2023 IRONMAN CAIRNS | |
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2023年6月18日(日) 天候:晴れ |
種目:Swim 3.9Km、Bike 180Km、Run 42.2Km |
記録:DNF |
| スイム | | 1:26:21 | | | 1:26:21 |
T1 | 11:07 | | 1:37:28 |
バイク | 7:33:45 | | 9:11:12 |
T2 | 10:16 | | 9:21:28 |
ラン | DNF | | DNF |
| レースデイ | 出発~帰着 |
■6月18日(日)
・レースデイ
エスプラネードを走り終え、180キロのバイクは終わりトランジッションに入って行った。ランウェアに着替えて走り出した。脚の不安はあったものの走る事はできそうだった。しかしこの先どこでやめる事になるのかと考えていた。結局4キロ走ったところで脚に痛みが出てきた。やっとやめる理由ができた。私のアイアンマンケアンズはこれで終わった。
今年のレースはどうせ最後までフィニッシュできないという思いがあるので、本気でレースに向き合えなかった。緊張の無い気楽なレースになってしまった。
《スイム》
緊張が無いとはいえ、スイムだけは本気で戦わないと生命に関わってくるので真面目に泳ぐ。スタートゾーンは3番、今年はスタートゾーンに合わせてキャップの色も変わっていた。私は3番の緑色、2番は青キャップだった。7時40分にプロがスタートし、数分おきに女子などが出て行った。その後一般選手が5秒置きくらいのウェーブで順次出て行った。私のスタートはちょうど8時だった。
1時間半くらいでフィニッシュできるだろうと思ってスタートした。海は今まで無かったくらい穏やかで、楽に泳ぐ事ができた。コースは岸から出て1周2000mくらいのコースを1周半、そして少し離れたフィニッシュ地点に向かう。
予想されていたことだが、やはり私の泳ぎは左にずれて行ってしまう。他の選手は私の右の方でブイに沿ったコースを泳いでいた。私の周りにはあまり選手はいない。それでも時折りぶつかる事もある。私が蛇行していたのであろう。
コースを1周してきたところで40分くらいだったか、時折りゴーグルに入った水を出したり、時計を見たりした。時計を確認したのは2回だった。1回目は最初のコーナーを回った時、時計が動いているのを確認した。12、3分だった。次はスタート地点まで戻ってきたとき、40分を少し切るくらいだった様な気がする。その後も蛇行は変わらず、同じような調子で泳ぎ続けた。
今まで2キロも泳ぎ続けると泳ぐのが嫌になってしまったが、今年はそんな事も無く淡々と泳ぎ続けた。最後のM・DOTマークのブイを回って岸に向かう。そこから近いと思っていたのだが岸にはなかなかたどり着かない。
岸に上がったところで時計を見たら1時間26分、意外に早いじゃないかと思った。いつものゴール地点に妻がいるかと思って探したが見付からなかった。他の場所にいるのだろうと思いそのまま先に行った。ちょうどそこへバイクスタートに向かう川島を見付け、ひと声掛けてトランジッションに向かった。
何度も言うけれど、緊張感は無く、トランジッションエリアでも焦る事は無く、ゆっくり着替え、バイクに向かうのものんびり歩いて行った。バイクスタートに向かうのも歩いて行き、そこに妻を見付けた。遅いだろうと思っていたが3番目、永田、川島そして私の順だった。意外に早いので、気を良くしてスタートを切った。
《バイク》
スタートから若干の上りがあってハイウェイに出る。今年のコースはパームコーブをスタートし、折り返しもパームコーブになっていた。その結果、以前行っていたポートダグラスの街まで行かなくなり、私としては若干楽になったような気がしていた。
いつものとおり、行きは追い風、帰りに向かい風が吹く。5年ぶりのレースなので、風の事はよく覚えていたが、アップダウンの事は忘れていた。一部平坦な場所を除いてほとんどがアップダウンの繰り返しだった。
レースとしては、最後のランまで走り切れないと思っていたので、バイクもそれほど頑張らずにバイクフィニッシュまで楽しく走れればいいと思っていた。そのためペースは上がらず、サイクリングの様なレースになってしまった。前半まではほぼ予定どおりのペースで走っていたが、2周目になってからはどんどんペースが落ちて、アベレージが徐々に落ちてしまっていた。予定では7時間くらいのつもりだったが、アベレージは24キロを切るまでに落ちてしまった。
1周目の終わり75キロ地点辺りにスペシャルニーズエリアがあり、そこではしっかり2回休んでしまった。それだけでも10分のロスタイムは出ていた。しかしそのお陰で最後までしっかりと走る事ができた。
パームコーブからケアンズまでの残りの30キロは、思ったほど向かい風は強くなく、平坦という事もあって、ペースは若干は上がった。最後まで気持ち良く走る事ができた。しかしレース全体ではかなり後方を走っている感じがして、レースから取り残されてしまっていた。我がクラブのメンバーはほぼ全員がその後方の取り残され組だった。
空港の横を通過しエスプラネードに入ってくると、かなりの選手がランに移っている。しかしランナーばかりではなく、歩いている選手もかなり見受けられた。私は途中でやめる事になるだろうなと思いながら、その選手たちを見ていた。
エスプラネードを走り終え、180キロのバイクを終えてトランジッションに入って行った。トランジッションバッグがなかなか見つからずにうろたえてしまった。長いバイクの疲れもあったので、ゆっくりと着替えを済ませた。
《ラン》
のんびり着替えてテントから歩いて出た。そしてどこでやめるのがいいのかと考えていた。妻は周回に入るところで私を待ってくれていた。予想されていたふくらはぎの痛みはまだ出ていなかったので、とりあえず桟橋方面に走り出した。
周りのランナーは元気に走っていた。私もそれに合わせてゆっくり走り出した。ふくらはぎの痛みはまだ無く、最後まで走れるかもしれないと思い始めた。
海沿いのホテルの前のボードウォークを往復し、更に桟橋の先まで行って元の交差点まで戻ってきた。3キロ、20分弱だった。痛みはまだ無い。このまま走り続けられるかもしれないという思いが頭をよぎった。しかしこのまま空港方面に行けば戻ってくるまでに7キロある。途中で痛くなってしまったら歩いて帰ってくるしかない。それも覚悟して交差点を空港方面に向かった。だがバイクの疲労で思うようには走れなかった。
脚に痛みが出るのは想像できるので、どんな理由を付けてやめようかとも考えていた。早くやめさせてくれとも思っていた。このままのペースで行けば6時間は掛からずにフィニッシュ、11時頃にはゴールする。しかし今までからすればかなり遅い。15時間というゴールタイム、うーん、と考えてしまう様なタイムだった。だいたいペースはキロ7分ほど、42キロで6時間掛かる。夜中の11時になってしまう。そんな事を考えながらゆっくり走っていた。
そんな事を考えていたからか、いつも感じていたふくらはぎの張りを感じるようになってきた。やはり出てきたかと思った。これでやめる理由もできたと思った。少しずつ痛みが大きくなって肉離れの恐れも出てきた。走るのを諦め歩き出した。4キロ地点まで来ていた。今年のケアンズはここで終わってしまった。あとはゆっくりと歩くしかなかった。
(No.687)
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