2018 IRONMAN CAIRNS
 
2018年6月10日(日) 天候:曇り
種目:Swim 3.9Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:13時6分16秒 総合650位/953人 60-64男子8位/29人

スイム1:35:54(21)1:35:54
T17:351:43:29
バイク6:34:29(15)8:17:58
T26:158:24:13
ラン4:42:00(6)13:06:13


| レースデイ | 出発~帰着

■6月10日(日)
・レースデイ

《スタート前》
 起床は予定どおり3時半、レース前の長過ぎた日々もやっとその日を迎えた。今まで何度こんな朝を迎えただろうか。特に緊張をする事も無く、いつもどおりの朝を迎えた。

 レースの日の朝食は餅、本当は納豆も欲しいところだが、さすがに納豆は日本から持って来る事は無い。海苔と醤油はいつものとおり。オーブントースターで焼けば手間いらずだが、それも無いので、フライパンにクッキングシートを敷いて焼く。餅の他にはやはりいつものヨーグルト、腸の調子が良くなるかな。

 食事を済ませてしまえば他には大した事は無い。日の上っていないケアンズの朝はまだ寒い。レースウェアを着込んで、更に移動用のウェアを着込む。

 ホテルが市内の中心部にあるので移動の距離は少なくて済む。4時45分頃にホテルを出てバスの出発する公園まで移動する。ちょうど5時発のバスに乗る事ができた。暫くはバスでのんびり、スタート地点のパームコーブまでは35分、5時35分に到着。スタート前の準備にはまだまだ余裕がある。

 レースの朝にする事と言えば、とりあえずスペシャルフーズの預託。その後はバイクラックでバイクのセッティング。補給食をバイクのバッグに詰めて、ボトルに水をセット。タイヤに空気を入れて、更にチェーンにも油を差しておく。ここまでやれば完璧。

 トイレに行く必要も無かったので、家内の待つバイクゲートへ戻る。暫くリラックスして、そろそろ70.3のレースが始まる頃にウェットスーツを着込む。家内の手伝いがあるので助かる。ワセリンも首周りにたっぷりと塗って貰う。スキンルーブのお陰でウェットスーツで擦れる事も無くなった。

 とりあえずスタート前にひと泳ぎする。海のコンディションは悪くはない。天気は曇り、風は弱く、波もあまり無い。今までのケアンズから比べれば絶好のコンディションというところだろう。

 鉄人のメンバーも揃い、みんなでスタート地点へ向かう。プロ男子のスタートは7時35分、その後すぐに女子のプロが出て行く。沖に出てから右に折れて岸沿いに泳いで行くが、潮が向かって来ている様で、プロでも遅く見えた。往きのコースは苦労しそうだった。

《スイム》
 エイジグルーパーのスタートは7時45分から。スタートの列は徐々に前に進んで行く。私がスタートしたのは9分後、7時54分になっていた。まずは焦る事も無く、ゆっくりと出て行く。まだまだ先は長いのでここから焦っても仕方ない。

 本当は右の方へ行きたいのだが、何故か左の方へ行ってしまう。仕方なくそのまま前方のピンクのブイを目指す。それほど苦労することなくピンクのブイにたどり着いた様な気がする。ただ他人より遠回りしてしまった様だ。その後は、ただただ前方のオレンジ色のブイを目指す。ピンクのブイをターンしたところでかなり沖の方に出てしまっていたので、他の選手はかなり右側の先の方に見えていた。私が目指すのは先のブイだけ。多少沖の方に出ていても問題はない。

 波はそれほど高くないので泳ぎやすい。自分ではそれなりのペースで泳いでいるつもりだった。往きの真ん中あたりで、今年も川島の姿を見付けた。袖の青いウェットを着ているのでよく分かる。昨年も見付けていた。付いて行きたいところだったが徐々に離されてしまい、いつの間にか見えなくなってしまっていた。そしていつもの様に半分も行かないところで嫌気が差してきた。しかしスイムが終わらないところで先には進めない。そう思って頑張るしかない。

 そろそろコーナーのブイだろうと思って泳いでいると、色はピンクではなくオレンジ色だった。しかしみんなそのブイを回って行くので私も合わせて行く。そのブイを回った先にピンクのブイがあった。ここをターンするのかと思ったが、もう一つ先にもピンクのブイがあった。どうもブイを置いてある場所が違っている。そんな事をいってもしようが無いので周りに付いて行く。最初のピンクブイとオレンジのブイの位置が逆だったのではないかと推測する。ブイのターンだけはいちばん内側を回った。

 いちばん端のコーナーを回ったところでタイムをチェックしようと思って人のいない内側に入って行く。そこで時計を見ると8時47分、何と50分以上掛かっていた。ちょっと掛かりすぎ、この先ゴールは何分になるのか心配してしまった。半分を過ぎて、潮の流れも変わった様で泳ぎやすいように感じた。泳いでいる位置は相変わらず他の人よりも左側、それは右オープンなので仕方がない。ただ往きよりも割合にみんなの近くを泳いでいた。時折他の選手との接触もあったりしたが、それも問題はない。帰りのブイの数もおんなじだと思っていたが、やはり帰りの方がブイまで行くのに早い様な気がしていた。途中でだれてしまう事も無く、周りから遅れない様に頑張って泳いだ。

 コーナーのピンクブイを曲がって時計を見た後に尿意を催したので、ゆっくり泳ぎながら用を足した。結局復路の真ん中あたりでもう一度、更に岸に上がる前にも用を足した。お陰で着替えてからはトイレに寄る必要は無かった。

 最後のピンクのブイを曲がればあとはビーチに向かって泳ぐだけ。潮の流れが右方向に流れていると思ってなるべく左側を泳いでいた。それは効果があった様な気がしたが、ビーチまでは思ったほど早くはたどり着かなかった。この辺りはビーチのすぐ近くまで深くなっているので、なるべく岸の近くまで泳ぐようにした。時計を見ると9時30分頃、まだ1時間30分台だった。遅すぎるほどではないのでとりあえずはひと安心した。許容範囲内だろう。

 こちらに来てから海で泳いだときに、岸に上がるとふらふらすることがあった。今度も岸に上がってふらふらするかなと思ったが、それほどでもなかった。砂浜に足が取られた程度だった。よく考えてみれば、海で泳ぐのは昨年のケアンズ以来だった。海で練習する事も無いのでそれが理由かもしれない。

 そしてゴールゲートに向かっている時に、『アツシ… ジャパン』という様なアナウンスが聞こえた。ひょっとしてあのアツシかと思ったら、やはりそのとおりだった。すぐ目の前を隊長が走っている。昨年と同じシチュエーションだった。ただ今年はトランジッションに着く前に追い付いて、肩をたたいてやった。彼も驚いた様で、『去年と同じだね』と言ってきた。

 そして更に驚いたのは着替えテントに入ってからだった。入口そばに川島、松本が並んで着替えていた。鉄人の還暦おやじ4人が同じところで着替えをしていた。とりあえず焦る事なく、ゆっくりと着替える。更にしっかりと補給もする。バナナ、ジェル、そして大好きなレッドブル、これで元気が出る。最後にバイクシューズを履いてテントを出て行く。すると目の前にまた隊長、しかし彼はトイレに入って行った。私は海で用を済ませてきたのでそのまま先にバイクラックへ。そしてバイクの乗車ポイントへバイクを運んだ。そこで応援していた家内の話では、スイムアップした順とは反対の順で、ほぼ同じような間隔で出て行ったとの事だった。なかなか興味深い話である。川島、松本の2人はゆっくりとお化粧をしていたとの事だった。

《バイク》
 朝晴れていた空も、スイムから上がって来ると雲がかかっていて、暑さは感じなかった。このままの天気が続いてくれればいいレースができるだろうと思った。昨年も同じ様な天気で暑くならずに済んだ。

 まずはハイウェイまでの坂を上って行く。まだまだここでは落ち着いて走って行く。まだまだ先は長い。ハイウェイに出て一度左折、右から来る70.3の選手の流れに乗ってしばらく走り、そしてポートダグラス方面にUターンする。すぐにスピードが上がる。メーターを見ると軽く30キロを超えている。やはり強い追い風が吹いている。予想どおりの展開である。その代り帰りは向かい風となる。帰りに風が変わっているといいなと思いつつもそんな事はあった試しがない。

 コースはパームコーブから10キロほど先のUターンの場所を過ぎて、その先のポートダグラスを目指す。ちょうど折り返しの準備をしているところだった。そのUターン場所は特に変哲もない道路の途中、周囲が少し広くなっているだけ。そこを過ぎてからポートダグラスまで32キロ、前半は結構アップダウンが続いている。そして路面の舗装は荒い。ハイウェイの様な部分はほぼそんな舗装が続く。日本の様な舗装ではなく、手にはその衝撃が伝わってくる。以前はこの荒い舗装が嫌だったが、今年はそれもレースの一部と思う様にして、気にしない事にした。住宅街になれば走りやすい舗装に変わってくる。

 トップとは私の最初の往路ですれ違う。今年は私のスイムが遅かったこともあって、例年よりだいぶ手前ですれ違った。そして私がまだパームコーブに着く前に追い抜かれた。何やら早いモーターバイクが追い越していったかと思ったら、その後からバイクとは思えないスピードで私を抜いて行った。それが次から次へと現れて、7、8台はそんなバイクが私を追い越して行った。今まで感じた事の無いスピード感だった。

 最初の往きは追い風なので比較的楽に走れる。1回目のパームコーブは44キロ地点、およそ1時間半で到着、そして折り返して元の道を戻る。我がチームですれ違うのは誰だろうかと思いながら対向車線を見ている。私が折り返して1キロほどで松岡とすれ違う。2キロの差、およそ4、5分というところだろうか。昨年もこんなタイム差だった様な気がした。その後松本、川島と続いていた。生憎他のメンバーには気が付かなかった。帰り道は向かい風ではあるがまだまだ前半という事もあってそれなりに走れている。さすがに30キロまでは出ないが、まずまず無難なペースで走っている。

 距離が長いだけにやはり補給は重要である。今回は20キロ毎に、家内が作ってくれたおにぎりを食べる事にした。そしてエイドでは通るたびにジェルを貰って補給する様にした。ジェルは自分でも持っていたが、バッグから出すのも面倒なのでエイドで貰う事にしていた。それの方が決まった時間で確実に補給することになるし、ペースが落ちるのも大した事は無かった。お陰でスペシャルのある90キロまでに最初持った5個のおにぎりは全部食べ切り、ジェルは1つ消費しただけだった。

 今年はバイクコースの距離を確実に把握するために、各ポイントの距離をバイクに張り付けていた。3か所の折り返し地点とパームコーブの距離を書いておいた。ポートダグラスからコース途中の折り返しまでの距離は32キロ、76キロ地点になる。私のバイクでは多少の誤差はあったがほぼ間違いない距離を示していた。そこを折り返してから10キロほどでスペシャルフーズステイションがある。手前で自分の番号を伝えてピックアップする。おにぎりは全て食べ切っていたが、他の補給食は全て残っていた。おにぎりはバッグに移したが、それ以外は残念だったがすべて捨てた。80キロあたりでやや眠気を感じていたが、スペシャルに入れたレッドブル1缶をすべて飲み干して眠気は飛んでいった。そこから急に元気になった様な気がした。

 その折り返しの少し手前、このバイクコースではいちばん高い地点と思われる上り坂で、左ふくらはぎのカテゴリーを塗りつぶした足に追い付いた。我がクラブの若いメンバーだった。彼は初めてのロングレース、初アイアンマンだった。私達よりだいぶ早くスイムスタートしていたので、スイムタイムがどれくらいだったのか分からないが、かなり前の方から落ちてきてしまった事は確かだ。調子良く飛ばし過ぎたのだろうか。かなり辛そうな走りだった。ロングレースはやはり経験がものを言うものである。しばらく私の後ろを付いて来ていた様だったが、2回目のポートダグラスに着いた時には後ろにはいなかった。

 一時の眠気もレッドブルのお陰で吹き飛んでしまい、その後は全く問題なかった。2回目のポートダグラスまではさすがに1回目よりペースは落ちていたが、まずまず走れていた。その2回目の折り返し、再び後ろとの差を見たが、松岡とは10分くらいの差に広がっていた。もう後ろは気にしなくてもいい様だった。自分の走りをすれば良かった。

 残りは70キロほど、しかしこの70キロは基本的には向かい風である。時速25キロは覚悟していた。後半に入って疲れも出始めたが、スピードが落ちる以外は特に問題は無かった。いちばん困ったのはアームレストだった。上半身が疲れてきたからだろうが、アームレストに体重が掛かるようになり、その影響で腕への負担が大きくなってきた。アームレストも長年使ってきていて、だいぶへたっていた。数年前には使わなくなっていたアームレストのスポンジを中に入れてみたが、それでも今年は痛く感じた。もう新しいものに交換しなければならないと思った。ケアンズから帰って来て早速ネットで調べたが、私のタイプのものはもう売られていなかった。今の物が気に入っていただけに残念だった。仕方なく、また新たなスポンジをアームレストの下に入れる事にした。

 76キロ地点の折り返し点だったところを通過してそこが140キロ地点、残りは40キロ。そしてそこから10キロ走ってスイムから上がってきたパームコーブ、150キロ地点になる。コンディションさえ良ければ1時間ほどで行ってしまうところだが、まだまだだいぶ時間はかかる。ここで既に5時間以上は経っていた。この先はハイウェイで、ほぼ平坦になりコース自体は走りやすい。舗装面も悪くはない。

 更にその先、1回目に出場した時にバイクのゴール地点だったヨーキーズノブと言うところを通過する。ここはその時ランコースだったところをそのままトレースしている。距離調整だったら他の部分でできるだろうにと思うのだが、地元の要請でもあるのだろうか、その理由は分からない。

 再びハイウェイに戻るとケアンズ市内までは10キロほど、空港までは5キロほどのはずである。やっと先が見えてきた。向かい風でスピードは精々最大28キロくらい、しかし残りも少なくなってきて再び元気も出てくる。だいぶギアは軽くなってしまったが、それでもペースが落ちない様にしっかりと脚を回し続けた。

 見慣れた街並みの交差点、左折して空港方面に向かう。残りは5キロ、このままエスプラネードを走ってバイクフィニッシュを目指す。横では先にバイクゴールした選手が走っている。応援も少しずつ増えてきて、帰ってきた喜びが湧いてくる。バイクが終わってからの次のランでもまだまだ走れそうだった。

 そろそろフィニッシュ地点というところまで戻って来て沿道を見ながら鉄人の応援を探すが見当たらない。遠くにそれらしき水色のウェアを見付けたが、近くまで行ったら人違いだった。どこにいるのだろうかと思いながらバイクフィニッシュ。6時間半を過ぎていた。バイクを預けトランジッションエリアへ向かう。高校生らしきボランティアが私の番号を見てバッグを取り出して来てくれた。礼を言って着替えテントに入った。

《ラン》
 空いている椅子を見付けて座り込む。ヘルメットを外す、ゴーグルを外す、ウェアにいれた補給食などを取り出す、バイクパンツを脱ぐ。ひと通りの事をしてから5本指のソックスを履く。今年はいつも練習で使っている厚手のソックスにした。いつものよりちょっと履きにくいが、やはり練習で使っているものがいちばんだろうと思った。ランでもスタート前にレッドブルを飲み干す。まずはこれに頼る事にする。支度を整えてテントの外へ出て行く。バイクスペシャルの時に用を足しただけだったので、スタート前にトイレに寄ってから走り出す。ここでも応援の姿を探すが見当たらない。後の話によれば、この時はコース横の高級ホテルでお茶を楽しんでいたらしい。こちらは必死で走って応援の姿を探しているというのに、全くお気楽なものである。

 走り出してすぐにフィニッシュエリアへの入り口がある。まだまだここは遠い。4時間以上先にここへ入る事ができる。その先には周回バンドの受け取り区間。1周目から順に、2周目、3周目と続いている。毎年思うのだが、これでは3本連続で貰う事ができてしまう。記録を見てしまえば明らかになるのだが、3本貰って終わりにしてしまおうと思えばそれもできてしまう。逆の並びにするのが妥当だろうと思う。

 事前にランコースを見ていたら、埠頭の方が昨年までとは違っていた。どんなふうになっているのだろうと思っていが、大した変更ではなかった。結局逆側から走っていつもの桟橋の上で折り返しになっていた。しかし今回のコースの方が海の上をそれほど走らないので走りやすく、私には良かった。

 1周目はまだ日も高い。暗くなってからは必ずペースが落ちてしまうので、明るいうちに距離を稼いでおこうと思った。できる限りのペースで走る。しかし結局はいつもと大して変わらず、6分を少し切るくらいのペースで走っていた。なかなか思う様にはペースは上がらない。

 10キロで58分台、1周14キロを走って来たところでは1時間24分だった。昨年は1時間20分ほどで走っていたはず、少々遅くなっていた。しかし自分ではしっかり走っているつもりだった。ただ以前はエイドでは止まらずに走っていたものが、今年は1周目から何度か止まって補給する様になってしまった。

 1周回ってきて2本目のバンドを貰って2周目に入った。2周目の埠頭部分を回ってきて、再びエスプラネードに戻ってきたところでやっと家内の姿を見付けた。どこへ行ってしまったのだろうかと心配していたが、安心したと共に嬉しかった。2周目のこの時点ではまだ周りも明るく、足元もしっかりと見えている。まだ元気はあるのだが、徐々に疲労もみえてきた。腹も空いているがあまり食欲は無い。しかし食べなければ走れないと思い、エイドでは何かしら腹に入れようと思った。固形物としてはスイカがいちばん食べやすかった。バナナがいちばんだと思ってはいたが、なかなか手が出なかった。ジェルは甘すぎて食べる気になれなかった。

 コースは毎年同じところを走っているのでよく分かっているのだが、公園内での折り返しが辛い。片道1キロの往復で2キロなのだが、明かりも無いので長く感じてしまう。暗くなってからは移動式の照明が照らされる様になった。それでも1キロ以上あるのではないかと思うくらい長かった。

 ここまで何キロ走ったとか、残りは何キロだとか考えながら毎年走っていたが、今年は距離の事は考えずに、1周ごとの距離だけ気にするようにしていた。3周走ればフィニッシュだと思っていた。

 2周回ってまたゴール近くまで来た時にはまた家内の姿は見えなかった。遅い時間になったら埠頭側にいるというのを聞いていたので、海側にいるのだろうと期待して走った。最後の周回となって何となくペースも上げられる気がした。

 アワードパーティの行われるソルトハウスを過ぎて行ったところで遠くから声が掛かった。家内ではなくなみさんだった。その後から家内の声が聞こえてきた。亭主の姿が分からないのかとやや落胆したが、声が掛かったのは嬉しかった。あと1時間30分ほどでフィニッシュすると伝えた。ゴール地点で待っていてくれるようにお願いした。3キロほど走って来れば同じところにまた戻って来るのだけれど。

 3周目は完全に暗くなってしまっていた。足元は全く見えないが、雨が降っているわけではないので安心して走れていた。何年か前には雨が降り続き、芝生の上では滑ってしまう事もあって、足元を気にしながら走った事もあった。空港の手前の折り返し点まで1キロほどになったところで、暗い公園内をまた逆戻りするのはとても辛い。その折り返しの中では我がクラブの還暦メンバーが揃って辛そうに走っていた。いや歩いていた。食べるものも体が受け付けなくなっている様だった。やはり食べなければ走る事はできない。何でもいいから食べるようにとアドバイスした。

 嫌な折り返し部分を走り終え、空港手前の最後の折り返しをしてしまえば残りは4キロほど。3キロ走ってエスプラネードまで行けば、応援もたくさんいるし、そこまで頑張ればいいという思いで走った。最後の周回とまだ残りのあるランナーとではやはり走りが違う。最終周回のランナーは私も含めて再び元気が出てきている。顔をあげて前方のエスプラネードをしっかりと見ている。周りの応援の声援にも応える事ができる。最後までやり切ったという喜びが体にあふれていた。顔は思わずほころんでくる。そして私もフィニッシュを迎える事ができた。ウェアのジッパーをしっかりと上まで引いて身だしなみを整えた。ゴールの花道で家内は待ってくれていた。嬉しかった。13時間は超えてしまったけれどしっかり最後まで走り切る事ができた。6年連続のフィニッシュができた。嬉しかった。

(No.633)


  
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