第19回大山登山マラソン

2004年3月14日(日)
記録:45分22秒
順位:男子40歳代7位/281人 総合30位/1140人

   Km   LAP  SPLIT
 1Km  3:34   3:34
 2Km  3:54   7:29
 3Km  4:02  11:31
 4Km  4:00  15:32
 5Km  4:22  19:54
 6Km  4:19  24:13
 7Km  4:54  29:08
 8Km  7:10  36:19
 9Km  9:02  45:22

 あれ!?何もないの? 最後の石段を登り切って必死でたどり着いたゴールで、褒美は何もなかった。
おかしいなぁと思いつつ、しばらくは状況が理解できないまま、心臓の鼓動が治まるのを待った。自分はたぶん7~8位くらいでゴールしているはずだ。周りには首から順位札を下げている人もいるし、ちゃんと入賞のはず。何故だ? まだ理解できないまま、横を見ると直ぐに記録証が発行されている。順位も印刷されるだろうからそれを見れば分かるだろうと、足に付けたRCチップを外してから、記録証を貰う。タイムは45:22、立派に自己新記録更新、しかも30秒。順位は7位、申し分ない。でも何故?まだ理解できない。そのうちに後から知り合いがゴールしてきた。

 『順位は?』
 『7位』
 『なーんだ、惜しかったね。今年の表彰は6位までだよ』
 『あっ、そう』
そう言うことだった。

 昨年までは、10位まで表彰だったのに、今年は何故か6位まで。何年か前にも同じような事があった。その時は、前年までは20位まで表彰があった。レースの人気も高く、出場するにも抽選だった。それがやっとレースに出場でき、10番台に入ったとき、表彰は10位までになっていた。なんてオレは不運なんだ。そう思いつつ、神社への石段を上り、着替えの荷物を取りに行った。毎年出場していて、入賞の可能性のある大山登山には、どうしても出場したかった。仕事の都合があったのを、むりやり日曜日を避け、出場できるようにした。やっと出場できる事になった今年の大山登山マラソンだった。

 今年は昨年末あたりから取り組んでいる「体重の軽量化」が順調に進み、今までの月例マラソンでも効果は現れていた。大山でもその効果が見たかった。前日の土曜日には仕方なく仕事。なんとか無事終了し、プールで体をほぐす。早めに床につき、体調は万全。当日は6時前に起床。余裕の行動で、会場の伊勢原小学校に到着。時刻は8時20分頃、ちょうど良い。受付の終了間際だが、スタートまではまだまだ余裕がある。

 ゴール地点に送る荷物は家で用意済み。そのまま貰ったデイパックに詰めるだけ。あとはスタート時間に合わせてアップをすれば良い。9時過ぎからで十分だった。いつも9時20分頃には鉄人のバイク練習が246号を通るはず。それを見送るために国道に向かった。時間はドンピシャ。5分も待たずに安川を先頭に、JR、数本、松岡がやってきた。お互いに激励しあい、別れる。今日は天気も良く、バイクもマラソンも絶好の日和。名古屋で行われる女子マラソンも暑くなるだろうと思った。

 アップをしながら小学校へ戻り、再びレースの支度を進める。9時40分には、最初にスタートする50歳以上が集まっていた。40歳代の私も、20分後には集合しなければならない。レースウェアへと着替える準備をする。

 着替えを済ませて、10時過ぎに列に並ぶ。今年は古くからのマラソン仲間が初めてこのレースに出ると聞いていた。列の中に見つけて、しばらく話をする。スタート10分前にスタート地点の伊勢原駅前に向かう。後ろの方にいたので、少しずつ前の方に移動する。スタートラインに付いたときには、最前列にいた。

 10時20分、2番目のグループである40歳代と女子の部がスタートした。天気が良く、コンディションも最高。風が吹いていたようだったが、走り出してからは気にならなかった。追い風だった。今年の出だしは割合にゆっくりのように感じた。トップグループに難なくついて行ける。しかし無理はするつもりはなかった。上り坂になってから、勝負すればよかった。トップグループは10人ほど。その後ろに数人。私は第2グループの先頭だった。いいペースで進む。トップともあまり差は開いていない。やはり今年は軽量化の効果が出ているのかもしれない。

 それぞれ、1キロ毎のラップはだいたい頭に入っている。そして、ほとんどのラップタイムが憶えているタイムと同じだった。いつもきつくて目一杯のところも、今年は難なく上れていた。調子はいい様だった。しかし、上から落ちてくるランナーは殆どいなかった。なんとか前に見えている数人だけは目ぼしを付けて確実に抜き去った。しかし、前方にはそれしか見えなかった。まだ前に10人くらいは居ると思っていた。

 もうそろそろ舗装路も終わりに近づく頃、沿道から8位という声が掛かった。おおよそ、自分の見当と同じだった。あとは、ひとりひとりを拾っていくだけだった。登山道に入ると、スピードランナーも途端にペースが落ちるので、50代か40代か分からない。あやしいランナーは前に付けたゼッケンを確認する。しかし40代は判らなかった。そのあとはチェックする余裕も無かった。

 8キロ地点、残り1キロを過ぎると山道の石段だけとなる。最早走って登る事もできない。前を行くランナーをかき分けて、声を掛けながら抜いていくしかなかった。8キロで時計を見ると、36分と少し。あと10分で昨年とほぼ同タイム。しかし、残り1キロはいつも9分台で走れている。足もまだ残っている感じ。最後まで行ける感じがした。

 残りの1キロは、前にいる見えないライバルを追って走るしかなかった。途中、40歳代のランナーを一人抜いたような気がした。しかし、それもはっきりとした確証もなく、ゼッケンを見る余裕もなかった。他に40代を抜いた気配も無く、ゴール下の直線の階段。『最後の階段』と言われ、前上方を見ると、赤いランシャツが見えた様な気がした。タイム差からすると、ちょうど9秒間のような気がした。そして、最後の石段を登りきり、ゴールへと入った。

 帰りは、入賞できなかった鬱憤を晴らすようなつもりで、最後までハイペースで帰ってきた。今年はいつも貰っていた塗り物のお椀やお酒など、そして毎年同じ水色の紙バッグ。いつも貰っていた物は何も貰えず、手ぶらで帰って来るしかなかった。いつも楽しみの小学校での焼きそば、豚汁は美味しかったが、ビールは苦かった。


  
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