2011 Ironman Western Australia
2011年12月4日 日曜日 天候:晴れ
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:12時間33分07秒 総合615位/1163人 55-59男女13位/41人
| Swim | 1:21:44 | 1:21:44 |
T1 | 8:23 | 1:30:07 |
Bike | 6:17:36 | 7:47:43 |
T2 | 6:57 | 7:54:40 |
Run | 4:38:27 | 12:33:07 |
| プロローグ~帰国 | レースダイ |
■プロローグ
アイアンマン西オーストラリアのエントリーは昨年の12月の中旬だったろうか。鉄人の忘年会でこのレースの参加の話題になった。何人かが出場予定だと聞いて急遽私も出場を決めた。その翌週がエントリー開始だった様に思う。エントリー開始は日本時間の午前中。当日は確実にエントリーを済ませるために、午前中の休みを取ってエントリーをした。大会エントリーはあっという間に予定数を満たし、締め切りとなった。他に参加すると言っていたメンバーはエントリーに間に合わなかった。結局、私ともうひとりがエントリーできたが、もうひとりも仕事の都合で参加を諦め、今回の参加はクラブのメンバーでは私ひとりとなった。レースのエントリーの後、大会まで1年。その準備まで十分な期間があった。
エントリーは終わったが、レースまで丸1年。レース会場はどんなところだかまるで分からない。しかしロケーションは素晴らしいらしい。ジェッティという2キロもある桟橋が名所で、スイムはそれの周りを泳いで帰ってくる。それだけでも十分豪快だ。桟橋を見ながら泳げるので気持ちも楽だろう。
インターネットでアイアンマン西オーストラリアのレポートを探したら、2010年のチャイナで一緒になった槙本さんという北海道のお医者さんのレポートが見つかった。写真付きで載っていったのでとても参考になった。ツアーもグッドウィルだったので使うホテルも同じである。目の前が会場という最高の条件のホテルである。
体調の方は故障した左膝も少しずつ良くなり、何とかレースにも出られそうな感じだった。無理をしないで体を壊さないように練習をするだけだった。
2011年のアイアンマンは、5月に北京の近郊の街で開催されるチャイナに出場するつもりでいたが、主催者側の都合で中止になってしまった。一応チャイナからハワイを目指していたので残念だった。代わりに7月に開催の韓国・チェジュに急遽出場することになった。7月のチェジュは暑い。膝の具合などもまだ十分ではなく、またハワイを狙う同じエイジの強豪達が集まって来ており、レースを戦う気持ちは失せていた。とりあえず完走だけを目標にレースに出場した。満足しない結果だったが、7月にレースも終わり、次の 目標は12月の西オーストラリアになった。7月のレースの反省から、バイクの距離を乗りそれなりにランも走った。しかし、足の故障の影響で満足の行く距離を走ることはできなかった。しかし自分のできる限りの事はしたつもりだった。
夏のシーズンが終わりみんなトライアスロンからマラソンに気持ちが変わって行くなかでも、私はひとりバイクに乗り続けた。秋のバイクは気持ちが良かった。更に今年は例年以上に暖かく、気持ち良くバイクに乗れた。11月、そろそろ長い距離の練習も終わり、徐々に疲れを取っていく様に心掛けた。バイクの点検にも出したがどこも悪いところは無く、チェーンを交換しただけで済んだ。
レースツアーの出発は11月30日水曜日。ちょうど1週間前が勤労感謝の日で休日。みんながマラソンを走っている頃、バイクのパッキングを始めた。その週末にはレース用の荷物も準備が終わり、あとは成田に向かうだけになった。そして11月30日の朝、その荷物を持って成田に向かった。
■11月30日(水)
成田⇒シンガポール⇒パース
7時16分、戸塚からNEXに乗車、特に問題は無い。戸塚駅までバイクケースをガラガラ押しながら、荷物を持って行く。やはり重い。空港まで荷物を送るのが賢者か…?9時過ぎに成田空港到着。駅に着いた後も同じくバイクの移動にやや苦労する。しかし空港カウンターで荷物を預けてしまえばあとは楽なもの。手荷物一つとなり、行動は楽になった。預けた荷物は最終地のパースまで行ってくれる。搭乗チェックインの後は出国検査、それ程の混雑も無くスムーズに進む。
今日の成田発のフライトはシンガポール航空、搭乗口は南ウィングの一番端。ちょっと遠い。チェックインの時間が遅かったので、それ程の余裕もなく、あっという間に搭乗の時間となる。10時半過ぎに搭乗が始まったが、機内に入ったもののなかなか離陸しない。結局成田の地を飛び立ったのは、搭乗してから1時間以上過ぎた11時40分頃になっていた。アイアンマンの参加者のバイクの積み込みに時間が掛かったのだろうか。しかし飛び立ってからは特に問題もない。次はシンガポール、チャンギ空港に着くのを待つだけ。着陸予定は7時間後、現地の時間で6時頃。
実は、今回のツアーは贅沢旅行。フライトはビジネスクラス。ホテルはシングルユース。費用は一般ツアーから比べればかなり高い。しかし国際線の乗り継ぎもあり、クラブの参加者は1人になってしまったので、たまにはこんなツアーもいいだろうと決心した。予想どおりここまでは最高の気分、目的地まで気持ち良く行く事ができる。仕事で最初に海外に行ったときもビジネスクラスで行った。1980年後半の事だったと思う。その頃のビジネスクラスと比べると、シンガポール航空のビジネスクラスはファーストクラスの様だ。当時のシートなどは、エコノミーより少し上等な程度、このシートとは比べものにならない。気持ち良く旅行ができる。
シンガポール、チャンギ空港に着陸したのはちょうどシンガポール時間で6時頃。日本時間では7時、ここは日本より1時間遅れ。フライトは7時間半ほど掛かった。シンガポールからパースに向かう便は夜中の1時、まだまだ時間はだいぶある。ということで、グッドウィルの計らいでシンガポール市内観光を組み込んでくれた。費用は4000円。行く前は安いと思っていたが、内容は大した事は無く、シンガポールの屋台村の様なところで軽食。その後、隅田川の川下りの様な舟に乗って、市内のメイン観光地へ。マーライオンの目の前で降ろされた。周囲は高層ビル群、その中のマーライオンを見て、きれいな夜景には満足した。夜景の満足度を入れて総合的に判断すれば、適切な価格かもしれない。
チャンギ空港に戻ってきたのは9時半頃。出発の時間まではまだまだ時間がある。私は早々に空港でお願いされた買い物をして、その後は出発の時間までラウンジでくつろいだ。成田からの機内ではワイン、屋台村ではビール、ラウンジで再びビール、ちょっと飲み過ぎてしまった様だ。これからアイアンマンのレースが控えているので、この先はちょっとお酒は控える事にする。シャワーを使い、髭を剃り、歯を磨いてさっぱりとした。
パース行きの便は夜中の1時、それまでのんびりラウンジでくつろぐ事ができた。機材はA330、シートはフラットになった。離陸後はすぐに横になって、ぐっすりと眠ることができた。目が覚めたのは5時少し前。結局、日本時間で言うといつもと変わらない時間に目が覚めた。朝食を用意して貰い、ちょっと慌ただしく食事を取る。既に着陸まで1時間くらいになっていた。もう飛行機はオーストラリアの上空を飛んでいた。
■12月1日(木)
パース⇒バッセルトン、レースエントリー
パースの空港にはちょうど6時に着陸。入国手続きなどを済ませて、ロビーに出てきたのは7時少し前だった。オーストラリアの入国審査は厳しいと聞いていたがそれほどでもない。入国までに何人もの係員がいたが、特にチェックが厳しいわけではなかった。自分で使う分の食料を持ってくる程度なら何も問題は無さそうだ。正直に入国審査証に持ち込んだものを記入すると、荷物を開けてチェックをしているようだった。結局は持ち込める様な事を誰かが言っていたので、特に問題はない。
皆の出てくるのを待ち、バッセルトンに向かってバスが出たのは7時半。これから約250キロ、約3時間のバスの旅。ツアーガイドはバッセルトン在住の日本人、チヒロさん。バスの運転手はご主人だそうだ。パースからバッセルトンに向かうバスはハイウェイを走行している。周りは広大な平野が延々と続いている。ユーカリのような木々が生えている。牛や馬が放牧されている。広大な土地、こんなところに住んでいたら、人間も大きくなるだろうか。
バッセルトンのホテルに着いたのは10時半頃。パースの空港からは休憩も入れてちょうど3時間だった。ハイウェイも混んでいるわけではないので早い。11時には部屋に入ってやっと落ち着いた。とりあえず着替えを済ませて、選手受付に向かう。まだ木曜日だからか、混雑も無くスムーズに流れる。あっという間に手続きは完了。今日の仕事はこれでおしまい。隣のアイアンマンエキスポを覗いて欲しいものを何点か購入する。お土産も含めて全部で200ドルほど。オーストラリアのドルレートがはっきり分かっていないので、ちょっと換算に戸惑う。だいたい90円くらいだと思っていればいい様だ。現在はアメリカドルよりも高い。
帰ってきてからはバイクの組立に取り掛かる。特に忙しいわけではないので、ゆっくりと調整をする。1時間ほどで組み上がったか。特に問題となる様なところは無かった。これでバイクも完了。今日の仕事はこれでおしまい。
初めて来たところなので、夕方にはツアーのメンバーで近所の中華料理店へ出掛けていく。評判の中華のお店らしい。食事がちょうど終わった頃に周辺がすべて停電。やはり電気が無いと不便なもの。困ってしまった。大会の朝、停電になどなってもらったら困ってしまう。塩野さんのブログによると、この停電は火事によるものだったらしい。安全のため、電気を止めたという事だった。そう、日本からは塩野絵美プロが参加していた。そして他にも、元プロ野球選手の古田さんも出場するという話を聞いた。
■12月2日(金)
ウェルカムパーティ
昨晩は停電だったので何もする事無くさっさと寝た。ベッドに入ったのは8時半頃だったろうか。12時頃に一度目が覚めたが、電気は復旧していた。安心してそのままもう一度寝た。今朝は5時頃起床、よく眠る事ができた。本日の予定はスイム会場に行って軽くスイム。その後朝食を取ってからバイクに乗ってくる予定。
朝食の前に、6時半頃にウェットを着込んで出掛けた。スイム会場にはたくさんの選手が泳ぎに来ていた。私も15分ほど泳いでみた。東からの風が強くさざ波が立っていたがそれ程泳ぎにくくもない。潮の流れがある様だが、どちらから流れているのかよく分からない。水もきれいで水温も普通。冷たいとは感じない。どれくらいで泳げそうかは全く分からない。たぶんそれなりの結果になるだろうと思った。バッセルトン名物のジェッティはほぼ北に向かって延びている。右オープンの私は、日の上がってくる方、東に向かって顔を上げることになる。練習ではちょっと眩しかったが、それも問題はなく、何とかなりそうだ。
朝食を済ませたあとはバイク練習に行く。ひとりなのでやらなくてはならない事も少ない。場合によっては、軽く走ってみるか。ジェッティに行ってみるのもおもしろい。そんな事を考えていた。今日も1日が長そうだった。
10時少し前にバイク練習に出掛けた。一応行き先は、バイクの折り返し地点まで。今回のバイクコースの折り返しは3カ所ある。そのうちのいちばん遠い折り返し点、昨日バスでバイクコースを通って来たところを自分で走ってきた。街中は割合に日本の様な舗装で衝撃は少ないが、郊外に出て森の中を走る道路は舗装の目が荒い。以前にニュージーランドのアイアンマンに出場したが、それと同じ様な舗装だった。バイクで走るにはちょっと辛い。しかしその距離はそれほど長くもない。10キロ程度だろうか。じっと我慢、こらえて走るしかない。
今朝の風は東からの風。夕方になると風はだいぶ穏やかになってきているが、昨日の朝の風も強かった。朝は風が吹くが、昼からは納まってきているようだ。バイクコースは東に向かっているので、行きは向かい風、帰りが追い風になる。今日の試走では、行きは向かい風でちょっと辛かったが、帰りはかなり速い。最初はじっとこらえて、帰りはビュンビュンという感じ。今日のバイクライドは約50キロ、気持ち良く走ってきた。追い風で帰って来たので、あっという間に街まで戻って来てしまった。
街に帰って来たのは11時半を少し回っていた。昼食はどこの国に行っても行ってみる様に、マックに行ってみた。街のはずれ、そういう店がたくさん並んでいる。ケンタッキーもあったが、ちょっと食べる気にはならなかった。マックの日本では食べるものとはちょっと違ったハンバーガーを頼んでみた。ラージ/スモールと聞かれたが、迷わずスモールにした。多分ラージなどと言うと、とんでもないものが出てくるだろう。出てきたスモールでも十分大きかった。日本のサイズからするときっとラージになるだろう。セットを頼んだらコーラもスモール、これは日本と同じ大きさ、ちょっと小さく感じた。ラージでも良かった。ハンバーガーの肉はさすがに本場のもの、とても美味しかった。ハンバーガーにさらに牛肉のスライスが入っていた。肉の量はとても多い。オーストラリア人の体が大きくなるはずである。
帰って来て、ひと休みしてバイクのメンテナンス。チェーンに油を塗り直して、タイヤをきれいにした。タイヤをチェックしていたら後輪に小さな穴を見つけた。即座に交換を決めた。タイヤを外すのにちょっと苦労したが、無事に交換完了。きれいなタイヤになった。後輪のタイヤは以前にレースに出場したままだった。前輪はピンホールが開いていたので来る前に交換していたが、後輪は問題無かったので変えていなかった。しかしこれで前後とも新しいタイヤに変わった。これで何の心配もなくレースに参加できる。
5時半からのウェルカムパーティに出掛けた。どこの大会でもそうだが、あまり美味しい食事は出てこない。出してくれるから食べるか、という感じ。もう少しまともな食事を出して貰いたいものだ。今から思えばスイスのアイアンマンでは、食事はひとりずつサービスをしてくれた。なかなかああいうところは無いものだ。今回の大会では、パーティの後にレース説明会があった。1回集まればいいので楽である。いいアイデアだと思う。パーティが予定より延びたので、8時に終わるはずの説明会は8時半頃まで掛かった。帰って来た後は、補給食など明日の準備をした。明日の仕事がだいぶ楽になった。
夜になって風が強くなってきた。外では風の音がしている。また明日の朝も風が強いだろうか。
■12月3日(土)
バイクギアチェックイン
起床は5時。ぐっすり眠れた。昨日は寝る前に例の寝付きの良くなる薬を3錠飲んだ。暫くしたら寝付いた様だ。効き目があったのかどうかは分からない。
5時過ぎ、ちょうど日が昇ってきたところだった。明日のスタート時間には十分明るい。問題は無さそうだ。朝から風が強い。昨日、寝る頃から結構吹いていた。道路を見ると濡れている。夜中に雨でも降ったのだろうと思った。実は朝起きた時はそう思ったが、雨など簡単には降らない。路面が濡れているのは、朝にスプリンクラーが回っていたからだった。こちらではどこにもスプリンクラーが付いている。
6時少し前にホテルを出てスイム会場に向かう。風は吹いているがそれ程の波はない。流れが多少あるようだ。風は東から西に向かって吹いている。ちょっと沖のブイのまわりをぐるりと回ってゴール地点まで泳いでみた。少々流される感じはしたが、大したものではない。泳いだのは10分くらいだったろうか。400mくらいだろう。波もそれほど高くなく、泳ぎにくいという事も無い。出場した事のある選手に聞いてみたら、スイムスタートはやはり内側が混むらしい。素直に外側に出ることにしよう。
朝7時過ぎにホテルのレストランに食事に行ってみたが、日本人しかいない。日本人の貸し切り状態になっている。日本語が聞けるので安心できる。10時少し前にアイアンマンエキスポに行ってみたが特に目新しいものは無かった。出展者もそれほど多くなく、エキスポ自体の盛り上がりはいまひとつというところ。アイアンマンストアもコリアの時とあまり変わらない。いまひとつという感じは否めない。やはりハワイでなければダメか。これもクレジットカードの請求元を見ると、チェジュの時と同じTBBだった。運営元が同じなら、提供される物も変わらないはずだ。バッセルトンの街に出てみたが、田舎町なのでお土産を買える様なところは無い。仕方なくスーパーでお土産用にTimTamをたくさん買ってきた。
今日のバイクチェックインは私の番号では2時から3時。補給食の準備もすべて終わり、2時半頃出掛けてバイクを預けて来た。受付では何のチェックも行わない。すべてが自己責任なので、これで十分である。バイクを持って行って、最初にタイミングチップを貰う。その次にバイクの写真を撮る。引き渡す時に確認のためだろう。これはフランス・ニースの時にもあった。あとは全て自分で行う。ラン用のギアを自分でセットする。その次にテントの反対側に回ってバイク用のギアをセットする。最後に体重を計られた。何の用途に使うのだろうか。靴を履いたまま計って、61.7キロだった。体重はだいたいこんなものだろう。最後にスペシャルニーズ用のビニール袋を貰ってきた。すでにスペシャルフーズは用意してあるので、詰めるだけ。全ての準備は終わった。あとはレースに出るだけだ。
現在午後3時50分。明日の起床は3時頃を予定している。エイジカテゴリーのレーススタートは5時45分である。普通では考えられないほど早い。オーストラリア人の考えることはよく分からない。床につくのは8時頃にしようか、そんなところだろう。朝のエントリーも特にすることは無いらしい。ボディのナンバリングも無くなった様なことを誰かが言っていた。本当だろうか。バイクラックに入るのにヘルメットが必要と言っていた。どういう意味なのだろうか。ヘルメットなどバイクバッグの中に入れておいて構わないだろうに。明日の朝、バイクにヘルメットを置いておく事になるのだろう。
この後する事は、もう夕食を食べるくらいしかない。すね毛も剃ったし、髭も剃った。寝る前に風呂に入ればすぐに寝られるだろう。する事もなく暇なので、ビールを飲みながらレポートを書いている。もう夕食にもビールは飲むつもりは無いので、レース前の最後のビールだ。冷蔵庫のビールが少なくなってきたので、先ほどホテルの前の酒屋で仕入れてきた。これでゴールしてから帰るまでのビールは確保できた。心置きなくレースに出場できる。
今日の夕食は連れて行って貰った中華屋にしようと思っている。やはり米が食べられるので安心だ。朝食はホテルで出してくれる事になっているが、どうせ洋食。更にすぐに出てくる事も無いので、明日の朝は自分で持ってきた赤飯を食べることにした。これも、米を食べていれば十分である。
夕飯を食べに近くの中華屋に行ったのは5時半頃。早いだろうと思ったが、案の定最初の客だった。しかしその後、同じホテルに滞在の日本人が次々にやって来た。みんな考える事は同じである。以前にドイツ、フランクフルトの中華屋に行ったときもそうだったが、海外の中華屋の料理の量がとても多い。ひとりではとても食べきれない。2人でひとつを頼めば十分である。今回もとても食べきれず、半分くらいを残してきた。コンビネーションカレー、19.5ドル、ライス3ドル、中国茶2ドル、ひとりで25ドルほど。ちょっと高い。2人でも殆ど同じ料金だろう。しかしそれも仕方がない。食べ終わって帰って来たのは、6時過ぎだった。ちなみに、今日の昼ご飯は、町中にあったテイクアウトのお店で寿司ロールを買ってきて食べた。2本で7.5ドル、値段も味も十分だった。
まだ外は明るいが、そろそろ日も沈む頃。多分、明日は明るいうちにゴールできるだろう。5時半までにはゴールしたいものだ。ただいま7時20分、ちょっと早いが、ぼちぼち寝る準備をしようと思う。明日の起床は3時だ。
■12月4日(日)
レースダイ
■12月5日(月)
アワードパーティ
昨日は電気もテレビもつけたままベッドの上に寝てしまった。でも気持ちの半分はそれでいいかなとも思っていた。2時半頃に目が覚めて、昨日はこの時間にはそろそろ起きていたなとなどとも思った。まぁ終わってしまった事は過去の事、またこれから先のことを考えればいい。
結局もう一回寝直して、6時頃目が覚めた。昨日の夜洗って干しておいたものはみんな乾いていた。さすがに乾燥しているためだろう。今朝は風も弱く天気も良い。すがすがしくて気持ちがいい。今日は朝からビールが飲める。昨日の夜もだいぶ飲んだけど、今朝もまた飲める。ビールがとっても美味しい。今日の予定は、行事はアワードパーティがあるだけ。自分のことはバイクを片付けて、帰りの荷物を作ること。しかし帰りは明日の朝なので、それほど焦ってやる事もない。今日はバッセルトン名物のジェッティにでも行ってみようと思う。
午前10時、バイクも片付け終わってひと休み。またテレビを見ながらビールを飲んでいる。体重もだいうぶ増えたかな。そう言えば土曜日、バイクギアを預ける際に体重を計ったけど、どういう意味があったのだろうか。またバイクを預ける時にバイクの写真も撮ったけど、あの写真はどうなったのだろう。どうするつもりなのだろうか。写真と言えば、レースエントリーの際に、写真も申し込んだけど、どうなっているのだろう。昨日は写真班がたくさんいたけど、いい写真が撮れただろうか。現地には写真屋さんのカウンターも何もない。少しくらいは何かあってもいいのにと思った。
11時頃部屋を出て大会会場に行ってみた。広場ではちょうどハワイのロールダウンをやっている時だった。何人かの日本人が権利を貰っていた。オーストラリアドルで$770と書いてあった。高い。自分の成績も載っていたので見てきた。12時間33分07秒、総合で615位、エイジ別は12位、まずまず思った様な結果だった。
その後はジェッティを先端までお散歩。周りの景色を見ながらのんびり歩いて行ったが、あっという間に先まで着いてしまった様な気がした。周りは全部海、なかなか雄大な景色だった。陸地には山など全く見えない。遠くの方にそれほど高くない丘陵が見えているだけだった。部屋に帰ってきて、今度は海で泳ごうと思って支度をして出て行く。海でひと泳ぎ。海辺は気持ちが良かった。
海辺ではアフターレースを楽しんでいるグループがたくさんいる。泳ごうと思って公園に行ったところへ地元のオーストラリア人か、声を掛けられた。これからビールを飲みながら走ると言う。一緒にやろうとしつこく誘われたが、そんな事などやってられないと断る。私が泳いでいる時に海から見ていると、ビールを飲んではみんな走り出している。バカな事をやっているなぁと呆れた。50人くらいはそのグループのメンバーがいた。
海から帰ってきて、6時からアワードパーティ。どんなものを食べさせてくれるのだろうか。期待はしない。6時からのアワードパーティだったが、5時半に会場のドアオープン。すぐに食事を出してくれる。アルコールはひとり2杯まで。手にスタンプを押してチェックしている。なかなか合理的。ゲートは開いているが人はなかなか入ってこない。こちらは勝手に食事をしている。内容は一般的なパーティの食事。オーストラリアだけに、牛肉はいくらでも出てくる。食事中は写真がスライド形式で出てくるだけ。その写真の中に、スイム会場で私らしき姿が少しだけ写っていた。7時頃からお話が始まり、延々と1時間くらいは続いていた。内容が分からないだけに面白くない。そして8時頃からやっと表彰式が始まった。しかし知っている人が表彰されるわけでは無し、関係はない。日本人は年寄りが数名入賞した。パーティが終わってアイアンマンの行事も全てが終わった。パーティ会場ではまだまだ夜中までアフターパーティ行われる様だ。日本人はパラパラと帰って来た。
■12月6日(火)
帰国
8時半頃迎えのバスが来たが、案の定、荷物の積み込みに苦労し、ホテルを出発したのは9時過ぎになった。途中、パースに向かうハイウェイが交通事故のため道路を迂回した。渋滞には巻き込まれずに済んだ。また、パースに近づくにつれて天気が悪くなってきた。天気も悪く交通渋滞の可能性があるという事で、バスは空港に直行した。空港に着いたのは12時半頃。土産の買い物を心配したが、希望の物は無事空港で買うことができた。全く問題なかった。ドルは殆ど使い尽くした。ちょうど良い買い物だった。
パースの街に入って来てからは雷が鳴り、雨も降り出していた。フライト予定は午後3時55分出発の、シンガポール航空226便、シンガポール行き。到着は午後9時10分の予定。フライトとしてはちょうど良い、でも更にシンガポールから成田まで飛ばなくてはならない。やはり長い。成田着は明日の朝、7時半の予定。しかし、シンガポール行きのフライトは悪天候の為遅れていた。結局悪天候のためパース発は2時間半遅れた。出発は午後6時過ぎ。シンガポール着は午後11時半頃。成田行きの便は午後11時55分発で、既に搭乗は始まっていた。荷物の積み込みもあるので出発は30分ほど遅れ、シンガポールを飛び立ったのは夜中の12時半頃になっていた。
成田到着は予定通り日本時間の7時35分。無事に着陸した。バッセルトンからは長い道のりだった。帰りはずっとギリギリの時間だった。パースでだいぶ待たされたのが痛かった。みんな疲れていた様だ。とりあえずは無事に成田に着いて良かった。成田からはまたみんな各自それぞれ帰路に就いてツアーは終了した。
____ 往路 ____________________
東京~シンガポール(A330):5500キロ
11月30日 11時10分発-18時00分:予定通り
シンガポール~パース(B777):3910キロ
12月1日 1時00分発-6時00分着:予定通り
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____ 復路 ____________________
パース~シンガポール(B777):3910キロ
12月6日 18時10分発-23時20分着:悪天候・2時間10分遅れ
シンガポール~東京(A330):5500キロ
12月7日 0時20分発-7時35分着:予定通り
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| プロローグ~帰国 | レースダイ |
(No.546)
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