第21回大山登山マラソン
2006年3月12日(日)
種目:一般男子50歳代 9Km
記録:47:30 2位/300人
目標タイム
1Km 3′35″ 3′35″ 3'35"
2Km 3′59″ 7′34″ 4'00" 7'35"
3Km -′--″ --′--″ 4'05" 11'40"
4Km 8′20″ 15′55″ 4'10" 15'50"
5Km 4′35″ 20′30″ 4'25" 20'15"
6Km 4′32″ 25′02″ 4'20" 24'35"
7Km 5′13″ 30′16″ 5'00" 29'35"
8Km 7′28″ 37′45″ 7'00" 36'35"
9Km 9′44″ 47′30″ 9'10" 45'45"
前との差は3m、これなら行ける。そう思って石段をやり過ごし、平地で一気に追い付きそして前に出た。残りはあと1キロ、ついにトップに立つ。これこそ私の思い描いていた光景だった。
本日最初のスタートの50歳代。トップでゴールする者がこの大山のゴールを最初に迎えるランナーである。行ける、これならば私の思い描いていたとおり、最初にゴールを迎えられる。そう思ってトップを行った。しかし、すぐ後ろには息づかいも荒く、昨年のチャンピオンが続いていた。呼吸は私の方が落ち着いている。後ろの息は荒い。まだまだ私には余裕がある。勝ちたいと思う気持ちの強い者が勝つ。ずっとそう思っていた。その気持ちでは私が一番だと思っていた。自分がゴールする姿をイメージしていた。
大山登山マラソンはマラソンシーズンの終わりのレース。これが終わればあとはトライアスロンのシーズンが始まる。もう何年も同じ事を繰り返している。いつの頃か、大山マラソンは自分に向いている様だという事が判った。それ以来、万全の態勢でレースに臨むようになった。何度か入賞も経験してきた。それなりの結果が残せていて、年間の目標のレースのひとつになっていた。中村さんが戸塚でマッサージの仕事を再開したことを知り、今年になってから何度かお世話になっていた。2月末から鉄人デュアスロン、月例マラソンと続き、疲れの溜まった体をレースを控えた金曜日にほぐして貰った。体調は万全だった。
いつもより少し早い6時半には家を出る。今までよりスタートが20分早い分、早めに出掛けた。伊勢原に着いたのは8時少し前だった。その後の行動はいつもと変わらない。受付を済ませて、荷物を置く場所も同じ。行動パターンは全く変わらない。ただ、スタートが10時なので、毎年の様に246号線を通りバイク練習に出掛ける鉄人メンバーの出迎えはできなかった。バイク練習のメンバーが通り過ぎる頃にはアップも終えてスタートの準備に入っていた。
9時40分が会場での集合時間。そこから5分ほどの所の、スタート地点となっている伊勢原駅前へ全員で移動する。集合から移動するまでの時間があるのでゆっくり行くと、9時40分にはもうきれいに並んでいた。やはり歳をとるとせっかちになるのか、そんな事を思ってしまった。仕方なく横から少し前の方にもぐり込む。並んで暫く待っていると、列の脇から松岡さんの姿。バイク練習の途中、わざわざ寄り道して応援に来てくれていた。緊張して並んでいる所に知っている顔を見て、緊張がほぐれた。ちょうど良くリラックスすることができた。改めて頑張って走ろうという思いになった。その後暫くして駅前のスタート地点まで移動。その途中、いつも根岸で一緒の矢羽田氏にも出会った。予想ゴールタイムなどを聞いておよそのレベルを聞き出す。やはり私のタイムならば充分優勝のチャンスはありそうだった。
10時ちょうど、予定通りにスタート。気象条件も良く、絶好のレース日和だった。受付会場で吹き荒れていた風も、スタート地点では全く問題無かった。前日に各ラップの予定タイムを決めていた。昨年、一昨年の私のタイムを基に、おおよそ走れそうなラップをはじき出した。ゴールタイムは45′45″、昨年の優勝タイムを大きく上回っていた。
スタートから1キロ地点はちょうど246号線の交差点、どこかに応援の松岡さんなどが居るかと思ったが、見つけられなかった。1キロは3′35″、予定通りのタイムだった。気を良くして先行するランナーを追う。集団はそれほど多くない。私の前には5人ほど。さすがに40歳代とは違って、ペースもそれほど速くない。トップグループになんとか付いて行く事ができる。交差点を越えてしばらくして、街並みから外れ、山に向かって上り始める。東名高速ガード手前が2キロ地点。この辺までは、どこに距離表示があるかも良く憶えている。2キロは3′59″。ここでも予定の4′00″を上回った。更に気を良くして走る。だんだん勾配がきつくなってくる。集団もばらけてきて、スタート時に無理をしていた様なランナーはふるい落とされた。私の前には4人、周りに2人ほどがいる。
いつも大山の時期になると思い出す人がいる。同じトライアスリートの先輩、角野氏である。そろそろ還暦に近いというのにまだまだ元気。私とは10歳近く離れているので、さすがに最近ではタイムでは勝たせて貰っている。以前にはそんな事は有り得なかった。これも年齢には勝てないという事で、仕方のない事。その角野氏が私の隣を走っている。同じ50歳代になって、再び一緒に走ることになった。ダイナミックなフォーム、まだまだ速い。頭が下がる思いである。しかし感心ばかりしていられない。勝負しているからには勝たねばならない。
競り合っているうちに、3キロ地点は見逃していた。某精密機械メーカーの研修センターの案内が出ている。大山名物の豆腐を使ったお菓子屋さんがある。毎年変わらない風景が見られる。年に1回、懐かしく感じられる。いつも同じ様な想いをしながら走っている。所々にちょっと急な坂が現れる。これの繰り返しで少しずつダメージが加わり、だんだん前のランナーが落ちてくるのだが、やはり走りに自信のあるランナーが前を走っているからか、なかなか落ちてこない。しかし、前のほうで順位の入れ替わりがあるのは見えている。きつくなったランナーが落ちて来るのも時間の問題だろうと思っていた。昨年の優勝タイムは46′20″ほど。2位は2分以上離れていた。昨年の私の記録は46分と少し。同じ走りができれば、十分トップ争いができるだろうと思っていた。このコースは普通のマラソンコースではないので、やはり経験者の方が強い。前半で飛ばし過ぎたランナーは皆順位を下げていく。
6キロ辺りまではまだまだ普通のコースにも有る様な坂。しかし、それを過ぎるとなかなかどこにでもあるようではない坂が現れる。小さな急坂の繰り返しでジャブが効いてきていて、そこへ大きなストレートパンチといったところ。ほとんどがここで落ちていく。私の周りにいたランナーはいつの間にかいなくなっていた。そして前のランナーも抜き去るまでには至らなかったが、直ぐ目の前に来ていた。トップも射程圏内に捉えていた。
7キロ地点は30′16″。予定では29′35″で通過するつもりだった。予定より40秒ほど遅れていた。5キロ、6キロ、7キロ地点でそれぞれ10秒ずつ予定のラップから遅れてしまっていた。受付会場では春の嵐の様な風が吹き荒れていたが、コース上ではほぼ追い風という感覚だった。かなり早い時期から喉が渇いていた。私設のエイドがあったので、水を取ろうとしたが最初は失敗、2回目でなんとか取れて、喉を潤すことができた。スタート前、風を心配してどの様なレース展開をするのが良いか考えていたが、走り出してからは風の影響は感じられなかったので、何も考えずただ前を追っていた。
7キロを過ぎ、バスターミナルを通過すると山に取り付く。まず急激な坂道が現れ、石段が続く。ここからが大山の始まりである。この2キロで全てが決まってしまう。石段は必ず一段抜かしで上ること、今までの経験則からこれは必須である。さっそく前のランナーを捉える。並走するランナーは一段ずつ、これではダメで、徐々に離れていく。あとは前に3人。そのうち2人は直ぐ前にいる。これも土産物店の店先でさっとかわす。私の事を知っているランナーなのか、「トップに届くぞ」とはっぱを掛けてくれた。これが大きな励みになった。あとは20mほど先に一人いるだけだった。石段の上り方を見る限り、私の方が良さそうだった。これならば行ける、そう確信した。残りは1.5キロ程だった。
トップとの差は徐々に詰まっていた。石段ではなかなか詰まらないが、平地で頑張るとすぐに差が詰まっていく。少し平地の続くところで、一気にすぐ後ろに付いた。そして次の平地で前に出た。ついにトップに立てた。私の思い描いていた光景だった。後ろの息づかいはかなり荒い。私の方がだいぶ余裕がある感じである。これなら最後まで行けそうだ。そんな風に思えた。もう残りは1キロを切っていた。残すは山の石段だけ。卑怯な手だが、後ろからのコースをうまく遮って行けば勝てそうだった。少しでも先にゴールすれば優勝である。そんな事を考えていた。
そんな考えが間違っていたのか、あと500mという表示が見えてから途端に両足ふくらはぎに痙攣がきた。1回、2回、ピクピクときた。かなりまずい状態だった。後ろはぴったりと付いて来ている。なんとか攣らない様に走るしかなかった。そしてトップ争いをする中、そんな中途半端な走りは通用しなかった。後ろのランナーはペースが落ちたと見たのか、さっと私をかわして行った。必死に着いて行こうとするが、もはや彼の相手ではなかった。見る見るうちに離されてしまった。もうそろそろ、最後の上り、と思う頃にはひとつ上の石段に取り付いていた。こちらはなんとか攣らない様に石段を上るのが精一杯だった。最後は後ろからのランナーに抜かれる事が心配だった。2位だけは確保したかった。ゴール直前の石段で横から声を掛けられた。神戸にいる筈の関谷さんがそこにいた。最後は関谷さんの応援に励まされ、なんとか2位でゴールを迎えた。すぐ後ろには3位が来ていた。残念だったが、2位に終わってしまった。
脚は今にも攣りそう。2位の札を首に下げて貰い、そのまま近くのベンチに腰を下ろした。暫くは両脚が今にも攣りそうな状態だった。ゴールしたランナーに話を聞いた。3位は初めて参加との事。平地ではかなりのスピードでずっと私の前を走っていたが、やはり山は経験が必要という事だろう。また、トップの話には驚かされた。今年の優勝タイムは昨年よりだいぶ遅かった。それを尋ねると、時計など気にしないとの事。タイムなど関係なく、勝ちすれば良いという事だろう。私は考えた事の無い答えだった。勝った事のある者は勝ち方を知っているという事だろう。タイムだけ気にしていても勝てないという事だろうか。着替え中に聞いた話では、彼は山のぼりのレースを好んで走っているようだ。丹沢山中を走るようなレースに出ている様だった。まさにランナーだった。こちらは全く相反する様なランナーである。山中のレースはこれしか走らない。しかし、トライアスリートとしてのバイク練習が大いに役立っている。来年のレースでは、今年のレースをいい経験に、トライアスリートとして是非勝ちたいと思った。来年はトライアスリートが優勝だ。
目標は優勝、今年の私にはそれしか無かった。それ以外は考えていなかった。それ故、2位という位置は全く嬉しくなかった。私にとっては屈辱的な位置だった。優勝しか私には無かった。一年間思い描いていた光景を簡単に手放してしまった。来年は是非手に入れたいと思う。失敗があれば、勝利を手にした時の喜びは更に大きいと思う。
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