲がり角のブイは少し色の濃いピンクのブイ。アイアンマンのMの字の様な形のルートを泳ぐ。
半分以上終わってもだらける事も無く気が張っていて、スタート前に思っていたよりもいいコースだと思った。しかしターンが多いのは困ったものだった。帰りだけでも6回のターンがあった。もう少し減らしてくれてもいいと思う。来年はどうなるだろうか。
6回目のコーナーを曲がると岸はそう遠くないところにあった。泳ぎにくいというところは無く、スムーズに泳げた。これもウェーブスタートのお陰だろう。アジア・パシフィック主管の大会では今後はすべてこんな感じになるだろう。いい事だと思う。
岸は波打ち際まで深く、岸のすぐそば、最後まで泳ぎ切る。これはスタート前に泳いでいて分かっていた。岸に着いて立ち上がると、ややふらついた感じもあった。ゆっくりと立ち上がりトランジッションへ向かう。シャワーの下で用をたしてスッキリとする。
スイムから上がったところに応援がいた。すぐ前には松本がいると教えてくれた。テントの中に入ったらその松本と顔を合わせた。まずまずの出来のスイムだった。
ウェットを脱ぎ、シューズを履き、ヘルメットをかぶる。バイクへのトランジッションはそれだけ。さっさと着替えを済ませテントから出て、バイクに向かう。周囲のバイクはだいぶ少なくなっていた。バイクを取り出し、スタート位置へ向かう。
《バイク》
バイクを持って行きながら、スタート前に気が付いた。補給食をジャージに入れるのを忘れていた。バイクに掛けておいたのだが、それが無くなっていた。バイクラックが狭いので、誰かが落としていったのか。少々焦ったが、おにぎりなどは朝の準備でトップチューブのバッグに入れておいた。無くなっていたのはジェルだけなので、大きな問題ではなかった。ジェルはエイドで貰う事ができる。ひとまず安心してバイクをスタートさせる。
暫くはエスプラネードのブロックの道路を進み、そのうちに住宅街のアスファルトに変わりハイウェイへ続く坂道を上る。ハイウェイでは70.3の選手がケアンズに向かって走っている。それに合流し、暫く走ってポートダグラスに向かってUターン、北上する。風はポートダグラスに向かって吹いている様だ。行きは速い。いいスピードで走っていた。
3回目ともなればおおよその道路の様子は分かっている。最初のうちは気持ち良く走っていた。道路の舗装が意外に荒い。ニュージーランドでもこうだった。もう何年前になるのか、当時を思い出しながら走っていた。日本の様ないい舗装はなかなか無い。しかしいい風が吹いているので走りはスムーズだった。
バイクに乗せていた食料は、おにぎり、羊かんそれだけあれば何とかなるが、やはりジェルも必要である。20キロ毎のエイドではまずジェルを確保した。一度に数個貰って背中のポケットにしまう。おにぎり、羊かん、ジェル、時々塩タブ、それで十分だった。後半では時々バナナも貰った。羊かんは、井村屋のスポーツ羊かん。勤務先の近くのスポーツ用品店で見つけて買っていた。ワンプッシュで食べられるのでバイクには最適だった。
バイクボトルには珍しくCCDドリンクとメダリストを混ぜてみた。しかしCCDが美味しくなかった。仕方なく飲んでいた。
ポートダグラスの折り返しは45キロ地点辺り。ハイウェイからポートダグラスの街へ向かって右折して行く。ヤシの木が多く生えていて南国そのものである。ポートダグラスは小さな街で、落ち着いたいい雰囲気がある。今年もこの街は歓迎してくれていた。折り返しには大きなスクリーンが設置されていた。自分が大きく気持ち良く映っている。
後ろからは松岡が来ているはずだった。一昨年は先行されていて、次第に離されていった。昨年は折り返しは私が先に行っていたが、次の折り返しまでに追い付かれてしまっていた。今年もとりあえず私が先に折り返した。そのうちに追い付いて来るだろうと思っていた。
松岡とは街を過ぎ、ぽつりぽつりと住宅があるところですれ違った。折り返してから2キロ程来ていた。その差は4キロ、8分程の差である。どうせ追い付かれるのである。どこで追い付いて来るか、いつ来るか楽しみにしていた。逃げようなどとは思っていなかった。
このバイクコースは簡単な様に見えるがそうではない。平坦な真っすぐな道路は海沿いには無い。道路は曲がり、上り、下り常に状況は変わっている。苦しめられるコースである。上りは山上りまではないが、それなりに上っている。そんなところがいくつもある。
ポートダグラスで折り返してから35キロ程、80キロに満たないくらいで2回目の折り返しをする。昨年は折り返しの手前で松岡に追い付かれ先行された。今年も同じパターンだろうと思ったが、松岡は来なかった。追い付かれる前に折り返しが来てしまった。「もう折り返し」そんな感じだった。でもまだ80キロに満たない。100キロ残っている。いつすれ違うかと思っていたが、そのうちに松岡が前から来た。
今度は折り返して1キロ、2キロの差になっていた。40キロ程で2キロ詰まった事になる。次のポートダグラスに着くまでには追い付いて来るだろうと思っていた。90キロ地点の先だったか前だったか、その辺りにバイクのスペシャルニーズが置いてある。スタート時に用意したものと同じものがここにも置いてある。おにぎりなどはあらかた食べてしまっていたので全てを積み込み、背中のポケットに入れる。今度はいつもの梅味のジェルも入れる。もうジェルは貰わなくても良い。
気象コンディションは悪くはなかった。かんかん照りではなく、時折暑くなり、雨も降り、半分は追い風だった。水を貰って頭に掛けるような事もあったが、そんな事ばかりではなかった。
そろそろポートダグラス、松岡はどこを走っているだろうかと思いながら走っていたが、なかなか見えない。街中の折り返しの前に200mばかりの小さな折り返しがある。その辺りで来るだろうかと思ったが、そこでも会う事はなかった。もう少し離れていた。
2回目のポートダグラスは110キロほど。あとはケアンズの街まで一直線、70キロほど。湯河原から戸塚まで帰る様なものである。いつもの様に帰りの街を思いながらケアンズへ向かう。
松岡が追い付いて来たのは残りも40キロくらいのところだったか。今回は嬉しそうに尻を触られた。今までは人の顔を覗き込むようにして追い抜いて行った。何やら言っていたが、聞き取れなかった。とりあえず返事だけはしておいた。あっという間に先に行ってしまった。調子は良さそうだった。
このコースのいちばん高い丘の上、やっと上って行く様な頂点にペナルティボックスが設置されている。そこに見覚えのあるゲイターが見えた。ふくらはぎの太さはまさに松岡。ペナルティボックスのテントの中にいた。本人が何やら説明していたが、ひと目でペナルティだと分かった。声を掛けるのはやめて素通りをした。すると松岡が気が付いたのか、声援が飛んできた。一応手を挙げてそれに応える。まだ30キロ以上は残っている。私の調子ならばまた追い付いて来るだろうと思った。
案の定、その後しばらくして再び追い付かれ、追い抜かれた。休んでいたせいか、勢いが良かった。失ったタイムを取り戻していたのだろう。後はまたひとり旅になってしまった。ゴールを目指すだけだった。
スタートしたパームコーブを過ぎたところで、ハイウェイを外れて住宅街から農道の様な所へコースが変わる。ヨーキーズノブという街である。距離を稼いでいるのか、ハイウェイを避けているのか、どちらだろうか。ここは2年前はランコースだったところである。いくつかの角を曲がって再びハイウェイに出る。空港にだいぶ近付いた。空港が見えてくればゴールは近い。
ケアンズのエスプラネードを走るランナーとすれ違う。やっとバイクゴールまで来た。時計はまだ8時間まで経っていない。何とか8時間を切ってバイクゴールできそうだった。街中には応援もたくさんいる。その中を抜けてトランジッションに入って行く。
バイクはボランティアに預け、ランへの着替えをする。着替えの前にテントの手前にあるトイレに入って気を落ち着かせる。1分くらいは余計に掛かっただろうか。バイクパンツを脱ぎ、ゼッケンベルトを付ける。キャップは用意したが、暑くもなく、日差しもないのでバッグにしまった。ソックスは5本指ではなく足袋ソックスをはく。こちらの方が履きやすい。出て行く時には自分で用意しておいたレッドブルを飲んで出て行った。もたつく事もなく比較的スムーズに出て行けた。
《ラン》
トランジッションからランコースに出て行くところに松岡ファミリーがいた。松岡は既に出て行っているはず。とりあえずは前にいる松岡を追う。私の時計でちょうど8時間を過ぎたところ。ゴール横を通過するときには、プロはもうフィニッシュしている。アナウンスが聞こえていた。さすがに世界のトッププロは速い。大したものだ。
私はもう4時間レースを続ける。ペースは悪くない。気持ち良く走れている。フィニッシュへのゲートの先で最初の周回チェック用リストバンドを貰う。これから14キロのランコース3周回のフルマラソンが始まる。最初は桟橋方面に向かう。折り返しまで2キロ。その折り返しで戻って来ると4キロになる。今年の桟橋方面のコースは折り返しがひとつになってランナーには優しいコースになった。
初めてなのでどこまで行くかと思ったら、桟橋の突堤、海の直前で折り返しになっていた。折り返しが1回で済む様になっていた。松岡とすれ違ったのはその桟橋のあたり、100mも差は無かった。倉庫の辺りであっという間に追い付いた。言葉を交わし、しばらく並走するかと思ったが、だいぶスピード差があり、そのまま先行した。その後はもうひとり旅だった。
ピアのレストランには酒を飲みながらレースを楽しむ人がたくさんいる。自分が楽しんでいるのか、応援しているのかは良くわからない。そんな中を走り抜ける。周回用のリストバンドをくれるフィニッシュゲート前にもたくさんの人がいる。声援は励みになる。まだまだスタートしたばかりでこちらも元気がいい。気持ちよく走り抜ける。エスプラネードも人が多い。たくさんの応援を貰う。マックの前に居るといっていた連れは探したが見えなかった。いつランに出たのか分からなかったと言っていた。走り出しが早すぎたか。
まだ日は高く気持ち良く走れる。明るいうちにしっかりと距離を稼いでおきたいところである。時計を見ると、6分を切るペースで走っている。まずまずというところ。でも速すぎるという事はない。もっと速くてもいい。
エスプラネード横の公園は長く、空港手前の道路まで続いている。3キロほど行くと、一度折り返して1キロほど戻る。そしてまた空港方面へ向かう。ここで2キロの距離を稼いでいる。パーティの時に、この折り返し部分の1キロでランのタイムトライアルをやると言っていた。10歳刻みのエイジでトップには500ドルの賞金が出ると言っていた。ここだけは頑張れと言う事か。しかしここで頑張ったらそれでおしまい。ここで頑張るランナーは誰もいなかった。この辺りでは私もまだまだ調子が良かった。いい走りだと声を掛けてくれる人もいた。まだまだ気持ちよく走っていた。
ランの最後の折り返しは空港へ向かう道路の手前。ここでスタートから10キロ地点、フィニッシュまでは4キロある。しかし私はまだ1周目、先は長い。その空港前を折り返し、再び街に向かう。ゴールに向かうバイクが横を通り過ぎて行く。私とは1時間以上違う。みんな最後まで頑張っている。街中のフィニッシュ地点まで4キロ、エスプラネードと聞くと近く感じてしまうが、実際はかなり遠い。戸塚から大船に向かう柏尾川沿いの様なものか。
街の中心地に来ればエスプラネード沿いのバーにも応援がたくさんいる。しかし酒を飲みながら応援してくれている人の数が例年より減った様な感じがした。それでもみんな声援を送ってくれて嬉しい。しかしいちばん嬉しいのは、知らない日本人が日本語で応援してくれる事だ。日本人としての一体感を感じる。ところどころにそういう人が居てくれる。
10キロ地点までは57分台。1周回ってきて14キロ、1時間20分台。ほぼ同じペースで走れていた。最後までこのペースで行ければ4時間でフィニッシュできるが、なかなかそうもいかない。それくらいで走れる様な練習はしてきたつもりなのだが。
2回目は赤色のリストバンドを貰った。まだ周囲は明るい。明るいうちにゴールできればいいのだが、なかなかそのとおりにはいかない。再びピアの先、桟橋方面に向かう。ピアの先には人は入れて貰えず、応援はいない。殺風景な中、静かである。エイドだけが賑やかでほっとさせられる。あまり暑くは感じないのであまり水分はいらない。腹に入れるものはジェルとスイカくらい、時折バナナ。
再びスタート地点に戻って来て18キロ。その先、公園の中で20キロ。ややペースが落ちてちょうど2時間だった。思った以上にペースは落ちていた。10キロを過ぎてからは6分ペースを超えていた事になる。
まだまだ周りにはランナーがたくさんいる。あまり暑さは感じないので歩いている人はあまりいない。何とかみんな走っている。時刻は6時頃、日も沈み少しずつ暗くなり始める。2周くらいはまだ薄暗い程度だったが、3周目に入る頃には夜になっていた。暗くなってしまった。暗くなるとペースは落ちる。疲れもあってなお更である。タイムは確認しない。なのでペースは分からないが、落ち込んでいる様なつもりはなかった。
公園の中は更に暗い。照明が設置されていなければ真っ暗である。もはや残りの距離が減っていくのを確認しながら走るしかなかった。2キロ毎の表示は確実に増えていった。空港寄りの最後の折り返しは38キロ地点。エスプラネードは4キロ。右手にはリストバンドが3本、エスプラネードを走ってラグーンが見えればもうフィニッシュである。最後の声援を受けてフィニッシャーゲートへ向かう。やっとここまで来ることができた。毎回同じ様な感激がある。
連れから関谷さんの写真を受け取り、赤いカーペットの上を走る。今年もまたカーペットは雨で濡れていた。ケアンズでは仕方のない事かも知れない。関谷さんの写真を掲げフィニッシュラインを通過した。フィニッシュタイムは12時間半、ランで4時間半も掛かってしまった。予想からは大きく遅れてしまった。
フィニッシュ後の体調も悪くない。暫く休憩してからパスタで空腹を満たし、Tシャツを貰い、バイクとバッグを引き取り、ゆっくりホテルまで帰って来た。いまひとつ納得のいかないレースになってしまった。これが実力という事か。ホテルに帰って来て、飲んだビールとカップヌードルは美味しくなかった。
(No.602)
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