2011 Ironman Korea
2011年7月3日 日曜日 天候:くもり
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:12時間12分43秒 総合275位/777人、男子55-59 10位/42人
| Swim | 1:16:44 |
T1 | 9:20 | 1:26:04 |
Bike | 6:20:28 | 7:46:31 |
T2 | 5:00 | 7:51:31 |
Run | 4:21:13 | 12:12:43 |
5月中旬の週初め、そろそろ近づいたアイアンマン・チャイナの大会ホームページを覗くと、そこにはスイムの中止が決定したと案内が出ていた。会場が工事中のため、立入禁止になっているとの理由だった。仕方ないとは思いつつ、荷物が軽くなると喜んだ。しかし、その週末には大会自体が中止になったとのニュースが入ってきた。中止の理由は書かれていたが、納得のできない内容だった。この国の実情を示している様で、受け入れるしかないと悟った。2週間後に迫っていた大会は諦め、急遽7月上旬に開催のアイアンマン・コリアにエントリーした。5月末のレースに向けて調整に入っていたので、既に練習は軽い内容に変更していたところだった。2月に体調を崩して復調しつつあった体は、レースが1ヶ月延びた事で少しは練習時間が余分に取れることになったが、暑い中でのレースは予定していなかった。昨年も同じ時期のチェジュでのレースに出場してその暑さを知っているだけに、辛いところだった。
■6月30日(木) 成田-済州島、選手登録
成田発の直行便でチェジュへ。羽田からソウル経由もあるが、私は成田の方がアクセスしやすい。NEXに乗ってしまえば次は成田。バイクと荷物を抱えて成田空港へ向かう。成田発のフライトは9時45分。NEXは7時半頃に成田空港着。
事前に案内されていたが、最近の大韓航空はバイクの料金を徴収する。カウンタで7,000円を支払う。そのため別に手荷物も預ける事ができる。手荷物は無くなり楽になった。搭乗までの間、同行の松岡、塚越とのんびり時間をつぶす。飛行機は定刻に飛び立ち、12時過ぎにチェジュ空港に着陸、入国手続きなど済ませる。
グッドウィルツアーのメンバーは40人程、バスで宿に向かう。チェジュ空港は生憎雨が降っていた。昨年の天気を思い起こさせた。以前と比べると道路事情が良くなったのか、40分ほどで中文リゾートに到着。すぐに選手登録を済ませて、宿にチェックイン。3時頃には部屋で落ち着く。その後バイクの組み立てを済ませ、食事、買い物と続く。まだレースまで日にちもあるので、この夜は少々飲み過ぎてしまった。
■7月1日(金) ウェルカムパーティ
部屋で朝食の後、スイム会場までバイクで出掛ける。予想していたよりやや遠く、10キロ程あった。軽く泳いで戻ってくる。その後、チェジュに来るといつも利用しているスーパーで買い物。そして近くの食堂で地元の人達が食べていた太刀魚料理を頼んで食べる。その後、部屋でひと休み。
昼下がり、私はランニングに出かけた。スタート、ゴール付近をひと回りしてくる。上り続け、下り続けのきついコースだった。しかしここで走っていたので、レース当日は気分的に楽だった。
夕方、今朝羽田を出発したメンバーが宿に到着した。ウェルカムパーティは、近くのICC。みんなで出掛けて行く。宿に戻ってきてからは今日も宴会。昨晩飲み過ぎた事もあって、今日は控えめにした。
■7月2日(土) レースギアチェックイン、競技説明会
午前中にレースの準備を済ませ、午後からバイクを預けにスイム会場へ出掛ける。バイクで出掛けるつもりだったが、天気が悪く、大会のバスにバイクを載せて向かう。スイム会場では特段に変わった事も無く、スムーズに手続きは終わる。暫くの間大会バスを待って帰ってくる。
空いた時間に補給食の準備をする。おにぎりをお茶碗2杯分、アルファ米から作る。ゆかりと塩こんぶを混ぜ合わせる。他には初めて使うシリアルバー。ご飯との取り合わせは悪くなかった。あとはスペシャル用のOS-1。少しでも冷えている様にと凍らせておいた。おにぎりも補給食もスタート用とスペシャル用に2つに分けておく。バイク用のドリンクボトルには、グリコのCCDをレッドブルで割る。更にパワージェルも入れようとしたが、CCDは同じ様な成分が入っていると言うので入れるのは止めた。濃い目に作ったのでそれで十分だった。
夕食は近くの中華屋。レース前はやはりいつも食べているご飯がいい。早めに帰ってきて9時頃床に付く。
■7月3日(日)くもり レースデイ
起床は3時半。外はまだ暗いが天気は悪くなさそう。用意しておいたスペシャルやボトル用のOS-1などを忘れずにバッグに入れる。朝食はもち4個。もちは持ってきたがもち焼き網が無かった。仕方なく網はいつものスーパーで買ってきておいた。ガスコンロなので家での様に簡単にはいかなかったが、焦げ目の付いた美味しいもちができた。もちとヨーグルトを食べ、朝の準備を済ませ、早々に朝の支度は終わった。
5時にコンドミニアムの前からバスが出るので、10分ほど前に荷物を持って部屋を出る。バスに乗って10分ほどでスイム会場に到着。ボディのナンバリング、スペシャルの預託をしてからバイクの準備。特に支障になる様な事は何も無かった。ウェットスーツはフロントジッパーに改造したので焦る事も無く、全て自分でできる。スタート前にもOS-1とべスパをしっかりと摂っておく。今回は目の前がスイム会場なので、焦ることも無くゆっくりと準備が進められる。
6時半頃からスイム会場に入り、試泳をする。波も無く泳ぎやすい。今回のレースの参加者は800名ほど。それほど多くはないので、スタート地点はいちばんイン側にした。人が多ければロープの内側に入るつもりでいた。
7時、大砲の合図でスタートが切られた。前の選手が出て行った後、暫くして泳ぎだす。大したバトルは無い。しかしやや混雑してきたので、やはりロープの内側に入って泳ぎやすいところを探す。ロープの内側にはレスキューがいて、外に出るように選手に注意していた。だんだん外に追いやられ、仕方なくロープの外に出る。しかしきちんと泳いでいる分にはバトルはそれ程無かった。
最初の折り返しブイは900m、何も問題は無い。波も無く泳ぎやすい。ターンをするブイでは人が多く、外側に追い出されてしまう。暫くそのまま100m先のブイを目指す。そしてもう一度ターンして900m先の岸を目指す。
この辺りまで来れば周りにいる人の泳力はあまり変わらない。周りにいる人はほぼ固定してくる。周りに合わせて泳ぐが、あまりロープから離れない様に、内側に入るようにする。右側数m先にところどころ付いている黄色いブイが見えて安心する。
1周目を終了して岸に上がる。時計を見ると37分台、なかなかいいタイム。海のコンディションがいいからか、気持ち良く泳げていた。岸で準備されている水を取って2周目に向かう。それほど混んでいないので、なるべくロープのそばを泳ぐ様にする。2周目に入っても海の状況は変わらず泳ぎやすい。
ウェットスーツをフロントジッパーに作り変えたので、今までと擦れてくるところが違っていた。首の後ろは同じだが、前側のちょうど喉仏のところが擦れて痛かった。マジックテープのところが盛り上がって当たっていた。
2周目も最後まで不調なところは無かった。ひどいバトルも無く気持ち良くスイムを上がった。2周目、スイムを上がったところでタイムチェックして39分台。1時間20分は掛かるだろうと思っていたが、だいぶ速かった。
計測ポイントから暫く砂浜を走らされ、シャワーを浴びてトランジッションに向かう。韓国人は平気でシャワーの下に座り込んでいる。邪魔になってしょうがない。かき分けて出て行き、トランジッションバッグを取りに行く。自分で吊るしたバッグを自分で取りに行く。
その先に着替えのテントがある。中には人がたくさんいた。空いている椅子のところに行くと缶詰の空き缶があちこちに転がっている。韓国人はどうも桃の缶詰が好きらしい。ふたが付いたままなので危なくてしょうがない。足でどかしたら右足の親指に痛みが走った。気を付けてやったつもりだったが切ってしまった様だ。スタート早々にドジを踏んでしまった。少々痛かったがバイクでは影響は無さそうなので気にするのは止した。
バイクラックまでは100m程、足を切っていたのでバイクシューズを履いた。少々走りにくいが仕方がない。私の周りのバイクはまだ残っていた。しかし強力ライバルは既にいなかった。バイクを押してスタートラインまで行く。ちょうど同じ時、卯月奥様が走ってきた。スタートは同時だった。
昨日の帰り、バスで通ったところを上って行く。かなり上るので最初から無理して行く事はしない。まず最初は体を慣らしてから。しかし、どうも腰周りが痛かった。スイムの負荷が腰に来た様な感じだった。思う様なスピードが出せなかった。
メイン通りまで上がっても様子は変わらない。暫くそのまま走るしかなかった。そのうちに安川が追い付いて来た。スイムは大した差は無かった様だ。いい勢いで私を抜いて行く。付いて行きたかったが腰が痛くて全く走れなかった。そのまま見送るしかなかった。
このコース自体はバイクでもランでも何度も走っているところ。アップダウンの繰り返しのコースというのも良く分かっている。ギアチェンジをこまめにして、脚腰にあまり負荷を掛けないペースで走る。中文から10キロでワールドカップスタジアム、いつものランの折り返し点あたりが今回のバイクの第1折り返し。折り返し点付近に警察官はいるのだが、どこを回るのかはっきりしていなかった。危うく通り過ぎてしまうところだった。
折り返してすぐ先にタイムチェックポイント、計測が行われた。同じコースを再び中文に向かい、更にスイム会場の付近を通過する。折り返してから25キロほど走ると右折。距離の調整のために設けられたのか、山の方に向かって上って行く。山と言っても今までの大会の様に山岳を上るのではなく、一般の道路でだらだら上り、およそ7キロほど。標高差も150m程、どこにでもある様な坂である。しかし、ここがいちばんの高所、言ってみれば山岳ポイントになるか。
腰の痛みはいつの間にか無くなっていたが、今度は左脚がつりそうな感じになってきた。韓国に来る前に小林さんからツムラの漢方薬を貰っていた。3包のうち2包をバイクで持っていた。坂を上る手前、38キロ付近で1包飲んだ。きっと効いてくれるだろうと思って飲む。1回目はどんな坂だろうかと思って上る。どこまで上るのだろうかと思っていたが、それほどきつくも無い。最後は少し下ってから折り返しになった。
折り返しは45キロ地点くらいか。暫く下りが続くので少しは楽になる。下りきったら再び右折して元の道路に戻る。ここから15キロほど走って3回目の折り返し。この辺りはあまりアップダウンは無く走りやすい。ここでバイクスタートが一緒だった卯月奥様が追い付いて来た。メーターが動かないというので距離を教えた。ちょうど60キロだった。スタートから2時間ほど経っていたか。その先は海岸線に沿ったコースを取る。小さな街の中を通って行く感じ。応援がパラパラといる。応援がいるだけいいが、参加者も多くないので、前後に選手も見えなくなる。やや寂しいか。
バイクのペースはそれほどきつくない程度。心拍数もそれほど上がっていない。脚にもあまり負担は掛かっていない。脚がつりそうだったのもいつの間にか忘れていた。薬が効いた様だった。
海岸線近くをぐるりと走って再び元の道路に戻る。今度は後方を走っている選手とすれ違う。対馬、石島、関谷と次々にすれ違う。間もなく1周終了。ほぼ3時間程度。調子は悪くない。だいたい30キロ前後のスピードで走れている。
天気は曇り、風は多少吹いているが、それほど強くなく、走りにくいという程でもない。レースコンディションとしては最高の状態である。食料の補給も悪くない。今回採用したのはアメリカ製(だと思う)のシリアルバーの様なもの。パワーバーより柔らかく食べやすい。それを合計3個。スタート時に2個、スペシャルに1個分を補充した。更におにぎり。これはアルファ米を戻したもの。ご飯は2合分。これも半分をスペシャルで補充した。とりあえずはスペシャルの補充地点までに全ての補給食を食べ終わるようにした。更にパワージェルを合計8個。これは2つのフラスクに分けて、1個はスペシャルで補充した。これも全部食べ切った。今回はハンガーノックや眠くなる事などは無かった。レースに臨む態勢としては全く問題なかった。
2周目に入り、中文のゴール地点の手前にスペシャルのエイド。OS-1のボトル半分。これは1本分用意しておくべきだったと思う。ジェットストリーム用として用意した。更にレッドブル1本。そして前述の補給食。レッドブルはバイクを止めてゆっくりと飲んだ。元気が出た気がする。もう1周走る元気が出てきた。
相変わらずコースはアップダウン。先行するチームメイトは見えない。どこにいるかも分からない。今回のレースは自分のレースをする事に心掛けた。ハワイ行きはほぼ最初から諦めているので、楽しいレースをしたかった。あまり辛いレースはしたくなかった。
サッカースタジアムの先、2回目の折り返し。今度は間違えない。残りは70キロ程になるか。2周目も大したアクシデントは起こらない。1周目の坂を上り始める手前で漢方薬を飲んだ様に、2周目、50キロ程を残した辺りで2包目のつり止め薬を飲んだ。少し左ハムストリングがつりそうな気配があった。
2回目の上りは1回目から比べると元気は少し無くなったか。しかし一度上って帰ってきているので、坂の様子は分かっていた。ただ、折り返しがどの辺りだったか忘れていた。折り返しの手前で少し下った様な気がした。
KUEEN-Kにしてみれば、まともなレースは初めてかもしれない。デビュー戦は2010年3月のチャイナ。その時は距離も大して走っておらず、乗りこなしてはいなかった。昨年のチェジュ、突如出場したレースは雨の中だった。バイクレースとしては不十分だった。今回やっとまともなレースをする事ができた。走りのイメージとしても悪くない。最後まで納得のいくレースができた。
2周を終え、スイムから上がってきたところからは3周目に入る。中文のバイクゴールまでは10キロほど。中文リゾートの手前では、2周目まではハイウェイ方面。3周目になって中文リゾートの入口に向かう道路に入って行く。更にリゾート入口の交差点を右折してホテルの方へ下って行く。
トランジッションエリアはエキスポエリアの横。バイクを渡し、自分でバッグを取りに行く。このバッグにはラン用の補給食などは用意していない。スタート時のべスパを用意してあるだけ。走っている最中の補給はジェルだけで十分である。スペシャルにはOS-1とレッドブル。走り出す前に用を足して行く。
スタートゲートを通過して走り出す。走り出しはいきなり下っている。どんどん下る。最初にこんなに下らせなくてもいいだろうにと思う。前方に海が見え、左側にICC。ICC方面に渡る橋のところまで下って橋を渡る。このランコースでは平らなところはこの橋だけかもしれないと思った。今回のランコースはそれくらいアップダウンの繰り返しのコースである。
橋を渡ってからはICCに行くまでに上る。今度はどんどん上る。ただし、まだ日が出ていないだけ良かった。金曜日の同じ様な時間にここを走った時、日差しが暑く、レースでも日陰のある歩道を走ろうかと思ったほどだった。
中文の街に出てもまだ緩やかな上り。ここは以前のバイクコースであり、コース自体は良く憶えている。暫く上ってやっと少し平ら、そして今度は下って行く。これの繰り返しである。暫く下って大通りとの交差点に出る。この先は昨年までのランコースに入る。当然の様にアップダウンの繰り返し。平らなところは無い。折り返し地点は今までのランコースより少し手前、サッカースタジアムの横の道路。少しだけ近くなった。今までよく走ったコースである。どこに何があるかもよく憶えている。
片道10キロを2往復。焦っても仕方ないので、自分のペースでしっかりと走る。エイドはほぼ2キロ毎に設置されている。距離的には問題無い。水とゲータレード、コーラ。1つ置きくらいにジェル=スポンサーのパワージェルは無いと言っていたが、カーボショッツだった。これだけあれば十分だった。ちなみに、パワージェルが出せなかったのは、原発の放射能汚染の影響らしい。汚染の無い証明が無いと日本から輸入できないという事だったというのが真相らしい。P社の関係者が語っていた。こんなところにも地震の影響が出ていた。
何回かのアップダウンを繰り返し、カーブを曲がってサッカースタジアムの屋根が見えてくればそろそろ折り返し。スタジアム手前の交差点を右に入り、側道で折り返しだった。最初の10キロはまずまずだった。それほど頑張らずマイペースを守っているので、ペースとして辛いことはない。
日は出ていないが暑いことに変わりは無い。エイド毎に止まって水分の補給、スポンジで体を冷やすなど、それの繰り返しだった。あとは淡々と走った。
今までのランコースの折り返しの先に長い上り坂が続いている。今まではこれを上らずにサッカースタジアムの方に折り返していたが、今回はここを上らなくてはならない。第1回のアイアンマン・コリアではここを走らされた。その時も辛かったが、今回もそれに変わりは無い。しかし、走り続けていればやがて上りも終わる。そう思って走るしかなかった。走り続けた。
ここの上りは3段の上りだった。ひとつ上り終わってもまだ先があった。なかなか終わらない。走り憶えのあるところを通った。中文から上がって来たところからすぐ近くの橋だった。第1回の大会に来た時、この橋の上で当時のライバルと競った事があった。2000年の事である。ここを通るのはその時以来だろう。上って来てすぐのところなので、この橋を渡れば下りになるのも近い。中文のゴール地点も近い。やっと半分終わった事になる。
その橋の先、1周目最後のエイドがあった。スペシャルのエイドもある。このスペシャルには、OS-1、レッドブル、パワージェルを置いた。凍っていたOS-1は当然の様に解けている。更にぬるい。しかし効果に変わりは無い。脚の攣りを防いでくれる漢方薬も摂る。これは帽子のひさしの裏に貼り付けておいた。あと1周、20キロもってくれればいい、そう思った。
1周終わったランナーはゴールに向かうランナーとは違って、1つ手前の交差点を左に入る。ゴール前を通らない様に配慮されていた。もう1周回ってくれば直進してゴールに向かう事ができる。この先折り返しまで1時間、折り返してから1時間、あと2時間でゴールである。着実に前に進んでいる。
ゴール前の華やかなところを避けて再び長い下り坂に差し掛かった。1周目を走り出したと思えるようなランナーもいる。2回目の橋の上を通る。やはりここがいちばん走りやすい。右手方向には広く海が見えている。あと2時間と思って進む。
ICCからの上り、前方に1人の女性ランナー。どう見ても1周目、何となく似ているとは思ったが確信は無い。追い付いて顔を見るとやはり我がクラブの石島さん。声援を送って先に行く。そろそろその坂も終わりという頃、もうひとり我がクラブのランナーがいた。こちらは走り方からすぐに分かった。関谷さんだった。こちらも同じ様にして先に行く。みんな着実に進んでいた。
2周目、下りながら大通りと合流する。前からは復路のランナーが走ってきてすれ違う。ちょうど塚越がゴールへ向かって行くところだった。いい走りをしていた。まだ10時間台、昨年からずっといい調子が続いている。私はあと2時間、12時間を超えるだろう。暑さを除けばそれほど悪いところは無い。無理をした走りもしていない。淡々と走っている。見慣れた景色で折り返しまでの距離を知る。
2回目、サッカースタジアムの屋根が見えてきた。折り返しまで1キロ、緩やかな坂を上って行くと、少しばかりの観客もいる。大きな交差点の手前を右に入って行く。100m程先に折り返し。折り返しのエイドでゆっくり休む。そして最後の10キロを走り出す。まず目指すは以前の折り返し点。そこまでおよそ6キロ。そして残りは4キロ程になる。
今までの記憶を頼りに、元の折り返し点を思い出す。長い下りの先の方に上りが見えてきた。左側からは街から繋がっている細い道も見える。以前の折り返しはこんなところにあったわけだった。位置関係は意識に無かった。その時は気が付いていなかった。折り返し点だけに気が回っていた。あとは、この上りをいくつか上がって行けば中文の下り口までたどり着く事ができる。しかしまだまだ先は長かった。だが、ゆっくりでも走れば必ず終わる。とりあえず進むことが大事だ。
ひとつ上り終わる。まだ先にも上りがある。2時間前に走っているけれどもどんなコース状況か忘れている。目標の橋はなかなか見えてこない。残りも2キロ程か、橋が見えてくる。もうここまで来ればエイドにも寄る必要も無い。早くゴールに着きたい。体に不具合は無い。あとは下るだけ。中文リゾートへ向かう椰子の木に挟まれたきれいな道路を下って行く。
1周目に左折した交差点を直進し、ゴールへ向かう。その先を左折、やっとフィニッシュゲートが見えてきた。人の数は多くないが、ちゃんと迎えてくれる人達がいる。私の名前を呼んでくれる。時計はまだ12時間12分、それほど悪くはない。しかし12時間を超えてしまっていた。
フィニッシュしてまず向かったところはメディカルテント。スイムから上がった時に空き缶で切った右親指を診てもらおうと思った。靴下を脱いだら、指はふやけていた。どこを怪我したのか分からなかった。とりあえず治療は不要だった。
その後はすぐにマッサージを受けて、バッグを回収し、バイクを貰って帰る。私のバッグが1つ見当たらなかった。全てのバッグをくまなく探すと、他人のバッグと一緒になっていた。無責任なやり方に怒りを感じた。会場監督者にはもう少し責任を持って作業をして欲しいものだ。
■7月4日(月) アワードパーティ
早くに目が覚めたが、しばらくそのまま寝続けた。のんびりと起きだす。いつもの様にビールを飲みながら、少しずつ荷物の片付けを始める。塚越のハワイ行きが決定的なので、隣のロッテホテルまでみんなで出掛けて行く。ロールダウンというイベントもあったが、その数は少なく、あっという間に終わってしまった。
12時半からロッテホテルでアワードパーティ。2位入賞1人、3位入賞1人が表彰される。パーティの後はバイクの片付けを済ませ、夕食は街に出て韓国鍋を食べる。本場の軍隊鍋-ブデチゲを食べる事ができて満足。この夜は再び遅くまで宴会が続いた。
■7月5日(火) 帰国
今日でチェジュもおしまい。本格的に荷物を詰めて帰る支度をする。帰りの便でもバイク料金を取られる事は分かっていたので、なるべくバイクケースに荷物を詰めた。ソウル経由で早めに帰るメンバーがいるので、早めに昼食を食べに出掛ける。今日も焼肉。更に食べたかった本場のチヂミ、美味しかった。
帰りの便も成田直行。宿を3時に出発、空港まで1時間ほど。早々に搭乗手続き、出国手続きを済ませる。帰国便のバイク料金は27,000ウォン、2,200円ほど。成田空港とは大違いだった。出発は6時過ぎ、フライト時間は2時間程、とても早い。
8時半には成田のターミナルに到着。通関手続きなどを済ませて、ロビーに出てきたのは9時45分頃。NEXなど戸塚まで直行してくれるJRは既に無かったので、成田から横浜YCATまでの直行バスに乗車した。意外に早く、1時間半ほどでYCATに到着した。11時過ぎには戸塚に着いていた。
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エントリー費用($546) | : | 45,000円 |
グッドウィルツアー | : | 100,000円 |
韓国内小遣い(W400,000) | : | 36,000円 |
国内交通費 | : | 10,000円 |
航空会社バイク料金・往復 | : | 10,000円 | |
国内バイク宅配便 | : | 3,500円 |
合 計 | : | 204,500円 |
(No.540)
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