2010 Ironman China

2010年3月14日 日曜日 天候:晴れ
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:15:01:45 (総合220位/259人 55-59男子11位/13人)
  swim    1:18:50            (222位)
  T1         6:18   1:25:08
  bike    6:41:29   8:06:37  (216位)
  T2         6:35   8:13:12
  run     6:48:34  15:01:45  (241位)

 人影のまばらなランコースを川上方向、南に向かって走り出した。時刻は3時を回っていた頃だろう。風は相変わらず南から強く吹いていた。往きは向かい風で気持ちが良かった。最初の折り返しは約5キロ地点、川沿いのコースをまっすぐ進む。バイクの時から両足ともピクピクとけいれんが起こりそうだった太ももは、相変わらずだった。走るペースは遅いながらも確実に進んでいた。「無理しない」、今回のモットーはこれだった。無理をせずに地道なレースをしていた。

 5キロの折り返しを回り、第2折り返し、17キロ地点を目指して走り出した。風は追い風に変わり、ほとんど風を切る感覚は無くなった。1キロほど走ったところで、今まで何の変化も示さなかった左ふくらはぎに異常が現れた。先週の月例でつったところだった。だんだん痛みが出てきた。先週の症状から、無理をして走れば途中で止める事になると分かっていた。迷わずに走りをやめ歩き出した。歩く事はできそうだったが、痛みは相変わらず襲ってくる。このまま歩き続けてゴールまでたどり着けるか不安だった。途中で止める事は全く考えなかった。途中棄権の惨めさを知っているだけに、ゴールにはたどり着きたかった。歩くスピードから計算したところ、歩き続けていれば、制限時間内にフィニッシュできそうだった。そう決まったら後は必死に歩くだけになった。

■3月11日(木) 成田-広州-海口
 成田発15時55分、中国南方航空。成田へはいつものとおりNEX。娘の車で荷物を戸塚駅まで運んでもらう。NEXに乗ってしまえばもう成田に着いたも同然。ビールを飲みながら軽めの昼食を取る。空港では同行の3人、塚越、山本、佐々木は、既にチェックインの列に並んでいた。チェックイン後、その3人と私で最後の日本食を取る。広州着は現地20時半。乗り換えに手間取りゆっくりもできず、海口行きに乗り継ぐ。23時近くに海口着。ホテルに着いてゆっくりしたのは日付も変わっていた。

■3月12日(金) 登録、パーティ
 滞在のホテルはメイン会場のリゾートホテル。雰囲気は宮古島の東急リゾートの様。今日の気温は低く、リゾート気分にはならない。本当に暑くなるのかと疑ってしまう。朝食後にバイクを組み立て、朝9時からのレース登録。スイム会場近くのスーパーに買い出しと昼食。中国語は分からず、日本語はもちろん英語も通じず、とりあえずメニューを見て食事を頼んでみる。出てきた料理は本場の中華料理、おいしい食事ができた。買い物の後、ホテルに戻りバイクの試乗をする。問題は無かった。

 3時からツアーバスでコースの下見、6時からカーボパーティ。300人程なのでホテルの中庭でこぢんまりと開催する。食事の内容はどこでも一緒。しかし他の大会と比べればいい方かもしれない。セレモニーなど何も無く、早々に引き上げて、レースの準備をする。

■3月13日(土) 競技説明会、レースギアチェックイン
 朝食の後、大会バスでスイム会場へ向かう。一周1,000mほどのコースを泳ぐ。川のスイムコースなので、上り下りの様子を確認する。1周は20分ほどで泳げそう。スイムの予想タイムは1時間20分となる。スイムから戻った後はレースギアの準備をする。12時開始予定だった説明会は13時に変更された。終了後はバイクとレースギアを持ってレース会場へ出掛ける。人とバイクが一緒にバスに乗るため大混雑。ドイツではバイクの専用トレーラーに載せて行ったっけ。バイクの簡単なチェックを受けてバイクラックへ。レースギアは自分でバッグ掛けに掛ける。これで準備は終了。今日は午後からだんだん暑くなってきた。明日の気温は上がりそうだった。ホテルに帰ってからは暫くのんびり。早めに夕食を取る。ベッドには9時前に入るがなかなか寝付けず、熟睡にならなかった。

■3月14日(日) レース
 3時過ぎに目が覚める。あまりぐっすりとは眠れなかったが、疲れなどは無い。早速忘れ物など無い様にレースの準備を始める。5時過ぎの大会バスでレース会場へ向かう。朝から風が強い。しかしレースに対して不安は無かった。緊張感も無かった。参加者も多くないので会場の混雑も無い。準備はスムーズに進んだ。最初にボディナンバーを記入し、バイクのセッティング、トイレなどを済ませてウェットを着る。昨日の説明会でスイムスタートは5秒置き、5人ずつのウェーブスタートという事が明らかになった。これで更に緊張感も消えた。徐々に明るくなり6時半頃にはスタート地点へ向かう。ウォームアップのために軽く泳ぐ。特に問題は無い。透明感は無いが水質は悪くはなさそう。風が強いためか、海からの水が流れ込んで来ている様で、少々塩っぱかった。

 7時に30人程の赤キャップのプロ選手がスタート。その1分後からエイジグルーパーが5人ずつゼッケン順にスタートして行く。混乱などは無く、スムーズに出て行く。私のスタートはおよそ5分後。私の前には先に出て行ったはずの、日本人の知り合いの女性が居た。出遅れたらしい。一応問題無いと慰める。私も人の流れに乗って泳ぎ出す。バトルなどは無く泳ぎやすい。最初の400mは流れに逆らう為に遅い。しかしそれほど遅いとは感じなかった。第1ブイを回ってからは、流れに乗っていたので、さすがに次のブイまでが早かった。

 950mを4周、1周毎に岸に上がってタイムチェック。1周目は18分台、まずまず予定通りだった。2周目からは右オープンの私としては、ブイを右に見て泳ぐためと混雑を避けるため、ロープの内側を泳いだ。気持ち良くマイペースで泳げた。2周目、3周目はやや遅れて19分台、4周目は大きくペースダウンし21分台、これは予定外だった。しかし、トータル1時間18分でスイムアップ、まずまずの結果だった。4周泳ぐ間に尿意を催したのが5回(!)、今回は全てゆっくり泳ぎながら済ませられた。5回というのは問題だが、その後には特に影響は無かったと思う。スイムアップしてからトイレの時間を取られずに済んだ。

 トランジッションエリアは人影もまばら。高校生らしき若者が積極的に手伝ってくれて助かる。トランジッションの時間は6分ほど、決して早いとは言えないが、まずまずのタイム、バイクをピックアップしてコースに出て行く。コースに出ると南からの風、結構強く向かい風が吹いている。

 今回のレースでバイクとランの目標は「無理をしない」事。日差しが強く、太陽に負けてしまう事の無い様に無理はしないつもりだった。ウェアはバイクジャージに白いアームカバー、日焼けにも注意した。レース後、カバーしていない手の甲とバイクパンツから出ていた脚は真っ黒に日焼けしていた。

 バイクコースは14キロ過ぎまでは市内の一般道路、その先44キロ地点あたりまでが高速道路。その後は古くからある村の中を通過し、コース最高地点の180mあたりまで上り、再び高速道路へ戻ってくる。その後のコースは往路と同じコースを戻る。コースとしては全く難しくないコースである。ただ今日は南からの強風が吹いて、高速道路では殆ど横風という感じだった。

 コースのイメージは自分の中ではだいたいでき上がっていた。しかし、選手があまりにも少なかったので、自分の位置がよく分からなかった。完全な往復コースであれば前との差やおおよその位置が見えたのだろうが、高速道路を降りて再び戻って来る迄の区間があるので、トップ集団やかなり後方の選手には会えるが、直前、直後の選手は殆ど会わない。そのため、自分だけ取り残されてしまった様な錯覚に陥った。それもモチベーションが下がってしまった一因の様に思えた。「頑張らない」が「頑張れない」になってしまった。

 補給では問題となる様なところは無かった。バイクが変わったので、取り付ける道具が変わった。DHバーに水用のジェットストリーム、一般のボトルはダウンチューブに1本、これには特製ドリンクを入れた。メダリストをレッドブルで溶かし、更にパワージェルを何本か入れた。足りない分は水を足し、甘過ぎない様にメダリストで調整した。今までの手製のポケットはDHバーには付けられず、BENTO BOXをトップチューブに付け、カーボショッツとパワージェルの入ったフラスクを入れた。あとはウェストバッグにおにぎりとぬれ煎餅。おにぎりには今はやりの塩こんぶを入れた。味はまずまずだった。

 バイクのペースは1周目の往路の高速道路終点で時速30キロ程度、後は平均で25キロ台、何とも情けない記録だった。練習で180キロを走った時よりも遅いタイムだった。脚は時折外側の筋肉がけいれんする程度、大きなトラブルは無かった。今回は風も強かった事で、メンタルな部分が大きく影響した様な気がする。最後に高速道路を降りて、残りは15キロ。そこから北上して行くので、ゴールまでは追い風に乗り、スピードが上がり気持ちがいい。多少は気持ちに余裕を持ってランに入る事ができた。

 トランジッションエリアには、やはり人影はまばら。ただ後半の方の年代のバイクラックにはあまりバイクも無いのでまだ後ろにも人は居るのだろうと少しは安心する。バイクをボランティアに預け、トランジッションに向かう。着替えテントに人はいない。しかし順位などはあまり気にならなかった。気温はあまり高い様には感じなかったが、日差しが強そうなのでアームカバーはそのまま付けて走る事にした。5本指ソックスを履くのに少々手間取る。きちんと用意したつもりだったが、左右反対にセットされていた。昨日の用意は何をしていたんだかと自分でも呆れる。緊張感の無さか。

 着替えを済ませ、トランジッションエリアを出て、再び南へと向かう。風は向かい風、風は強いが気持ちがいい。ランでもモットーは「無理をしない」。じっくりとマイペースで走ること。過去のレースから必ず後半でつぶれる事は分かっている。ゆっくりと同じペースで走り続ければ良い。私のエイジのレースナンバーは320から340番。それに該当するランナーが勢い良く抜いて行った。よくレースで会う、いつも後ろから来る速いランナーの様だった。今回は私のバイクが遅かったからか、ランで抜かれるのが早かった。見る見るうちに先に行ってしまった。彼の行方は気にしなかった。

 ランコースにはパラパラとランナーが走っている。それにペースを合わせて出だしはゆっくり無理をせず、そろりそろりといった感じで走る。エイドは2キロ毎、しばらく走ると見えてくる。置かれている物をチェックする。水、コーラ、ゲータレード、パワージェル、バナナ。必要な物は揃っていた。まずはコーラを取ってリフレッシュする。昨日コース下見でひと通りランコースも確認した。ほぼフラットで走りやすそうだった。脚の調子はまずまず、バイクで張っていた部分は特に問題は無さそうだった。ペースはほぼキロ6分、このまま行ければ十分だった。このまま行くつもりでいた。

 最初の折り返しは4.9キロ、そこを回って1キロ程走ったところで止まることになってしまった。先週月例で走った時につった場所が再びつってしまった。ゴールを目指して歩くと決めた後はただ頑張って歩くだけだった。しかし、そのままで歩き続ける事は無理だった。ふくらはぎにテーピングをして貰わないと歩けそうに無い。しかし最初のエイドに寄ってもメディカルは居なかった。日本語など勿論通じない。英語で言ってもチンプンカンプン。動作で伝えるしか無かった。2つ目のエイドには看護婦さんがいた。テーピングをして欲しいと言っても通じない。救急箱を探して貰うと包帯が出てきた。とりあえずふくらはぎを巻いて貰う。もっとたくさん巻いて欲しかったが、5cm程の幅にしか巻いてくれなかった。しかし巻かないよりは良かった。次のトランジッションエリアに向かって再び歩き出した。

 トランジッションエリアには十分な設備があるだろうと思ったが、それは過信だった。他のエイドと何も変わらなかった。まず英語が通じない。暫くしてやっと英語の分かる若い医者の卵らしき女性が出てきて、言葉は通じるようになったが、テーピングの用意は無かった。結局、巻いた包帯の上に、もう一度ふくらはぎの下から上まで全体を巻いて貰う事にした。もう20年近く前の、92年の宮古島で太ももをつってしまった時、しっかりとテーピングをして貰い、最後まで走り切った事を今でも覚えている。残念ながらそれとは違った。

 トランジッションエリアは10キロ地点。残り32キロ、まだまだ先は長かった。6キロで1時間、要所要所の目標タイムを決め、それをクリアする様に歩いた。折り返しの5キロ地点までは走ったので約30分、その後歩き始めて、ほぼ時速6キロ。ざっと計算して10時にはゴールできそうだった。それでも制限時間まで2時間余る。心に余裕を持って歩くことができた。

 塚越との差は分からなかった。しかし走り始めてすぐにすれ違った。元気に走っていた。多分この時、ジョージは既に通り過ぎていたのだろう。この間ではすれ違わなかった。私がジョージとすれ違ったのは、私が折り返しを回って来てトランジッションエリアに入って来た時だった。その時で既に14キロ以上離れていた事になる。ジョージにクランクストップが欲しいと言ったが、彼は既に使い終わってしまっていた。後は包帯で巻いて貰うしか無かった。佐々木さんとの差は約1時間くらいだろうと思っていた。予想通り私がトランジッションエリアに着く前にすれ違う。クランクストップがあるかと尋ねたが、バイクで転んだ時に無くしたと言われた。

 TAを出て、次の目標はゴール手前の折り返し。7キロ先、早ければ1時間後くらいには着く。それを目標にした。川沿いはまだ道が新しく歩き易い。広い道路を有効に使ってなるべく最短距離を歩く。市街地まで来るとそこらじゅうに人があふれている。この人達は何をやっているのだろうかなどという、奇妙な目で見られている気がした。17キロ地点、あと1周25キロが残っている。予定どおり6時過ぎに到着。あと4時間後に再びここに来る。

 私が折り返して2キロほど戻ったところで塚越とすれ違う。塚越はあと2キロでゴールだった。最初にすれ違った時よりも元気そうだった。もうすぐゴール、ハワイも近いとの想いだったのだろう。私は歩いている上では快調だった。キビキビと歩く。しかし周囲は暗くなり、ゴールに向かう選手も少なくなってきた。21キロの中間点にスペシャルがある。アミノバイタルとレッドブル。こんな状態で飲むつもりではなかったが、元気が出るだろうと両方共しっかりと飲む。

 次の目標はTA、およそ30分後、7時15分くらいになる予定。きっとこの間でジョージとすれ違っていたのだろうが分からなかった。既にひとの事は頭の中に無かった。TAは予定どおり通過、快調に歩けていた。しかし歩けば腹がすく。食べるものはバナナくらいしか無い。もう食べたくはなかったが、仕方なくバナナを食べる。

 最後の折り返しを過ぎて残りは12キロ。2時間ほどでゴールできる。最後は走ってみようかと考え始める。どこから走るか、TAを過ぎた残りの7キロか、と考える。いつ佐々木さんが来るかと思っていたが、なかなか現れなかった。すれ違ったのは、私が最後の折り返しを過ぎて、TAに向かっているあたりだった。そうなると、あとはどっちが先にゴールするかだった。

 TAには高校生達が元気に応援をしてくれている。そのパワーを貰ってゴールへ向かう。TAエリアを出て道路に出る。試しに少し走ってみる。しかしやはり左足に痛みが出る。走れない。暫く歩いた後、再び走ってみる。やはり同じ。15歩くらい走って15歩歩く。これくらいならできそうだった。痛くならないところで頑張ることにした。佐々木さんが来たのは市街地に入って川沿いの道路になってから。ゴールまであと3キロくらいのところだった。ついに追いつかれてしまった。私もゴールまで30分、やっと先も見えてきた。ゴールに続く商店街も1周目ほどの人出は無くなっていた。走りと歩きの繰り返しは変わらない。最後までしっかりと歩を進める。1周目に回った折り返し地点を右に見て通過。既に70.3のコースは閉鎖されていた。もうアイアンマンしか残っていない。

 最後に目の前に難関が待っていた。短いけれどもアーチ状の橋があった。私には大きな山のようだった。ゆっくりと少しずつ上る。下りも辛かった。しかしその先には明るくアイアンマンのゲートが輝いていた。最後くらいは走れそうだった。痛い足を我慢してゴール直前まで走る。最後はゆっくり歩いてゲートをくぐる。ゴール時刻は10時過ぎ。疲れきった体ではもう何もする気も起きず、そのままホテルへ帰るバスに乗って戻ってきた。

■3月15日(月) バイクピックアップ、アワードパーティ
 珍しくゆっくり寝ていた。やはり走ったのと比べると疲労度は少ない様だ。起き抜けに、朝ビールを飲む。やはり美味しい。朝食の後、昨日ピックアップできなかったバイクを引き取りに行く。特に難しい手続きも無く、すぐに貰って帰って来る。ホテルでは2本目のビールを飲みながらバイクのパッキング。来る時と比べると、2回目となって、やはりスムーズに作業が進む。

 アワードパーティは12時半から。日差しの熱い中で行われた。やはり参加者は300人程度。すぐに食事も提供されて、みんな楽しく食事を取る。残念ながら、惜しくも表彰対象から外れてしまったので、食事の後は街のスーパーに買い物に出掛ける。これで行事は終了。帰って来た後は、ホテルのプールでのんびり過ごす。大きなプールと温泉が気持ち良かった。

■3月16日(火) 帰国
 来た時と同じ海口から広州経由で成田行き。海口発は7時20分のフライト。やはり予想通り海口では大混乱、大混雑。出発は1時間遅れた。広州での乗り継ぎも余裕が無く、慌しい移動になった。広州からも荷物の積み込みに時間が掛かり、30分ほど出発が遅れた。広州からのフライト時間は3時間15分。沖縄と変わらない時間で楽だった。どこでもこれくらいで行けると楽なのだが。成田着は3時半頃。遅れた以外は問題も無く無事に到着した。
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ツアー代  :19万円(グッドウィル)
エントリー費: 4万円
食事・土産代: 3万円
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 合  計 :26万円


  
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