2016ちばアクアラインマラソン
2016年10月23日(日) 曇り時々晴れ
種目:42.195Km
記録:3時間45分44秒
順位:総合1,022位/11,126人
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0 | Km | 0:53 | 0:53 |
5 | Km | 25:06 | 25:59 |
10 | Km | 25:17 | 51:17 |
15 | Km | 25:25 | 1:16:42 |
20 | Km | 25:23 | 1:42:05 |
25 | Km | 26:08 | 2:08:13 |
30 | Km | 27:01 | 2:35:15 |
35 | Km | 28:31 | 3:03:46 |
40 | Km | 29:05 | 3:32:51 |
42.2 | Km | 12:52 | 3:45:44 |
レース前の3週間ほど前になるとそろそろレースに向けてのスピード練習も入れたりするが、スピードを上げ距離を延ばしたところで、持病の様になってしまった左ふくらはぎ痛が現れてきた。それ以降はふくらはぎに負担を掛けない様な練習をするしかなかった。
レース前の木曜日、休養日にあてていたが、どうせ休みならと木更津のレース会場に下見に行くことにした。車では30分ほどでマラソン会場に着いてしまった。当日の駐車場は駅前の市営駐車場にしようかと思っていたが、会場にいちばん近くて便利な駐車場が予約できると聞いたので、その場で予約を済ませた。ただ料金は周辺の駐車場よりやや高めだった。スタート直後に渡る橋の様子もわかり、また周辺の状況も確認することができて収穫の多い下見ができた。
実はレースが近くなって大会のホームページを見たところ、近隣の大規模な商業施設やホテルの駐車場をその施設の好意で無料開放するという案内が出ていた。しかしそれは事前申し込み制で、既に申し込みは締め切られていた。やられた、という思いだった。しかしそういう事ならば、会場近くの有料駐車場は空いているだろうという事を意味していた。
日曜日、レース当日の朝は普通のフルマラソンのレースに比べればだいぶのんびりすることができた。朝は5時半に起床、そしていつものレース朝の様に餅を食べて家を出たのは7時少し前、スタートが10時の割にはずいぶんとのんびりしていた。駐車場のオープンが8時なのでそれに合わせて出た様なものだった。駐車場からスタート地点まで1キロほどなので、それでも十分だった。最近のマラソンは昔ほど緊張もしなくなったので、そんな調子で全く問題なかった。月例マラソンの様な気楽な気分で参加していた。
8時半頃から軽くアップを始めて、30分ほど汗を流して着替えを済ませ、9時15分頃に駐車場を後にした。海からの風がやや強かったが寒くもないので、捨ててもいいTシャツ1枚を上に着てスタート地点へ向かった。
レースを終えてこのレースについて振り返ってみると、まずトイレの数が非常に多いという事、至る所に設置されていた。スタート地点横の公園内にもたくさんの仮設トイレがあった。そして応援が途切れなく、沿道にたくさんの人が出てきてくれている。気持ち良くレースに参加することができた。これなら来年も出てみてもいいかなと思うが、2年に1回の開催だそうである。また募集案内があるだろう。
スタート地点は大きな公園の前にあり、公園の中でトイレを済ませ、のんびりと待機していた。道路は4車線、ゆったりとしたスタート地点だった。
10時にスタートの号砲が鳴った。焦る必要も無くのんびりと前方が動き出すのを待った。スタートラインを通過したのはおよそ1分後だった。今の私にとって何の問題もない。ただ前を目指して走るだけ、気負いも何もなく、淡々と走るだけだった。私が今まで出ていた様なマラソンとはだいぶ違っていて、人をかき分けて出て行く様なランナーは私の周りにはいなかった。
いちおう目標タイムは決めていた。3時間半程度で走るつもりでいた。今の私には多少上を見たタイムだが、目標なのでその程度がいいだろうと思った。
私のレース番号はC22340、Cブロックである。3時間半くらいのタイムで申請した様な気がするが、前のブロックには速そうもないランナーがたくさんいる。どういう訳だろうかと思ったが、この番号を貰ってしまったので仕方がない。まあ焦ってみても仕方なく、先は長いのでのんびり行くしかないと思っていた。
距離表示は1キロ毎にあった。多少ずれているようなところもあったが、最初のうちはほぼ5分程度のペースで走っていた。それほどペースの変動も無くいいペースで走れていた。木更津の自衛隊駐屯地の門を過ぎたあたりに5キロ地点があった。門の前には多数の自衛官も応援に出てくれていた。5キロのラップは25分06秒、測った様に走っていていい調子だった。このまま行ければ十分だった。
沿道には応援の人がたくさん出ている。学校のそばには子供たちがたくさん出てくれていた。朝車で会場に向かう時、木更津市内に入ってくると日曜日なのに小中学生が登校していた。何か行事でもあるのだろうかと思ったが、この応援のために登校していた様だった。コース上のどこに行ってもそんな光景があった。
8キロを過ぎるとそろそろ高速道路に入って行く。高架の上まで上る坂がややきつい。そして料金所を通過しアクアラインの橋の上に入る。海の上を走っているのだが、路肩の方は走れない様になっているので、普通の道路とあまり変わりは無い様に感じた。ただ強い風が吹いていた。橋に入る前の表示板には風速8mと表示されていて、橋の上の吹き流しはほぼ真横になっていた。
橋に入ったあたりではまだ折り返しのランナーは走って来ていないので、反対車線はまだ誰も走っていない。ランナーの列がずっと前方の上の方に続いている。大型船が通過できる様に高くなっている箇所は一段と高く見えて、かなりの急こう配に感じる。
橋の上の10キロ地点は25分17秒、51分17秒だった。まずまず順調に5分ペースで走っている。10キロ地点には、10キロと書いたビブスを付けた係員がいた。初めて見る光景だった。路上に看板を立てられないので苦肉の策だったろうか、15キロ地点も同じ様に係員がビブスを付けていた。
私にとって10キロはひとつのチェックポイント、5分くらいのペースで走ると左ふくらはぎに違和感を覚える事がある。そんな事が無い様に願っていたが、やはりそれは避けられない様で、10キロの表示を見たあたりで一度そんな感じがあった。しかしまだ違和感が続く様な事は無く、その時に一度あっただけだった。
アクアラインの橋の坂も実際に走ってみればその見た目より楽に感じた。スムーズに走れていつの間にかてっぺんに到達していた。てっぺんまで行けばあとは海ほたるまで下って行ってUターンである。トップとすれ違ったのはそのてっぺんに到達する前だった。2人のランナーが並走していた。ひとりはあの川内、もうひとりは外人のランナーだった。川内はハーフの青色のレース番号、外人はどちらか分からなかったが後で確認したら、ふたりともハーフマラソンだった。その後ろからは当分ランナーは来なかった。次に来たのは富士通の招待選手、千葉選手だった。フルマラソン選手が4人くらいの集団を形成していた様に見えた。
私の走っている位置は600番くらい、そんな声が沿道から掛けられていた。アクアライン上の前にいる選手もそれほど多くは無かった。大会案内などの写真で見る光景とはだいぶ違っていた。出場人数から言えばかなり前の方の様だった。海ほたるの折り返し地点でもそれほど選手は見掛けなかった。給食を取る人はほとんど無く、ほとんどが給水だけを取って通過していた。この折り返しはまだ15キロまで行っていなかった。
折り返してからのてっぺんあたりにある15キロ地点はそこまで上りが多かったので、ややペースが落ちて25分25秒、1時間16分42秒だった。そこを過ぎればあとはずっと下り、ペースも上がった様な気がした。しかしまだまだ先は長い。気持ち良く行ってしまうと後でツケが回ってくる事になる。ややペースを抑える様な感覚で走っていた。
金田の料金所でアクアラインを終えて一般道に下り、そこからアウトレットの方に向かう。ハーフはそろそろフィニッシュを迎える。ハーフのランナーも同時スタートだったので、一緒に走っていたハーフのランナーはゴールに向かう事になる。しかし周囲にはハーフのゴールに向かうランナーは見えなかった。20キロ地点はアウトレットの近く、下りが多かったからか、ややペースが落ちてきていた中でも少しだけラップは上がり25分23秒、1時間42分だった。まずまず予定どおりというところだろうか。しかし徐々に左ふくらはぎは張りを感じてきていた。
しばらくはアウトレットの周辺を走る。この辺りはややコーナーが多く、次第にどこを走っているのか分からなくなった。アウトレットから遠ざかると田舎の風景に変わっていく。木更津市内やアクアラインを走ってきた市街地の風景から畑や田んぼが多い風景になってきた。
ふくらはぎの張りが感じられるようになり、次第にペースが落ちてきた様だった。私の連れはスタートを見送った後は、袖ヶ浦駅前まで行って応援すると言っていた。そんな事もあり袖ヶ浦駅までは頑張ろうと思っていた。駅前には再び応援の人の数が増え選手に元気を送っていた。私の連れの応援を貰って元気に走り続けたかった。
今まであまり応援を頼りにする様な事は無かったが、今回は応援の人達に走り続ける気持ちを維持するのにだいぶ助けられた。走る事をやめるのは自分の意志である。走る意志さえ持っていれば走り続けられる。そんな事を誰かが本に書いていた。私ももうこれ以上走らなくていいと言われるまでは走り続けようと思っていた。走る意志だけは持ち続けていた。
多くの応援に勇気付けられあと残り18キロ、まだ18キロあったが、我慢強く走り続けようと思った。まだその後もそれぞれ家の前でたくさんの人達が応援してくれていた。袖ヶ浦駅を通過してしばらくして25キロ地点、ラップは26分08秒まで落ちていた。この先この程度で収まってくれれば30分台でゴールできるだろうと思っていた。以前のレースからすれば、20分台で走っていたものが21分台に落ちた程度だった。1分落ちたくらいなら十分な結果が出せていた。
お昼頃になり日差しも強くなっていてだいぶ暑くなっていた。給水所で頭から水を掛けると気持ちが良かった。頑張ろうと思う気持ちは十分だったのだが、ふくらはぎの張りは更に強くなっていた。完全に無理はできなくなっていた。徐々に後ろから抜かれる様になっていた。それでも走り続けていれば走った距離は延びていき、残りの距離は減っていた。
30キロ地点も近付いてきた。周囲は田んぼだった。のどかな中で気持ち良く走っていたが、少し無理をしてしまうとふくらはぎに痛みがでてきた。ちょうど30キロ地点に冷却用のスプレーを出してくれている人がいた。いつもはそういうものは使わないのだが、ここではこれ幸いにと使わせて貰った。少しは楽になった。この先このまま行ければいいのにと思ったが、なかなかそういう訳にはいかなかった。
そんな調子の30キロ地点は更にペースが落ちて27分01秒、スプリットは2時間35分になっていた。また以前の話だが、自分なりの30キロ地点のタイムリミットは2時間5分だった。2時間5分で通過すれば3時間を切れる目安になっていた。以前に比べれば30分遅くなっていた。ちょうど1キロあたり1分遅い事になる。トータルで言えば42分遅くなる計算になる。このまま行けば3時間42分というゴールタイムの予想である。そんな事も考えながら走っていた。
田んぼの中を過ぎると、前方には高速道路の高架が見えてきた。高速道路と並走する様に高速道路の側道を走り、更にその先は次第に住宅街の中に入って行った。この辺りは丘の上の住宅街で、コースはその丘を上がっていた。上り坂や下り坂が出てきた。もう坂道は走りたくなかった。この辺りはバイクでも走った事があるのでおおよその地形は知っていた。嫌なコースに入って来ていた。
その緩やかな上りでは後ろから集団走の様な足音が聞こえてきた。予想していたとおり3時間45分のペースメーカーのいる集団だった。私はいつの間にかその集団を抜いていたのだが、終盤に来て抜き返されてしまった。大したスピードの差ではないのだが、付いて行く事は出来ず、次第に差を付けられてしまった。そのペースメーカーの集団はきっちり3時間45分、私の1分前でゴールしていた。
集団に抜かれた坂を上りきったところからしばらくして下り坂に入っていた。その下りの途中に35キロ地点があった。35キロ地点は28分31秒、かなりの落ち込みだった。あと残りは7キロ、と思って走るだけだった。
坂はこれで終わってあとは木更津港に向かうと思いたかった。繁華街とはいかないが、商業地域と住宅街が入り混じっている様なエリアだった。丘の上の方には大学の建物も見えていた。そんな場所を走っていたが、そのままでは済まなかった。市街の中心を目指す道路を右折して、もう一度丘の上までのぼらされてしまった。しかもその最後の坂がいちばんきつい坂だった。無理をせずふくらはぎが壊れない様に走るだけだった。最後に来てこんな坂を上らせなくてもいいだろうにと思わざるをえなかった。
そんな清見台という住宅街から下って来たところは、家から来た時の道路だった。この辺りは見慣れた場所で、この先の様子も分かっていた。最後は気持ち良く走り抜けたいところだったが、もう脚は限界だった。本当の最後の坂はJRの線路を越える陸橋だった。40キロ地点はその少し手前、残りは2キロである。ラップはついに29分台まで落ちてしまった。3時間32分だった。もう既に30分台のタイムは無理となっていた。
残り2キロもまだまだ長い。たった2キロと言うものの、40キロを走って来た体にはとても長く感じる。車を停めた駐車場は41キロ地点だった。ここからの1キロもまだ長かった。とりあえず止まらずに、歩かずにゴールを目指すだけだった。このペースになってしまえば、今年1月に出場した若潮マラソンのタイムだけは上回りたかった。そんな些細な望みだけになってしまった。
残り300mくらいになるとゴール地点が右側に見えてきて、ゴールのアナウンスも聞こえてくる。42キロ地点には連れがカメラを構えて待っていた。袖ヶ浦駅から電車で戻って来てくれていた。もう元気な表情は見せられなかったが、走り続けてきた姿だけは見せる事ができた。
残り100mあたりで45分を過ぎてしまったアナウンスを聞いた。45分も過ぎてしまったが、私のスタートは1分遅れだった事を思い出した。それならばネットタイムはまだ45分を切っていた。グロスは45分台でゴールできれば十分だと思ってしまった。
左ふくらはぎは壊れる事無くフィニッシュ地点までもってくれた。何とか45分台でのフィニッシュとなった。レースの主催者はもうこれ以上走らなくていいと言ってくれた。私もここで走るのをやめようと思った。速くはなかったが無事にフィニッシュできた。3時間45分44秒、ネットタイムは3時間44分51秒だった。
(No.616)
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