第34回大山登山マラソン
2019年3月10日(日) 天候:曇り
種目:9Km 男子60歳以上
記録:56分50秒
順位:6位/276人
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| LAP | SPLT. | | alt. | | dif. |
1Km | 4:17 | 4:17 | 38m | 8m |
2Km | 4:38 | 8:55 | 55m | 17m |
3Km | 4:54 | 13:49 | 80m | 25m |
4Km | 4:37 | 18:27 | 105m | 25m |
5Km | 5:33 | 24:01 | 160m | 55m |
6Km | 5:16 | 29:17 | 220m | 60m |
7Km | 6:25 | 35:43 | 300m | 80m |
8Km | 9:10 | 44:53 | 470m | 170m |
9Km | 11:56 | 56:50 | 680m | 210m |
昨年は出場しなかったからか、前回の感じはすっかり忘れていた。そのためだろうか、2年前の記録からは4分以上遅くなってしまっていた。
朝は戸塚から6時44分の地下鉄で湘南台へ。その先小田急線で相模大野経由で伊勢原へ向かう。8時少し前に伊勢原駅に到着、そのまま会場の小学校へ向かった。
1週間前の3月3日東京マラソン、その1週間前の天気予報は雨だった。そしてその日に発表された今日の予報はやはり雨だった。雨のレースを覚悟した。しかしその後の予報は好転して、当日の天気は曇り、気温はだいぶ高く10℃を超えていた。暖かくて気持ちのいい朝だった。
今年は家内は参加しない事になった。近年は大山の旅館に宿泊して、朝早く家を出発しなくてもいいようにしていた。着替えの荷物は家内にゴール地点まで持って行って貰う事にした。
9時少し前からウォーミングアップを始め、30分ほどジョグとストレッチで体をほぐした。9時半頃には着替えも済ませて、直接スタート地点の伊勢原駅前へと向かった。トイレなども済ませて、選手の集団が来るのを待っていた。暖かいので、待っていても苦ではなかった。
9時50分頃には集団も揃い、5分前にスタート地点へ並んだ。今年のゲストランナーは、もうだいぶ歳をとってしまった弘山晴美さん、それから岸川朱里さんのふたり。スターターは朝早くから小田急電鉄の社長が来ていて、最初のスタートの合図を鳴らしてくれた。朝早くからご苦労様だった。
予定では10時スタートだったが、今年はバスの発車があったので、10時2分のスタートになった。その連絡がゴール地点に伝わっていなかったのか、表彰状の記録は2分遅くなっていた。しかし正式記録では正しい記録に直っていた。
このレースでは平地で速いランナーに差を付けられない様に、序盤で頑張って走っておく。そうでないと標高が高くなってから頑張ってもなかなか前に追い付けないという事になってくる。今年もそのつもりで頑張ったのだが、結局は山間部に入ってから同じカテゴリーの前のランナーに追い付く事は無かった。タイムの方も以前から比べるとだいぶ遅くなってしまっていた。今年は練習も積めていたので自信はあったのだが、結局は前半部での差がそのまま付いてしまっていた。直前のランナーとの差は25秒ほど、山の中ではすぐ前にいたのだろう。
前回のレース結果からは4分以上遅かったという事もあって、平地の部分ではそれなりにきつかったが、比較的気持ち良く走れていた。息も絶え絶えという事は無かった。最初に書いたが、やはり毎年走っていればその走り方も忘れていなかったかもしれない。
246号の交差点の1キロ地点では4分17秒、そこそこの走りだと思っていたが、そこで既に10秒以上遅くなっていた。次の東名高速のガード手前が2キロ地点は4分38秒、記憶ではだいたい4分20秒くらいというイメージがあるのだが、ここでは20秒近く遅れていた。徐々に勾配はきつくなり、ペースも落ちてくる。
3キロ地点は信号のある交差点近辺、4分54秒だった。まだ5分を切っていたのは良かったが、ここでも20秒以上遅い。3キロ地点で既に1分近く遅かった。これでは前を行くランナーとは勝負にならない。過去の記録を調べると、上位入賞のランナーのタイムはあまり変わっていない。従って私がこの辺りでもう少し頑張っていれば、それなりの勝負ができていたのではないかと考えてしまう。
4キロまではやや勾配が緩くなりペースが上がる。だいたい2キロ地点のラップと同じになっているのだが、やはりここでもほぼ同じ4分37秒、要するに遅いなりに同じ様なペースで走っていた事になる。
2キロの手前辺りからやや年配のランナーが私と並走する様になった。彼もレースナンバーを気にしている様で、私と同じピンク色のナンバーを付けていた。同じカテゴリーなので負けるわけにはいかない。私はその事は気にしながらも自分のレースをする様に心掛けた。私より速ければ先に行ってしまうだけである。しかしそのランナーは勾配がきつくなるに従って、私の周りからはいなくなっていた。
5キロは5分33秒、ところどころに急な勾配が現れてくる。平地の残りは2キロ、先も残り少なくなり、少しだけ気は楽になる。6キロ地点は大山へ向かう勾配のきつい道路の始まり、右折してしばらくしたところにある。それを過ぎればあと1キロ、バス停までのきつい上りが始まる。それまでが遅かったからか、この部分で前を行くランナーをだいぶ抜き去った。止まってしまう様なランナーもいて、どんどん抜く事ができた。この辺りでは、私はひょっとしたらかなり上位にいるのではないかと思ってしまった。
7キロ地点の表示が分からず、ラップを取ったのは少し遅かった様だった。そこから先は参道の階段と山道、そして山道の石段に入っていく。私が自信をもって走れるコースになる。まずは階段が始まるが、1段ずつしか上れない。昔は1段抜かしでどんどん走って行ったが、今年は全てで1段ずつの上りだった。2段ずつ上るのは辛い気がしたので、初めからやろうと思わなかった。私の隣を50代のランナーが歩きながら2段ずつ上っているのと同じペースだったが、この先上れなくなるのは分かっていた。そのうちに消えていた。そういうランナーが何人もいた。
山の中に入ってからは殆ど走る事はできず、ほぼずっと歩きながらの上りになってしまった。しかし走れそうな場所ではしっかりと走った。だが前を行くピンクのランナーには追い付く事は無かった。ひとりくらいはかわして順位を上げたいところだった。
残りも少しになると、行く先は見上げる様になってくる。最後の100mは階段に変わる事は憶えているのだが、なかなかそこまでたどり着かない。ずっと歩くしかなかった。その昔の若い頃は、こんな所も走って上っていた記憶がある。そんな頃はまさに突っ走っていたのだろうと思う。筋肉も衰えていくので仕方がない事だ。
最後の階段、あと100mほど、しかしゴール地点は見えてこない。前にはランナーは見えず、後ろにも付いて来ていない。もうタイムを気にする事無く、焦らずに上る事ができたのは楽な方だった。
そして最後の10段ほどの階段を上ってフィニッシュ。やっとたどり着いた。横からは6位だ、7位だと言うような声が聞こえていて、何位だか分からずに先に進むと、首に掛けるものを持って待っていてくれる役員がいた。とりあえずは何か貰えそうだと思ってそれを掛けて貰う。札を見ると6位だった。途端に喜びが溢れてきた。まずは目標の入賞ができた事を喜んだ。そして応援してくれた家内にもそれを報告すると、一緒に喜んでくれた。
ゴール後しばらくして表彰式が始まった。最初に50歳代、その後に60歳以上が行われた。今年は境内に向かっての整列、周りが見渡せて気持ちがいい。やはり入賞して表彰して頂けるのはいいものだ。6位という最後の入賞者だったがやはりそれでも嬉しい。タイムは遅かったがいいレースができた。
(No.640)
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