第32回大山登山マラソン
2017年3月12日(日) 天候:曇り
種目:9Km 男子60歳以上
記録:52分30秒
順位:2位/266人
| | | | |
| LAP | SPLT. | | alt. | | dif. |
1Km | 4:04 | 4:04 | 38m | 8m |
2Km | 4:21 | 8:26 | 55m | 17m |
3Km | 4:33 | 12:59 | 80m | 25m |
4Km | 4:16 | 17:16 | 105m | 25m |
5Km | 5:13 | 22:29 | 160m | 55m |
6Km | 4:56 | 27:25 | 220m | 60m |
7Km | 5:55 | 33:21 | 300m | 80m |
8Km | 8:39 | 42:01 | 470m | 170m |
9Km | 10:28 | 52:30 | 680m | 210m |
今年は体の調子も良く優勝を狙えるのは最後のチャンスだろうと思った。優勝すること、それを今年の目標にしていた。
前日の土曜日、いつものバスでいつもの様に横浜へ向う。横浜で連れと合流し海老名経由で伊勢原へ行き、伊勢原からは今日の宿泊先の大山のふもとの先導師の宿までバスで向かう。宿では大山名物の豆腐料理がふるまわれた。さすがに美味しい。夜ものんびりしたいところだが、明日のレースに備えて早々に床につく。
起床は6時少し前。朝食は7時から。宿からは会場の伊勢原小学校まで送り届けてくれる事になっていたので、ゆっくり準備する事ができた。7時45分に宿を出発して、20分ほどで小学校に到着。あとはいつものとおりに受付を済ませていつもの場所に荷物を置く。室内に場所を確保するのは暖かくていいのだが、中で移動するのに苦労をするので、外にいる方が楽でいい。
レースの準備を済ませて8時45分頃にはアップに出掛ける。ここ数年は脚の故障に悩まされてなかなか思うように走れなかったが、今年はようやく気持ち良く走れる様になっていた。アップをするにも気をつかうことは何もなく気持ち良く出掛けられた。
アップをしがてらいつもの農協でトイレを借りる。以前には寒いときがあったが、今年は暖かくてアップをするのも楽だった。走って体を暖めるのも大事だったが、レースに向けての気持ちを盛り上げるようにした。何しろ目標は年代別優勝だった。
30分ほどでアップを終わらせ、着替えに戻ってきた。校門の前にはもうスタートの準備をしたような選手も見えたが、ちょっと早すぎる。私はゆっくりと着替えを済ませて、着てきたウェアは受付で貰ったデイパックに入れて駅前に向かった。駅前にいる係員にその荷物を預ける。この荷物はそのまま宿の東学坊へ届けてもらえる。ゴール地点の阿夫利神社下社には、宿で預けた着替えが送られている。この大山登山の宿泊パックでは、着替えなどの荷物の心配はしなくて済む。以前は、ゴール地点への荷物を応援者に持って行って貰った事もあったが、もうそんな事もしなくて済むようになった。更にその前は主催者側で着替え荷物を運んでくれていたのだが、経費や手間が掛かるからか、運んで貰えなくなってしまった。今は荷物を送ってくれるのは宿泊パックだけになってしまった。
駅前のスタート地点で一般の参加者が移動して来るのを待ち、スタート5分ほど前に来たランナーに合わせて列の前方に入る。今年は列の左側、前から3列目くらいに並んだ。注意事項やら招待選手などの紹介の後、10時2分、例年と同じように小田急電鉄会長のスタートの合図でスタートが切られた。
今年はもう脚を気にしながら走る様な事はしない。ただ優勝を目指して走るのみ、同時にスタートした50歳代の選手とともに前を行くランナーを追う。残念ながら背中にはゼッケンが付いていないので、どのランナーが60歳代かは分からない。一番前から出れば分かるかもしれないが、そこまでしなくてもよい。自分が一番速ければ、自然に一番前を走っている。そして最後に一番でゴールできればいい。それくらいのつもりで走った。数100m走るとコースの規制もあって左側車線だけになる。コースもせばまりランナーとの距離も近くなる。競り合うような選手も現れ、胸に付いているゼッケンを気にするようにする。
1キロ地点は国道246号の交差点手前、ラップを確認する。4分4秒で通過、自分ではかなり速い気がした。しかし昨年も4分8秒で走っていた。速くはなっていたが、極端に速いわけではなく、しかしその時点ではだいぶ速くなった気がしていた。だいぶ昔のことになるが、速いときにはここを3分半で通過していた事もあった。
周りには競り合ってくる選手もいて、今思えば私を60代と知っていて付いて来ていたのかも知れない。あまりにも私を意識するようにずっと付いて来るのでゼッケンの色を確認し、相手が60代と分かってからは負けるわけにはいかず、意識して離すように頑張った。脚に不安は無かったので、何も気にせず思うように走ることができた。そのランナーは結局5位に入賞していたが、私とはだいぶ差がついてゴールしていた。無理をして付いて来ていたのだろう。
2キロは東名高速のガード手前のバス停のそば。そのラップも4分21秒、十分なタイムだった。この辺りまではまだ普通の道路でそれほど勾配もきつくないが、この先徐々に坂がきつくなってくる。周りのランナーを気にしながら走り、毎年見落としていた3キロ地点の表示を今年は見つけることができた。やはり石倉橋の交差点にあるバス停のそばだった。ややペースは落ち4分33秒で通過、まずまず走れている。もう後ろから抜いていくようなランナーもなくなり、周りのランナーに負けない様に走るだけである。
これ以降もそれぞれ距離表示の地点でラップは取ったが、その場所は良く覚えていない。とりあえずラップは取っていた。4キロで4分16秒、5キロ地点では5分13秒、急に1分ほど遅くなる。途中でかなり急な上りがある。そして一般の人の給水も現れる。ペースは速く、呼吸が荒くなって口の中が乾き、水を1杯貰う。給水を利用して後ろに付いて来ていたランナーを引き離した。急坂では自信があるので意識して引き離した。
6キロ地点は新道との交差点を右折して、大山駅というバス停を過ぎてから少しのところ。この先はもう1キロしかないので、良く覚えている。5キロからここまでは少し緩やかになっているのか、4分台のラップが出る。4分56秒、やはり例年よりは速いのかも知れない。
そして最後の7キロ地点、1キロで80mほど上る。平均勾配が8%という事になるので、実際にはもっときついところもある。走って上るにはかなりきつい。ここでは数人を抜き、後ろのランナーをだいぶ引き離した。通過タイムは33分台、ラップは5分55秒。昨年は35分くらいで通過していたつもりでいた。ラップは昨年と同じで、通過タイムは1分ほど速かった。このまま頑張れればもうひとり前にいた60代に追い付いたのかも知れなかったが、結局この先のタイムが昨年より1分近く遅くなってしまった。
7キロを過ぎ、バスターミナル横を通過して土産物屋へと続く坂道を上る。いよいよ階段が始まる。階段は苦にしていないので勢い良く上るのだが、さすがに昔のようなイメージでは上れない。走って1段抜かしができればいいのだが、もうそういう訳にはいかない。20年前にはこの1キロを6分台で走っていた事もある。もうそんな事はできない。1段ずつ上り、しっかりと走り続ける。
土産物屋の階段もこんなに長かっただろうかと思いつつ、力尽きた前のランナーを抜き去る。ケーブルカーの乗り場を過ぎて男坂と女坂の分岐で左側に向かって女坂を上り始める。前方にはもうほとんどランナーも見えない。だいぶ離れた前の方に見えるだけである。
途中、順位を教えてくれる人がいて、60代2位と声が掛かった。前との差を聞くと200mという事だったが、本当は時間差を聞きたかった。ここでの200mはなかなか難しい。普通に言えば1分差という事になる。山の中での1分差なら抜けない事も無いと思うが、見える範囲にはランナーはいなかった。
後ろからは息づかいの荒いランナーが私を追って来ていた。ゼッケンは水色なので年代は違う。その下の方にはランナーは見えない。同年代の後ろのランナーは引き離していて問題は無さそうだった。しかし私は上りで抜かれるわけにはいかなかった。何とか頑張っていたのだがやはり年の差か、ゴールまで500mほどを残して抜かれてしまった。覚えている限り、私は山の中では抜かれた事は無かった。初めての事かも知れない。抜いたランナーに抜き返されたことはあったが、後ろからのランナーに抜かれた事は無かったと思う。
大山寺のそばで8キロ地点、8分39秒も掛かっていた。昔から比べればかなり勢いも落ちてしまっていた。仕方がないと諦めるしか無いのか、残念である。大山寺の給水所でスポーツドリンクを貰う。それで最後まで頑張りたいところだった。後ろからは抜かれたくなかったが、抜かれてしまった。
最後の50段ほどの階段までも長かった。覚えのある階段までなかなか行きつかなかった。抜かれたランナーには先に行かれてしまうし、順位は2位、後ろからは誰も追って来ない。最後は勢いも無いゴールになってしまった。
フィニッシュラインを超えてやっと終わった。順位カードを首にかけて貰う。順位を聞くとやはり2位との事、分かってはいたものの1位を期待してしまった。2位なら十分かもしれないが、優勝を目指してきただけにやはり満足はできない。10年前にもこんな事があった様な気がした。
フィニッシュ地点で宿から来た荷物を受け取り、とりあえずお汁粉を頂いてからすぐに着替えを済ませた。ランナーが次々と上ってくる中を下社まで上って表彰式を待った。今年は入賞者の控え室ができていた。入賞者も着替えのある人はほとんどいなかった。きっちり着替えていたのは60代では私だけかもしれない。
表彰式が終わった後は、下のお茶屋でビールを買って早々にケーブルカー乗り場へと向かった。今年は連れがゴールするのをずっと待つのではなく、私が先にケーブルカーの列に並んで、連れが後から来るのを待つ事にした。今年はこの方法が功を奏し、大して待つ事無くケーブルカーに乗る事ができ、宿までもだいぶ早く帰ってくることができた。宿の風呂が気持ち良かった。
来年は優勝争いができるだろうか。
(No.619)
|