2007 Ironman New Zealand
2007年3月3日 日曜日 天候:晴れ
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11:56:39 (総合 443位/966人 男子50-54 22位/53人)
swim 1:16:29 (706位)
T1 11:44 1:28:14
bike 6:24:50 7:53:04 (628位)
T2 4:02 7:57:07
run 3:59:32 11:56:39 (211位)
ニュージーランドのタウポは素晴らしい街だった。着いた日は雲が垂れ込め、寒く、暗い感じの街かと思ったが、それは私の勘違いだった。天気も人間もとても明るかった。時おり降り出す雨に濡れることもまた気持ち良かった。タウポの街並みはそれほど大きくもなく、小ぢんまりとしていて、そして綺麗な街だった。私の経験した少ない海外のレースでも、1,2と言っていいほどの街、大会だった。
■2月27日(火)、28日(水) タウポ入り
南半球のニュージーランドは遠い。戸塚からN'EXで空港第2ターミナルへ向かう。南島のクライストチャーチ経由で着地は北島のオークランド空港。夕方6時半に成田を飛び立って、朝方クライストチャーチに到着。1時間ほどのトランジットで、オークランド着は昼過ぎ。最終目的地のタウポ迄は、更にバスで5時間以上かかる。午後7時過ぎ、ちょうど琵琶湖程の大きさのニュージーランド最大の湖、タウポ湖畔のロッジに着いた。サマータイムのため、7時を過ぎてもまだ明るい。とりあえずはお腹が空いたので、教えられたスーパーマーケットに出掛け、必要なものを買った後、食事にする。最初に見つけたタイ料理店でチャーハンの様なものを食べる。なかなか美味しかった。ロッジまで帰って来たのは10時過ぎだったか。バイクを組み立て、ひと通りの準備を済ませる。何も問題は無い。明日はもう3月。明朝、泳ぎに行くので夜更かしはしない様にする。
■3月1日(木) 登録、カーボパーティ
6時に起床。周辺の事情が良く判らないまま、7時頃ウェットスーツを持って湖に出て行く。まだ周りは薄暗かった。何人か泳いでいるのが見える。朝食の時間に間に合う様に軽く泳いですぐに戻る。水は冷たいが泳ぎやすい。水も綺麗で気持ちが良かった。朝食後の予定は、9時からバスでコースの下見、その後、大会会場でエントリーを済ませる。エキスポも数多く出展していて、バイクジャージやアイアンマングッズを手に入れる。
夕方5時45分からカーボパーティ。登録会場のテント内でやるものとばかり思っていたが、会場が変更になっていた。誰もいないので不審に思って訊ねると、かなり遠い場所に変更になっていた。知らないのは日本人ばかり。誰もきちんと案内書を読んでいなかった。会場までまだまだ先がわからない所を歩いていると、地元の親切なトライアスリートか、車に乗せてくれた。歩き疲れていた所で助けられた。肝心の食事はまずまず、他のアイアンマンのパーティと同じ様なもの。2,000人位が出席している様だった。1時間くらいの食事タイムの後、マオリ族の人達のショーが披露される。食事は、たまたま一緒になった日本人ツアーの夫婦と共にする。帰りの足は、武藤さんが用意してくれて、少々早めに戻った。部屋に帰って来てからは、こちらで買ったハム、チーズでワインを飲んで床に就く。さすがにこちらの肉、乳製品は美味しい。
天気は良くなかった。太陽は見えず、曇りか小雨が時おり降っていた。
連れのパーティチケットは、NZD 50.00。
■3月2日(金) バイク、レースギア・チェックイン、競技説明会
朝は昨日と同様に、7時前に泳ぎに出掛ける。様子も分かったので、少し遠くまで泳いでみる。昨日よりは少し水が冷たい気がした。天気は昨日より良い。上向きの様子。
昼過ぎに大会本部に出掛けて、バイク、レースギアを預ける。ヘルメットとバイクの認定を受けなければならないのを理解していなかった。どこでやるのか尋ね回ったがたらい回しにされる。結局、私が素通りしていたバイクメカニックが担当していた。その他は何も問題なく終了。その後は、娘の買い物などに付き合って、街の中をぶらつく。
夕食は少し早めに街に出掛けて、インド料理店でカレーを食べた。やはりご飯が美味しい。夕方には天気も良くなり、明日のレース当日もいい天気のもとでレースができそうな様子だった。
■3月3日(土) レース当日
起床は3時半。天気は良かった。満月に近い月も出ている。いつもと変わらぬ準備をする。朝食はロッジで用意してくれていたので心配していなかった。おにぎりを入れる様なパックに入っていたので、てっきりおにぎりかと思ったが、ご飯がいっぱい詰まっていた。ここは日本ではなかった。そんな風習は無かった。朝ご飯を食べた後、残りでバイク用のおにぎりを作る。4時半にはひととおり準備が終わる。受付開始の5時には少し早いが、出掛けて行く。受付会場には10分前に着いたが、まだ誰も来ていなかった。一番乗りだった。少しばかりためらってしまう。日本やアメリカだったらだいぶ並んでいるだろうにと思っていたのだが。
ボディへのナンバリングを済ませてからバイクのセッティング、更にスペシャルフードを預ける。こちらの準備もあっという間に終わった。雨も降っていなかったので、特別な準備は要らなかった。一度部屋に戻りひと休みする。今度はウェットを着込み、すぐにもスタートできる姿で部屋を出た。今日のために作ったウェットはいい感じだった。レース前の緊張感を持ってスタート地点を目指した。そこには既に多くの人が集まっていた。プレスイムバッグを預け、スイムエントリーゲートをくぐる。更にその先の湖に浸かってみる。昨日と同じ様な水温、長く浸かっていると寒くなってくる。2度ほどアップをしてスタートを待った。水中からのフローティングスタートになるかと思ったが、私にはそれは必要なかった。
7時ちょうど、岸に近いところから、折り返し地点を目指してスタートした。岸に平行に1800m程泳ぐ。周りに人は少なく、湖水も透明で泳ぎ易い。バトルなどは全く無い。マイペースで泳ぎ続ける事ができた。波も風もない。スイムをあまり得意としない私にとっては、最高のスイムになった。時折近くに現れるスイマーに付いて行けば良かった。折り返しまでは難無く来た。34分くらいで来てしまった様だ。気を良くしてゴールを目指した。折り返してからは、右オープンの私には太陽が目に入り、少し眩しかった。ここは南半球、太陽は東から北を通って西に向かう。帰りも気持ち良く泳げた。復路の半分も来た頃か、用を足したくなってきた。泳ぎながらトライしたがダメだった。岸に上がってからでもいいと思って泳いでいた。しかし、水の中で済ませておけば良かったと、上がってから思った。
折り返し後も順調、いつも痛くなる左肩の痛みは出てこなかった。新しいウェットは快適だった。前方にヨットが見え、白い大きなブイも視界に入ってきた。ヨットクラブハウスも見えてきて、ゴールはまもなくだった。陽も上がり、水は透き通り、岸の近くで底が良く見える。足が付く位になってから泳ぎを止める。ゴール地点の時計を見ると、15分台を指していた。自分にしては、まずまずのスイムだった。用を足したくてトイレを探す。通路の両脇には応援がたくさんいて、その辺で、と言うわけにはいかない。みんなの後を付いて走って行く。時おり日本人から声が掛かるので、それには応えて行く。バイクトランジッションまで400m程の距離がある。暫く走ったところに公衆のトイレを見つけ、駆け込む。ホッとして用を足すが、今度はなかなか止まらない。いつまで経っても止まらない。朝から水分を取りすぎたか、あるいは昨日のビールか。キリのいいところでひとまず終わらせて、コースに戻り、再び皆の後を付いて走り、最後に坂を駆け上がる。
トランジッションバッグを受け取り、テントの中で着替える。夏の様な陽気ではない。朝方なので、まだ寒い。冬用のアームウォーマーを付ける。ウェットの下にはいていたバイクパンツが濡れているので余計に寒い。スタート前にもう一度トイレへ。まだまだ出る。どれだけ溜まっていたのだろうか。もう焦っても仕方がないと思いながらバイクをスタートさせるが、なんと、10分以上もトランジッションに掛かっていた。長い距離を走らされたので、みんなこんなものだろうと思ったが、私だけだった。
トランジッションを出てタウポの街に出て行く。さすがに応援の人達で盛り上がっている。湖岸に出ていきなりいちばんの上り坂が待っている。まだまだ寒く感じられたが、天気は良かった。上り坂は1キロほど続く。それほどきついわけではないが、その後も坂が続くのでマイペースで行く。この坂で娘が応援していると言っていたのだが、居なかった。チョークで道路に応援メッセージを書くとも言っていたが、見つけられなかった。逆にこちらが行方を心配してしまった。坂のてっぺんで武藤さんらしき声の応援、姿は判らなかった。
バイクコースは片道約45キロを2往復。2回目の折り返しまでは無理しないで走る事にしていた。最後の45キロをしっかり走るつもりでいた。最初は余裕を持って走る予定。コースは下見をしていたので、おおよそ把握できていた。街を抜け、折り返しへ向かう道は平原の中だった。北海道を更に大きくした様な景色が続いていた。45キロというのはちょうどいい距離かも知れない。そろそろ折り返しだろうと思う頃に、折り返し地点のレポロアの街に着いた。アップダウンはちょうどいい具合にある。気持ちとしては、北海道のオロロンより楽だったかもしれない。補給も多く摂り過ぎだろうと思えるくらいに、気を付けて取った。―― おにぎり、ういろう、ぬれせん、パワージェル、カーボショッツ。
カーボショッツはニュージーランド製ではないかと思っていたが、アイアンマンエキスポにも出展されていず、街でもあまり見かけなかった。勘違いかな。
往復部分が30キロ以上あるコースなので、必ずすれ違いがある。トップと最初にすれ違ったのは、私とは1時間以上離れている辺りだった。このバイクコースはかなりの高速コースである。半分以上がブルホーンバーを付けている。トップもあっという間に行ってしまった。雄大な自然の中を走っているからか、あまり辛いというイメージは無かった。しかし、だからといって速いかというと、そういう事も無かった。ペース自体はいつものレースとあまり変わりない様だった。
私が折り返して、半分も行った頃には、もう2周目のトップとすれ違った。その少し前に最後尾のライダーが行ったところだった。1周目にすれ違った時には集団もいくつかあったが、トップグループもだいぶ絞られていた様だった。私が2周目に入ってからの次のすれ違いでは、谷選手の姿を確認することができた。かなり上位にいる様だった。
私が1周目を終えて、タウポの街を抜け、再び長い坂を上り終えたところで、やっと娘の姿を確認できた。パワーバーの応援シートを掲げていた。すぐにそれが娘だと分かった。そばには堀陽子さんの姿もあった。スペシャルのバッグを貰った後だったので、平坦な所で停車し、娘と言葉を交わして再びスタートした。スペシャルに入れておいたカステラが美味しかった。
2周目もそれほど頑張らない。最後の折り返しを回ってからのために少しは力を残しておく。110キロを過ぎた辺りだったか、急に足が回らなくなってきた。これで力尽きたかと思ったが、塩分不足だろうと思い、ねり梅と塩タブを積極的に摂る様にした。ねり梅はちっともしょっぱく感じなかった。それだけ塩分が不足していたのだろうか。宮古島の塩タブも美味しかった。少しでも足の動きが鈍くなると、梅と塩タブをなめた。
風はタウポの街の方から吹いていた。最後の折り返しを過ぎてからは向かい風になっていた。170キロを過ぎると、後は殆ど下り。湖のそばの街に向かって落ちていく。脚を回さなくても結構速い。次のランに備えて脚をとっておく。長年出場している田中さんのアドバイスだった。それが効いたのか、街に帰って来ても脚が良く回った。日本の大学生がたくさんいたが、かなりの数を抜き去った。
バイクゴールに入るところは、ちょうどロッジへ入っていく道、そこで娘が待っていた。声で気が付いて声援に応える。バイクではそれほど無理をしなかったためか、最後の走りには期待が持てた。トランジッションバッグを貰い、テントで着替える。ボランティアがたくさんいて、この椅子に座れと呼んでくれる。スムーズに着替えを済ませ出て行く。5本指ソックスももちろん忘れない。スタート前には日焼け対策に、サンスクリーンをスプレーして貰う。紫外線の強いニュージーランドの本場のものだけに、効きそうな気がする。
ランスタートは、まだ8時間までは過ぎていなかった。バイクがちょっと遅かったか。もう少し早いつもりだったが、仕方がない。ランを4時間で走れれば、なんとか12時間は切れる。ランのスタートゲートでタイムチェックをし、道路を横切る仮設の橋を渡って湖岸側に出る。一度ゴール方向に向かってから折り返し地点を目指す。私の目の前には、既に1周目を終えて帰って来たランナーがいた。左腕に白いヘアバンドをしている。私とは2時間違う事になる。でもまだトップはゴールして来ていない。トップの選手とは1周目の途中ですれ違った。
思い返してみると、アイアンマンのトライアスロンは2005年のハワイ以来だった。2006年は宮古島とスイムの中止になったチェジュだった。自分ではアイアンマンの距離は、11時間半くらいで完走できるだろうと思っていたのだが、それは昔の話だった。ハワイでも12時間と少しだったので、このくらいが私の今の力なのだろう。ハワイではコナウィンドは吹いていなかったし。
ランは4時間を切るしかなかった。以前ならば、出だしはキロ5分を切るくらいのペースで走ったが、それでは最後まで走りきれない。5分を少しオーバーする位で最後まで走り切れるのがベストだった。まずは途中止まらずに走り切ること、それが一番である。コースは多少アップダウンがあるものの、チェジュの様にはきつくない。湖岸の道路は気持ちが良く、上り坂も長くないので気にならない。日差しは暑いものの、蒸し暑さなどは感じない。氷も要らない。とても走りやすい。バイクでランコースの下見に来たときにはいい景色だったが、景色を楽しむ余裕は無かった。
折り返し手前に10キロ地点、54分程度で走っていた。折り返し地点は、ハワイのアリィドライブの様な住宅街の中。まずは1本目の片道10キロを終わって、2本目はタウポの街を目指す。まだまだ脚は快調、なんのトラブルも無かった。知り合いがいる訳でもなく、前方にターゲットはいない。日本人の若い大学生のペースが落ちて来ているのが目立っていた。
1周目を終えて、ゴール前に戻って来たときは、まだ2時間経っていなかった。ほぼ予定通りだった。このまま行ければ、4時間も余裕をもって切れそうだった。そのくらいで行けそうな調子だった。タウポの街に戻ってきてスペシャルを貰う。ランのバッグにもカステラを入れておいたが要らなかった。パワージェルとカーボショッツを補充した。バイクで使った塩タブもあまり用は無かった。
ゴール地点の横で水色のヘアバンドを貰う。これでもう1回まわって来ればゴールに入る事ができる。調子もまだ衰えていなかった。自分では変わらないペースで走っているつもりだった。補給も5キロ毎にジェルを摂っていた。固形物として、バナナも食べた。あとはコーラを飲んでいれば十分だった。湿度も低く、暑くはないし、走るには絶好のコンディションだったのだろう。アクシデントも無く、途中止まるような事も無く走れていた。しかし、私のペースも落ちていた。
最後の折り返しを過ぎれば、あと残りは10キロも無い。だんだん残りの距離も減ってくる。残された距離と現在の時間と走りのペースを合わせてみると、のんびり走っていてはどうも4時間は切れなそうな様子になってきた。ランの目標は4時間だった。それだけは意地だった。残り5キロあたりからは意識的にペースを上げた。だんだんペースは上がった。・・・つもりでいた。タウポの街に差しかかり、もう残りも2キロほど。前を走るランナーも速い、差が詰まらない。4時間も迫ってくる。意地でも4時間を切らなければ、という思いで必死に走る。街中に入っても、感傷に浸りながらの走りにはならない。それなりに頑張った自分に対して褒めてあげる。最後にもう少し頑張れ。3回目に通るゴール前を、やっと左に折れて、残り200m先のゴールへ向かう。4時間切りを目指した走りのため、ペースが落ちない。最後まで力を抜かない走りでフィニッシュを迎えた。
ゴール前に大きなスクリーンが設置されていた。トータル12時間を切り、ランも最後に頑張って、4時間を切ることができた。フィニッシュを迎えた元気な自分の姿がスクリーンに映し出されていた。娘がゴール付近で待っていてくれたらしい。姿は見ることができなかったが、マッサージを受けているところに来てくれて、労をねぎらってくれた。ゆっくりとマッサージを受け、軽く腹を満たして部屋に戻った。バイクゴールはロッジから程近く、落ち着いてから引き取りに出掛けた。まだまだ周りは明るかった。
□補給食
ういろう、濡れせんべい、ねり梅入りおにぎり、カーボショッツ、パワージェル、スポーツソルト、ねり梅
■3月4日(日) アワード・パーティ
朝から特別にやらなければならない事は無い。せっかくニュージーランドまで来たのだから、近くの有名な観光地に行ってみる事にした。猛スピードのモーターボートでダム湖を走り抜け、水量の多いフカ滝を見に行った。朝一番に出掛けた。他にはまだ誰もいなく、ゆっくりと楽しめた。その帰りには、大会本部に行き、リザルトを見る。総合443位、年代では22位。ハワイなど程遠かった。同じエイジで日本からの田中さんが見事4位、ハワイの権利を獲得した。11時間を切っても4位、1位は10時間を切っていた。上には上がいる。
その後は、パーティまで自由時間。お茶を飲みながら買い物などを楽しむ。パーティの前に娘がバンジージャンプをやるというので、散歩がてらみんなで出掛けた。川の水面からの高さは約50m、ジャンプ台の上に立っただけで足がすくんだ。よくまぁ、あんな所から飛ぶものだと感心した。娘は後ろから背中を押されて、見事に飛び込んだ。我が娘ながら、天晴れだった。よくやったものだ。その後は、川に流れ込む天然温泉に浸かって、パーティへと向かった。アフターレースを十分楽しむ事ができた。
連れのパーティチケット、NZD 60.00(5,000円程度かな)、やや高め。
■3月5日(月) 帰国
オークランド空港まではバスで5時間。フライトは、朝9時15分、タウポは2時半に出発する。まだ夜中。私はベッドで少し寝たが、殆どの人は寝ていない。日本人の某プロや元プロはバスに乗る直前まで飲んでいた様だ。ハワイの権利を取ってしまえば、こんな嬉しい事は無く、開放感で最後まで飲んでいたくなるだろう。
アクシデントは空港までもう少しというところのハイウェイで起こった。ツアーのバスがパンク、1時間ほど足止めとなり、出発間際の飛行機に飛び乗る事になってしまった。その後、飛行機は予定通り飛び、無事に成田に降り立った。
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エントリー費 NZD 625.00(約52,000円)
ツアー費用 約19万円
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