2006 Ironman Korea
2006年8月27日 日曜日 天候:くもり時々雨のち晴れ
種目:Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11:00:23 (総合 194位/935人 男子50-54 8位/70人)
bike 6:22:52 (329位)
T2 4:21 7:57:07
run 4:33:11 11:00:23(162位)
チェジュは暑い、いつ来ても暑い。今年のランも暑かった。もうこの大会とも暫くはお別れしよう、そんな事を思わせてしまう暑さだった。
レースの朝は普通に準備して、いつものようにホテルを出る。朝起きたときにスコールが降ったが、一時的なものだろう思っていた。また、風が吹いていたのが少し気になった。5時過ぎ、当日の登録とバイクの準備に出掛けて行く。6時15分頃、2回目、全ての準備を整え、ホテルからスイム会場に下りて行く。この時はまだ何も問題は無い。バイクの準備は全て終わっているので、ゴール後に貰う荷物を預けて、トランジッションエリアから更にスイム会場へと下って行く。海を見ると、やや波があるかなぁという感じ。まだ誰もスイムに関して疑問を感じていない。
6時45分頃、海岸のスタート地点の右側の方へ移動して行く。結構波がある。昨日の夕方泳いだ時よりも更に有るようだった。ちょっと波がきついけど、なんとかなるだろうという感じだ。波の高いなかへアップのつもりで泳ぎ出す。なかなかいい波だった。サーフィンにはいい波だろう。沖に向かって泳いでいるつもりだったが、ほとんど沖に出ていなかった。波に押し戻されてしまっていた。とりあえず波の中でアップも済んだので岸に戻る。岸からは10m程しか離れていなかった。岸に向かうときは速い、あっという間。TJに書いてあった「ボディサーフィン」であっという間に岸に着く。
スタートまであと5分程という頃、ぽつりぽつりと雨が落ちてきた。風は相変わらず強い。そのうちにスコールになった。瞬く間に視界が無くなる。沖にいた船も見えなくなった。更に稲妻が光り、雷鳴も響き出した。もはや、このまま予定どおりスイムが行われるだろうと思う人はいなくなった。みんな沖を見つめている。時計を見ると既にスタート時間を10分も過ぎていた。岸にいたカヌーが必死で沖に出ようとするのだが、いつまでたっても出て行けず、岸で波にもてあそばれていた。そのうちに、スタート地点左側の人たちがバイクトランジッションの方へ、スロープを歩き出していた。スイムはキャンセル、バイクのスタートは8時ということだった。
バイク用のトランジッションバッグをピックアップし、まずはバイクウェアに着替える。スタートは8時から、ゼッケン順に2人ずつとのこと。私のスタートは8時40分頃の予定。塚越、松岡、広田も戻って来て、暫くは雨をしのぎながらのんびりする。お腹も空いてきたので、水分補給とバナナで腹ごしらえ、バイクスタートに備えた。雨の中、デュアスロンとなった2006アイアンマン・コリアは始まった。
バイクは特に考える事など無い。ただ練習どおりに乗るだけ。いつものとおりに乗れればいいところまで行くだろうと考えていた。気負いも恐れも何もなかった。それなりに自信は持っていた。昨年は初盤から中盤のあたりで調子が下がり、思うような力が発揮できなかった。今年は昨年の様にはならない様にと、そういう思いでいた。補給食などもきっちり摂った。ほぼ予定どおりに走れていた。雨は所々降るだけ。陽も出ていない。バイクに乗るには絶好のコンディションだった。ただ所々の濡れた路面が気になった。スリップにも気を付けなければならなかった。
初盤から中盤はまずまず、足も良く回っていた。スピードもほぼ自分の思うとおり出ていた。40キロ地点あたりだったか、昨年ハワイに一緒に行ったN氏が後ろから追い付いて来た。ゼッケンも私より前なので、先に行っているはず。聞くとパンクとの事、雨のせいだろうか。もともとバイクは私より速いので、先行する。ただ体が大きいので、上りは苦手に見えた。常に私の前方を走っていた。いい目標ができた。
90キロにはスペシャルのエイドステーションがある。それを前にして、やっと我が鉄人クラブのタロウ選手に追い付く。黄色いクラブのユニフォームを着ていた。声を掛けて抜く。私はスペシャルを預けていたので、ひと休み。ここで用も足す。スペシャルの中身はどら焼き、もなか、それに初めて飲む天然アミノ酸入りのゼリー。しかし全て半分くらい食べて捨ててしまった。でも、もなかは意外においしかった。口の中がパサパサになってしまったが。時計を見ると、まだ3時間の少し前、まずまずのタイム。残り半分も期待が持てた。気合いを入れ替えて走り出すと、再び前方にタロウ選手。一緒に止まれば食料を分けてあげたのに、と思うが。お尻を触って再びパスする。
激坂は100キロも過ぎた頃か。とりあえずは、最初の難関のこの坂をパスしなければ次に進めない。こんなに長かったかなぁ、こんなにきつかったかなぁという思い。仕方ないので蛇行しながら登って行く。これなら多少距離が延びるがそれほど辛くもない。バイクを降りて上っている人もちらほら見える。ここから先、本格的に山岳コースが始まる。この先は無理もできず、マイペース。N選手は先に行ってしまってもう見えない。少々辛くもなってきた。雨も時折激しく降る。前が見えなくなることもしばしば。少し弱気にもなる。路上に水が溜まり、その中を走っていく始末。ゴール後にはホイールの中に、水が溜まっていた。これだけ降ればそれも仕方がないか。
今年は眠くなる事は無かった。しかし山岳区間に入ってからが辛かった。少しずつペースが落ちていた。後ろから少しずつ抜かれていた。昨年の様な我慢のレースが暫く続いた。バイクには高低差のグラフを貼り付けていた。130キロ地点が最高地点だった。見憶えのある景色で、このあたりか?と思いもしたが、まだまだ先だった。130キロ地点の表示があってから、やっと下り基調に変わる。雨も降っているので、あまり無理はできないが、極力DHポジションで抵抗を少なくした。高低表では、160キロあたりにもうひとつ山がある。そういうイメージは無かったのだが、明らかに上りになっている。
最高地点から10キロほどの坂を下りきると、雨が降ったような形跡はほとんど無かった。雨は山間部と島の東側で降っていた。ラスト20キロ地点からの緩やかな上りは辛く、スピードも上がらない。ここもじっと耐えながらのレース。そして、残り10キロあたりからはハイウェイ、ここでスコールに見舞われる。下りのコースでは速いのだが、雨が顔に当たって痛いし、視界も悪い。最悪のコンディションに当たってしまった。見慣れたコースに出てきて、ランナーの横を通り過ぎる。サッカースタジアムが見えて、なんとか180キロのバイクが終了。辛くてバイクシューズを脱ぐのを忘れてしまった。仕方なくペダルからシューズを外してバイクを降りる。やっとバイクが終了した。
バイクをボランティアに手渡し、トランジッションバッグを貰って着替えのテントの中に入る。中は人でいっぱいだった。人をかき分けて奥に入り椅子に座る。ランシャツに着替え、ラン用のウェストバッグを付けて最後に5本指ソックスを履く。どんな調子となるか不安があったが、テントを出て走り出す。その前に、エイドでコーラを飲んでエネルギー補給。走り出しは意外にも良く走れていた。西側の2回目の折り返し地点、8キロあたりまでは快調、いい調子だった。折り返しまでに同じエイジの人数を数えながら走る。分かるかぎりで6~7人は居たようだ。ハワイにはだいぶ遠かった。コリアンもアメリカンもいた。昨年、バイクで先行されランで競り合ったN氏は、やはり前にいた。塚越とは15分くらい開いていた。西側の折り返しに向かっている時は、調子は良かったのだが、折り返してからが悪かった。風が西から吹いて追い風となっていた。日差しも強くなっていた。背中が照らされ走っても前から風が感じられない。極端にペースが落ちてしまった。長い上り坂も辛い。昨年の1周目は1°10′くらいで走れていたが、今年は1°20′も掛かってしまった。2周目に入っても暑さは変わらない。しかし西に向かっているときは、前から風が吹いて来ているので、逆向きよりも走れていた。
1周目、やすこ選手とすれ違った時、彼女は歩いていた。彼女は1周終わったあたりだったか。2周目では元気に走っていた。彼女とは1時間くらい離れていたのだろう。松岡とは私が2周目ですれ違った。松岡は下り坂だったせいか、元気に走っていた。次にすれ違ったのも同じ様な場所だった。2人とも同じ様なペースだったという事だ。タロウ選手とは彼のバイクの終わりですれ違った様な気がする。あまり記憶に残っていない。塚越とは徐々に差が開いていた様だ。2周目は本当に辛かった。
4回目の折り返しを回ってやっと半分、そこで預けていたスペシャルを取った。アミノバイタルゼリーと栄養ドリンク、両方ともあまりおいしくはなかった。しかし、元気を出すためと思って我慢して飲んだ。ランでは固形物はほとんど取らなかった。コーラと水だけで通した。あとはカーボショッツを2個ほど。なんとかそれで体力はもっていた。暑さと疲れで食べる気力など無かった。3周目になると、日も傾き、だいぶ涼しくなっていた。西風も少し弱まっていた。6回目の折り返しを過ぎれば、あとはゴールに入るだけだった。前から風も感じる様になってきた。ペースも少しずつ上がった様だった。だんだん調子も上がり、前を走っていたランナーに追い付き、しばらく併走した。残り1キロ地点あたりからは、更に勢い付いてペースが上がり、併走のランナーを振りきり、ひとり気持ち良くゴールのスタジアムを目指した。
ゴール近くなってもペースは落ちなかった。このままゴールしても良いものかと思ったが、勢いが止まらなかった。道路から右折して、スタジアム前に気持ち良くゴールイン。体はかなり辛かった。手元の時計を見ると11時間を少しだけ切っていた。火照った体に頭から水をかけられ、気持ちが良かった。ひと休みした後は、お約束の点滴、しばらく横になって点滴を受ける。体には冷えたタオルを掛けて貰い、気持ちが良かった。今年は点滴があっという間に終わり、体もずいぶん楽になった。軽い食事が出たがスープだけしか食べられなかった。冷たくて甘いアイスクリームがおいしかった。しばらくのんびりして気持ちも体も落ち着き、成績を見に行ってみると、エイジで9位。上位3人がコリアン、次にアメリカン、そして日本人が続き、その後に私だった。ちょっとハワイには遠いか、そんな感じがした。
バイクと荷物をピックアップしホテルに戻る準備をした。私のバイクの荷物を入れたトランジッションバッグが見つからなかったが、たまたま近くにいた私たちのツアーガイドさんに連絡を頼んで、そのまま帰ることにした。そろそろ帰る時間になろうかという頃、松岡のゴールアナウンス。本人は帰りのバスの時間が近づいていたので、そのまま帰るつもりでいたらしい。たまたま私と顔を合わせ、ゴールしたそのままの状態でバイクと荷物を引き取り、ホテル行きのバスに乗った。ホテルに着いてからは何もできなかった。とりあえず冷えたビールと日本から持ってきたカップヌードル、それだけあれば十分だった。長かった一日も終わった。
8月25日(金)
■出発 9:45(成田~チェジュ)、選手登録、ウェルカム・パーティ
チェジュ行きは昨年と同じ直行便。5時半の成田空港行き快速で空港まで電車1本、2時間少々。娘に手伝って貰い、バイクケースを駅まで運ぶ。電車に乗ってしまえば空港まで一直線。8時少し前に空港着。同行の松岡、塚越、広田と合流する。特に問題なし。成田の通関も厳しくなく、難無くパスする。チェジュには12時半頃到着。用意されたバスで受付会場のwcsへ。すぐ隣にできたスーパーで買い出ししてホテルにチェックイン。6時からiccにてカーボパーティ。バイクを組み立てたが、シートポストのクランプをねじ切ってしまった。早速、小美野さんに頼って解決。
8月26日(土)
■選手説明会、バイク・チェックイン
10時から競技説明会。iccまで再びバス。昼はホテル近くのレストランで冷麺。3時過ぎにバイクを預けに行く。到着したところでスコール。バイクのオイルは全部流れてしまった。明日の朝、オイルを塗る事にする。バイクを預けた後、軽くひと泳ぎ。夕食はいつもの焼肉屋。おいしかった。すね毛を剃って早めに寝る。
8月27日(日)
■レース当日
8時33分、レーススタート、19時34分、フィニッシュ。
8月28日(月)
■ハワイ登録、アワード・パーティ
一縷の望みを持って、ハワイスロットのロールダウン会場へ。発表が予定より30分くらい遅れたが、みんな静かに待っている。残ったスロットを期待するが、残念ながら私のエイジではひとつも次に回ってこなかった。これで今年のトライアスロンは終わった。近くのスーパーまで買い出しに出掛け、昼はビールと焼き肉。これだけで十分だった。6時からロッテホテルにてアワード・パーティ。これで今年のアイアンマンの行事は終了した。
8月29日(火)
■帰国 18:05(チェジュ~成田)
帰国の日、帰りも直行便。ホテルでのんびりと過ごす。少々時間を持て余した。帰りは6時過ぎの成田行き。8時半頃に成田着。戸塚の自宅に着いたのは12時近かった。
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