第25回東京国際女子マラソン市民マラソン大会
2003年11月16日(日) 晴れ
記録:3時間11分46秒
順位:総合416位
5Km 21:00
10Km 21:05 42:05
15Km 21:05 1:03:10
20Km 21:22 1:24:32
25Km 22:10 1:46:42
30Km 23:26 2:10:08
35Km 24:25 2:34:33
40Km 25:43 3:00:16
42.2Km 11:29 3:11:45
雨も懸念されていたのが、いい天気になってしまった。天気予報でも10月中旬の陽気だと言っている。準備には楽だったが、レースをするにはどうだろうか。
いつもはテレビで見る大会に、市民の部だが出られることになった。スタートはお昼。いつものマラソンの様に、朝早くから出かけていかなくても良い。その代わりに、朝ご飯にも気を使ってしまう。会場に着いてから食べられるように、小さなおにぎりも用意した。
家を8時に出る。これだけでも随分のんびりする。中央線の信号故障で少し遅れたが、それでも10時前には国立競技場に着いてしまった。まだまだ早い方で、ゆったりとすることができた。受付を済ませて広々と場所を確保、競技場の中なので、雨が降っても安心である。しばらく場内を探検しながら散歩する。
スタート地点への集合は12時05分、スタートは12時25分、それに合わせて11時頃から少しずつアップを始める。以前、青山に勤めに来ていた頃は、毎日外苑を走った。そこを今日はアップのために久々に走った。暑いので、すぐに汗をかいてきた。ウェアも長袖1枚あれば充分だった。ストレッチなどもしながら、30分ほどアップをする。あとはバナナやカーボショッツを摂ってレースに備えた。
12時の10分ほど前に荷物を預けて集合場所へ向かった。女子は既に集合し終わっている。鳥居さんを見つけて激励する。ゴール地点で会えるよう誓い合う。女子は15分早い12時10分にスタート、国立競技場をスタートするエリートの部と同時にスタートである。残念ながら、整列していたために、スタートの様子は見られなかった。
女子が外苑の周回を終える頃に男子はスタート地点へ向かう。スタート方向とは逆の方向へ向かって歩くために、歩みがのろい。なるべくスタート地点に近いところに居たいという意識が働くために、スタート時刻が迫っているのに、なかなかスタートラインに着けないという状況になった。役員が必死で並ばせ、なんとか形は整った。
12時の気温は23℃、暑い中、予定通りスタートは切られた。2000人を超えるランナー、私の前に1000人ものランナーがいたが、さすがに3時間前後で走るランナーばかりなので、スムーズに出ていく。つかえているランナーなど1人もいなかった。スタート地点まで15秒ほど、まず外苑の周回1.3キロほどを1周する。そして外苑東通りへ出ていく。あとはエリートの部と同じマラソンコースである。
1キロは4:27、最初のロスと集団走を考えるとまずまずだった。このままのペースで十分だと思った。外苑の周回から一般道に出る時は気持ちが良かった。一般の応援者がたくさんいる。都内のマラソンコースを走れるというのも嬉しかった。しばらくは平坦だが、一度右折し、四谷方面へと向かう。そこから最初の下りが始まっていく。帰りには最後の上り坂になる所である。まだまだまわりは人でいっぱい、どこまでこのままの調子で行くのか心配だった。しかし、この集団、みんな速いので簡単には崩れていかない。まわりを走るランナーもその姿がほとんど変わらない。それなりに記録のある人達なので、このまま付いていっても安心して走っていられる。まわりはほとんどサブスリーのランナー達である。
気持ちよく坂を下っているのだが、やはり暑いのと、集団というためか、ペースがやや遅い。もう少し上げたいと思いつつ、走っていた。その集団がばらけたのは給水所だった。エリートの部のスペシャルは無くなり、一般の部のゼネラルしか無いのだが、暑いためか、皆水を欲しがった。給水所に群がるがそこにはもう水はなかった。供給が間に合っていなかった。そこで急にばらけ、視界が開けた。私も水は取れなかった。まだ要らないだろうと思っていた。5キロ毎の給水所とその2キロ先にはスポンジブースがきちんと用意されていた。次のスポンジを取れば良かった。スポンジは、坂を下りきり、後楽園の角を曲がったところ。しかし、ここもまだ大人数には慣れていなかった。なんとか1個取り、給水する。
ペースはなかなか上がらないまま進む。5キロは21:00だった。最初のロスを考えるとまずまず。そろそろ大手町を通過し、東京駅前を通る。私の勤務先の目の前、いつも見慣れた景色である。そして10キロ、やはり5キロ21分、10キロは42:05、なかなかペースは上がらない。もうこれは暑さのためと思って諦める。サブスリーにはぎりぎりだが、このまま行けば問題はない。最初遅ければ、後半もってくれるだろうと、いい方に考える。
この辺りは何度か走ったことはある。数年前の東京シティマラソン、日比谷通りは大体わかる。まわりもばらけ、少しずつペースを上げていくつもりになってきた。芝公園辺りでは増上寺や東京タワーも見えるはずだが、そこまで見る余裕は無かった。いつの間にかNEC本社前を通過し、右折して第一京浜に出ていた。TVではよく見るあの場所だとは思ったが、あっという間に通過した。田町駅前もすぐ、もうすぐ品川駅にも着いてしまう。東京もそれほど広いわけではない。品川駅前では応援がいるはず。どこに居るだろうか、と楽しみだった。
品川駅は応援する側にはよほどいい所なのか、かなりの数の人がいた。15キロでカーボショッツを摂り、水で流し込む。そしてその先、私の名前を呼ぶ応援の声が聞こえた。3人娘が来ていた。まだまだ勢い良く声援に応える余裕がある。あっという間に通り過ぎる。そしてもう一人私の名前を呼ぶ声、XAXの山口さんが応援に来てくれていた。まさか居るとは思わず、とても嬉しかった。2回も応援があり、元気が出た。
たくさんの人出の品川をあっという間に通過し、上り坂に差しかかる。八ツ山橋である。TVで見る限りは上りという感覚ではないが、走ると結構きつい。道も広く、人がばらけて余計にきつく感じる。しかし、まだこの辺りはきちんと走れている。坂ではペースの落ちたランナーをとらえて行く。ぼちぼち力の無くなったランナーが遅れ始めるあたりだった。これから先は第一京浜、大森海岸まで行く。土地カンなどは全くない初めてのコースである。これまでの都会のビルの中のコースではなく、良く走った事のあるような市街地である。そろそろ女子エリートの先頭ランナーとすれ違う頃でもある。
最初にTV中継車が見える。その次に白バイ、バイク中継車。前方のランナーからも声が上がっている。予想どおり高橋のようだった。私とすれ違うところでは、ちょうどセンターラインに生け垣があり、反対側は見えなかった。背が高ければ見えたようだ。私にはオレンジ色のパンツだけしか見えなかった。隣を走る背の高いランナーに尋ねたら、高橋とのことだった。予定通り、何の問題も無かった。後続もだいぶ離れていた。その後、ぽつりぽつりとすれ違う。ゼッケン1のロバの姿だけはわかった。その後、だいぶ早いうちにトライアスリートの松本晴美、特徴ある走りですぐに判った。かなりの上位にいた。その後、1台の計時車、何だろうと思ったら、男子のトップの様だった。もうかなりの女性を抜いていた。まさか、と言うような所まで来ていた。その後、男子はぱらぱら、女性はたくさんいた。
私も20キロを迎える。私も、かなりペースの落ちた女性を抜き始めていた。鳥居さんのゼッケンに近いランナーもいたが、鳥居さんのナンバーは見つからなかった。きっと先に行っているだろうと思っていた。20キロでもカーボショッツをひとつ。そして、給水所で水を取って流し込む。20キロは、1時間24分、もうサブスリーからすれば限界に近い。ぼちぼち、無理だろうという思いもしてくる。そして、21キロ過ぎの中間点、時計を見ると1時間29分、サブスリーは駄目だと決まった訳ではないが、ほとんど無理というタイムである。同じペースで帰ることはできないと言って良い。その先に折り返し、今までやや向かい風で、暑い日差しの中だったが、折り返して、建物の陰に入ったら、急に涼しくなった気がした。折り返しも道路全体を使って、スムーズに折り返せる。ゴールを目指して、少し気持ちよく走れるようになった気がした。なんとかまだ普通には走れていた。
1キロ毎のペースは4分20秒台、少しペースとしては落ちてしまっていた。しかし、走り自体は、まだ止まっていなかった。気持ちだけはまだ前に向かっていた。往路の品川まではあっという間に来てしまった様な気がした。しかし、その先、大森海岸までの1本道の第一京浜は結構長く感じられた。今度は、その長く感じられた品川までの道を帰らなければならない。それも半分くらい来たところ、25キロを過ぎると足はパタリと止まった。やはり暑さのせいか、走りながらも、これが大田原の環境ならばもっと走れただろうにと、思っていた。やはり気温、体温が高くなるのは記録にとってはマイナスだろうと思う。
もうサブスリーなどは全く論外、走りにも、あきらめムードが漂う。しかし、途中で止める事もしたくない。関門で止められるのも嫌なことだ。結局、できる範囲でしっかりと最後まで走りきるしかない。1キロのラップは、4:30を完全に超えていた。5キロは23分くらいかかることになる。5キロ23分は、いつものレースではとても辛い走りである。じっと耐えるしかなくなる。それ以外に方法はない。
他のランナーも、皆同じ、普通のレースではきっちり走れるランナーが、よれよれになって走っている。その仲間に入らないように、気持ちだけはしっかり持って走る。前を目指して走る。第一京浜を八ツ山橋まで行くと、先も見えてくる。だいぶ応援の数が減ったものの、まだまだ沢山いる。私の応援団はどこに居るだろうかと気になった。
品川駅前を通過する。むこうから姿を見つけて声を掛けてくれた。しかし、それに応えるにも元気がない。顔だけは見て通り過ぎた。--後から聞いたところでは、往きはとても元気があったようだが、帰りは全く疲れ切っていたようだった。はた目にもはっきり判っていた--そのあと、もう1人応援、声を掛けてくれたが、手を挙げて応えるだけ。
品川を通過すると次は田町駅、見慣れた景色を通過して、日比谷通りへと入る。そろそろ30キロ。往きでは気が付かなかったNEC本社ビルを通過。ここにも月例マラソンの知り合いが一人いた。疲れた体には応援が嬉しい。最後まで走りきろうという気になる。
もうだいぶ疲れてきってしまった。1キロ4:50位のペースに落ちてしまっている。芝公園、日比谷と通って行く。コース自体は平坦で走りやすいけれども、ペースは全く上がらない。やがて、皇居のお濠が左手に見えてくる。丸ノ内のビル街を通過、元気な姿を見せたいところだが、もうゴールになんとかたどり着きたいという目標だけに変わっていた。再び東京駅を右手に見て大手町へと入っていく。後から見たTVのビデオでは、このあたりから、高橋の走りが変わっていった。
私ももうほぼキロ5分くらいに落ちてしまっている。35キロの関門が心配になってくる。ここを通過できなければ、最後の坂も上れなくなる。東京のコースを走って、38キロ地点の坂を上らなければ走った意味がない。一度は経験しなければならない。関門が何分なのか判らない。まわりには立ち止まっている者も、歩いているようなランナーもいる。角を曲がって、先の35キロの関門を目指す。35キロも何とか通過する事ができた。この5キロは24:30くらいかかっている。ほとんどキロ5分くらいに落ちてしまっていた。その先を右折して水道橋方面、東京ドームの方へと向かう。水道橋から徐々に上り坂が始まる。走る前はそれほどの坂ではないだろうと思っていた。市民マラソンのコースではこれ位の坂はどこにでもある。それ位の坂のつもりでいた。水道橋を通り過ぎ、少しずつ上っているのが分かる。これ位はまだ問題はない。飯田橋あたりでもまだ普通の坂である。
ペースは遅いながらも、しっかりと走る。まだまだ気力だけは残っていた。そろそろ38キロあたり、やはり勾配が少しきつくなってきた。ペースは落ちるが、走れなくなるほどの坂ではない。トップ争いをするような選手にとってはきつい所なのだろう。私のペースも5分を超えてしまっていた。さすがに話題になるだけに、距離も長い。まだあるのかというくらい上っている。しかし、少しずつではあるが、勾配は楽になっていた。
40キロ手前あたりで上りもやっと終わり、右折。40キロの関門も見えてくる。もうここまで来ればなんとか最後まで走り切れそうである。40キロの関門、時計を見るとちょうど3時間を過ぎたところだった。
2キロを残して3時間、でもまだそんな時間か、という思いがした。坂を上っているときには既にゴールタイムなど意識になかった。しかし、ゴールが見えてきて、再びゴールタイムも気になってきた。10分台、11分、12分は切れるだろうという気はした。しかし、40キロを通過したので、あとはもうゴールするだけ、ひとまずはホッとして、少し気が抜けてしまった。ゴールタイムも気にならないので、あとは無事最後まで走りきるだけだった。
正面に外苑の森が見えてくる。帰ってきたという感じ。もうゴールは目の前である。外苑の周回道路から国立競技場へ向かう。少し下り坂となっていて、それがきつい。そのまま走って行くと、足がつりそうな感じ、ペースが落ちていく。しかし、目の前は競技場、タイムが出ず、嬉しさはないが、最後まで完走できるという喜びは大きい。
競技場のスタンド下を通りグランドへ入る。メインスタンドには沢山の人達がいた。一流選手になったような気持ちでメインスタンド前を通過する。ペースは上がらないが仕方がない。ストレートを終え、第1コーナーの正面に3人の応援団がいた。最後まで応援してくれて嬉しかった。最後の400m、トラックを1周する。ちょうどエリートの表彰式をやっているところだった。高橋が優勝していると思っていたのだが、どうもそうではなさそうだった。何位だかも分からない。棄権したのだろうか、そう思った。しかし、それはそういう結果だから仕方ないと思った。現実は厳しい。私の結果も同じである。最後まで走りきる事が最後の目標である。止まらずに走り切れたことで満足であった。この暑さでは仕方なかった。
ゴール前、少しだけ頑張って走ってみた。自分も最後まで頑張りきる事ができた。3時間は切れなかったが満足だった。
体は疲れ切っていた。走り終わって3時間を切れなかった悔しさが少しだけ残った。あとはフィニッシャーのタオルをもらい着替えへと向かう。途中、ゼッケンに付けられたタイムチップを外してTシャツと交換。その先では既に記録証が配布されていた。あっという間に発行されていた。
荷物を引き取りに行くと、そのランナーをボランティアの人達が拍手で迎えてくれていた。マラソンでこんな事は初めてだった。そこで完走したという喜びが初めて湧いてきた。トライアスロンのような喜びだった。完走者はそれだけで勝利者の様だった。
3時間11分、目標はクリアできなかったが、なんとか参加記録だけはクリアしたので、来年の開催を期待し、そして雪辱を果たしたいと思う。
|