第17回大田原マラソン
2004年11月23日(火・祝) 晴れ
記録:2時間58分42秒
順位:総合97位/685人 一般男子94位/628人
Km LAP SPLIT 順位
5.0Km 20:38 20:38
10.0Km 20:21 41:00 155
15.0Km 20:47 1:01:47
20.0Km 21:15 1:23:02 146
21.1Km 4:29 1:27:31 144
25.0Km 16:19 1:43:51
30.0Km 20:48 2:04:40
35.0Km 21:45 2:26:26
40.0Km 22:42 2:49:08 99
42.2Km 9:34 2:58:42 94/628
陸上競技場の入り口を入った時、自然に顔がほころんできた。心の底から嬉しかった。途中じっと我慢した甲斐があった。本当に嬉しい瞬間だった。
今年の大田原は例年通り11月23日、勤労感謝の日・火曜日。普通のレースならば日曜日で、前日の土曜日も休みなので、この大事な大会の前日はお休みにした。そのため、今年は4連休となった。その代わり、レースの翌日は休みたいところをじっと我慢して出勤する。
朝は東京発6時44分の新幹線。戸塚は5時42分、家を5時25分に出た。起床は4時半、一応いつもどおりの準備をして出かける。しかし、お腹が空くだろうと思ってお餅のお弁当を持っていった。会場までの足の便は特に問題は無い。新幹線に乗ってしまえば、あとは安心だ。会場の体育館には8時半頃到着。受付もまだ空いている。スタートまではまだ2時間もある。
10日前の横浜マラソンは、この大会の予行演習。スタートも10時20分と10時40分、似たようなもの。シューズ、ウェアなど、全て同じものを使用した。横浜で使ってみて、その結果を確認する事が目的だった。すべて全く問題なかった。ただ、甘いものだけは取り過ぎない様に注意した。
横浜マラソンの様にスタートまで30分も待たされないので、ウォーミングアップは、9時半から30分、スタートダッシュに耐えられるように瞬発系のアップに重点を置いた。暖かいけれども、昨年の東京国際の様な事は無さそうだった。あれほど暑くなってはさすがの高橋尚子でもたまったものではない。やはり関東北部という事だけはある。暖かいのでアップをするには十分、体もすぐに温まる。アップの最中は、自分がこれから挑もうとしている事に対し、達成できるかとても不安ではある。しかし、今までやってきた事を信じ、自信をもって臨むしかない。達成した時の喜びを得るために、重圧に耐え、向かって行くしかない。そう思いながら準備を進める。自分で満足するようなアップを済ませて体育館へ戻ってくる。
スタートは10時40分、この大会の場合には10分前にスタート地点に向かってもまだ人はまばら。5分前に並べば十分。事前に開会式をやっているので、スタート前のセレモニーも無い。スタートまでの数分間、これから始まる3時間のレースを前に、緊張をほぐす様に努める。レースに臨む気持ちは無心、何も考えない。ただこれまでの練習の成果を出すだけ。5キロ毎しっかりとペースを守って走る事、今までの練習に自信を持つ事、自分を信じる事。それだけで十分である。
連日いい天気が続いていた。朝から雲一つ無い青空が広がっている。スタート待ちの時もじっとしていると日差しが痛かった。10時40分、陸連登録者の中にまぎれ、ゆっくりと外側からスタートする。なるべくスピードを上げて行ける様に、大回りだがいちばん外側を走った。すぐにトップスピードに上げていく。グラウンドを1周半、そしてロードへと出る。1周目が1:40、キロ4分からは少し遅い。今回はベスト記録を狙うつもりはないが、余裕を持ってサブスリーを達成したいと思っていた。5キロ毎のラップは20分前後、下り部分では19分台で走りたいと思っていた。そんな思いで走り出し、入りの1キロも4分を切るくらいのペースのつもりでいた。5キロ毎の表示はしっかりあるが、あとの表示は無い。5キロまでの1キロ毎の表示があると助かるといつも思っているが、実現はされていない。結局5キロ地点まで行って初めて自分の走ってきたペースがわかる事になる。
そろそろ5キロ、時計を見るともうすぐ20分。やっぱり今年も20分を超えてしまったか、ということになった。5キロは20:38、自分の気持ちからするとだいぶ遅いなぁという印象。このままではまずいのでペースアップを図る。次の10キロまではずっと下って行くのでタイムアップは狙える。しばらく行って交差点を左折、9.5キロまでは1本道、やや向かい風の感じがする。暑いだろうと思っていたが暑さはほとんど感じない。昨年の東京と比べるとさすがに楽である。やはりこれ位でなければマラソンは走れない。前回大田原を走ったのは2年前。その時はやはり十分な練習を積んでレースに臨んだ記憶がある。不安感など無く、自信を持って走っていたように憶えている。昨年の東京では練習は十分に積んでいたが暑さにやられてしまった。仕方がない。
この5キロは19分を切るつもりで走った。ペースアップはしたつもり、まわりのランナーにしっかりと付いて行く。自分だけの力では走らない。1本道が終わり左折。このコースから言えば坂と呼べるような上りがある。走る前には、ここを曲がるとすぐ10キロポイントだろうと思っていたのだが、まだ先だった。手元にはカーボショッツを6コ持っていた。15キロから40キロまで5キロ毎に1つずつで6コ。しかし、走り出してから、10キロからとっていく事にした。体の調子から見てそう決めた。10キロからとっていくと40キロの分が無くなる。しかし、40キロまで行ってしまえば残りは2キロ、気力だけでも走る事はできると思い、10キロからとる事にした。カーブを曲がってカーボショッツを取り出す準備。しかし、まだ10キロポイントは見えなかった。給水は更にその先、右折してからだった。
10キロポイントが見えてきたところで、時計をチェック。19分台が狙えるかと思ったが、やはりいつものとおり20分を少しまわりそうだった。この時点で、早くも好記録は諦めた。10キロポイントのラップは20:21、ペースは上がったが、満足はできなかった。サブスリーを実現する最終ポイントは、30キロで2:05。それで通過できればギリギリで達成できる。その2時間+5分のうちの1分を既に10キロで使ってしまった。かなりのハンデである。もうズルズルと下がっていくような走りはできない。10キロを過ぎて横浜の時も同じ様なポイントで会った根岸ランナー。彼も目標はサブスリーと聞いた。彼を抜き去り、一言アドバイスを送る。給水所の手前では用意したカーボショッツを摂り、取った水で流し込む。今年もドリンクはパックに入ったもの。その先には水もある。スポンジは給水の間にあり、補給は充実している。昨年の東京のような問題はここには無い。スペシャルも5キロ毎に置けるがそれも私には必要なかった。自分でカーボショッツを持って走れば十分だった。
10キロの先はまたしばらく1本道、ほぼ平坦だが、走っていると細かいアップダウンがある。これはランナーにとっては嫌である。30キロからの余裕がなるべく多く取れるように、ペースは上げていくつもり。自分を抜いて行くようなランナーがいればなるべく付いて行くように心がける。ひとりでは走らない、人の力を借りて走る。明らかにこれの方が楽なはずである。15キロまではあっという間に来たような気がした。気持ちでは楽だったのかもしれない。15キロは20:47、またダウンしてしまった。楽して走る分ペースのコントロールは難しくなる。このあたりからサブスリーへの危機感を感じ始める。ここから20キロまでは民家が多くなってくるが、路面があまり良いとは言えず走りづらい。カーブも多いし、多少のアップダウンもある。ただし、応援はそれまでよりも多いので張り合いもある。20キロまでの区間は言わば市街区間か。15キロまでが多少辛く、気分的にもあせりの気持ちがあったので、ずっと耐えながらの走りとなった。しかしまだ1周も終わっていない。とりあえずは25キロまで行かないとマラソンレースとならない、そんな思いで走る。
1本道を走ってきて一度左折する。ここで誘導員から『18.5キロ』と声が掛かった。気持ち的には『もう18.5か』という思いだった。楽になった。道なりに左に右に折れながら国道に出る。そろそろ20キロだな、という気持ち。しかし体力的にはいちばんきつい頃だった。思うような体の動きができなかった。体中が固まってきたような感じがした。意識的にリラックスするようにした。20キロは21:15も掛かってしまった。これは気持ちとして、かなりきつかった。スプリットは30キロ地点以外はあまり気にしていない。ラップさえ刻んでいればいいのだが、ここではスプリットを気にする余裕も無かった。かなり辛くなってきていた。
しばらくして左折、元の周回コースに戻る。そして中間点ポイントでタイムチェック、1:27:31。本当は25分くらいで走りたいところだった。サブスリーまでかなりギリギリの線だろうと思う。しかし、まだ諦めてはいなかった。もう半分、同じタイムでは走れないだろうが、2倍にしてもまだ54分である。5分は余裕がある事になる。諦めるのは最後でいい。とりあえずは5キロのラップを刻む事である。そして前のランナーに付いていく事。しばらく前からいい走りをしているランナーが前方にいた。ずっと彼を目標にしていた。離されない様に気を付けていた。
25キロ地点が気持ちとしてはいちばん辛い時だった。とりあえずラップを取る。しかし中間点でラップを取っていたので、5キロのラップは分からない。体も思うような動きにならない。まずは目標のランナーに付いて行くだけ。自分でペースを作るまではいかない。2周目に入ってコースは分かっているが、的確な判断ができなくなってきた。前のランナーに付いて行ければ良い。30キロまでは下り気味のコース、楽なのかもしれない。30キロがサブスリー実現のチェックポイントである。そこまでしっかり走らなければ話にならない。だんだん辛くなってくる。
30キロで20:48、まさかこんな20分台のラップが出るとは思ってもいなかった。ここで頑張った結果、なんとかスプリットは2:05を切れていた。この5キロでこんなに走れ、最低目標の2:05もクリアしていたので、また期待が持ててきた。あと残り2個になったカーボショッツを落とさないようにウェストバッグからそっと取り出し、補給の準備をする。体も硬さがほぐれ、楽に走れるようになった。このまま行ければ充分である。目標にしていたランナーからは少し離されたが、その差も広がっていかない。じっと我慢しながら前を目指す。12キロを残して猶予は55分。目標はキロ4分30秒で走る事。しかし、そこまで落ち込まないようにしっかりと走る。この辺りはまだ不安ながらも少し望みが見えて来始めた。じっと我慢の走りしかない。
35キロポイントは小学校へ左折する手前。それが見えて来るとホッとする。残り7キロで35分あれば充分、つまり2:25ならば合格点である。そしてタイムチェックする。5キロのラップは21:45、残念ながら20分台は出なかったが、目標の22:30からは45秒も速い。ここで少し貯金ができた。走りも悪くはないので期待がだいぶ大きくなってきた。自信も持ててきた。最後のカーボショッツを取り出す。バッグの中に残っていない事も確認する。小学校前の給水所でドリンクを取り流し込む。これが最後の栄養補給、あとはこのままゴールまで行くしかないが、行ける自信はあった。しばらくまばらな民家の間を通り過ぎ林の横を通り過ぎる。
残り5キロの表示、しかし時計は見ない。残り5キロはいつもの練習コースの片道分、最後のラストスパートである。残り4キロを過ぎ、周回コースの最後の部分を左折、細い道に入る。1周目は18.5キロ、2周目は38.5キロになる。前方を見るとコーナーに大きなトラック、行く手を阻む様な格好になっている。早く曲がり切ってくれと願いながらそのコーナーに向かう。自分が通過するときにはなんとかトラックは通り過ぎていた。最短コースを走って右折、そして最後となる片側2車線の道路に出る。しばらく行った前方に残り3キロの表示が出てくる。残りの時間は15分あれば充分だ。時計を見ると2:46を指していた。油断はできないがまずまずサブスリーが大きく見えてきた。あとは最後まで悔いの無い走りをするだけである。
40キロ地点でラップは22:42、予定の22:30からは少しオーバーしてしまった。しかしここでの問題は残りの時間だけ、2:49、あと残りは11分ある。2.2キロ残して11分、なんとか目標がクリアできそうなところまで来た。残りは気合いで行くしかない。カーボショッツも残っていない。ドリンクを1つ取ってたっぷり給水、これで最後までもたせるしかない。道路は片側2車線ずつ、いなかの街では主要道路だろう。そこへ警官が出て交差点で交通規制、ランナーを優先して走らせている。それに感謝しつつ、こちらは最後の2キロを頑張って走る。
残り1キロで時計を見る。あと6分近く残っていた。もう十分である。とりあえず1キロにつき5分残っていれば大丈夫だ。ウォーミングアップの時に競技場前の細い道路の最後まで走って行った。最後のコースを確認しておいた。それが役に立った。気が楽になった。ここを走りきればゴール、そしてサブスリーという思いしかなかった。もはや前を走るランナーなどはどうでも良かった。自分の走れる最高のペースで走る。みんなサブスリーを実現できるところを走っている。みんな喜びの中にいるはずである。
最後に左折すると目の前が競技場。時計を見るとまだ58分になったばかり、十分余裕。競技場の入り口に佐藤さん、カメラを構えていた。声が掛かってそれに応える。そして競技場へ入る。おもわず微笑んでしまった。もう間違いはない。やっと確信することができた。今までに積んできた練習の成果、そして応援してくれていた人達のお陰だった。トラックに入ったとき、嬉しくてたまらなかった。この喜びは何にも代えられない。自然に顔がほころんでしまった。目の前の時計もまだ58分台を指している。十分余裕のサブスリーである。私にとってはこれで充分だった。
フィニッシュゲートで両手を挙げて喜びのゴールイン、2年振りのサブスリーだった。結果が良ければ全て会心のレースだった。いいレースができた。
ゴール後は喜びに浸り、皆の帰りを待ちながら後かたづけをする。満足のいく1日となった。レース後はいつものように那須市内の乃木温泉、そして近くの餃子店、毎度のことで店主も憶えてくれている。美味しいビールと餃子で腹を満たして1日の終わりとなった。
後日事務局から送られてきた記録証にはラップタイムの他に、順位も入っていた。見事にラップ毎に順位があがっていっていた。
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