2003 Ironman Korea

2003年8月31日(日) 天候:曇り
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11:28:37 (総合 105位 男子45-49 9位)

 Swim	1:14:47	    (37:36,37:11)
 finish gate	1:11	 1:15:58
 Bike	6:23:33		 7:39:31
 T2	   3:23		 7:42:54
 Run	3:45:43		11:28:37

 当日の最終受付で、ボディナンバーを書いてもらい、バイクのスペシャルニーズバッグを預ける。バイクにボトル、エアをセットして準備完了。あとはスイムスタートへ向かうだけ。だんだん周りも明るくなってきて、レースの雰囲気がでてきた。バイクパンツの上にウェットスーツを着込む。トランジットエリアからスイム会場までは、だいぶ下る。スイム終了後は、また上がって来なければならない。スイム会場には既に選手は集まっており、思い思いにウォームアップをしている。6時半頃から軽く泳ぎ出す。やや波があるが、沖に出てしまえば問題はない。ジャパンの様にスイムエントリーだとか面倒なことは言わない。チェックなどは何も無かった。6時45分にウォームアップ終了。この時点で、鉄人メンバーとはぐれてしまった。スタートの7時まで、しばらく緊張の時間があった。

 私の時計でちょうど7時、スタートが切られた。スイムコースは1.9キロの三角形のコースを時計回りに2周、3.8キロ。波が打ち寄せているので、岸からの出だしがつらい。遠浅なのでさらに泳ぎ出しにくい。少し深くなりだした所から泳ぎ始める。位置取りは左側、なるべく最短の距離で、まっすぐブイに向かって行くようにした。プロカテゴリーの白いキャップも前に何人か見えた。出だしを歩いているうちにばらけて、バトルなどもほとんど無かった。いつものように最初のうちはなるべく外側を泳ぐ。調子は悪くない。練習でもかなり距離を泳いでいたので、不安なども無かった。とりあえずは、まわりが落ち着くまで頑張る。第1ブイを回るあたりで落ち着くが、出だしはかなり長く感じられた。ブイを回ってからは、たまに横から波が来る感じ、岸と平行となっている。余裕も出てきて、人の後ろに付いて泳ぐようにする。2つ目のブイを回ってからは岸に向かう。岸とは斜めに泳ぐので、潮に流される。なるべくコースロープに沿って泳ぐようにする。しばらくすると、横に見慣れたようなウェットと泳ぎ、思った通り安川だった。ピッチが速いのですぐ判った。再び気合いを入れて泳ぎ出す。

 1周目、岸に上がって砂浜に立つととても走りにくい。チェックポイントで時計を見ると37分台、まずまずだった。もう1周と思い、元気が出てきた。海に入り振り返ると、前よりも後ろの方がたくさんいる。結構前の方にいるように感じた。前の方もぱらぱら、ほぼ直線になって泳いでいる。2周目になって更に泳ぎやすくなった。気持ち良く泳げる。2周目の方が速く感じられた。2周を終わり、再び砂浜を走らされる。周りでは歩いている人などいないので、仕方なく走るが、途中で一休み、しばらく歩く。シャワーを浴びた先に、スイムタイムチェック。周回チェックのところがスイムタイムかと思ったら、こちらがスイムタイム計測場所だった。前に有ったところは、周回チェックだったらしい。更にそこから、坂を上る。もう走るのもつらく、早足で上る。バイクとランの2つのトランジッションバッグが山ほど掛けられたところから、自分のバイクバッグを探し出す。まだまだ沢山あった。テントの中で着替えてバイクラックへ走る。私の前には松岡のバイクがあった。バイクを取り出し、スタート地点へ向かう。途中に安川のバイク、その向かいには塚越のバイクが有るはずだが、判らなかった。

 南国の雰囲気の木の間を、バイクで通り抜ける。いきなり上り坂が続く。まっすぐ急坂を行くのかと思ったら右折、チェジュ・コンベンション・センターの方へ向かう。しばらくは平地で楽だったが、その先に急な坂が2つ待っていた。結局は同じ場所まで上るのだから、前回と上る高さは変わらない。辛さは同じだった。バイクはまだまだ、まばらに感じる。本コース上に出ても集団で走っているようなところはない。早い位置で上がって来ているような気がしていた。ソギポ市までは選手登録の際バイクで出かけたコースと同じ、道も広く、走りやすいコースが続く。それほどペースが速いわけでもなく、時折後ろから抜かれる。まだそれに付いて行こうという気になっていない。しばらくはマイペースを保つ。ソギポ市を抜けると海岸線に出た。同じ様な景色の中を何回か繰り返し通った気がした。海岸の町はどこも同じ様な景色になるのか、オロロンの時にも見たような景色に感じた。風はほとんどが向かい風の様にも感じられた。しかし、ペースは悪いとは思っていなかった。まわりにバイクはいなかったけれど、自分のペースでしっかり走れていた。15キロ毎のエイドもいつの間にか来ているようだった。順位などもほとんど変わりない。しっかり走れているつもりだった。コース自体はほとんどアップダウンもなく、いいコースだった。

 50キロほど行くと、折り返しの様なイメージで、走ってきた方へ戻る。少し内陸側の道を戻る。まだそれほど山道とはなっていない。割合に平坦な道を行く。一般道ではなく、生活道路の様なところ。まずまずのペースで進んでいるつもりでいた。エイドはきっちり15キロ毎、距離表示は路上に10キロ毎に書かれている。しかし、いつの間にか、私のメータは5キロ多く表示していた。メータが正しければ、どこで戻るか、或いは最後まで5キロ多いままか。しかし、大きな問題ではなかった。メータで95キロ地点、もう何回かアップダウンは繰り返して来ていたが、まだまだ本命の坂には来ていなかった。エイドとスペシャルニーズがあった。補給も兼ねて、一度下車、用も足す。すっきりとした。補給食で用意したものは、ういろう、カーボショッツ、うめぼし、そして赤飯のおにぎり。おにぎりは朝作った。初めてだったが、おいしくできた。やはりご飯が一番だった。田村選手も言っていたが、固形物の方が良いとの事だ。自分で持つ分だけではなく、初めてスペシャルニーズも用意した。スペシャルも内容物は同じ。足りなくなった分を補給するつもりでいた。

 スペシャルを取ってから山登りするようにしたのか、何回かコーナーを曲がって、観光用のきれいな道路に出て、やっとそれらしき上り坂に取り付いた。さすがに応援も多い。日本からのツアー客の応援がたくさんいる。我がツアーの小美野さんも路上に応援をたくさん書いてくれたらしい。ニッポン、JAPAN、田村、たくさん書いてあった。さすがに一番の坂か、上り応えがあった。しかも1回で終わりではなく、何回か続いたような気がする。人間は不思議なもので、辛いことはあっという間に忘れてしまうのか、それほど覚えていない。何となく上ってしまったような気がする。だから何度でも辛いことができるのだろう。一度上ってしまえば、あとは大した上りはない。大観山から登った箱根スカイラインのような、先まで見える山道のアップダウンの繰り返しだった。これが一番辛かったかも知れない。どれ位続いたのだろうか、1時間くらいは同じ繰り返しをしていたかもしれない。辛いことをしている時に同じ事をやっている者は妙に親近感がわいてくる。互いに顔を見合わせ、励まし合う。目があった日本人のような青年に声を掛けた。コリアの青年だった。「Fighting」とひと言。声を掛けた頃はもう下りに近づいていたのか、下り気味のコースに変わっていた。ジャージのジッパーをしっかり締めて下りに備えた。上りでは普通に上ってそれほど抜かれる事も無かったが、長い下りになるとどうも前と差があいていく。少しづつだが抜かれていく。なかなか追いついて行く力もなく、そのままとなってしまう。山をだいぶ下ってくると、海が見えてくる。大きな道に出ると左折、もう海岸線の道路に出たようだった。下りも終わったようだ。

 バイクゴールまであと20キロほど。平坦になり、最初のうちは良かったが、チュンムンに近づくにつれ、向かい風になってくる。スピードもなかなか上がらない。そろそろチュンムン市内というあたりになると、2000年出場時に、ランのコースだったような景色に出会う。もうゴールまで数キロだろうと思ったのだが、なかなか近づかない。どうも見間違いの様だった。バイクのメータが180キロを越えてからやっとフィニッシュへ向かう道路へ入る。ランのコースにもなっている様だった。幸いにもまだランナーはいなかった。ロッテホテルへの入り口を右折、最後の下りを気持ちよく飛ばす。前を行くバイクは、気持ちが良くなったのか、あるいは要らなくなったからか、軽くするためか、バイクに付けていた補給食を次々と落としていた。バイクスタートした駐車場に再び戻ってきた。それほど疲れてはいなかった。陽も差していないので、暑くもない。いいコンディションだった。

 バイクを降りて、そのままバイクをボランティアに渡し、トランジッションへ向かう。再びテントに入り、ランシャツに着替える。パンツはそのまま。靴下は5本指ソックス、ウェストバッグをラン用に取り替える。帽子をかぶってスタート。暑くないので、帽子は要らない感じだった。しかし、用心のためかぶる。スタート前に塚越のバイクを確認、あとはどれ位前にいるかだった。スタートのエイドでコーラと水をもらって出ていく。ポカリもあったが、レースの時はどうも苦手だった。コーラが一番。ちなみに、水は「ムル」、コーラは「コラ」、ポカリスウェットは「ポカリ」で通じた。

 走り出してコースの両側の木は、南の国を思わせる。バイクコースと同じだ。すぐに上り坂となる。コースはまっすぐ上るかと思ったが、やはり右折、バイクと同じコースを行った。予想していなかった。バイクできつい坂と分かっていたので、いやだった。しかも、2周目と思われる距離表示もあった。この坂を2回も上るかと思うといやだった。なるべくその事は考えないようにした。既にバイクで一度通っているコースなので、意識としては楽だった。コースが大体分かっていた。しかし、そのアップダウンも分かっていたので、半分は嫌だった。上ったら下る、下ったら上る、上りも下りも同じ数だけある、そう思いながら走るしかなかった。

 自分の走りは悪くなかった。暑くないので、走りは軽快、ペースも上がっていた。一応、キロ4分半くらいのペースのつもりでいた。10キロ45分、ハーフで1時間45分、ランタイムの目標は3時間半だった。エイドは2キロ毎、とても楽だった。国内のレースでは帽子の中に氷を入れるが、ここにはそれは無かった。ただ氷が欲しくなるほど暑くなく、気持ちよく走れた。エイドでは水とコーラを摂り続けて走った。あとは自分で持ってきたカーボショッツがあれば十分だった。道は広くて走りやすい。中央分離帯のある片側3車線、計6車線の道路は片側をランナーに開放していた。車を気にすることなくとても気持ちよく走れる。

 フィニッシュとなるスタジアムはおよそ10キロ地点、まだまだ走りは快調、前を行く塚越を目指していた。コースはバイクと同じ、ソギポ市街を避けていくと、やや木が多く静かなコースになる。1ヶ所急な坂があった。バイクの時に嫌だとは思っていたが、やはりランコースの一部だった。しかし、上って来るのではなく、下りだったのでまだ助かった。上り坂の方はやや勾配が楽だった。塚越とは、その急坂の手前1キロあたりですれ違った。彼も快調そうだった。ざっと計算して、4キロ、およそ20分の差だった。もし歩くような事があれば、すぐに追いつける距離である。鉄人トップに立つことを諦めなかった。たぶん、塚越を抜けばハワイにも手が届くだろうと思った。塚越の後ろには、山倉もいた。塚越を抜けば山倉にも勝てる。どうせ負けたとしても、何も失うものはない。もう目標は塚越しかない。ただ勝つしかなかった。折り返しが15キロ、ややペースが落ちてきた様に感じた。負けない、それだけを思いながら走り続けた。安川とすれ違ったのは、私が塚越とすれ違ったあたりに近い。それよりやや手前の方だった。差はおよそ30分だった。これもまず安心だろうと思った。ペースが徐々に落ちてくるのを感じながらも、しっかりと走り続ける。

 ハーフ地点は、2回目のフィニッシュ前を通過してから。トップは既にゴールしているようだった。私が田村と最初にすれ違ったのは、私が1回目のフィニッシュ前を通る前だった。だいぶ苦しそうな様子だった。トップは誰だろうかと思いつつも、田村が再び勝ってくれることを望んでいた。しかし、私が2回目のフィニッシュ前を通過してから田村とすれ違った様な気がした。結局田村は4位だった。ハーフ地点には、ランのスペシャルニーズがあった。バイクでは用意したが、ランでは用意しなかった。必要なかった。コーラとカーボショッツで十分だった。エイドの数も十分だった。止まりたくないけれども、止まらない勇気が無く、立ち寄り、水とコーラを貰っていた。あまり暑くないので、行けそうな気もしたが、やはりそれは難しかった。

 2回目の折り返しあたりまでは、なんとかこらえながらしっかり走れた。完全なすれ違いから、周回部分に入るところに、大きな坂があったが、これも前のランナーを目標にしっかり走った。見えない塚越を目標にしていた。その坂を上りきってしまえば、あとの折り返しまでは下り調子。できるだけ前を追った。その折り返しはおよそ29キロ。ちょうどバイクが戻ってくるところ。まだ、ラストに近いバイクが時折帰ってきていた。そこのエイドでたまらず、水をかぶる。お腹もすいて、バナナを1本。残りは13キロほど、1時間と少々。ちょうど日陰に入り、涼しくなって走りやすい。ここまでカーボショッツなど、たくさん摂ってきたが、30キロを過ぎればもう何も要らない。コーラだけで十分走りきれる。その自信だけはあった。そして塚越を抜ければ十分だった。しかし、姿は全く見えない。

 ロッテホテルの入口まで来ると、みんな右折して行く。いちど下って、再び最初の坂を上らなければならなかった。他の所で調整して欲しかったが、それは仕方なかった。最初に見た距離表示のとおり走らされた。私の前を走っていたオレンジ色のシャツは、坂もスイスイ上っていた。どんどん離されていた。付いて行きたかったが、行けなかった。坂を上りきってしまえば、あとは大きな坂はない。だんだん道も良くなり、走りやすくなる。残りの距離も短くなって、フィニッシュも近くなる。そう思いながら走った。エイドに立ち止まる時間も長くなった。しかし残りはもう少しだった。まだまだ周りは明るい。2回目の折り返しに向かうランナーがたくさんいる。最初の折り返しに向かうランナーもまだまだいる。歩いているのもいる。まだまだ自分は良かった。そう思いながら走る。とりあえず、自分のゴールは40キロ、そして残りの2キロはおまけで楽しむための距離。残り2キロになると、フィニッシュのスタジアムが見えてくるはずだった。残りは自分のために走りたかった。頑張った自分と応援してくれたみんなに感謝しながら走った。しっかり走れた自分は素晴らしいと思う。ジャパンで悔いの残った走りが、ここでは思い残すことなくレースを終えることができそうだった。

 41キロを過ぎたあたりからスタジアムへ向かう。前方に何人か見える。あの前が同じエイジだったら、後ろから同じエイジが来たら、と心配になってきた。そう思うと全力を出しきるしかなかった。残っている力を全て出すつもりで走る。後ろからは来るな、前はもっとゆっくり、などと都合のいい事を考えながら走る。しかし、みんな最後は頑張った。後ろからも抜かれることはなかった。自分の足音が、後ろから追ってくる音に聞こえてしようがなかった。耐えきれず、後ろを振り返ったが誰もいなかった。もうフィニッシュまで200mほどの所、それでやっと安心した。あとはウィットがアナウンスしているフィニッシュゲートへ向かうだけだった。

 なんとか最後まで走り切れた自分に満足しながらフィニッシャーのメダルをもらう。あとは疲れ切った体をマットに横たえた。塚越も山倉も先にフィニッシュしていた。私のハワイは無かった。


8月28日(木)
・出発
 当初、9時台の出発だったが、直前にフライトが変わり、13:55 Korean Air、プサン行きになった。プサンで乗り継ぎ、チェジュには7時頃到着。
 家から塚越宅まで車で行き、乗り換えて2人で成田へ向かう。同じツアーには田村選手も見える。ツアコンの武藤さん、バイクメカの小美野さんも一緒だった。チェジュからはチュンムンのイオドソン・コンドミニアムまで1時間ほど。夕食はチェジュ市内のレストランにてメンバー全員で食事。同行は10人ほど、田村選手も一緒に食事をとる。気さくで話しやすい人だった。食後は宿へ直行、小さいがきれいなコンドミニアムだった。
 今日は塚越と2人。明日は残りの2人、松岡、安川が来る予定。12時過ぎには床につく。

8月29日(金)
・登録、カーボパーティ
 朝、バイクを組み立て、バイクで10キロほど離れたソギポ市内のワールドカップスタジアムでエントリーを済ませる。驚いた事に、大会ポスターに、2000年出場時の私のバイクシーンが載っていた。いたるところにポスターが貼られ、その中に私がいた。光栄なことだった。写真写りもまずまず、自己満足。
 チュンムンまで戻り、宿の近くで昼食。日本語、英語が全く通じない。ビビンバが食べたかったが、メニューには無かった。仕方がないので、メニューを指して焼き肉を注文。宿に戻りしばらくのんびりしていると、予定通り2時半、松岡、安川が到着。
 カーボパーティは2000年、2001年とゴール地点となったロッテホテルで6時から。大会出場の選手は19ヶ国から800人ほど。日本人は200人ほど、あとはほとんどが韓国人だった。パーティも大いに盛り上がる。宿に帰ってからは軽く飲み直す程度で、早めに床についた。

8月30日(土)
・バイクチェック、レースギアチェックイン
 昨日来た2人は登録会場へ。それに付き合う。
 昼食は2000年の時の宿だった韓国コンドへ。ビビンバは相変わらずおいしかった。昼食後、レースギアの準備を済ませトランジッション場へバイクとレースギアを預けに行く。これも2000年時と変わっていなかった。バイクもレースギアも自分で気の済むようにセットした。終了後は、のんびり宿まで歩いて帰ってくる。夕食はまたまた焼き肉。レース前のイベントは全て終了、あとはシャワーを浴びて寝るだけ。残念ながらこのコンドには浴槽は付いていなかった。
 9時前には床についた。3時半起床予定。

8月31日(日)
・レース
 夜中、強い雨の降る音で1度目が覚める。その後、1時間毎くらいに目が覚める。起床予定は3時半だったが、目覚ましを掛け忘れ、起きたのは4時少し前、しかし、特に慌てることはなかった。朝の準備をし、レース中のおにぎりも自分で作る。レース会場へは5時半頃出発。会場までは車で5分、すぐそば。そして、レースは始まった。

9月1日(月)
・バイクピックアップ、アワードパーティ
 朝からいい天気、体中が痛い。のんびりと過ごす。満足のいくレースができたので、充実感のある朝を迎えられた。8時半頃からバイクピックアップに出かける。ハワイの切符が気になるところだが、まず最初からは厳しい。ロールダウンして欲しいところ。
 11時頃に会場のスタジアムに出かけた。12時半にロールダウンの発表があったが、Fカテゴリにはロールダウンは無かった。Gカテゴリで1つ繰り下がったが2人目で行き渡った。松岡までは届かなかった。少し夢を見させてもらったが、はかなく消えた。昼はコンドの近くで再び焼き肉と冷麺、そしてビール、充分堪能した。
 6時からアワードパーティ。カーボほど参加者は多くなく、空席が目立った。8時半頃終了、宿に戻って飲み直した。明日は帰国、疲れもあり、早々に床につく。

9月2日(火)
・帰国
 フライトは15時。他の便の都合もあり、11時半頃宿を出発。空港には1時頃着。チェジュ空港で昼食、買い物を済ます。予定通りにチェジュからプサンへ。プサンで2時間ほど待ち。ここで買い物やレースを振り返り、のんびりと過ごす。6時半の便で成田へ向かう。無事帰国となった。
 いいアイアンマン・コリアだった。

 ツアー代		:¥80,000
 食事、小遣い、土産	:¥40,000


  
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