第32回横浜マラソン

2012年12月2日(日)天候:晴れ
記録:1時間27分52秒
順位:総合282位/3308人 一般男子157位/2665人

 1Km 4:10 4:10 
2Km8:154:04
3Km12:254:10
4Km16:494:23
5Km20:514:0220:51
7Km29:124:09
8Km33:224:09
10Km41:418:1920:50
11Km45:514:09
12Km50:024:11
13Km54:104:07
14Km58:264:16
15Km1:02:404:1320:59
17Km1:11:018:21
18Km1:15:194:18
20Km1:23:318:2120:51
21Km1:27:263:55
21.1Km1:27:500:23

 8月のアイアンマンNYの前に痛めた左ふくらはぎは、11月の台湾のレース終了後になってようやく良くなり、12月の横浜マラソンに向けてやっとまともな練習ができる様になった。まともな練習といっても、精々20キロを超える程度の距離。フルマラソンを目指す様な練習には及ばない。しかし、12月までの1ヶ月間、横浜マラソンに向けて帳尻を合わせた。レース前には、何とかキロ4分で走れそうな目途もついてきた。横浜マラソンは2年振り、久し振りに横浜の街を走れるのが楽しみだった。

 レース当日は6時頃起床。いつもの朝と変わらない。大会運営方法も変わり、事前にゼッケンや計測用チップなどが送られて来ていた。選手はレーススタート時間に合わせて出掛けて行き、走るだけだった。ハーフのスタート時刻は9時30分。8時頃に現地に着いていれば十分だった。現地での要領は殆んど変わっていない。以前の行動パターンで十分だった。

 8時半頃からアップを始め、20分程で切り上げる。9時頃には選手も並び始める。既にスタート地点には、かなりの人数が集まっていた。スタート前に産業貿易ホールで小用を済ませて、既に並んでいる列の横をすり抜けて、いつものいちばん前のブロックまで行く。いつもの定位置、雰囲気は変わっていない。

 今年は車椅子のレースが9時10分にスタートした。その20分後にハーフマラソン、更に10分後に10キロのレースがスタートする。以前は10時過ぎのスタートのはずだったが、だいぶ早まった。交通規制をなるべく早く解除するためだろうか。スタート前に林市長の挨拶と、審判長の注意があった。スタート後の5分くらいはウォームアップのつもりで走れとの事。そのとおりだった。並んで待っている間に体は冷えてきた。左ふくらはぎの状態も少し違和感を覚えていたので、それほど無理はできないだろうと思った。目標は1時間26分くらいに置いていた。

 9時30分、林市長の合図でスタートが切られた。いつものとおりコースの左側を走って行く。懸命に走っているつもりだが、やはりペースは遅く感じる。息が苦しくない。いちょう並木を過ぎて左折し、陸橋方面へ右折しながら橋を上って行く。1キロ地点は橋を上り終わったところ。たぶん4分は過ぎているだろうと思っている。案の定、1キロ地点は4分10秒。スタート時のロスと陸橋の上りで遅い事は予想された。できれば下りで少し勢いを付けて、次の2キロではペースアップを図るつもりでいた。高速道路の下で日陰になって寒いので、なるべく日の差している暖かいところを選んで走った。

 橋の手前の2キロ地点は少しペースアップしたが、期待した程ではなかった。4分04秒。この先およそこんなものだろうという予想もたった。前半は無理せず、このくらいのペースで行ければ良かった。その先3キロの関門は4分10秒、ペースが落ちてしまった。しかし周りからはそれほど遅れる訳でもなく、まずまずのペースで走っている。それほどきつい訳でもないが楽でもない。

 周りにペースを合わせて走る。およそ1キロ、産業道路から左折し埠頭の中に入って行く。風が強かったからか、距離表示板が倒れていた。ちょうど起こしたところで通り過ぎる。4キロは4分23秒、ちょっと時間が掛かり過ぎている。横浜マラソンは陸連公認コースだが、こういう事はよくある事で諦めている。途中の距離表示は公認とは関係無いのだろう。

 5キロ地点に向かう直線では、いつもの様に野球少年達が応援してくれている。その声援を受けて、頑張って走ろうと思う。その少年達を過ぎたところで中村が追い付いて来た。てっきり既に前の方に居るかと思ったが、後ろから来た。少し後ろからスタートしたらしい。私とそれほどスピードは変わらず、視界にとらえられる範囲にいた。5キロは20分51秒、予定よりだいぶ遅かった。

 5キロの先、埠頭の突端を右折、シンボルタワーをぐるりと回る。コースは全く変わらない。この先に給水所があるのも変わらない。どこまでもコースは同じ。ただ変わっているのは私のペース。周りにいる女性ランナーから遅れない様にと一生懸命走る。ハーフマラソンで女性ランナーを頼りにするのも珍しい。

 埠頭をぐるりと回って来て、元の産業道路まで戻ってくる。前方からはいつもの様に10キロの部と思えるランナーが走って来る。それを右に見ながら、左方向、かもめ町方面に向かう。

 中村には少し離されたが前方に見えている。追い付ける距離と思っている。右手には貨物駅、その辺りの路面は舗装が荒れている。これもずっと変わらない。かもめ町の交差点まで来ると、その先に10キロ地点。その手前で、左側から見慣れた走り方、安川だった。気持ち良さそうに私を抜いて行く。中村とは違って、追い付いて行けそうになかった。黙って見送る。そのうちに視界から消えてしまった。

 10キロ地点は41分41秒。この5キロも20分50秒、イーブンペースで走っていた。全くペースは上がって行かない。それほど辛くはないので、それ以下にも落ちない。力不足を痛感する。離れて行くランナーを見送るだけである。かもめ町の2つ目のコーナーの先でやっと中村に追い付く。明らかにペースが落ちている。暫く後ろを走っていたが、陸橋の上りで引き離した。下りで追い付いて来るかと思ったが、視界には入らなかった。この時は、もう追い付いて来る事は無いだろうと思った。

 陸橋を上る手前で既に先頭が帰って来た。今日はずいぶん手前ですれ違った。自分が遅いと言うこと。陸橋を上り終え、左折しながら陸橋を下ると、たくさんのランナーが折り返して来ている。知っているランナーがいるかと思ったが、誰も分からない。知り合いがいるだろう女性のトップグループも分からなかった。

 折り返しは12.5キロあたり。残り9キロほどになって、いつもならこれから頑張るところだが、今年はペースも上がらない。今のペースを維持して周りに離されない様にするだけ。自分が折り返して、逆に折り返しに向かうランナーもいるが、誰が来ているかも目に入らない。自分の事だけで精一杯である。

 2回目の折り返しを過ぎて、再び陸橋を上る。そろそろ補給が必要と思いながら走る。15キロ過ぎに給水があった。それに合わせてジェルを取ろうと思う。ジェルはアームウォーマーに挟んでおいた。誰かのブログを読んで、使えると思っていた。腕の間に挟んでも痛くない様に、ジェルの縁はテーピング用のテープで縁取りをしておいた。15キロの給水所手前でジェルを口にして、その先の給水所で水を取る。これで最後まで走れそうだった。

 かもめ町を後にして、再び貨物駅の横を通過して産業道路方面に向かう。往路と同じように、貨物駅の横はかなり路面が荒れていて、疲れた脚には走りにくい。以前と全く変わっていない。何とかして欲しい場所である。交通量が多いだけに路面も堅い。後半になってきて脚には負担が掛かる。

 いつもはその荒れた路面の辺り、残り4キロくらいから徐々にペースを上げるのだが、今年はそうもいかない。周りに置いて行かれない様に、後ろに付いて行くのが精一杯である。日産前を右折すると、間もなく18キロ、残りも3キロになる。それほど速いペースでもないので、体力的にはある程度の余裕も残っている。しかしペースは上がらない。そのうちに左ふくらはぎに張りを感じる様になった。あまり無理もできないと思った。中村の気配も感じないし、無理をするのはよそうと思い、ややペースを落としてふくらはぎに負担が掛からない様な走りに変えた。

 残り3キロを過ぎた辺りで、思いもよらなかった中村が追い付いて来た。全く予想外だった。安川は既に見えないところにいて、更にここで中村に前に行かれるのは予定外である。今回のレースは中村との勝負だと思っていた。中村には負けるわけにはいかない。再び離されない様にしっかりと付いて行く。

 残り2キロの給水所で水を取って気合いを入れる。もはやふくらはぎを気にしていられなかった。持てる力を全て出す。今日のレースで最速のスピードで走った。そして中村を抜き去った。暫くは後ろに中村の存在を感じていたが、そのうちに離れてくれた様だった。ラスト1キロ、ペースを上げる。陸橋の上りも周りよりかなり速い。前にいたランナーをだいぶ抜いて、やっといい感じで走れる様になった。陸橋を下ってスタート付近のいちょう並木も見えてくる。マリンタワーにチラッと目を移す余裕もあった。

 残り400mほど、中村に抜かれない様に頑張った。1時間27分台、当初の予定より1分ほど遅いタイムでゴールだった。ゴールしたけれど、すぐには止まれなかった。そのまま暫くはジョグのまま公園の方に向かって走り続けた。ようやく息も落ち着いて止まる。やっと2年振りのレースが終わった。

(No.561)


  
home report