第29回横浜マラソン
第29回横浜マラソン大会
2009年11月29日(日)天候:くもり
記録:1時間25分25秒 総合147位 一般73位
距離 1キロ 5キロ スプリット
1Km 4:06
2Km 3:53 7:59
3Km 4:03 12:03
4Km 4:02 16:05
5Km 4:02 20:08 20:08
6Km 4:00 24:08
7Km 3:59 28:08
8Km 3:57 32:05
9Km 3:58 36:04
10Km 4:00 19:56 40:04
11Km 3:57 44:01
12Km 4:04 48:05
13Km 3:59 52:05
14Km 4:06 56:11
15Km 4:06 20:14 1:00:18
16Km (4:07)
17Km 8:14 (4:07) 1:08:32
18Km 4:08 1:12:41
19Km (4:05)
20Km 8:10 20:34 1:20:52
21Km 4:07 1:25:00
21.1Km 0:25 1:25:25
前日の土曜日、久しぶりに根岸に走りに行った。半年以上のブランクがあったけれども、みんな暖かく迎えてくれた。1時間ほどいつもの様に一緒に走りながら話をしていた中で、女性優勝候補のMさんの話になった。最近はうまく練習ができず、ゴールタイムは1時間25分程度だろうとの事。たぶん私もその程度で走れるだろうと思い、根岸で時おり練習していた様に、ラスト3キロあたりからペースメーカーを引き受ける事になった。もちろんこの時の話を本人は何も知らない。他人が勝手に決めて、私はその気になっていた。
フルマラソンの後でもあるので、昨年の様に頑張るつもりがある訳でもなく、自分のベストを尽くすつもりでレースに臨んだ。今年でなんと25回目の出場となった。このマラソンの事なら何でも知っているつもり。レースの準備も毎年同じ様にこなす。早めに出かけてメンバーの場所を確保して、その後は、出店をチェックして掘り出し物を買う。早めに受け付けも始まり、早々に準備も終える。
スタートは10時20分。しかしこの大会は早くに人が集まり始めるので、なるべく早めに動き出す。1時間くらい前からアップを始め、集合のかかる9時50分には着替えを済ませ、スタート地点へ向かった。今年は例年に比べ開催時期が2週間遅く、風も吹いており、やや寒かった。捨ててもいいTシャツを上に着て出掛けた。
-----スタート時、ビニール袋をかぶっている人がたくさんいた。そのうちのひとりは、ラスト2キロあたりで私を抜いて行った。その人は、かぶっていたビニール袋を、スタート時からずっと手に持って走っていた。ゴミゼロを目指す横浜市のマラソン大会にふさわしい人だった。私はスタート前にTシャツを脱ぎ、道端に捨てて行ってしまった。誰かが再利用してくれる事を願う。
徐々に人が集まり出した頃、昨日の話題の本人が女性用レーンの先頭に並んだ。いちおう昨日の話を本人にしておこうと声を掛ける。お互いに頑張りましょうという事になった。いつもの様にスタート前のセレモニー。
準備の時に誰かが言っていた。
『今年は林さんは来るかな?』
『林さんて誰?』
『横浜市長の林さんです。』
市長が変わっていた事も忘れていた。
その林さんの挨拶に始まり、しばらくセレモニーが続いた。スタートの列は一応陸連登録者の後ろに並び、先頭からは10mくらい後方、スタート時にややもたついてしまった。
10時20分、ハーフマラソンスタート。走れるようになるまで少々ロスがあったが、その後はいつもとおんなじ。走る位置も同じ様なコース取りをする。イチョウ並木を過ぎて左折--いちばん内側を走って上りに差し掛かる。道なりにカーブして右前方の橋を渡る。1キロ地点はその橋の下り坂。少々遅い4分06秒だった。10年前から比べれば、10秒以上遅い。この程度になってしまったが、スタート時のもたつきと思って気にしない。下りを利用してペースアップする。高速道路の高架下、日差しの無いところを暫く走る。2キロは3分53秒で通過、いい調子、少しはロスを取り戻した。その先、また橋を渡ってアップダウン。ベイブリッジへ向かう高速道路の高架下を通過して、産業道路に出るところに3キロ地点の表示がある。再びペースは落ちて4分03秒、暫くはこのペースが続いてしまった。
産業道路を左折して、埠頭方面へ向かう。毎年このあたりでペースが落ちてしまうので、意識して落ちないようにする。しかし4キロ、5キロと4分02秒、なかなかペースが上がらない。5キロを過ぎてから横浜港シンボルタワーをぐるりとまわる。それまで北風の向かい風だったものが追い風になり、やや暑く感じられた。追い風になったところでペースを上げない手はなく、気合いを入れて走った。そのお陰か、少しずつペースは上がった。6キロ地点の給水をしっかりと取る。7キロは突堤の中間あたり、8キロは元の産業道路に戻って、かもめ町方面に向かって行く入り口、日産自動車の前。同じペースで並走するランナーも現れ、いいペースで走れていた。しかし、自分ではこれが目一杯の様子。これがどこまで続くか疑問だった。
いつものデュアスロンのスタート位置あたりが10キロ地点。なんとか挽回して40分に近いタイム。スタートロスを考えれば、ちょうど40分くらいか。しかし、この程度のタイムしか出なくなってしまった。だが、これくらいで走っていれば、約束は果たせるだろうと思っていた。予想タイムは24分半。その先右カーブの地点で10キロの収容所。ここで沢山収容されるだろうと思いつつ、私は周りのランナーにペースを合わせて走り抜ける。やや疲れが見え始めたか、並走していたランナーから遅れをとる。まだフルマラソンの後、5日目、大腿部にも一抹の不安がある。ピクリとくる事が起きない様に慎重に走る。
かもめ町の陸橋を前にして、トップがやって来た。後続を大きく引き離し、ダントツといった感じ。気持ちがいいだろうにと思う。あちらは14キロ過ぎ、こちらは11.5キロ、3キロ-12分以上の差があった。
陸橋を下って本牧市民公園の前に出る。そろそろ折り返しも近い。折り返して来るランナーの中で、私の目標の女性がどこに居るか、それだけを気にして走り続けた。女性が1人、2人、まだ居なかった。『100m先にMさん』と沿道から声が掛かった。いつもの根岸のランナーだった。折り返しが近くなって、やっと彼女が来た。女子3位、そして私との差は100m。本来の彼女の走りではない。そしていつもの私の走りならば、十分に追い付ける距離。彼女とこんなに近かった事もない。これならラストでペースメーカーができる、そう思った。
私が折り返してからは、気合いを入れて前を追った。並走していたランナーは置き去りにして来た。毎年ここからペースアップを図っている。ここで勢いを付けて2つ目の陸橋を目指す。2回目の折り返しで少しは近づいた様に見えたが、彼女も上り坂を懸命に上って行った。私も彼女を追って14キロ地点の上りを上がる。ペースを上げているつもりだったが、ラップタイムは落ちていた。やはりここに来て疲れが出始めていた。下りでもペースは上がらない。ピンク色のゼッケンはかなり遠くに見えていた。もはやペース配分などはどうでも良く、何しろ、彼女に追いつく事だけを考えていた。しかし脚は思うように進んでくれなかった。
15キロのラップは4分06秒まで落ちた。スプリットは1時間00分18秒、確実にペースが落ちてきてしまった。15キロの先、コーナーを曲がって、その先に給水所。更にその先には往路の10キロ過ぎの関門。私のタイムからすると、既に関門が閉じられ、みんな収容バスに乗せられ始めたところ。しかし今年は引き続き走らせてくれるのか、ゼッケンのバーコードを取り上げられた上で、走りたい人はその先へのんびり進んでいた。
私の調子はかなりきつくなってきて、先の目標が無ければ、とうにペースダウンしてしまっていただろう。かもめ町の交差点を抜けていくところに16キロ地点があるはずだが、先のランナーに気を取られ、見逃した。残りは5キロ程、あっという間にここまで来てしまった感じがする。しかしペースは確実に落ちて来ていた。後ろから私を抜いて行くランナーが出始めた。その中にひとりの女性がいた。その女性に向かって、沿道から『女子4位』と声が掛かった。まずい、この女性が前に追い付いてしまえば順位が入れ替わる。3位と4位では大違い、何としてもそれだけは阻止しなければ、そう思って頭を悩ませる。目標の彼女のペースメーカーを勤めるには追い付かなければならない。私が追い付けば一緒に女性も連れて行ってしまう事になる。後ろから追い付いて来ただけに、まだまだ走れると思っていい。そんな事を考えて走っているうちに、またひとり女性が追い付いて来た。今度は山梨学院のユニフォームを着ていた。大学生だった。見た目が若く、こちらは更に元気が良かった。最初の女性を追い越し、更に先に行ってしまった。16キロを飛ばし、17キロは8分14秒、更に私のペースは落ちていた。自分では目一杯頑張っているつもりだったのだが。山梨学院の女の子に離されない様に必死で付いて行く。もう自分のペースではなく、完全に他人のペースに引っ張られている。
日産自動車の角を左に曲がって18キロ地点、残りは3キロ。このあたりから辛くなってくる。路面も硬く、脚に衝撃が伝わってくる。付いて行きたいランナーからは次第に離されていく。このあたりからは、しきりに沿道から声が掛かる。『あと3キロ』『もう少し』『頑張れ』などなど。自分の調子が良ければ都合の良い方にとらえるのだが、逆の場合もある。余計な事を言ってくれなくてもいいよとも思う。
また私の隣を抜いて行くランナーがいる。手にはビニール袋を持って走っている。スタート時にも持っていた。まさか、最後まで持って走るとは、何という奴だ。横浜市の回し者か?真面目な市民か?また、この辺で、レースナンバーがどういう意味を持っているのか、おおよそ気が付いた。私の周りを走っているのは、ほとんどが1100番台。私の番号は1172。昨年の順位がレースナンバーに付いている様だ。私より若い番号のランナーは、昨年私より速かったランナーという事だった。少しでも若い番号のランナーに勝てる様に気合いを入れる。左足が自分の足ではないように思えてきた。疲れてきて、着地のバランスが左側に片寄っている様な気がする。靴底の減り方も左の方が少しだけ多めに減っている。
残り2キロの給水所を過ぎたところで、前方の女性の順位にまた変動が起こっていた。前方50mくらいの所にピンクのレースナンバーを付けた女性が見えてきた。てっきり私の目標の女性かと思ったが、ウェアが違った。どうやら2位を走っていたランナーらしい。これでMさんは2位に上がった。最後までペースが落ちずに行ってくれればと思う。そして私の横にはまた違うランナーが現れた。違う色のナンバーを付けた一般参加の女性だった。その女性が軽快に陸連登録の女性を抜いて行く。タイム的にMさんがその女性に負けるのは悔しいが、表彰は別なので気が楽である。ああいう女性はどんどん頑張って貰いたいと思う。
残りも1キロほどとなり、もう少しと思ったところで沿道、左側から私の名を呼ぶ人がいる。仕事帰りの塚越だった。力強い応援にこちらも元気が出た。抜かれたランナーを必死で追った。目の前に橋が見えてくる。てっぺんまで上ると今年は正面に白いマリンタワーが見えた。空が曇っていて、少々くすんで見えた。私の今年の調子によるのかもしれない。橋を下って右に折れると、はるか先にフィニッシュゲートが見える。応援もたくさんいるので、力を抜くわけにもいかない。ゲートが見えているのになかなかたどり着かない。フィニッシュラインが恨めしい。前のランナーからだいぶ離されてしまった。
ゴールの100m手前に21キロ地点。一応ラップを取ってからフィニッシュする。長く辛いレースだった。まだまだハーフでゴールした女性ランナーは少なかった。その中に今日の目標のMさん、ついに追い付けなかった。練習不足とは言え、たいしたものでした。一言挨拶を交わす。レース前に、追い付いてペースメーカーをやると言った事が励みになったのだろう、追い付かれない様に頑張ったとの事だった。私は追い付けなかったけれども、それがレースの励みになったのなら、十分役目を果たしたのかもしれない。そう思って今日のレースは上々の出来、そういう事にする。
この横浜マラソンも過去の記録からワースト2。ワースト1はやや控えめに無理をしないレースをした年だった。やはり今年の2つのレースは衰えを感じさせるものとなってしまった。暫くはゆっくり休むことにする。
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