2012 Ironman70.3 台湾

2012年11月3日 土曜日 天候:くもり
種目:Swim 1.9Km、Bike 90Km、Run 21.1Km
記録:5時間42分52秒 総合304位/1209人 55-59男子5位/33人

 Swim 41:01 (304) 41:01
Bike3:03:34(458)3:44:35
Run1:58:18(284)5:42:52

■11月3日(木)
戸塚-台北-墾丁

 朝は4時半起き、5時半のNEXに乗って成田第2ターミナルへ向かう。11月になり寒くなってきた。朝早いので通勤客も暖かそうな格好をしている。私達は大きな荷物を持って汗をかいてきた。成田までは1時間半ほど。チャイナエア、107便。9時40分台北行きに乗るために7時過ぎには成田に着く様に出掛ける。大船からは同行の川島が乗っていた。

 予定通り7時過ぎに成田着。第2ターミナル、チャイナエアラインのカウンターは結構混んでいた。空港宛に送った荷物を受け取ってチェックインを済ませる。その後、搭乗までそれほど余裕もなく、そのまま搭乗口に向かった。9時40分、予定通り出発。台北までは3時間40分ほど。

 天候はあまり良いとは言えず、薄曇りの台北だった。南の島だと思っていたが、やや肌寒い。台北・桃園空港からは新幹線に乗って高雄まで1時間半ほど。その後墾丁というところまでバスで2時間ほど。朝5時半に家を出て、宿泊地には8時過ぎ。かなり長距離の移動になった。

 ホテルに着いてやっとゆっくり夕食。本場の台湾料理、どんなものかと思ったが、味付けはちょっと口に合わなかった。やはり日本人向けの中華料理がいちばんか。桃園空港で預けたバイクが10時過ぎにホテル到着。それからバイクを組み立て、組み上がったのは日が変わっていた。とりあえずこの日はこれで終わり。残りは明日という事にしてベッドに入った。

■11月2日(金)
選手登録、バイクチェックイン、説明会

 起床は6時。ホテルのレストランでゆっくり食事を取る。8時半にバスが迎えに来てコースの下見と選手登録に向かう。途中スイム会場では泳ぐ人もいた。Takeさんはひとり一生懸命泳いでいた。下見の後、オフィシャルホテルのYOHOリゾートで選手登録を済ませる。特に難しい事は何も無く、いつもやっている事をやるだけ。タイミングチップのデポジットという事で、TW$1000を支払った。

 一度ホテルに戻り、ホテルで昼食。あんまり美味しくないチャーハンと焼きそばだった。どうも台湾料理はみんなの口には合わない様だ。バイクは出来上がっているので、あとはレースの準備。ハーフでは着替えもしないのでウェアは少ない。シューズがあるだけ。普通のアイアンマンではパーティと説明会があって、その翌日にチェックインがあるが、台湾のハーフではだいぶ省略されている。レースギアも当日自分で、バイクのそばにセット。モーニングウェアも自分でバイクのそばに置く事になっていた。

 バイクスタートとフィニッシュ地点が違うので、ウェア類はどこに行くかと思ったら、全てがバイクゴールに行くとの事だった。フィニッシュ地点にはもって来てくれない。置いておく場所が無いからだろうか。ちょっと普通と違っている。着替えもせずにバイクを取りに行く事になる。バイクギアは、バイクチェックインの際に持って行ってしまったので、そのまま置いて来た。

 バイクチェックインが終わったあと、泳ぐつもりでいたのだが、用意しておいたゴーグルを部屋に置き忘れてしまった。仕方なくみんなと一緒のバスで再びYOHOリゾートに向かった。説明会までの時間を有効に使おうと思ったのだが、あてが外れてしまった。

 16時45分から説明会が行われた。ゴール後にはアサヒビールが提供されるとの事だった。なかなか気の利いた配慮だった。スポンサーとしてだが…。終了後は宿泊先のシーザーパークホテルまで送ってもらう。

 2日目はウェルカムパーティが無くなり夕食が無くなってしまった。無難なところで、ホテルのレストランでバイキングにする。軽くビールを飲んで、たっぷりご飯を食べて夕食を済ませた。お風呂に入って疲れを取り、9時半にはベッドに入った。朝は3時半起床予定。

■11月3日(土)
レースデイ

 3時半に起床。このホテルではここのところずっと風が強い。今朝も同じ様な風が吹いている。どんなレースになるかやや心配。ツアーで用意された朝食が配られて来た。どんなものかと思ったら、パン、ジュース、バナナ、ヨーグルトなど。私の欲しいものはバナナくらいだった。レースの準備は殆ど昨日済んでいた。今日用意するものは、タイヤに空気を入れて、ボトルと食料のセットをする。

 5時前にバスが迎えに来るのでそれに乗って出掛けて行く。台湾にはセブンイレブン、ファミマが至る所にある。昨日そこで朝食用のおにぎりを買っておいた。更に補給食用のおにぎりを作った残りのご飯を食べた。今回のご飯は五目御飯、美味しくできた。

 4時半頃には準備は全て終わっていた。スイム会場には5時頃には着いた。まだ暗い。そんな中、バイクのセッティングを始める。特にトラブルも無く、順調に用意は進む。5時半頃にはトランジッションエリアを出てスイム会場に行く様にアナウンスがあった。仕方なくウェットを着てスイム会場に向かう。余計な荷物は応援者に預ける事にした。

 とりあえずスタート位置は左側に決める。スタート前に海に入ってみる。岸に近い所は水が冷たいが、沖の方へ行くと結構暖かい。100mほど泳いで戻ってくる。

 プロのスタートが6時、エイジは6時15分。スイムコースは900mを2周回。プロは1周を15分程度で回って来る。15分差であると、エイジのスタートにちょうどぶつかってしまう。どんな事になってしまうか、少々心配だった。

 6時にプロがスタートする。さすがに速い。5分程で最初のコーナーまで行ってしまった。殆ど集団だったが、後ろに取り残された選手もいる。トップは2人が抜け出していて、1周目は12分くらいで戻って来た。殆どの選手が15分以内に1周目を終わって上がってきたが、何人かが遅れていた。多分、プロが全員2周目に入ってからエイジがスタートした。6時15分からやや遅れていた。

 エイジグループの選手はスタートを待っている間、待機している位置が次第に左側に寄って来た。みんな考える事は同じ、バトルに巻き込まれない様に外側に寄って来た。私も当初はそうだったが、あまり外側に行くのもイヤなので、適当に空いているところで前方に出てスタートを切った。それ程混雑も無く、バトルは無かった。とりあえずは回りに合わせて沖に向かって泳ぎ始めた。みんなが曲がるまでそのまま泳ぐつもりだった。

 最初のコーナーまでは400m、ひと頑張りすれば着いてしまう様な距離だ。まだばらけないうちにコーナーを迎える。内側に入って行くのもリスクがあるので、緩やかに外側を回る。次のコーナーまでは100m、すぐに曲がる。やや内側に入って2つ目のコーナーを曲がり、岸を目指す。

 たかが1.9キロのスイムを何故2周回にしたのかよく分からないが、混雑したまま1周目を終わる。もう岸が近くに見えてきた頃、左側に見覚えのある様なウェットがいた。泳ぎもそれらしい。暫く付いて行って確認する。やはり川島だった。岸に上がったところで追い付き、ひと言挨拶。時計を見ると20分を越えたところ。もう少し早いタイムを期待していたが、まずまず。2周目に入る前に海の中で用を足す。その間に川島は見えなくなっていた。

 2周目は人数も少なくなったためか、比較的泳ぎやすい。コーナーまではあっという間に来てしまった感じがした。周りを泳ぐ選手も変わらないペースで泳いでいて、泳ぎやすい。いい感じだった。

 2周目も2つ目のコーナーを曲がってそろそろフィニッシュという頃、突然上に乗ってくる奴がいた。私はバランスが崩れ、左太ももが緊張して、つりそうになった。少しペースを落とし回復に努める。そのうちに張りは取れてきた。

 2周目を終え、岸に上がって時計を見ると41分を少し越えたところ。2周目も殆ど変わらないタイム、まずまずの結果だった。砂浜を走り抜け、建物の中のシャワーを通ってトランジッションへ向かう。小林さんが応援してくれて居た。鉄人の順位を聞くと3番との事。多分中村、川島、私の順だろう。予想通り。

 バイクラックに行くとすぐそばで川島が着替えていた。私がウェットスーツを脱いでいる間にてっきり先に出て行ったと思っていた。しかし後から聞くと、ゆっくり着替えていたらしい。私はウェットを脱いだだけの格好でバイクに出て行った。私は前にいると思っていた川島をずっと追っていた。いつになってもその姿は見えなかった。川島の姿を見たのは私が走り出してから。バイクでゴールに向かっていた。

 90キロのバイクは長い大きな坂道から始まった。まずは息を整えながら出て行く。時刻は7時頃、寒さは感じない。ホテルで朝強く吹いていた風はあまり感じない。いいレースになりそうだった。このバイクコースは大きな坂は殆ど無く、高速コースと言って良かった。最初のうちは気持ち良く飛ばす。追い風の様な感じもしていた。

 コースレイアウトとしては、トランジッションから出て行った後は、周回コースになって、およそ2周半といったところ。1周は32キロくらいらしい。1時間で1周回るくらいのイメージで走る。路面もそれほど悪くない。舗装は日本と同じ様なアスファルトで問題ない。補修箇所がところどころ気になる程度。ときおり、車のスピードを落とさせるためだろうか、何本かまとまった横線が引かれている。少し高さがあって、バイクでは注意が必要だった。様子が分かってからは、それをよける様にした。

 気を付けなければならないのは補給も同じだった。例えハーフのレースであってもフルと同じ様なイメージで補給をとった。ジェル、おにぎり、今回は石井スポーツで買ったスポーツ羊羹というのを持っていった。中身は普通の羊羹とあまり変わらなかった。カロリーは同じ、ナトリウムが少々多く入っている様だった。

 ジェルはいつもの様にフラスクに入れた。西湖でもそうだったが、およそ10キロごとにおにぎりとジェルを交互に補給する事にしていた。おにぎりは一口大、ちょうどいい大きさに出来上がり、いつもの様にサランラップで巻いて、ビニールテープで口を縛っておいた。作り方も手馴れてきて、食べるにもちょうど良くできた。

 おにぎりの後はジェルを補給。フラスクを取り出して補給しようとするが、なかなかうまく出てこない。本体を強く握って、吸い口を噛んで飲んでいると、突然吸い口の部分が外れてしまった。何が起こったのかよく分からないままフラスクを見ると、口で噛む部分だけ外れていた。このままでは中身が全部出てしまう。仕方ないので一旦停車して、吸い口を元に戻して一旦落着。しかし手やベントウボックスの周りはジェルだらけ。ベタベタして仕方なかったが我慢するしかなかった。家に帰ってからよく確認すると、吸い口の部分が逆向きで付いていた。NYが終わってしまう時に逆向きでセットしてしまった様だ。今後は確認も必要だ。

 ひとまず落ち着いてレースを続行する。コースは多少のうねりはあるものの、殆ど平坦でよくスピードは出ている。ときおりある段差などは腰を上げてかわしていた。そのうち、ちょっと油断して段差に乗ってしまった。その時、ガクッと音がしたような気がした。サドルの角度が変わってしまい、やや前のめりになってしまった。どれくらい下がってしまったか分からないが、それ程支障がある訳ではなかったので暫くはそのまま乗り続けた。しかしやはりポジションがちょっと違う。メカニックがいれば直して貰おうと考えながら走っていた。結局、ちょうど1周回ってきたところにSHIMANOのメカニックがあった。2回目の停車、サドルを直してもらう。とりあえずほぼ以前の状態にして貰って再スタートした。残りは1周半、50キロほど、再びサドルが下がってしまわない事を祈りながらレースを進めた。

 2回目、最終ゴール地点のYOHOリゾート前を通過、応援を探すが見つからない。特に必要もないので、そのまま通過する。その先T2まで来る。残りは1周。バイクゴールのT2に誰か居るかと思って周囲を見渡すが、それらしい人は見つからない。きっとYOHOに居るのだろうと思う。T2を過ぎて右折。暫くするとこのコースいちばんの上りがある。と言っても距離は200mくらい。高低差も数10mか。

 スタート地点へ向かう方向=南向きは、海岸線からやや内側に入ったところ、民家もあってアップダウンもそれなりにある。交差点もあるのでスタッフもいる。高校生のようなボランティアが応援してくれる。集落を過ぎるとその先は下り気味か平坦、走りやすいコースが続く。

 コース上2ヶ所のエイドがあり、エイドの手前で再びフラスクからジェルを取る。すると再び吸い口が取れてしまった。このままでは全てがこぼれてしまう。仕方なく3回目停車して吸い口を付ける。もうフラスクからジェルを補給するのはやめた。これ以上止まりたくない。もたもたしていると隊長が後ろから追い付いて来てしまう。腹が減った分はおにぎりと羊羹でしのいだ。

 再びメカニックのところまで戻って来た。何とかサドルの不具合は無さそう。残りは20キロほど。YOHOまでは10数キロ、次で3回目の通過となる。3回YOHOを通過したら次のT2でゴールと説明会の時に説明があった。いつの間にか周りのバイクも少なくなってきていた。速いのだか遅いのだかは分からない。YOHOを過ぎてしまえば残りは7キロ。見慣れた景色が通り過ぎる。

 左折してT2に入る。トランジッション内にそれ程人は多くない。私のエイジは、私のナンバーから後ろに30人ほど。バイクラックには自分でバイクをセットする。ホイールを挟む形式のラックで、なかなか入らず焦ってしまう。横のラックを見ると、バイクが3台ほど。まだ少ない。表彰対象の10番以内である事は間違い無い。ヘルメットを外してバイクシューズを脱ぎ、ランシューズに履き替える。今回はハーフなので、5本指ソックスではなく、たび型ソックス。これなら履くのにも苦労しない。

 レッドブルを飲みながらスタートして行くと、その先に松岡、ちょうどバイクラックに来たところだった。差の少なさに驚く。やはり3回の停車が効いているか。しかし、ランで追い付かれる事は無いだろうと思って安心して出て行く。まずはふくらはぎに痛みが出ないように無理の無いペースで走る。タイムなどは一切見ていない。見てもしようが無い。自分のレースをするだけである。

 ランコースは7キロずつ3分割されている。分かりやすくていい。T2からYOHOのフィニッシュ地点まで7キロ。そしてその先、片道7キロの往復で合計21キロ。ランの目標は2時間で走れればいいと思っている。最初にYOHOまで、バイクで走って来たコースを逆送する。アップダウンなど殆ど無い。最初はやや下り気味のコースである。だいたい6分を少し切るくらいのペースだと思っている。

 道路脇を見ると、距離ポストが500m置きに立っている。基点がどこだか分からないが、1キロ毎のタイムを見ると、ほぼ予定通りのペースで走っている。自分の思うペースからは遅いが、周りから比べればやや速いくらいで走っている。たまに私を追い抜いて行くランナーもいる。しかし、無理して追い付いて行く様な事もしない。ハーフではあるけれども、まだ先は長い。ひとり同じエイジのランナーが私を追い抜いて行った。ちょっとペースが違っていた。追って行きたかったが、無理はやめた。とりあえずは自分のペースを守った。ただそのうち追い付ければいいのだが、という思いでその後ろ姿を追った。結局その彼とは3分差、4位と5位の違いだった。

 YOHOまで行ったところでやっと我々の応援団がいた。前を行く中村との差は10分と聞いた。残り14キロで10分、この差は大きい。どこですれ違うか、追い付くか、まずはすれ違うポイントが問題だった。

 ぼちぼち折り返し。前から見覚えのあるランナー、シーポの社長ジョー田中さん、ミドルネームがあるとは知らなかった。彼のレースナンバーは1330番台、私と同じエイジの範囲のナンバーではなかった。登録時のミスだと言っていた。彼とはあちこちのレースでよく会う。ニューヨークではずっと歩いていた。肉離れの私にも抜かれた。しかし今回はランでもしっかり私の前を走っていた。彼との差は折り返しまで10分を超えていた。往復で20分離れていた事になる。

 中村の姿はなかなか見えなかった。見逃してしまったかと思った。目の前に折り返し地点が見えて来ても中村とは会わなかった。そして折り返しまであと50mくらいのところで、歩いている中村を見つけた。ガックリと疲れ切っていた。私が折り返してすぐに追い付いた。まさか歩いているとは思わなかった。しかし今まで良くあることだった。今回も同じだった。ある程度予想はしていたが……。

 残りは7キロ、ランは何とか予定通り2時間は切れそうだった。7キロにつき40分は切って走っていた。とりあえず鉄人トップに立ち気持ち良く走る。そのうち松岡ともすれ違った。もう少し離れているかと思ったが、予想外に近かった。残りは7キロを切り、前を追って少しずつペースは上がって行った。

 コースは平坦だけに走りやすかった。キロポストの表示は徐々に減って行った。そのうちにアイアンマンのマークの付いた距離表示も出てきた。残り距離が1キロずつ減っていき、そろそろYOHOリゾートという辺り、ゴールのアナウンスが聞こえてきた。最後まで無難なレースになってしまった。

■アフターレース

 レースは予定通り、あっという間に終わった。夕食はグッドウィルのはからいで墾丁のレストランにみんなが集まった。レストランと言っても、内容はいつもの台湾料理。味付けは甘く、ちょっと日本の味とは感覚が違っていた。中華料理とも違っている台湾料理だった。料理はいまひとつだったが、ビール、紹興酒で盛り上がった。

 明日は皆早い。8時にはホテルを出発する。バイクは今晩中にトラックで台北のホテルに向かうという。早々にバイクを分解してパッキングを済ませた。この夜はみんな疲れていて、部屋での飲み会は無かった。早々にベッドに入って寝入ってしまった。

■11月4日(日)
台北移動

 今日は帰国組と台北観光組に分かれる。いずれも8時にバスが迎えに来る。帰国組は高雄空港から成田へ、観光組は着いた時の逆に、高雄から台北に新幹線で向かう。11時半の新幹線に乗り台北には1時過ぎに到着。台北駅から本日宿泊のホテルに移動し、そこで昼食をとった。ここでは飲茶という事で、今までとは違う料理で目先が変わった。でも本質的には台湾料理、あまり変わらない。

 昼食後は、グッドウィルツアー一行で市内観光だったが、私達鉄人ツアーはそれとは離れて、台北から30キロ程離れた九份という街に出掛けた。金などが取れた街で一時は賑わったらしい。映画の舞台にもなった事がある様で、今はたくさんの観光客で賑わっていた。

 日曜日の夜という事もあって、お店は早仕舞い、台北での夜はあっという間に過ぎてしまった。松岡夫妻とホテルの部屋で遅くまで飲んでいた。台湾のコンビニのおでんで盛り上がった。この日はこれで終わった。

■11月5日(月)
台北-帰国

 午前中は自由行動。松岡夫妻とは別行動になった。私達はTAIPEI 101という508m、101階建てのビルを見に行った。展望台はおよそ400m、88階にあった。台北市内が一望できた。建った当時は世界一のビルだったらしい。昼過ぎにホテルに戻り、自由行動は終了した。あとは市内から桃園空港へバスで移動、16時40分のチャイナエアライン106便で成田へと向かった。フライト時間は3時間少々、成田には8時過ぎに着いた。

 無事に旅も終わるかと思ったが、総武線快速の駅で事故があり、電車は不通。そのため最終のNEXには乗りそこねてしまった。成田からの帰りの足が混乱したが、最終の横浜行きリムジンバスに乗る事ができ、何とか横浜まで帰って来る事ができた。4泊5日、楽しい台湾旅行ができた。

(No.560)


  
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