2013 IRONMAN CAIRNS
 
2013年6月9日 日曜日 天候:くもり時々雨のち晴れ
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:12時間11分52秒 総合547位/1143人、55-59男子10位/41人

Swim1:26:31 (874)1:26:31 (874)
T110:59 (964)1:37:30 (895)
Bike6:17:55 (711)7:55:26 (762)
T26:00 (669)8:01:26 (754)
Run4:10:25 (314)12:11:52 (547)


| レースデイ | 出発~帰着

■6月9日(日)
・レースデイ

スタートまであと15分程、7時40分頃にヨットハーバーの桟橋から昨日試泳した海に飛び込む。水中からプロのスタートを見物する。そして7時55分、よく分からない合図でスイムスタートが切られた。日曜日は雨の予報だったが、こちらに住んでいる人の話では天気予報は当らないとの事だった。雨が降るような気配は無く、日も出ている。いいレースになりそうだった。
--- スタート前 ---
 起床は4時、日本時間では午前3時。スタート時間が通常のレースより約1時間遅いので、起床時間も遅くていい。南半球のオーストラリアは冬の時期に入り、日の出も遅い。6時頃になってやっと明るくなってくる。4時ではまだまだ暗い。そんな中でレースの準備を進める。朝食の餅はホットプレートで焼いた。クッキングシートを敷くと上手に焼ける事をインターネットで教わった。お陰でいつもの国内と同じ朝ごはんを食べる事ができた。

 会場までは歩いて30分ほど。6時頃に会場に着けば準備は十分間に合う。5時半頃に、補給食やスペシャルフーズを背負って出掛ける。朝降っていた雨は上がってくれていた。途中松岡ファミリーと偶然に合流、段取りは問題無い様だった。

 会場に着いてみれば、状況はどこの大会でも同じ。さすがに運営はしっかりしている。70.3の大会も同時開催なのでバイクラックが広い。私のバイクラックは入口からいちばん離れたところにあった。やる事をさっさとやって、準備を終わらせる。

 昨日バイクを預ける時に雨除けのためにビニール袋でカバーしていたのだが、きれいに取り外されていた。だいたいアイアンマンでは、こういったものは取られてしまう。誰もカバーしていなかったので、それに気付けば良かった。来年はもうやる事はない。

 まだ暗いところで、バイクのセッティングをする。タイヤに空気を入れて、食料をセットする。雨が降ったので、チェーンにも油を差しておく。これで準備は完了。20分ほどで済んでしまった。あとはスペシャルフーズを預けて、着替えるだけである。

 応援の人にポンプを預けて、着替えの準備をする。荷物預けのエリアに向かうと意外に空いている。椅子なども用意されていて、そこに座って暫く待機する。朝方降った雨で芝生が濡れているので、みんな芝生は避けていた。トイレも空いていて、スムーズに流れている。私が出た頃にはもう並んでいる人はいなかった。どこでもこれくらいの準備をしてくれれば楽なのだが。

 スタートの1時間前くらいにウェットに着替える。軍手とスーパーの袋を使えばスムーズに着ることができる。どこで仕入れた知恵なのか、外人も同じ様な事をしている人がいる。みんなそれぞれ工夫してウェットを着込んでいる。

 ウェットを着てしまえば、もう海に入るだけ。着て来たウェアを預けて海に向かう。周りに知った顔は見えない。さっさと桟橋に向かって、70.3のスタートを見に行く。こちらは5分置きくらいのウェーブスタートでどんどんスタートして行く。そのうちに、先に出て行った選手が帰って来る。70.3のスタート待ちの選手、アイアンマンの待機中の選手が桟橋に入り混じっている。

 スタート地点にはもっと広い桟橋が用意されているかと思ったが、昨日と同じだった。海外では特別な準備はあまりしない。あるもので用が足りれば、それで十分という考えだろう。狭い桟橋から次々に選手が入って行く。暫くするとプロの選手も飛び込んで行く。その様子を桟橋から暫く眺めていた。そのうちに一般選手も海に入って行く。あまり早く入っても浮かんで待っていなければならないので、ちょうど良さそうな時間まで海に入って行く人達を眺めている。最近は記録などを狙うわけでも無く、あまり緊張感は無い。

 そろそろ頃合いを見計らって海に飛び込む。昨日泳いだ限りでは、ちょうど良い具合である。波なども全く無く、泳ぎやすそうな海である。スタート地点あたりまで、アップがてら軽く泳いで行く。

--- スイム ---
 7時45分、プロの男子がスタートして行った。3分後、女子もスタートして行った。その次は私達である。それまでは近くにいたライフガードのボードにつかまって楽をしていた。私のスタート地点はいちばん右側。そこから一番先のブイを目指して行くつもりである。あまり混雑はしていないが、徐々に人も集まってくる。スタートの直前に、待機している船の更に右側に移った。停泊していたのは警察の船だった。何も問題は無かった。

 よく分からない合図が鳴って、スタートが切られた。長い1日が始まった。泳ぎ出しはスムーズ、バトルも無く泳ぎ始められた。目指すはいちばん先の最初のコーナーのブイである。内側から比べれば多少距離は長くなるものの、それは大した差にはならない。周りも空いていて気持ち良く泳げる。方向は周りの人任せ。他の人が方向を確認してくれているので、それに任せて私は隣を泳いでいれば良い。

 最初のコーナーに近付くにつれ周りも混んでくる。どっちが曲がっているのか分からないが、無理やりぶつかってくる奴もいる。蹴られない様にかわすが、すぐ横から上げた腕に頭を殴られる事もあった。

 コーナーはやや混雑した中でブイを曲がる。通過してからはなるべく内側にコースを取った。ブイには番号が付いていて、分かり易かった。100mくらいの間隔にあり、いい目安になった。

 最初の周回は楽だった。マイペースで泳ぐ事ができた。桟橋の手前まで来たところでとりあえずどんなものか、時計を確認する。ちょうど40分だった。およそ1分ペース、目標どおりだった。

 尿意をもよおしていたので、2周目に入るところで漂いながら済ませる。ほぼ出し切ってから再び泳ぎ出す。2周目も特に変わりは無く、周りも空いてきて泳ぎやすい。ちょうどブイのライン上にいた様で、たまにブイの内側を通過して行く。ドラフティングは無いがマイペースで泳げる。右手はやや痛みがあるのであまり無理はしない。なるべく伸びる様にして、右手の力は使わない。

 2周目、2つ目のコーナーを過ぎた辺りから風が出て来ていた。波も立ち、うねりが出始めた。まっすぐ泳いでいるつもりだったが、体は右を向いていた。潮の流れか風に流されている様だった。時おり前を向いて方向を確認しては、左の方に向きを修正した。2周目の最後の直線には苦労した。

 そろそろ桟橋も確認できて、残りも僅かになった辺りで再び尿意をもよおす。今度はややスピードを落として泳ぎながら済ませる事ができた。だいぶ進歩した。方向を修正しながらゴールの桟橋を目指す。

 桟橋のはしごには助っ人はいなかった。自分で上るしかなかった。足元のステップを確認して上る。時計を見ると1時間26分、2周目の方が早いくらいのつもりだったので、ちょっとがっかりだった。泳いできた海の方を見ると、あまり多くは残っていない様だった。決して速い方ではなかった。

--- バイク ---
 上着のジッパーを下げてシャワーを浴びて着替えに向かって走る。桟橋が長い。だいぶ走らされて、着替えテントに向かう。応援者に迎えられながら走って、テントの手前でバッグをピックアップし着替えテントに入っていく。中にはまだまだ沢山いる。空いている椅子も少ない。バッグの中身を全部取り出し、椅子の上に並べる。順序を考えながら着替えていく。

 着替えを終えてバイクラックに向かう途中に連れの応援。既に松岡、松本が出て行ったと知らされた。まさか松岡に負けているとは思っていなかった。松岡に先行されたらバイクで追い付く事は難しいだろうと思っていた。辛いレースになると思った。

 松本には10キロほど行った所で追い付いた。松岡の事を聞くと、会っていないと言う。スイムはトップで上がった様だ。さすがプロである。今回のバイクはそこそこ練習をしてきた。しかし先は長い。無理をしないペースで走る事にしていた。先に無理をしてしまえば、後でツケが回ってくる事は分かりきっている。

 行きは南からの風が吹いて追い風、スピードはどんどん出て気持ち良く走らせてもらう。しかしコースの距離感が全く分かっていなかった。事前に発表されていた地図は、距離表示がずれている事が分かっていた。地図では65キロ辺りが折り返しになっていたが、それではコースが短すぎる。実際に行ったポートダグラスの折り返し点は75キロだった。

 メーターを見ると63キロ程、2時間くらい経っているだろうと思って時計を見てみる。まだ2時間までは経ってはいなかった。ずっと追い風だったので、速すぎるという事は無い。ここまで気持ち良く走って来た。これなら6時間程度で走れるだろうと安心する。

 アップダウンのあるきれいな海岸線を通り過ぎ、こぢんまりとしたきれいな街にたどり着いた。ポートダグラスはハワイのコナを思わせるようないい雰囲気の街並みだった。たくさんの応援の中、自分の姿が映っている大画面の前を折り返して行く。何キロ先まで戻るのか分かっていなかったが、もう一度ここまで帰って来る。多分25キロくらいだろうと思っていた。

 トップと最初にすれ違ったのは私がポートダグラスに向かっている時。先頭は誰だったか、4番のレースナンバーだった様な気がした。かなりのスピードで、警官のオートバイが先導していた。その後はぱらぱらと続いていた。そしてそのトップには、私が折り返しに着く前に抜かれた。

 人の住んでいない海岸線には応援の人はいないけれども、海のそば、きれいな海岸線がコースだった。地形のままのコース、細かなアップダウンが繰り返され、時おり大きな坂がある程度だった。決して山岳コースではない。いちばん大きな坂の先に2回目の折り返し点があった。メーターでは100キロを少し過ぎていた。ペースとしてはそれほど悪いものではなかった。まだ平均でも時速30キロ程度で走っていた。

 森の中の折り返しを回って再びポートダグラスに向かう。既に松岡とは2回すれ違っていた。最初はポートダグラスの折り返しの手前、その時は10分程度の差だった。2回目の折り返しの手前、その差は更に開き、15分程度になっていた。徐々に差は開いていて、追い付ける様な状況ではなかった。そして3回目、そろそろポートダグラスの街に入る頃、その差は20分くらいになっていた。全く追い付ける状況になかった。

 私の状態は悪くはなかった。常に補給を続けており、エネルギーの点では問題なかった。ポートダグラスを折り返して130キロ、残りは50キロになった。あと2時間ほどである。ケアンズ方面は向かい風。海岸線の周りが開けているところではだいぶスピードが落ちる。往きから比べるとだいぶペースも落ち、少々辛くもなってきた。立ち漕ぎの回数も増えた。前は松岡、止まっていない限り追い付かない。後ろからは吉野、のんびりしていると追い付かれてしまう。レース中は吉野が途中で止まっているとは思わない。追いつかれない様にと必死で漕ぎ続けた。

 コースの距離表示は私のメーターと比較するとやや短かった。2~3キロ手前に表示があった。しかしメーターを見て、そろそろ180キロに近付いて、ゴールも近いだろうと思ってもなかなかゴールが見えてこない。そのうちにメーターは180キロを超えていた。どこまで行くのだろうかと思っていたら、182キロを過ぎた辺りでやっとバイクゴールらしき表示が見えてきた。道路を左に折れてバイクゴールに入って行く。何とか鉄人では2番でゴールに辿り着いた。

--- ラン ---
 疲れ切って着いたが、状態は悪くなかった。スイムトランジッションと同じ状態でバッグが吊り下げられていたので、ピックアップして更衣室に入る。バイクのシャツ、パンツを脱ぎ、ラン用のパンツ、シャツを着る。更に靴下、そしてゼッケンベルトを付ける。どれくらい手間取ったか、しかしのんびりとはしていない。テントの中はスイムの時ほど混雑はしていなかった。

 テントを出て走り出す。どこも悪いところは見当たらない。気持ち良く走れそうだった。走り出す前には、パワースポーツのトップスピードを取る。なかなか飲み易い。ウェアの両サイドにはジョミ、ジェル、あとはつり止めの漢方薬とクランクストップ。用意できるものは全て持っていた。コースに出てみれば前方にはたくさんのランナーが走っている。暫く農地の様なところを走ってから住宅街の中を通過する。

 今回はあまりトイレの世話にはならなかった。バイクで1回だけ。最高地点にペナルティボックスがあり、そこにトイレがあった。折り返しに向かう時に確認していた。そこで1回だけトイレを使った。トイレ以外で用を足すのはペナルティ対象である。そしてランで走り出して最初のエイドのトイレで2回目。すっきりして走り出した。目の前にエイドが見えてきた時、私の前にはチーム・レオパードの中野さんが走っていて、トイレから出てきたところだった。70歳を過ぎているというのに、バイクゴールは私より先だった。

 私の走りは快調だった。ほぼ5分半くらいのペースで走っていた。ちょうど練習ペースと同じくらい。これくらいのペースなら最後まで走り切れるだろうと思っていた。エイドでも一度も立ち止まる事は無かった。欲しい物を告げて、貰って走り続けていた。ランに入ってしまえば、ジェルとコーラがあれば走り切れる。目標は前を走る松岡だけだった。

 住宅街に入ったところで前からランナーが走って来る。どこで松岡とすれ違うのか楽しみだった。3番目のエイドの手前だったか、前方から見慣れた走りのランナーが来た。松岡だった。タイム差と走りの調子を確認する必要があった。まず挨拶、予想外のいい走りをしている。あんな走りを見たのは久しぶりだった。そして時計を確認する。

 もう何年前になるのか、15年くらいは経っただろうか。宮古島でこんな状況があった。その時を思い出していた。その時はこれ程離れていなかった。ランの復路、30キロ地点あたりで追い付いた時、松岡は私に並走してきた。暫く一緒に走った後に振り切った。その再現になるだろうと思っていた。

 松岡がいい走りをしていたので、私はそれ以上の走りをしなければならなかった。20分差ならば追い付ける自信はあった。私が4時間で走れば、30キロ地点では無理としても40キロならば追い付ける、そう思って走り続けた。周りからは『ナイスラン』と声を掛けられ、気を良くして走り続けた。松岡とすれ違った場所に戻って来て、その差は20分を切っていた。バイクではかなり離されていた事になる。

 松岡とすれ違ったところでタイム差を確認したその先で驚いた。もう河渕が来ていた。しかもいい走りをしている。私との差は20分という事になる。予想外の展開だった。しかしその時は前を走る松岡しか眼中に無かった。

 折り返しを過ぎてしまえば、あとはケアンズの街を目指す。車道の脇のコーンで区切られたランコースを、ケアンズの街に向かって走る。エイドでは補給を取って気持ち良く走って行く。決して立ち止まる事はしない。自分の感覚ではいつもの練習ペース、5分半で走っているつもりだった。10キロあたりまでは5分半で来ていたが、その後はやはり落ちていた。20キロを過ぎて1時間55分、ハーフでは2時間を少し超えていた。やはりなかなか4時間では走れないものだ。しかしそれまでのペースはできるだけ維持をする。自分ではペースは落ちていないつもりである。

 南半球のケアンズはそろそろ冬の時期、日の入りは早い。目標のフィニッシュタイムは8時。6時を過ぎればだいぶ暗くなってくる。空港まで来て20キロは走っただろうか。見慣れたケアンズの街に近付いて来た。エスプラネードの通りに入る。公園の中の往復コースになった。およそ片道4キロの折り返しという事が、距離表示でわかった。

 往復コースに入ってしまうと、速い人も遅い人も同じコースを走る事になる。私がこのコースに入ってきた時点でゴールに向かっている人はかなり速い。たまに勢い良く抜いて行くランナーがいる。しかし私の目標はあくまでも松岡、前方にいるはずの松岡を追うがなかなか見えてこない。

 最初は薄暗い公園の中だったが、街の中心に近付くにつれ応援の人も増え、賑やかになってきた。エスプラネードの中心では数多くの人が選手を応援してくれていた。雰囲気はまるでハワイだった。まだまだ快調、そんな中を気持ち良く走り抜ける。

 すれ違ったのはアシックスのゲートの手前、まだまだ松岡も元気に走っていた。タイム差のチェックのために時計を確認する。折り返し点での差を2倍するか、自分がここまで戻って来た時の差で確認する。たくさんの人の中を抜けて、ゴール前を通り過ぎる。その先に周回チェックポイントがあった。1周目は黒いリング、2周目は白いリングを貰う。ちょっと暗くてよく分からなかったが、とりあえず何でも貰う。

 その先、海のそばまで出てそのまま暫く木道を走った。そして折り返し。松岡との差は20分近くあった。まだまだ近付いていなかった。松岡の頑張りに驚いた。

 街の中を離れ、再び暗い公園の中を次の折り返しへと向かう。折り返しの少し手前には鉄人の応援が待ってくれていた。励みになる。他にも日本人の応援がたくさんいる。その度に声を掛けられやはり元気が出る。日本語での応援はやはり嬉しい。

 折り返して再び街を目指す。気になるのは松岡との差。今度のすれ違いは1回目のアシックスのゲートからどれくらい先になるかがポイントだった。自分のペースは落ちていないつもり。松岡がどれくらい落ちているか、なかなかしぶとい。アシックスのゲートを過ぎ、マックの前を通過し、ゴール方面に向かう。2回目のすれ違いは、ゴールの前あたりだった。だいぶ勢いも落ちていた様に感じた。何とかなるかもしれないと思わせてくれた。それでも7~8分の差が付いていた。止まっていてくれれば、そんな思いだった。

 白いリングを貰って2周目を終える。残りは8キロ、金井公園の往復1回分でゴールとなる。最後の踏ん張りである。私が最後の折り返しに向かっている時、ゴール方面に向かって来るランナーから声を掛けられた。河渕だった。アシックスのゲートの少し先、最初にすれ違った時からその差が変わっていなかった。私と同じタイムで走っている。それに驚いた。そしてもたもた走っている訳には行かなくなった。松岡に追い付くのが難しくなったと思い気が緩んだが、後ろからの追い上げに再び気を引き締めて走る事になった。

 既に日が落ちてだいぶ時間も経って、最後の折り返し付近の中は真っ暗だった。前を走るランナーの姿も向かって来るランナーの姿もよく見えない。暗くなるとペースが落ちる事は経験上分かっている。気合いを入れて走るしかない。

 松岡も頑張っていた。4キロを残してその差も詰まって来てはいたが、追い付くのは難しそうに思えた。最後の折り返しを回ってだいぶ脚にも疲れが出ていた。それまでの様な走りができなくなってきた。無理せず、しかし頑張って走るしかなかった。

 アシックスのゲートを過ぎればゴールは近い。マックの看板も見えてくる。その先を曲がればゴールへの入口が待っている。今回は久しぶりにいい走りができた。頑張れた自分が嬉しかった。止まらずに42キロを走ることもできた。松岡に追い付く事はできなかったが、ここまでできた自分に満足していた。笑顔でフィニッシュラインを迎える事ができた。

 タオルを掛けられメダルを貰いフィニッシュゲートの裏に回る。その先にベンチがあり、そこに松岡が待っていてくれた。健闘を称えあい握手を交わす。松岡には完敗だった。鍛えなおしが必要だった。ゴールは8時を過ぎていた。

 その後暫くしたら河渕がフィニッシュしてきた。私とのランの差は5秒だった。その速さに驚いた。初アイアンマンとは思えない結果だった。

 帰り道のエスプラネードは、まだまだランナーがたくさん走っていた。アパートの部屋に戻って来たのは10時を過ぎていた。疲れた体を休めた後は、ビールとカップヌードル、レースの後はこれがいちばんである。更に自分で焼いてハムステーキも食べてしまった。みんな美味しかった。

 この後は歯も磨かずに、早々に眠ってしまった。

(No.571)


  
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