東京マラソン2023
2023年3月5日(日) 曇り
種目:42.195Km
記録:4時間26分29秒(4時間30分52秒)
順位:総合14782位/27953人 男子65-69歳346位/1545人
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0 | Km | (4:22) |
5 | Km | 30:11 | 30:11 |
10 | Km | 31:08 | 1:01:19 |
15 | Km | 31:46 | 1:33:05 |
20 | Km | 31:45 | 2:04:51 |
half | | | 1:13:28 |
25 | Km | 33:08 | 2:37:58 |
30 | Km | 31:15 | 3:09:14 |
35 | Km | 31:16 | 3:40:31 |
40 | Km | 32:09 | 4:12:40 |
42.2 | Km | 13:49 | 4:26:29 | 1:13:01 |
私が浅草に向かって走っている頃、14キロを過ぎた辺りで対向車線を白バイが走ってきた。その後ろには速いスピードの先頭グループがいた。その中にひときわ目立つ大迫も走っていた。彼らはあっという間に走り去って行った。対向車線は31キロ過ぎ、私は14キロを過ぎたところ、彼らは私の2倍以上のスピードで走っていた。これが今回の東京マラソンで一番嬉しかった事と言えるかもしれない。
私のスタートはDブック、スタートラインを通過するまでに4分以上が過ぎていた。しかし今日はタイムやスピードを求めるマラソンではなく、最後まで走り切る事が目的だった。ゆっくりとスタートラインを越えて走り出した。
私の走るペースは6分がいいところ、それ以上で走れば故障してしまうだろうと思っていた。やはり走り出しはみんな速く、ガーミンを見ると5分半くらいのペースで走っていた。そんなに速いのかと思って、ペースを落とすように努めた。序盤は下りが続くのでどうしてもペースは上がり、左ふくらはぎが若干ピリピリする感じも見られた。その後は後ろからどんどん抜かれ続け、じっと我慢をしながら6分ペースを維持し続けた。
【前日まで】
2日前の金曜日にビッグサイトで行われている受付に向かった。朝早く行ったので空いているだろうと思ったのだが、みんながそう思うのか、かなりの人数だった。およそ1時間ほど掛かって受付は終了した。その後エキスポを覗いてみたが、それほど面白いものは無かった。アシックスのブースだけが混雑していた。そして海外からのランナーがとても多い事には驚いた。日本人より多い様に感じた。
土曜日は戸塚から新宿に移動した。新宿の都庁前にホテルを予約していた。数か月前には予約が取れなかったのだが、1週間前に確認すると幸運なことに予約する事ができた。3時前にホテルに到着してすぐにチェックインを済ませる。公式ホテルに指定されているのか、海外からのランナーで溢れていた。日本のホテルではない様に見えた。
部屋に入って少しのんびりした後、スタート地点周辺を軽く走ってきた。既にスタート地点の準備はおおむね終わっていた。私の集合地点やスタート直後のコースなどの下見を済ませた。一度ホテルに戻って着替えてから、隣のビル内のレストランで早めの夕食を食べて、明日のスタートに備えた。
【当日】
当日の起床は5時頃。ホテルでの食事は5時からできるようになっていたので、レストランには6時前には行くようにした。外人さんがたくさんいたので、きっと混み合うだろうと予想した。ちょっと早めに行ったのが良かったのか、まだ待たされる事は無かった。さすがに一流ホテルなので、レストラン内も混み合う事も無く、スムーズに食事をとる事ができた。本当は餅が良かったが、それの用意は無かった。ご飯をしっかりと食べて満足した。たくさんいた外人さんには、いつもの食事が取れて良かった様だが、コーヒーとパンには列ができていた。私には両方とも用が無かった。レース当日はコーヒーは飲まないようにしている。私たちが1時間ほど食事を済ませてレストランを出る頃には、入り口に長い行列ができていた。
まだ時間が早かったので、食後もそれほど慌てる事も無くのんびりと準備をした。ホテルの隣が私の入場ゲートなので、8時15分にスタート地点に向かえば十分だった。
走る格好の上に防寒着を着て、ゴール地点で受け取る荷物を持って出掛けた。一時よりは選手の数も減ってきていて、受付もスムーズに進んでいた。ただ、ゲートを通過した後に荷物預け、スタートゲート入場までは既に入っている選手でごった返していた。そこを何とか通過して荷物預けまで辿り着いた。あとは着ていたものを脱いで荷物を預けるだけ。ウェアを脱いだ後にはビニール合羽を着て寒さをしのいだ。
スタート待ちの列に並んだのは8時50分頃、スタート時刻まではまだ20分ほどあった。合羽を着ていたので寒い事は無く、人混みの中でただ待たされるだけだった。列は徐々に前に進んだ。
9時5分に車いすのスタートの合図が鳴った。スタートまであと5分、少しずつ列は進む。9時10分、マラソンのスタートの合図が鳴った。と言ってもまだまだ走り出す事は無い。少しずつ進むだけ。スタート前に着ていたものはみんな道端に脱ぎ捨てて行く。
スタートラインを越えたのはおよそ4分半後、それから徐々にペースを上げていく。ペースは決して上げ過ぎない。我慢しながらのゆっくりペースである。今はガーミンといういい時計があるので、ペースはすぐに分かる。都庁前を通過し、しばらく行って左折、そしてまた更に左折。ぐるりと都議会の建物を回り、泊まっていたホテルの前を通過する。
妻がホテルの前で応援すると言っていたので、どこかにいると思って探したが残念ながら見つからなかった。ホテルを通過してからはその先を右折、新宿駅方面へ向かう。スタート直後はどうしてもペースが上がってしまうが、時計を見ながら自分のペースを守る。そんな遅いペースで走っているランナーは周りにはいなくて、どんどん抜かれていく。
最初の5キロ、防衛庁のある市谷辺りまではずっと下り、普通に走っていればいいペースで行けるところだが私はじっと我慢、自分のペースを維持した。5キロはちょうど30分、いい調子だ。記録を参照すると、5キロまでに3000人に抜かれていた。ちなみに、スタート時の順位は7753位、最低位になったのが25キロ地点で15251位。5キロ以降も5キロごとに2000人ずつに抜かれていた。その後は徐々に順位が上がり、フィニッシュ時点では13572位になっていた。40キロからフィニッシュまでの2.2キロで150人ほどを抜き去っていた。周りは歩いていたり立ち止まっていたりしていた。最初に勢いよく行ってしまったランナーは仕方のない事だろう。
どこまで行っても自分のペースを守って走る、それだけだった。最初は6分ペースが望みだったが、ひとりで走っている訳でもないので、それは仕方のない事、だいたい31分くらいだった。
今回初めて東京マラソンに参加した訳だが、今年から一部コースが変更になり、水道橋・後楽園の後は秋葉原方面に向かい電気街のメインストリートを走る。折り返してからは日本橋を渡ってまた北上して浅草方面へ。その後は銀座通り、東京タワーそして最後は東京駅、皇居。まさに都内の観光地巡りというコースになった。秋葉原では立ち止まって写真を撮っている外国人もいた。浅草、スカイツリー、東京タワーも同様だった。
私がいちばん嬉しかったのは、じっと我慢の走りをしているときに対向車線をトップ集団が走っているのを見られたことだった。トップ集団はまさに目の覚めるような走りだった。その中で目立つユニフォーム姿の大迫の走りはすぐに分かった。勝ってほしいと思ったが、日本人では3位に終わってしまい残念だった。しかし上位でフィニッシュしたことは喜ばしい。先頭には会えないだろうと言われていたのだが、いいものを見ることができた。
スタート前に小用を済ませたのだが、10キロを過ぎる辺りから既にトイレに行きたいと思い始めた。どこで済ませるかなと走りながら考えて、20キロを過ぎた辺りでトイレに行こうと考えた。トイレがたくさんありそうなところを見たが、やはり行列ができていた。それならばコンビニのトイレを借りようかと考えていた。どうせ行くならセブンだろうと思って、セブンを探した。20キロ地点を過ぎた辺りでちょうどセブンを見つけて入って行きお店の人にも声を掛けた。トイレの前にひとり女性が待っていたが、先を譲ってくれて済ませる事ができた。トイレはだいぶ先延ばしになっていたのでなかなか終わらなかった。しかしそこからは走りがスムーズになった。
妻はスタート地点から日本橋へ行き、次は蔵前に移動し、その後に銀座に行くと言っていた。私も妻の応援の姿を探したのだが、結局一度も見つけられなかった。最初に声を掛けてくれたのはフィニッシュ手前1キロの丸の内仲通りの入り口付近だった。一度だけだったが、嬉しかった。
銀座付近はだいたい33キロ過ぎ。それなりに疲労は来ていたが、まだまだ十分走れている状況だった。日比谷通りに出て、あと1回折り返して来ればフィニッシュというところでそろそろ35キロ。やはりマラソンというのはいつも変わらないもので、35キロを過ぎて左ひざ付近に痛みが出てきた。止まってしまうのは簡単なことだが、一度止まってしまうと再び走り出すのに苦労するので、止まる事は考えなかった。ややスピードを落として、ひざに負担を掛けないようにした。そのうちに痛みも忘れていた。
どこからペースアップを図ろうかという事も考えていた。残り10キロくらいからラストスパート、などという事も考えていたが、それはやはり無理だった。最後の田町折り返しを過ぎてペースアップをしたいと思ったが、やはりそれも無理なようで、同じペースを維持するのが精一杯だった。いくつもあった折り返し地点の先には、はとバスの大きな黄色いバスが停まっていて、それが見えてくると折り返し地点と分かって嬉しかった。
最後の折り返しを過ぎ、大門、東京タワーを左に見て残りは3キロほど。もう残りも少なくなってきてやっと元気が出てきた。妻の応援を貰って残り1キロ。昔勤務していた丸の内仲通くらいは元気良く走り抜けようと思っていたのだが、なかなかスピードは上がらなかった。その1キロも長く感じられて、頑張りも途中で諦めてしまった。何とか最後まで走り切る事ができた。脚に大きな疲労は無く、そして不具合も起こらなかったが、久しぶりのフルマラソン、やはり疲れてしまった。呼吸器系には全く問題は無かった。
4時間半も掛かってしまった事だし、マラソンももうこれで十分かなと思った。3時間を切れなくなってしまって以来、これで2回目のマラソン引退宣言かな。
(No.685)
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