2005 Ironman Korea
2005年8月28日 日曜日
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11:30:45 (総合 125位/797人 男子50-54歳 4位/56人)
swim 1:10:12 (244/11)
T1 (7:00)
bike 6:25:51 (218/10) 7:36:03
T2 (3:14)
run 3:54:43 (91/3) 11:30:45
8月25日(木)
■出発前日
チェジュへの出発を明日に控え、気分はもうチェジュ島へ、仕事も半分上の空。そんなところへ台風接近、関東地方を直撃の予報。飛行機の出発が懸念されるが、じたばたしても始まらない。
夜中まで強い風と雨が吹き荒れる。早々に床に就くが、なかなか寝付かれない。
8月26日(金)
■出発 9:45(成田~チェジュ)、選手登録、ウェルカム・パーティ
4時半、目が覚める。雨が降っているが、それほどひどい雨ではない。電車も問題なく走っているようだ。成田まで行ければあとは天に任せるしかない。
空港行きの一番電車に乗って成田に向かう。同行の安川、佐藤は車内で落ち合う。台風の影響で電車が少し遅れたが、何も問題は無かった。成田空港で先に送ったバイクを受け取り、そのままフライトのチェックイン。家を出たのが5時、8時にはチェックイン終了、楽な旅になりそうな予感がする。
飛行機の出発は予定通り9:45。空港には台風などものともしない人達がたくさん来ている。ビルの外は台風の真ん中にいるためか、穏やかなものだった。出国手続きのあと、しばらくのんびりして飛行機に乗り込む。同じ鉄人の塚越、田中夫妻ともここでやっと顔を合わせた。皆さん元気そうである。まだまだここでは旅行気分
―――(ただ今チェジュ島へのフライト中)―――
―――(今は帰りの飛行機の中)―――
チェジュに到着の後は、途中、スーパーで買い物をしてからそのまま受付会場のスタジアムへ。選手登録を済ませる。その後、ホテルにチェックイン。今日のスケジュールは、6時からロッテホテル近くのハイアットホテルにて、ウェルカム・パーティの予定。少し早めに出掛ける。ホテルまでは歩いて10分ほど、坂を下っていく。しかし、会場に着いても出掛けてくる人があまり見えない。会場ではパーティの準備を進めている。6時を過ぎても始まる気配は無かった。話を聞くと、7時からとのこと。事前に貰っていた案内からは1時間遅くなっていた。1時間以上待たされ、7時過ぎにやっとパーティが始まった。以前何度か根岸で一緒に練習した小学校の先生の遠藤さんと、偶然に会場で出会った。その後一緒に行動を共にする。終了後はいつものように遅くまで、ホテルの部屋でトライアスロン談義に話が弾んだ。
8月27日(土)
■選手説明会、バイク・チェックイン
今日の仕事は、朝10時からWCS(ワールドカップ・サッカースタジアム)にて日本語での選手説明会。そしてゼッケン順で、3時以降からのバイク・チェックイン。
9時半にツアーのバスでWCSへ。説明会の前に、私が事前にインターネット上で当選の分かっていたPolarのハートレイトモニタを頂いた。説明会では特に問題は無かった。ランの周回数が昨年の2回から3回に変わっていた程度だった。ゆるやかな長い上り坂はコースから外れていた。午後からのバイク・チェックインでも特に問題は無かった。
夕食は近くの焼肉レストランへ。適度なビールと焼肉、ビビンバで腹を満たした。9時前には既に床に就いていた。明日の天気にも不安は無かった。
8月28日(日)
■レース当日(7:00~)
8月29日(月)
■ハワイ登録、アワード・パーティ
いまこれを書いているのは、アワード・パーティも終了したところ。日付も30日に変わっている。レースも無事終了した。なんとか念願の、そして目標だったハワイへの出場権を得た日の夜、とりあえずは満足している。しかし、人間の欲望とは限りないもので、ひとつの目標がクリアされればまだ自分の手に無いものを欲しがるもの……。
レースの結果は既に承知のとおり、11時間30分、年代別で4位。エイジのハワイスロットは3つ。レース終了時には、3位入賞も逃し、ハワイの権利も手に入っていなかった。しかし、レース終了直後に分かったところでは、2位入賞の人がハワイには行けないらしいということ。本人の口から直接聞いた。これはかなりの確率で真実に近い。しかし、ハワイエントリーのその現場で登録を済ませるまでは分からない。今朝のハワイエントリーが待ち遠しかった。そして今朝10時、昨日の話が本当になった。そしてなんと、エイジのロールダウンは2つ、私の次の5位までハワイの権利が渡った。
今朝、レース終了後の翌朝、いつものように目が覚めるのが早い。バイクなどの片付けも急いですることも無く、しばらくのんびりする。10時近くなって、近くのハイアットホテルへロールダウンの確認に出掛けた。喜びのハワイ権利獲得、田中夫妻、塚越さんにはいろいろお世話になった。
昼食は待望の焼肉、満足のいくまで腹に収めた。その後はホテルのプールでのんびり満喫する。そして夕方に、同じくハイアットホテルで行われたアワード・パーティに出掛けた。すべての行事はこれで終了した。日本を出る前から目標としていたハワイの権利を得て、喜びの一日だった。
8月30日(火)
■帰国 15:10(チェジュ~プサン)、18:25(プサン~成田)
もう今日は帰国の日。帰り仕度をした後は、再びホテルのプールでのんびりとする。ずっとこのままのんびりしていたい気分だった。12時にホテルに迎えのバスが来た。ロッテホテルを出発、日本へ帰国の途についた。
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ツアー代 :¥110,000(三人部屋)
エントリー代 : $350.00
ハワイエントリー代 : $450.00(W495,000)
土産 : ¥10,000
食事、交通費、小遣い: ¥20,000(国内外)
合計:¥140,000+$800.00
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===== レース状況 =====
8月28日(日)
■レース当日(7:00~)
3時半起床。ここのところずっと天気は良く、今日も天気の心配は無さそうだった。外はまだ暗い。同部屋の佐藤、安川も起き出して準備を始める。朝食はアルファ米の赤飯、これはお湯を注いで20分で赤飯の出来上がり。あとはこちらで買ったパンでお腹が一杯。残った赤飯でバイク用のおにぎりを作る。
5時から受付開始。それに合わせてホテルを出て、早めにレース準備を済ませる。ボトル、空気圧、おにぎりをセット、その程度で終わり。準備を済ませて、一度ホテルへと戻った。6時20分、今度はスタートの準備をして会場に向かう。既に明るくなっていて、天気も海のコンディションも良さそうだった。ただし、昨日泳いだ時に見たクラゲだけが心配だった。スイムコースは野球のホームベース型。それを時計回りに回る。そのため、スタート時は左側がかなり混んでいた。プロはすべて左側にいた。最初、私も最短距離の場所にいたが、あまりにも人が多いため、方針を変え、人の少ない一番右側のコースロープ沿いに移動した。
私の時計で7時02分、スタートの合図が鳴った。あまり人のいないところ、バトルも少ないところを泳ぐ。そして、更に接触を避けるため、ブイの内側に入った。その後は気持ち良く、快適なスイムができた。波もほとんど無く、水も透き通っていて気持ちが良かった。1周目の終わりの直線部分に来てクラゲが現れた。刺されないようにと願うしかなかった。そろそろ1周目も終わりという頃、ウェットの背中に変化が起きた。少しずつ水が入って来るような感じがした。そして、岸まで数10mというところで、完全に後ろが開いてしまった。なんとかそのまま泳ぎ切り、岸に上ってから、そこにいたオフィシャルにファスナーを閉め直して貰った。水を一杯もらって2周目に向かった。1周目は35分。2周目もこのペースで行ければ、と思った。2周目も同じコースを取った。今度もバトルなど全くなく、気持ち良く泳げた。やはり日頃の練習の成果だろうか、最後まで同じペースを維持できた。練習仲間のみんなに感謝。タイムは1時間10分を過ぎたところ、上出来だった。
海から上ったところでウェットのファスナーを下ろしてくれた。砂浜にタイムチェックポイントがあり、その後しばらく砂浜を走らされた。100m近く走っただろうか。シャワーの下でウェットを脱ぐ。そこからバイクまでの上りがまたきつい。上りきったところでバイクバッグを貰い着替える。脱ぐ物はないので、テント前の芝生の上で着替えを済ませてしまった。ウェットを預けてバイクへ向かう。私のバイクの隣は強豪のN氏、既にバイクは無かった。しかし、私の調子も上々、気持ち良く走り出す。
何日か前のメールで、Scott Tinley の文章を読んだ。『心拍数を5%上げなさい。そうすれば、今までにない結果が得られるだろう』と。それを実行してみようと思った。少し心拍数を上げて走っていた。コースは最初のうちはフラットのはずだった。そう思っていた。しかし、平坦なところは殆ど無かった。常に上っているか、下っているかだった。2年前の記憶は全くあてにならなかった。いい加減なものだ。およそ15キロ地点は、以前の大会ではランコースの折り返し。その手前で前方に見覚えのあるバイクジャージ、ヨーコさんだった。その後ろに一人の男性。抜いてから気が付いたが、亭主だった。二人に声を掛けて先に行く。
バイクは気持ち良く走れていた。補給も注意しながら早めに取っていた。バイクは春合宿での宮塚さんからの教えを守って、フォームに気を付けながら乗った。更に、西湖での走りを思い出しながら、いい感覚を保っていた。問題は何も無いようだった。しかし40キロ、1時間と少し走ってからだろうか、何となく走りにキレが無くなって来たような感じがしていた。補給は問題無いだろうと思っていた。それくらいは最初から気を付けていた。60キロあたりか、海岸線を走る頃は向かい風になっていた。なかなかペースは上がらない。後ろから抜かれても前に付いて行くことができず、ズルズルと離れていった。じっと我慢するしかなかった。おかしいとは思いながらも、どうしたら良いか分からなかった。
何度か左折しながら、それまで東に向かっていたものが、西に向かうようになった。山道に入って行った。それまで向かい風だったので、追い風になるかと思ったが、変わった気はしなかった。少しずつ山を上り始めていた。道路も完全に片側一車線になっていた。少しコースが狭くなった。コースとは逆に、調子はだんだん下がり始めた。上りではなんとか上れるものの、平地では走れなくなっていた。以前、ジャパンでも同じ様な事があった。これは回復を待って、じっと耐えるしかなかった。いつかは回復すると思いながら。じっと我慢の走りが続いた。まわりのバイクに離されないように付いて行くしかない。前を引くなどという事は一切無かった。そしてついに安川が追い付いて来た。今回の私のスイムでは、前にいるのは、たぶん塚越、田中だろうと思っていた。田中は既に抜いていたので、前に居るのは塚越、そして安川はだいぶ後ろだろうと思っていた。その安川に追い付かれてしまった。更に、同じエイジのゼッケンがすぐ後ろに付いていた。一度に二人にも抜かれてしまっては、ハワイが遠のいてしまう。何としても追い付かなければならなかった。
安川の後ろを、離されないように、懸命に追った。しかし、思いとは裏腹に、少しずつだが離されていく。上りではなんとか頑張れるものの、平地になるとスピードが上がらない。上りは立ち漕ぎで凌ぐ。
そのうちに90キロを過ぎる。見覚えのある景色、スペシャル・フード・ポイントへ来た。元気の出ない今、これに頼るしかない。用意した中身はこちらで買ったヨーグルトゼリー。それとチェジュ名産のみかん。これで元気を取り戻せれば、と思った。自分のバッグの場所から行き過ぎてしまったが、戻れば良かった。立ち止まったら、ボランティアが持って来てくれた。ゼリーはその場で食べた。暖まってしまっていた。みかんは走りながらでも食べられるので、背中のポケットに入れて走り出した。前方を見ると100mくらい先に安川もいた。止まって待ってくれていたのかと思った。後から聞いたところでは、用を足していたらしい。その安川の姿を見てホッとした。目標が前にいてくれていた。離されても仕方ない。しかし前に安川がいると思って追うしかなかった。難所の激坂では立ち止まらずになんとか上りきれた。しかし、半分くらいは立ち漕ぎでしか上れなかった。長く辛い坂だった。
左側を見ると、下の方に海が見えるような所まで上ってきていた。アップダウンの繰り返しの様な道路も、終わるところを知らなかった。何キロ地点のエイドだろうか、ついにたまらずに止まった。トイレもあった。トイレに行って気分を変えてみた。たっぷり水を補給して残りの距離に備えた。そろそろコースも下り気味になってきた。下りが長いのは覚えていた。それを利用して勢いをつけるしかなかった。それに掛けた。前回参加したときは下りで少しずつ抜かれ、順位を落としていた。今年はバイクを変え、宮塚理論にも従い、遅れていくイメージは最初から持っていなかった。だんだんいいイメージで走れるようになってきていた。何となく復活の兆候があった。下りから平地になっても走れるようになっていた。踏み込む脚にも力が入ってきた。まだ40キロは残っている。これから頑張れば今までのロスはまだまだ取り戻せるだろうと思った。
そんな折、今度はスピードメーターが“0”になっている。距離は149Kmを指している。下りでメーターのセンサーが緩んでしまったのだろうか。最初は手で直そうとしてみた。ツール・ド・フランスでもメカニックが同じ様な事をやっていた。それを思い出した。しかしとんでもない。手がスポークに当たってはね返された。怪我をしないだけ良かったと思った。今度はペダルから足を外して、つま先でやってみた。一度はスピードが表示されたが、すぐにまた“0”に戻ってしまった。もう一度、少し多めに動かしてみた。やりすぎてしまった。センサーがスポークに当たって飛んでいってしまった。おしまいだった。あとで見たら、マグネットも飛んでしまっていた。これで諦めがついた。残りの距離はあと少し、メーター無しでも充分だった。
中文の街が近づいてきた頃、見覚えのあるウェアが前に居た。だんだん近づいてくる。やはり安川だった。遂に追い付いた。一緒に抜かれた同じエイジのゼッケンも一緒だった。勢い良く前に出る。残りは10キロもない。補給をしっかり取って、次のランに備えた。明るい兆しが見えてきた。
中文を過ぎ、ランコースの横を通り過ぎる。既に上位陣がパラパラと走っている。サッカースタジアム前でゴール。バイクを降りてランバッグを貰う。そのまま着替えテントの中へ。しばらくすると安川も入ってきた。もう一人も一緒、ほぼ同時ゴールだった。
いつものように5本指のソックスをはいて、準備を整えて出て行く。走り出しは悪くなかった。エイドにはコーラ、水があった。自分のウェストバッグには、カーボショッツと梅干しが入っている。ランコースの距離が説明会では不明確だった。実際にはスタジアムを出て、右方向へ750mほど。それを折り返して来て再びスタジアム前。そのまま直進して第2折り返しがある。片道7キロのコースを3周回である。
スタートして直ぐに塚越とすれ違った。いつものように元気な走りだった。自分も折り返して来て、すれ違ったあたりで時計を確認した。その差は8分ほど。自分が速かったのか、塚越が遅かったのか、それは分からない。しかし今までに無いほど、その差は少なかった。このコースはおととし走っている。走る区間が短くなった分、周回数が1回増えた。短縮されてきつい所が無くなり、エイドの数も増えている。エイドは1マイル毎に設けられていた。3周という回数も適当だろう。
周回が複数回の折り返しコースは、最初の周回での順位チェックが大切だ。この時点でチェックしておかないと、あとでは分からなくなる。バイクで中だるみがあったものの、後半で粘ったので、それほど悪い順位では無いだろうと思っていた。しかし、実際にすれ違うランナーの同じカテゴリーのゼッケンを数えると、5~6位にいるようだった。ハワイに行くためにはかなり厳しい位置である。ひとつでも上に行かなければならない。ひとりずつ抜いていくしかないと思った。諦める事はしなかった。走りは悪くなかった。いつものとおり初めの10キロは50分を切って走れていた。快調と言って良かった。前を行くランナーも、捕らえられそうな気になってきた。気持ちも乗ってきていた。しかし、速いランナーもいるもの、同じカテゴリーに抜かれた。抜かれた直後は暫く後ろに付いて見たが、スピードが違っていた。どんどん差が開いていった。彼はエイジ2位まで上がったランナーだった。自分で抜いたランナーは分からなかった。エイドなどで抜いているかも知れなかったが、確実ではなかった。実際に確かめられたランナーはいなかった。
1周目、14キロは1時間10分、キロ5分の快調な走りだった。前を行く塚越とは2周目ではかなりの差が開いていた。またこのまま差をつけられて負けてしまうのかと思った。しかし、自分では2周目のペースもまずまず。やや日差しが暑く感じられた。冷えたボトルの水で体を冷やす。今回はカーボショッツをいつもの様にはきっちりと取らなかった。コーラさえ飲んでいれば充分だった。空腹感を感じたところで取るようにした。カーボショッツを取るよりも走りに集中したかった。
2周目、28キロではタイムチェックを忘れた。そして3周目、塚越とすれ違ったのは1周目に会った所と同じだった。塚越のペースが落ちていた。なんとか頑張れば、という気もしてきた。そして、同じカテゴリーの選手も同じ様な状況かもしれないという思いがした。最早まわりを気にする余裕など無くなった。帽子を深く被り、前方だけを見つめて、走りに集中した。コースは完全に頭に入っていて、走る要領も分かっていた。
最終周回も往路が終わり、あっという間に折り返しを回った。そしてラスト6キロ、と思い前を見た。すると目の前に同じカテゴリーのゼッケン、見慣れた選手だった。強いと言われているN選手である。ひょっとしたら彼を抜けば、入賞もあり得ると思った。そう思うと彼を早々に抜き去り、差を広げたかった。最後の力を出し切り、走るしかなかった。何しろ彼に勝ちたかった。力を振り絞り走った。しばらくして後ろを振り返ると大分離れているのが見えた。これで勝てると思った。しかしペースは落とさず、更に前を追った。ゴールすれば点滴が待っていると思っていた。
残念ながら順位は分かっていなかった。40キロも過ぎると残りは2キロ。ゴールまでもうすぐ。上り坂も苦にはならなかった。力は全て出し切っていた。ラスト1キロ、後ろから若い女性が抜いて行った。いいペースだった。追い付けなかった。だいぶ差を付けられてしまった。しかし私の後ろにはもう誰もいなかった。両足はもういっぱいだった。満足の行くゴールが待っていた。11時間30分は切れなかったが、頑張ったレースだった。
ゴールでフィニッシャーのメダルを掛けてもらった。その後は、目の前に車椅子があったので、そのまま乗せてもらい、点滴へと連れて行かれた。点滴を受けながら30分程寝てしまっていた。起きた時には気分は快適だった。その後食事エリアで先にゴールしていた塚越と出会う。また同じカテゴリーの2位の人とも話をしていた。その時、ハワイはキャンセルするだろうという話を聞いた。私は4位でゴールしていた。喜びの一言だった。明日のハワイへのロールダウンが楽しみになった。ハワイのスロットは3つだった。ゴールしてから分かった事だが、50歳台のエイジでは、韓国人が飛び抜けていい成績だった。最初の周回では全く気付かなかった。
リザルトを見ると、バイク終了時のエイジの順位は8位。それを見ると、ハワイには程遠い順位だった。しかし、ランパートのエイジ順位は3位、これがハワイ行きに効いたようだ。レースの反省としていま思うに、バイクで固形物の取り方が少なかった。バナナをしっかり食べていれば良かった。
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