2002 Ironman Japan in GOTO Nagasaki
2002年5月12日(日) 天候:晴れ
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11:30:45 (総合 161位 男子45-49 11位)
Swim 1:22:06 (250)
Bike 6:17:41 (163)
Run 3:50:58 (194)
5月10日(金)くもり
・受付
Y-CATに、8時過ぎ集合。一人くらい遅れてくる人がいるかと思ったが、なぜか全員予定通り集まってくる。9時前には羽田に到着、飛行機は10時50分発。機材の変更があったらしく、搭乗手続きがだいぶ遅れ、定刻よりやや遅れて出発した。長崎空港から港まではバスで1時間ほど移動する。飛行機の到着が遅れたので、楽しみにしていたチャンポンは食べている時間が無かった。仕方なく弁当を買い、船の中で食べる。ジェットホイルは14時50分発、福江港に16時15分着、あとは予定通り。受付を済ませて中央公園でのカーボパーティへ出かける。終了後は宿へ帰ってきて、いつもの内輪のパーティ。その後、ひとりバイクを組み立てる。
5月11日(土)晴れ
・競技説明会、バイク預託、トランジッションバッグ預託
早朝に起床。バイクのセッティングとトランジッションバッグの準備。9時から近くの文化会館で競技説明会。
昼食の後、バイクで富江町のスイム会場へ出かける。バイクとバッグの預託の後、軽くスイム練習をする。水温の低さが懸念されていたが、水はそれほど冷たくなかった。風が強く波があり、こちらの方がいやだった。帰りはビールを飲みながら、のんびりと乗り合いバスで帰ってくる。選手は無料、ちなみに料金は710円だった。早めの夕食を取って、今日はこれで終了。早々に床につく。
5月12日(日)晴れ
・大会当日
3時起床。昨年もそうだったが、準備することは余り無く、スムーズに事は運ぶ。朝食はホテルで用意してくれた弁当を食べる。バイクボトルを用意し、首の後ろにはウェットのすれ防止のテープを貼る。しかし、今年も首のまわりは擦れてしまった。波の影響か、喉のあたりまで擦れてしまった。
4時半にバス乗り場へ向かう。バスで30分ほど、スイム会場の富江へ移動。少々乗り場で待たされたくらいで、何も問題は無かった。会場ではすぐに受付とボディのナンバリング。ここでも待たされたが、特に問題は無かった。あとする事とといえば、バイクのセッティングとトイレへ行く程度。トイレに並ぶのも苦にはならなかった。6時くらいにはほぼ準備も終わっており、あとはスイム会場へ入れるまで待つだけだった。
気象コンディションはくもり、そして朝から強い風が吹いていた。沖からの風で、波も穏やかではなかった。岸から見る分には、それほど問題ないように見えたが、沖の方では結構波も高かった。風が強かったので、岸で待たされるときにも、風よけに苦労した。建物の陰では、風をよけていた山倉などもまわりにいて、準備に余念がなかった。ウェットを着込み、6時半の入場許可とともに、スイム会場へと入っていった。水に入ると、やや冷たく感じられたが、これもそれほど問題なさそうだった。大会事務局でも薦めていたが、スイムキャップを2枚重ねてかぶったので、冷たさも感じられなかった。足は裸足、ワセリンなどを塗ることもしなかったので、多少心配だったが、これも問題なかった。練習でやってきたように、しっかりと泳ぐだけだった。今日のレースイメージは、スイムは先頭グループの後ろから出ていき、バトルを避けて流れに乗ること。バイクも、練習通りしっかりとこぐだけだった。ランは力を残さず、最初からハイペースで行くこと。ランの目標タイムは3時間半とした。
ウォームアップで200mほど泳ぐ。防波堤内は波もなかったが、外へ出るとうねっていた。多少の不安感はあったが、ハワイを目指すには、そんなことは言ってられなかった。スタート10分くらい前になると、みんな左の方へ移動を始めた。どうするのかと見ていると、防波堤の先からスタート地点へ泳ぎ出す様だった。てっきり岸から泳いで行くのかと思っていたら、そんな人はあまりいなかった。私もその人達の後に続き、防波堤の真ん中あたりから海へ入り、スタート地点を目指して泳いだ。一応、2番目のブイの先頭から最初のブイのいちばんうしろあたりに付いた。スタートすれば、そのあたりは、ぽっかり穴が空くだろうと思っていた。
私の時計で6時59分に先頭の方が泳ぎ始めた。スタートが切られたようだった。あわてて時計のスタートボタンを押し、泳ぎ始める。思った通り、私の前はぽっかり空いていた。なるべく空いているところをねらって泳ぐ。それほどのバトルは無かった。やはり、いつものように、左、左へと移動してしまう。左へ行きすぎないように注意しつつ、人の後ろに付くようにして泳ぐ。泳ぎだしたあたりはまだ良かったが、沖へ出ると次第に波が高くなっていた。波が来て手を回せない事もたびたび。仕方なく、片手プルの要領で一休みしながら水をかく。大きな三角ブイは4つ。それをひとつずつ数えながら残りの距離を知った。どこまで行けばいいのか、おおよそ見当がついたので、気が楽だった。
往きをなんとかこなし、帰りのコースへ入ると、岸へ向かう波に乗り、とても速い。往きのように苦労するような事もなく楽だった。これならば、2周目に入っても問題ないと思った。帰りもブイを数えながら、気持ちよく泳ぐ。途中、後ろから足を触られたとたんに、左足がつってしまった。よくあることなので気にはしなかったが、最後までつったままだったら困るなと思っていた。しかし、そのうちに治っていた。1周目を戻ってきたところで、時計はおよそ37分ほどだったか。決して速くはなかったが、この波では仕方なかった。周回チェック用のゴムをくれるとの事だったが、手渡してくれる様子はなかった。そのまま海へ向かっていく。岸からまっすぐ泳いで行けるように、なるべく左の方から泳ぎだした。
2周目は1周目より更に波が高くなっていた。水を飲まないように注意して、なるべく呼吸の顔は大きく上げた。右側に人を見るようにし、ヘッドアップはしないようにした。ヘッドアップしても前は見えず、無駄だった。隣の人が頼りだった。他には、時々見えるブイを目印にした。2周目も三角ブイを数えながら我慢の泳ぎ、なんとか波と戦いながら泳ぎ切る。折り返しまで行ってしまえばあとは楽だった。残り1キロを泳ぐだけだった。水も透き通っているので、自分の手もよく見える。泳いでいてとても気持ちよかった。なるべく人から離れないように注意する。最後の三角ブイを通過して残りは200m、なかなかゴール地点が見定まらなかったが、コースを修正しながらゴール。まわりにあまり人が居ないと思って泳いでいたが、岸に上がってみると沢山いる。とりあえずは、ゴールのチェックをして、着替えへ急ぐ。時計は1時間20分を過ぎたところ。昨年より遅いのは仕方なかった。まずまず満足のスイムだった。
バッグを貰ってテントの中へ入る。着替えを始めると、広田が入ってきた。とりあえずは、広田より速くてホッとした。バイクジャージを着てバイクラックへ向かう。まだまだ、半分以上はバイクがあった。100番台かと思ったが、そこまで甘くなかった。250位だった。さすがに、スタート地点のすぐそばの50番位までのバイクは1台も無かった。風も冷たそうだったので、アームウォーマーをしてスタートした。これは、寒さだけでなく、日焼けよけにも効果があったような気がした。暑ければ、下げれば良かった。
バイクは無理せず、しっかりとこぐだけだった。はっきりとした順位は分からなかったが、前を行くバイクの数もそれほど多くないので、割合前の方なのだろうと思っていた。気持ち良くこいでいる所へ、突然うしろから声を掛けられる。塚越だった。まさか後ろから来るとは、思いもしなかった。ひょっとしたら、このまま最後まで行けるだろうか、などと都合のいいことを考えた。しばらく、塚越の後ろ姿を見ながらバイクをこぐ。初めのうちは無理なく付いて行けたが、地蔵坂トンネルを越えたあたりから姿は見えなくなっていた。しかし、最初にペースが作られたからか、その後も気持ちよくバイクに乗ることが出来た。折り返しは2回。20キロを過ぎてから、バイクゴール地点へ一度向かう。その次は70キロを過ぎたところ。両方とも片道4.5キロくらい。そして、この2ヶ所とも、塚越との差は数100m程だった。2回目の折り返しは、1回目との差とほとんど変わりなく、自分でもしっかり走れていて、びっくりした。折り返しで気が付いたのは、安川、岡野。他のメンバーには気が付かなかった。安川の前には山口が居たらしい。
天候も、時間が経つにつれ次第に日差しが強くなってきていた。朝方は風も強く、寒かったので、アームウォーマーをしていたが、日が上がるにつれ、要らなく感じてきた。しかし、日除けの事もあり、外すことはしなかった。それなりに、効果があったような気がする。
今年のコースは、方向が逆だった事はあるが、大部分が昨年のコースを使用しているので、地理的には楽だった。おおよそ、コースの概要は頭に入っていた。いちばん辛かったのは、2周回する部分の山間部で、道が狭くて路面も悪く、更に向かい風になっていた。3キロのヒルクライムをやり、二本楠交差点まで下りてきてそこを左折、すると、向かい風だった。ここから国道に出るまでの10キロほどが一番辛く感じた。海岸線に出てからは、昨年と同じコースなので、よく覚えている。こちらは路面も良く走りやすい。今年はコースを覚えているからなのか、または昨年ほど暑くないからか、それほど辛くは感じられなかった。今回初めてとなった3キロのヒルクライムは、日頃の練習のようなものだった。
先頭に周回遅れにされたのはどの辺だったろうか、あまり覚えていないが、トップに抜かれるよりかなり前に、先導車が先を行っていた。先導車に抜かれたのは、1回目のヒルクライムの後だった。その後、2位に抜かれ、更に3位の柴田、田村に抜かれたのは、2回目のヒルクライムを上っている所だった。坂道だったので、スピード差はあまり無かったが、私が上り終わった頃には、見えなくなっていた。3位集団に抜かれたのは、トップに抜かれてからかなりの時間が経っていたので、トップまで大分差があるのだろうと思っていた。田村の優勝は無いだろうと予想した。
私が鉄人メンバーに追いついたのは、最初に関谷さん。105キロ地点あたりのトンネルの中だった。日頃見慣れたライディングフォームだったので、後ろから追っていて、すぐに分かった。次は、高浜海岸を過ぎたあたりの上り坂で、対馬さん。こちらもすぐに分かった。塚越との差を聞くと、かなり前に抜かれたとのこと。私が追いつく時間もあるので極端には離れていないのだろうが、折り返しですれ違った頃からは、だいぶ離れたのだろうと思った。あとのメンバーには追いつくことは無かった。山口の姿には気が付かなかったので、全く意識の内に無かった。まさか、私の後ろが山口だとは思っても見なかった。
2周を終わり、3回目のヒルクライムを上りきれば、あとはゴールへ向かうだけだったが、その後も、2つの坂があることは忘れていなかった。2つの坂を上りきると、福江市に入り、残りも10キロほど。民家の有るところまで戻って来ると、昨年通った川島さんの友人のパン屋さんがあるだろうと思って楽しみにしていたのだが、コースが変わったらしく、お店の前までは行くことが出来なかった。
ランコースをクロスして、最後の坂を上りきってバイクフィニッシュへ向かう。以前の宮古島の様にランに移った塚越とすれ違うかと思ったが、それは無かった。それを思い出したら、急に後ろが心配になり、うかうかとしていられないと思った。そのまま、バイクゴールへ入る。アナウンスが私の名前を呼んでいる。昨年、エイジ3位とも言っている。少々気を良くしてトランジッションへ向かった。テントへ向かう途中、「まがら いさお」という名前を聞いた。同じエイジで何度もハワイへ行っている人である。すぐ後ろに居たのかと思い、負けるわけにはいかなかった。しかし、その姿を見る事はなかった。先にテントから出て、ランをスタートしていた。
塚越とすれ違ったのは、私がランをスタートしてからだった。最初の折り返しの中だった。差はおよそ10分、しかし、スピードの差はかなりあったように感じた。速かった。私もハワイに向けて負けているわけにもいかず、精一杯のペースで走るしかなかった。塚越とは、もう1回の折り返しの出口ですれ違った。差はやはり10分だった。ひょっとしたら、追いつける事があるかも知れないと思った。塚越を目標に、追いつくしかなかった。
日差しはかなり強くなっていた。走っていてとても暑かった。昨年の暑さが想い出される。最初の10キロあたりまでは良かったが、次第にペースも落ちてしまっていた。時折、ハイペースのランナーに抜かれる。左足のカテゴリーを見るが、時々同じ「F」がいる。その数は、最後には6人くらいはいたような気がする。何人かは抜いたような気がするが、あまり抜いた記憶が無かった。抜かれた事の方が印象が強かった。
2周目に入り、再び1周目と合流するあたりまでが一番辛かった。応援の数は少なくなり、足は思うように動かず、走りきれるか不安になっていた。しかし、なんとか止まらず、歩かず、走り続ける事が出来た。27キロを過ぎ、再び1周目のコースに出て、人の姿を沢山見るようになってからは、気持ちだけで走っていた。エイドでは、両ももに水を掛けて冷やし、頭から水をかぶり、なんとか次のエイドまで持たせるようにした。少しでもペースを上げられる様に、人の姿を追って走る。バイクコースでも走り、ランでも2度目のみはらし台を目標にして走った。一番の高台であり、残りは6キロほど。ここまで来てしまえば、あとはアップダウンがあるものの、ゴールまで下っていけばよい。既にハワイの権利など遠いところへいってしまっていて、なんとかゴールまで行きたいと思うだけだった。
昨年は暑かったけれども、この道を気持ちよく走っていたような気がした。今年は全く対照的で、ゴールまで行き着くことだけを考えていた。ゴールでのパフォーマンスなど、考える余裕も無かった。
40キロ地点あたりまで来ると、街中に入り、応援も多い。しかし、応える余裕もない。エイドで応援してくれるボランティアにも、言葉など出ない。ただ無言で水を取り、両足に掛けるだけだった。エイドだけが頼りだった。ラスト1キロ地点にもエイドはあったが、さすがにここだけは止まらずに通過した。あと1キロ、最後だけはしっかりと走りたかった。藤原裕司の言葉にあったが、皆に感謝し、その気持ちを持ってゴールしたかった。昨年光っていたアイアンマンのネオンサインが今年も光っていたが、少々空しく感じられた。街中を通過し、石田城の門をくぐり、ゴールの五島高校へ向かう。後ろを振り返り、だれも追って来ていないことを確認する。とりあえず、最後だけは安心してゴールできそうだった。
五島高校の前を通過すると、ゴールのアナウンスが聞こえてきた。ここでも、昨年エイジ3位とアナウンスがあったが、うれしいような、今年の順位では恥ずかしいような、そんな気持ちだった。ゴール前の花道では、皆に感謝の気持ちを表しながら、ゴールテープを切った。時計を見ると、とりあえずは、目標どおりの11時間30分だった。
ゴールしたあとは立っているのも辛く、車椅子を差し出されたので、思わず座ってしまい、体育館前までお世話になった。体育館では、しばらく横になりながら、マッサージを受ける。頃合いを見計らって、帰る支度をし、宿へ帰ろうとしたが、朝着ていった着替えが見当たらない。どうも、着替え一式をスイム会場へ置き忘れてきてしまったようだった。そんな慌て者はあまり居ないのか、私の荷物がしっかり届けられていた。安心して着替えを済ませ、辛い足を引きずりながら宿まで帰ってきた。他のメンバーを待っている気力などは、もう残っていなかった。
5月13日(月)晴れ
・バイク引き取り、アワード
成績は昨日の時点で中村より電話で知らされ、分かっていた。ほぼ予想通りの順位だった。ハワイへの道は無いと言ってよかった。バイクを引き取った後、完走証などを貰ってくる。午後からは鬼岳温泉へ。アワードパーティには出ず、近くの寿司屋で美味しい刺身と寿司を食した。
5月14日(火)くもり
・帰宅
帰りは、昨年と同じ便となった。朝の船なので、のんびりとしている間はない。朝食後に宿を出る。9時20分の船に乗り、長崎港着は昼前。そのままバスで長崎空港へ。午後1時半の便で羽田へ発った。
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