第30回横浜マラソン

第30回横浜マラソン大会
2010年12月5日(日)天候:晴れ
記録:1時間25分33秒(グロス) 1時間25分31秒(ネット)
順位:総合126位/2728人 一般男子67位/2204人

 
距離ラップ5キロスプリット
1Km4:01 4:01
2Km3:57 7:59
3Km3:58 11:58
5Km8:1020:0820:08
6Km4:03 24:12
7Km4:04 28:16
8Km4:01 32:18
9Km4:01 36:20
10Km4:0520:1740:25
11Km4:05 44:30
13Km8:15 52:05
14Km4:14 57:00
15Km4:0520:401:01:05
17Km8:15 1:09:21
18Km4:11 1:13:32
20Km7:5020:181:21:23
21Km3:48 1:25:11
21.1Km0:214:101:25:33


練習不足かあるいは衰えか、そんなことを考えながらかもめ町を走り抜けた。1キロ毎のラップは4分を超え、目標タイムからは大きく遅れ、どんな結果になるのか自分でも怖かった。


 今年の横浜マラソンは例年よりスタート時間が1時間早い。どうしてか調べていたら、今年は車いすの部のレースが無くなっていた。やはり参加者の少ないレースで1時間も道路閉鎖はできないのだろう。一般のレースが1時間ほど早くなったので、朝出掛けていくのも1時間早くなった。以前、車いすのレースが無い時と同じになった。

 7時過ぎには石川町にいた。人気の無い中華街を抜けて山下公園に向かう。どうしてこんなに少ないかと思って中華街を抜けると、その先のみなとみらい線の出口からたくさんの人が出てきた。JRよりもっと便利な交通手段があった。山下公園にはもうたくさんの人が来ている。その中をいつもの場所に向かう。そこにはまだ誰もいなかった。まずは自分の場所を確保する。

 受付を済ませ、安売りのショップを覗いて買い物をする。その後しばらくはチームのメンバーが集まって来るのを待つ。ぽつりぽつりと知った顔が集まって来る。

 今年のスタートが9時30分、選手集合は8時50分から。それに合わせて、8時20分くらいからウォームアップを開始する。アップの前に、いつもの様にトイレを借りに行く。ホテルモントレー、昔はザ・ホテル・ヨコハマ、こちらの方が名前の通りがいい。そこからゴール地点の方に向かってジョグをしてアップを始める。人も少なく落ち着いてアップができる。何本かダッシュもやって見る。膝にやや張りを感じて本調子ではないものの、脚に不安は無さそうだ。目標は24分台、そんなに高い目標は設定しない。現在の自分の身の丈に合った目標である。

 アップを済ませて自分の場所に戻り着替えをする。寒くは無い。アームカバーはいらなそう。手袋は持って行く事にする。スタートまでの防寒用に要らなくなったTシャツを上に着て行く。2008年の横浜マラソンのTシャツ。横浜のTシャツは品質が悪くて不評だった。今は少々上質な物が貰える。8時50分、そろそろ選手も集まり出すのでスタート地点へと向かう。その前にもう一度産業貿易会館でトイレ。2階まで行くと空いている。スタート前にジェルをひとつ口にする。もうたくさん集まっていた選手をかき分け、前方に並ぶ。12月だと言うのに寒くはない。Tシャツ1枚着ていれば十分だった。

 スタート前にスタート地点で開会式が行われた。林市長は所用のため欠席。代わりに、大会副会長らしき人の挨拶と、横浜マリノスの中村俊介から激励があった。中村にはみんな大喜び、大いに盛り上がった。

 9時30分、予定通りスタートが切られる。いつもの様に女性レーンのすぐ隣、コースの左側からスタートする。周りに遅いランナーがいて、少々もたつく。腹立たしい限り。いつものようなペースで山下公園脇を通り抜け、1キロ地点の陸橋を目指す。まだまだ周りは速い。それに乗り遅れないようにペースを合わせて行く。1キロ地点の手前に松岡の応援、嬉しい。1キロは4分01秒。自分ではもっと速いつもりでいたのだが、目論見違い。もう少しペースアップが必要だと思って、速いランナーに合わせて2キロ地点を目指す。

 高速道路の高架が途切れるあたりに2キロ地点、少々ペースが上がり3分57秒。まずまず。その先、橋の上りではペースを落とさないように頑張る。給水所が用意されているが、まだ水の準備は無い。毎年走り慣れたコースを3キロ地点に向かう。陸連公認になってから、3キロ地点は少し先に延びた。ちょうど左折ポイントが3キロ、このラップは3分58秒、ここも4分を切りまずまず納得。このままのペースを維持したいと思って走る。

 この先は4キロ地点がどこにあるかよく分かっていない。いつも見逃してしまう。産業道路を暫く直進、正面から太陽の日を受ける。12月にしてはやや暑いくらい。手袋も要らない様だった。左折してトラックが走って路面が窪んだ道路を走る。もう4キロ地点も過ぎただろうと思うが、無理して時計は確認しない。周りの同じくらいのゼッケンナンバーに遅れないように付いて走る。左に折れるようにして長い直線に出る。右側にあるグラウンドではいつも少年野球をやっている。今日はスタートが早いせいか子供たちの応援は無い。

 この先に5キロ地点、そして10キロの部の折り返し地点がある。5キロはまずまずの走りができているだろうと思ってラップを取ると、8分10秒、スプリットは20分05秒、何と遅いか。気合いを入れ直して前のランナーを追う。シンボルタワーをぐるりと回ると6キロ地点の給水。水で手袋が濡れない様に、手から外してコップを取る。手袋は外したけれどもそのままでもいいくらいで寒くはなかった。給水所のすぐ先に6キロ地点、ラップは4分03秒。またしても4分を超えている。何とかしなければと思い始める。

 その後もあまりペースは変わらず、4分を超えるラップを刻む。そのうち、左太股の裏側に違和感を覚えてきた。何となくつりそうな感じ。この遅いペースを上げていこうとすると、すぐにもつってしまいそうである。暫くはこのままのペースで様子を見るしか無さそう。タイムは期待できなくてもやはり完走する方がいい。

 ペースは遅くともやはり辛いのには変わりがない。元の産業道路まで戻ってきて、この後かもめ町方面に向かう。8キロ地点も4分01秒。このペースなら問題ないか、という気にもなってきた。これが維持できれば、24分台後半のタイムが出せる。24分台ならなんとか合格というところだろう。トラックが通る道路なので路面は硬く荒い。場所を選んで走る事もできず、我慢して走る。9キロ地点も4分01秒。ペースが変わっていないのでいい方かもしれない。前を行くランナーからは少しずつ離されて行くような感じもしている。間もなくかもめ町交差点、その先には10キロ地点。正式なラップを取ってくれる。

 ここで4分05秒のラップ。頑張って走って来たつもりだったが、だいぶペースダウン。10キロのスプリットも40分25秒とマラソンペースの感じだった。このペースで走り続けられればサブスリーなのに。

 いつものかもめ町を反対回りでぐるりと走って11キロ地点。周りからは少しずつ置いて行かれるので何となく遅そうなペース。11キロも4分05秒、確実に落ち込んだ。この先は陸橋を越えなければならない。このままずるずると落ちるわけにもいかず、後ろから来るランナーに何とか付いて行こうとする。以前はこの陸橋もスイスイと上って行った。最近では得意だった坂でも置いて行かれる事がある。今日は抜いて行く事は無いにしても、周りにしっかり付いて行く。陸橋を上り切り、左折して下る。その下をトップグループが走り抜けて行く。今日は陸橋の手前ではトップとすれ違わなかった。トップランナーも例年よりはやや遅いか。

 私は坂を下って行く。左太股は相変わらずで、無理はできない。下り切って対向からはポツリポツリとランナーがやって来る。スタートの時見掛けた女性のMさんはどの辺かと気にしながら対向のランナーを気に掛ける。さすがにこの辺りを走るランナーは速い。見ていて気持ちがいい。もう12キロ地点は通過したかと思ったが、ランナーを気にしていたからか、見逃していた。女性ランナーのトップは501番、昨年の優勝者だった。Mさんはどうしたかと思ったがなかなか来ない。ひょっとして既に行ってしまったか、と思ったが、もうそんなに速くもないだろうと思う。

 とそのうちに502番、昨年もこの辺の位置関係だったろうと思う。100~150mほどの差、今年も私がこんな調子なら追い付けなさそうだと思う。しかしそれも分からず、前を目指す。折り返して、もう残りも8キロ。いつまでもこんな走りをしている訳にもいかない。少々気分を変えて、前を見つめてランナーを追う。しかし思った様にはペースも上がらない。

 折り返し後の13キロ地点では8分15秒、かなり落ちていた。脚に無理もできず、辛いところ。2回目の折り返しをして、その先陸橋を上ってかもめ町へ向かう。上り坂の途中に14キロ地点。1キロ4分14秒というラップが出てしまった。このままの走りではちょっと危うい。下りと直線でペースを上げたい。

 15キロでは4分05秒まで戻ったが、まだ遅い。その先左折すると給水所がある。手袋をしたままで水に濡れても寒くはなさそうなので、手袋も外さずに水を取る。その先の角には10キロの関門。時間内に通過できなかったランナーがバスに乗っていく。中にはそのまま走り続けているランナーもいる。どうやらバーコードを外しているらしい。それで走らせてくれている様だ。私も彼らに自慢できる程のペースでは走れていない。ちょっと辛い。関門の手前でもまだまだ関門に向かって行くランナーもいる。既にヨレヨレ状態。ひとを哀れんでいられる程のタイムで走っている訳ではないので脇目も振らずに走る。ここでも16キロ地点は見逃した。いつの間にか16キロ過ぎの関門を通過する。残りは5キロ、せめて5キロくらいは復活して走りたいがペースは上がらない。

 やはり練習不足だろうか、月間200キロではここまでか、そんな風にも思う。それとももう私の限界か、筋力の衰えも仕方のない事か、そんな事も考えてしまう。

 遅くなったペースをじっと我慢、こらえながら走る。そろそろ17キロ地点、前方に女性が走っているのが見えた。何となく、Mさんの様な走り、ウェアも似ている。だとするとかなりペースダウンしてしまった様子。このまま行けば追い付けそうだ。昨年の事が思い起こされる。昨年言った事が今年実現か?、そんな事を思いながら前を追う。

 17キロ地点が見えてきた。Mさんもすぐ前。その時後ろから何となく聞き覚えのある足音。ひょっとしたら、と思いながら走っていると声を掛けられた。安川だった。やはり来たかという思い。今の私のタイムくらいなら、当然来てもおかしくないランナーである。これからフルのレースを控えているのだから走り込みは十分。走れるランナーである。今の私では抜かれても仕方がない。そう思ってただ見送るだけ。しかし、Mさんを連れて引き上げたい、そういう思いもある。ひと声掛けてMさんの前に出る。何となく付いて来ている気配はある。

 17キロで2キロのラップが8分15秒。今まで途中を見逃してラップが2キロになると、必ず8分15秒くらい掛かっている。不思議だ。ペースの落ち込みを回復できないから大きく落ち込んでしまうのか。安川にはどんどん離されて行く。勢いが違っている。それを黙って見ているが仕方がない。

 日産前を左に曲がると18キロ、残りは3キロ。安川から離されない様に、と思って走る。安川に先を譲ると当然年代1位の座は無い。レース前に公言したのは何だったか。挽回したいと思って走っていると、何となく安川との差が詰まっている感じ。少しずつだが差が縮まって来ている様に思えた。

 往路の3キロ地点を右折、目の前に安川が見えてきた。安川がペースダウンしている。そう見えた。自分にも経験のある事。この辺りまでハイペースで来ると、いくら頑張っても足が出なくなる事がある。その気持ちはよく分かる。これなら追い付ける、そう思った。高速道路高架下の給水所で水を貰って勢いを付ける。一気に追い付き、今度は私がひと声掛けて抜き去る。もう負けるわけにはいかない。このままハイペースで残り2キロを行くしかない。脚の不調など忘れていた。最後になってやっと本来の走りになってきた。脇目も振らず、ただ前を見て突っ走るだけ。最後は平坦なコースでもきつい。前にいたランナーもだいぶ抜き去った。

 ラスト1キロ地点に長谷川、応援の声が聞こえるが振り向けない。ラップも取るが時間は見えない。最後は陸橋の上り、必死で上るだけ。スタート時にもいてくれた陸橋の上に再び松岡がいた。声は聞こえたが姿は見ていられなかった。松岡の声は後ろの安川にも掛けられた。すぐ後ろにいることが分かる。残りは500m、坂を下って右折、直線の400mが長い。田中の応援が聞こえる。今度は姿も見る事ができた。ラストスパート、必死で走る。私の前にはだいぶ前に抜かれた女性ランナーが1人いた。その後ろを追ってゴールへ飛び込む。何とか25分台のタイムが出ていた。

 最後に頑張った結果か、少しはほっとした。結局頑張ったのはラスト2キロだけ。最後に頑張ったので少しは持ち直したが、それだけ。トータルとしては納得の行かない走りだった。不完全燃焼のレースだった。

 貰ったボトルのドリンクを飲みながら、歩いて自分の場所に戻る。もう左太股の違和感は無かった。中途半端な走りだったからか、いつもの様な極度の疲労感は無い。疲労感も中途半端だった。そんな事を考えながら、計測チップを外し、Tシャツを貰って帰る。

 記録では昨年から数秒下回ったが、順位は昨年を上回っていた。なんとか年代1位の可能性を残してゴールした事だけが評価できるレースだった。

【後日談】
 12月17日、完走証が送られて来た。順位を見ると、男子50歳代では3位だった。昨年と同じ3位、タイムは下がり、総合順位は上がったが、年代別では同じ3位だった。どういう事を示しているのか、同じ年代ではみんな似た様なタイムで走っているという事か。ちょっとでも油断をするとすぐに抜かれてしまう。

 また、10キロ時点での順位は2位だった。後半10キロで3位に落ちていた。後半にややペースダウンしていた。そこで抜かれてしまっていたか。更に油断はできないという事だ。頑張っていれば、1つは順位が上がっていたはずだ。

(2010年12月18日)


  
home report