第15回大田原マラソン
2002年11月23日(土・祝) 晴れ
記録:2時間57分01秒
順位:総合112位/729人
Km LAP SPLIT
5.0Km 20:32 20:32
10.0Km 20:17 40:50
15.0Km 20:37 1:01:27
20.0Km 21:05 1:22:32
25.0Km 20:37 1:43:10
30.0Km 21:05 2:04:15
35.0Km 21:34 2:25:50
40.0Km 21:59 2:47:50
42.2Km 9:10 2:57:00
横浜マラソンの疲れが取り切れていないのか、あるいは土日の練習の疲れが抜けていないのか、数日前から両太股がやや張っている様な気がしていた。10キロほど走ると、両足が張る感じになってくる。風呂でマッサージやストレッチなどを充分にするようにしていた。
当日、朝起きた時は足には特に違和感などは無かった。助かったと思った。前日用意していた弁当を少し食べ家を5時15分頃に出る。本郷台、大船と駅では充分余裕があった。東京駅からは、7時過ぎの東北新幹線で那須塩原へ向かう。駅からは送迎バス、会場には9時少し前に到着した。全てが予定通りだった。体育館には車で来た塚越、広田組が先に到着しており、場所も確保してくれていた。しばらくは余裕があり、ゆっくりと準備を進める。
昨日は一日中寒く、今日の天候が心配だったが、起きた時は曇りで雨の心配は無く、一安心だった。そして、電車が宇都宮を過ぎる辺りから天気が良くなり、那須塩原に着いた頃には日も出ていた。北の方は晴れていた。いいコンディションでレースができそうだった。足の張りが気になっていたので、アップは充分に行った。体調は特に問題など無さそうだった。先日の横浜マラソンの様な感じ、いい結果が出せそうな気がした。30分ほどアップをして体育館へ戻ってくる。スタート地点へは15分ほど前に向かえば充分、ゆっくりと着替えをした。スタート前にもう一度トイレに行ってスタート地点の第三コーナーへと向かった。まだまだ余裕だった。
一般参加の最前列にならぶ。その前は陸連登録者、それも数m前はもう先頭である。10時40分、予定通りスタートする。出だしはやや遅かったものの、競技場内を1周半周回して道路へ出る頃にはマラソンペースへ上がっていた。1周目の400mは1分40秒、少々遅い感じがしたので、意識して少しペースを上げた。道路に出てからはいつものマラソンペース、いい調子で走れていた。1キロ、2キロあたりにキロ表示があればいいと思っていたが、5キロ毎にしか無かった。5キロまではペースが不安だったが、少々速いのではないかという位のつもりだった。気象コンディションは良く、暑いくらいで、すぐに汗をかいてきた。手袋をしていたが要らなくなり、外してパンツの間にはさんだ。そのうちに5キロの関門、20分32秒、少々遅かったが、十分許容範囲内だった。このままのペースが維持できれば良いと思った。
5キロ地点を過ぎた先で左折、風向きが変わった。向かい風になったようだった。少々寒い気がしたが、問題はなかった。しかし、向かい風が吹いてくることが嫌だった。人の影に隠れてみたりもしてみたが、あまり効果はなかった。10キロまで多少下り気味のコース、ペースが上がることを期待した。やや速めのペースのつもりでいた。10キロは、20分17秒、少々上がっていたが期待していたほどではなかった。19分台で走っているくらいのつもりでいたので、がっかりしてしまった。しかし、サブスリーのペースとしては全く問題なかった。この時点で自己記録の更新はできないだろうと思う。
体調としてはまだ足の張りなども感じられなかった。ほとんどいつものペースと変わりなかった。もう大田原も4回目、コースもほとんど頭の中に入っている。アップダウンのイメージまでも憶えている。で、走るには都合が良い。15キロは20分37秒、ペースを上げていたつもりだったが、再び元に戻ってしまった。既に記録更新などなく、平凡な記録になってしまいそうな気がしてきた。サブスリーは、平均20分35秒のペースを守れば十分なので心配はなかった。今はマラソンでも、毎回のようにウェストバッグにカーボショッツを持って走る。今回も15キロから5キロ毎に取ることにしていた。カーボショッツさえ取っていれば最後まで走りきれることは判りきっていた。初めのうちは5キロ毎は不要かと思ったが、取れるうちに取っておこうというつもりで、5キロ毎にきちっと取ることにした。20キロ少し手前の18キロあたりが老人ホームの前、一番応援が多い。しかし、2周目も本気で走っていられるか、心配になった。4車線の道路に出て19キロ、20キロでカーボショッツを取らなければと思っていたが、疲れが出て来たのとウェストバッグから取り出すのに手間取ったので、少々慌てながらなんとか口にする。そして、ドリンクで流し込んだ。ドリンクはサントリーの「ダカラ」、クールパックというやつ、飲みやすくて助かった。
20キロを過ぎて、元の周回コースに戻る。21分05秒、かなりペースが落ちてしまった。中間点は時計を見ると1時間25分台、しかし20キロ地点からすると近すぎると思われた。中間点を過ぎて2周目に入る。そろそろきつくなり始める。初めからずっと私の横にいた村橋さんが、「やっと楽になってきた」と言ってきた。しかし、これは間違いだろうと思った。20キロも走ってきて楽になどなるわけがない。もうこの辺りで村橋さんは落ちて行くかななどと思った。私の方はだんだん辛くなってきた頃だった。どこまで耐えていけるだろうか、と思った。とりあえずは次の5キロと思いながら走る。たぶん30キロまではもつだろうと思っていた。
25キロは辛いながらも、あっという間に来てしまった気がした。20分37秒、調子からすれば良い方かも知れない。次の30キロまでは再び下りのコース。ここは何とかなるだろうと思っていた。走り慣れたコース、平らなようで下り気味のコース、マラソンのコースとしてはこの様なところが一番望ましいだろう。しかし、ペースとしてはたぶん落ちているだろうと思いながら走っていた。
前方にはランナーがぽつりぽつり、まばらにしか見えない。しかし何故か私の後ろからは、足音がたくさん聞こえていた。なぜここだけたくさんいるのだろうかと思った。イメージすると、集団の先頭を私が引っ張っているような感じ、それが事実なら気持ちが良かった。そろそろ30キロという辺りでふと横を見ると、何となく見た感じのランナー、塚越さんに似ているなと思った。村橋さんはまだすぐ隣にいた。そして30キロ手前のカーブ、気になって横を見ると、似ているのではなくやはり本人だった。また、後ろには何人もいた。私が集団を引っ張っていた様だった。その辺りから村橋さんは視界から消えていった。そして塚越さんは少しずつペースを上げて先に行ってしまった。付いていくことは無理だった。
30キロは21分05秒。チェックポイントの30キロでスプリットを見ると2時間4分台、私の経験からは、サブスリーぎりぎりのリミットだった。このラップは20分台をキープしたいところだったが、及ばなかった。このまま行くとゴールタイムは良くても58分台というところだった。また平凡な記録に終わってしまいそうな気がした。しかし、まだまだ十分サブスリーは達成できるところである。希望は絶対に無くさないでいた。30キロを過ぎて、給水の手前でしっかりとカーボショッツを取る。体の方もカーボショッツを嫌ってはいなかった。塚越さんはまだ50m位先に見えていた。走り慣れた田んぼの中の道を通って35キロを目指す。大田原は4回目、1回に2度同じ所を走るので、ここは8度目ということになる。今回は走る前からマラソンの中間点は30キロのつもりでいた。残りはおよそ1時間。この1時間がいちばん辛いところである。田んぼの中、多少アップダウンを繰り返す。辛くなって来たのだろう、ペースが落ちたり歩いているランナーもいる。私はまだまだ同じ位のペースを維持しているつもりだった。有名な義足のトライアスリート――名前は忘れた――もいた。一時は私を抜いていったが、彼もペースが落ち、再び私に抜かれた。32,3キロ付近か、交通整理の人のラジオからマラソン中継が聞こえてきた。トップが38キロを通過しているとのこと、ゴールは2時間40分位かと思っていたが、後から聞くと、これは女性のトップだった。いつもならばそろそろきつくなってくる頃だが、今回はあまりきつく感じるところが無かった。やはり走り込みの効果だろうか、今年の470キロは良く走れた。自分でも満足のいく距離だった。
そろそろ35キロ地点も見えて来る頃、ずいぶん先に行っていたと思っていた塚越さんの姿が見えてきていた。走りに元気が無くなっていた。35キロを通過する頃には10mほどの差になっていた。このラップは21分34秒、急激な落ち込みではなかった。ここで21分台ならば充分なタイムだった。ここでもまたカーボショッツをウェストバッグから取り出し口にする。そしてドリンクで流し込む。まだまだペースは維持できそうだった。初めて参加した大田原、97年だった。この時に初めて塚越さんに勝ったが、記憶ではこの時も35キロを過ぎたあたりで追いついたような気がする。もう目の前に塚越さんが居た。たぶん勝てるだろうと思った。
残り5キロの表示が出てくる。1周目の時もその表示はあった。1周目ではここまで来ればあとはすぐだろうなと思っていたが、実際にそこに来てみると、まだまだ、残りは20分以上ある。しかし時計は一切見なかった。チェックするのは5キロ毎のラップだけだった。ここで残り時間を気にすると走りに乱れが出るのは判っていた。5キロのラップさえきちんと刻めば充分だった。そのあとの4キロ、3キロも全く時計は見なかった。残り4キロ地点を過ぎたあたりで老人ホームの前を通過する。一番の応援ポイントである。つらい中で励まされ感謝する。ペースはまわりに付いてくるランナーがいるためか、しっかりと走れていてさほど落ちている気がしない。辛いけれどもいい気分だった。もうすぐ塚越さんに追いつきそうな気配だが、なかなか追いつかない。彼も頑張っていた。
残り3キロ地点の手前ではカーブをいくつか曲がって4車線の道路に出る。片側2車線のうち1車線が解放されているのだが、右側を車が走りランナーにとってはあまり気分は良くない。いつも一番辛いと思う所である。そして残り3キロ地点を通過して、最後の5キロのラップ――40キロ地点――を目指す。ペースも落ちずしっかりと走れている。塚越さんも目の前。そして40キロを通過、21分59秒。この最後の5キロのラップを21分台で通過したレースはあまり無い。いい走りと言って良い。そして給水を取る。ペースが上がり塚越さんを一気に抜いていく。あと2キロ、スプリットを見ても57分台でゴールしそうなペースだった。最後も気持ちよく走れている。前半に見かけ、引き離されたランナーにもだいぶ追いついた。久しぶりに会った平塚のランナーもいた。最後は快走と言って良かった。競技場手前もしっかりと走れた。競技場に入り時計が見える。まだ56分台をさしていた。こんなタイムは久しぶりだった。気持ちよくゴールを目指した。気持ち良くゴールするためにラストスパートなどはしなかった。しっかりと最後まで走りきった。脚は目一杯だったが気持ちには余裕があった。いいゴールが出来た。ちょうど57分になったところだった。ゴール後はまわりのランナーと挨拶を交わし着替えに戻った。
体育館ではシャワーを浴びて皆の帰りを待った。レース後は事務局の車で毎年行く乃木温泉まで送って行ってもらい、のんびり湯につかる。その後はいつものようにビールと餃子を堪能した。昨年に続き、また少々飲み過ぎてしまったようだった。
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今年もサブスリーを達成する事が出来た。特に意識する事なく平常心で臨んで達成できた。今回レース前、そしてレース中に思ったこと、気をつけた事について、皆さんの参考になればと思い、記録に残しておきます。
1.自信を持ってレースに臨むこと
そのためにはしっかりと練習しておくこと。10月の走り込みには400キロは走りたい。
2.スプリットタイムは気にしない
各ラップタイムだけチェックすればよい。ラップの積み重ねがスプリットとなる。
3.目標ラップタイムをしっかりと設定しておくこと
5キロは20分35秒がひとつの基準となる。
4.30キロは2時間05分以内であること
12キロを残して55分はぎりぎりのタイムである。
これを守れば必ず3時間は切れます。
Good Luck!!
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