第14回大田原マラソン
2001年11月23日(金・祝) 晴れ
記録:2時間58分02秒
順位:総合95位/720人
DIST. LAP SPLIT
5.0Km 20:24 20:24
10.0Km 19:54 40:18
15.0Km 20:23 1:00:42
20.0Km 20:59 1:21:42
25.0Km 20:24 1:42:06
30.0Km 21:02 2:03:09
35.0Km 21:37 2:24:47
40.0Km 23:15 2:48:02
42.2Km 9:58 2:58:00
大田原マラソンは2年ぶり。昨年はアイアンマンのあと河口湖へ練習がてら出場した。その前年に出た大田原は、慢心のため、サブスリーは達成できなかった。今回はそのリベンジのため、是非とも3時間を切りたかった。
1ヶ月前に新幹線やまびこの指定席を確保、落ち着いて行けるように段取る。東京発は7時04分、家を5時20分頃に出る。本郷台――大船――東京と乗り継ぐ。3連休の初日のためか、結構混雑していた。指定なので、こちらは余裕、他のメンバーは自由席。電車の中でゆっくり朝食を取る。東京から1時間20分ほど、8時半少し前に那須塩原駅着。駅前に専用バスが止まっていて、すぐに会場まで連れていってくれる。なかなか待遇は良い。参加者も他の大会に比べかなり少ないため、体育館ものんびり、受け付け後もゆっくりとする。スタートは10時40分。それに合わせて、9時半頃から少しずつアップを始める。天気が良く、気温も高い。少々アップをしただけで、すぐに汗をかいてしまった。レース中もとても暑くなりそうだった。ストレッチを充分に、ジョグは軽めに行った。前回とはゴール前の1キロほどの所のコースが少々変わっていた。裏ゲートから競技場に入り、そのまままっすぐゴールというコース。競技場内をたくさん走らずにすみそうだった。
参加者も多くないので、慌ただしさはなく、選手の集合自体が20分前から掛かっているのだが、5分前でも十分に前方へならぶことができる。一応念のため、10分前にはスタート地点へ着くように体育館を出た。やはりまだまだ余裕だった。開会式は既に行われているので、他の大会のように、スタート直前に行うような事はない。招待選手の紹介やパリマラソンの事務局からの招待者の紹介も行われていた。大田原での上位入賞者は、パリマラソンへ招待があるようである。待遇もいいらしい。スタート直前になってもあまり緊張感は無く、いつもの調子。5分前からスタートのアナウンスがあり、3分前、1分前と告げられた。
競技場を1周半まわり、それから外へと出ていく。気温は高く、すぐに汗をかいてきた。最初に岡野が飛び出し、その後を中村が追うように出ていった。私もその後をしばらく追った。ちょうど横浜マラソンの様な形勢となった。5キロまではとても長く感じられた。とりあえずの調子を見るには、5キロのラップタイムが必要だった。5キロは20:24、競技場内の出だしのスローペースからすれば、かなりいいタイム。好調のなかでスタートできたと言っていい。幸先が良かった。5キロから10キロは全体的にやや下り気味のコース。走っていて、やや速いかなと思われるくらいのペースで走り抜けた。
そろそろ10キロというところで、誰か後ろにいるような気配がして、ふと後ろを見ると、なんと安川、横浜でもいて、ここでも付いてきたかと思った。どこまで付いてくるかと思ったが、いつの間にかいなくなっていた。10キロは、やはりペースが上がり、19:54、マラソンで20分を切ったのは、たぶん佐倉マラソンの時以来だと思う。大田原は2年ぶりだが、ほとんどコースは憶えている。各5キロ毎のポイントの位置も憶えているので、走っていて不安はない。
10キロから15キロは、それまでと比べ、ややアップダウンがあり、全体的にも上り気味のコースになっている。例年この部分はタイムが悪い。しかし、まだこの辺りまでは調子も良い。コース自体が上っているので、ラップが落ちても気にはしない。案の定、15キロは、20:23。しかし、良くこのタイムで納まったと思う。上出来だった。レース前からの予定として、15キロから5キロ毎にカーボショッツを一つずつ摂ることにしていた。同じくらいのレベルでウェストバッグなど持っているのは、殆どいなかった。が、結局、後半になって、これが効いて来るのだと思う。15キロを過ぎても、体は軽く、特に問題はなかった。しかし、3時間を切ることを目標においてはいたが、今回3時間を切ることは、難しそうに思えていた。走りながらでは、やや消極的になってしまっていた。3時間を切れなかったならば、マラソンもやめようかなどとも考えていた。しかし、50歳までは、サブスリーを続けていたかった。
20キロ手前まで来ると、街中に戻ってくる。コースとしては、途中道幅も狭くなり、あまり好きな場所ではないが、応援は出ているので、それなりに励みにはなる。20キロが20:59、ややペースは落ちてしまっていた。20キロ地点を過ぎ、国道から細い道へ左折すると、再びスタート地点から出てきたコースへと戻る。そしてしばらく行って中間点。26分を少しだけ切っていたようだが、ほぼ1時間26分というところだった。このまま行って2時間52分、記録更新というところからは多少遠ざかってしまった感じだったが、体のほうも軽かったので、記録更新が無理だとは思わなかった。無理のないペースで、数人の同じランナーと、前になり、後ろになりという感じで、いい調子で走り続けられた。まだまだそのままの調子で行けそうだった。集団走は結構楽に走れていた。
中間点を過ぎてしばらくすると、前方に見慣れた走りのランナー。てっきり後ろかと思っていた大島だった。岡野、中村はこの大島を追っていたわけだった。その大島も、もう走りに元気が無く、ずるずると落ちていきそうだった。難なくパスする。抜きがけにお尻をペロリとする。これで元気をもらった。私はまだまだ快調で、5キロ地点とほぼ同じところの25キロ地点、これを20:24で通過。奇遇にも、初めの5キロと全く同じタイム、まずまずの調子と言って良かった。その後も、まわりのランナーと共に、快調に走る。このあたりから、からだ全体に疲れが出てくるのではないかと思っていたのだが、そういうものは、全くなかった。気持ちは良かったが、ほんとにこのまま最後まで行けるだろうかという不安も、少しはあった。
25キロから30キロにかけては再び下り気味のコース、道も広く走りやすい。できれば20分台で走りたかったが、この5キロは21:02。トータルタイムは全く気にしていなかった。ここまでのラップからすれば、3時間を切ることは全く問題ないと思って走っていた。25キロから2~3キロ来たところで、前方に中村らしき姿を見つけていた。一時は全く見えていなかったので、ずいぶん落ちてきていたのだろうと思った。抜くのは時間の問題だった。そして更に30キロ手前あたりで、岡野も中村のすぐ前にいるのを見つけた。30キロを過ぎ、右折してから給水があるが、その先で岡野、そして立ち止まっていた中村を難なく捕らえた。もう私の前には知り合いはいなかった。このまま気持ちよく快走するだけだった。
30~35キロにかけては、やはり上りとなっているのだが、ここもまだまだ元気があり、21:37で通過。タイム的にはやや落ち込んでしまったが、気持ちは充分張りつめていた。疲れというものは全くなかった。ペースとしては少しずつ落ちていた。黒い長袖シャツを着た50歳のランナー(年齢はゼッケンに書いてある)は、ほとんどずっと一緒だったのだが、35キロ手前あたりから徐々に離されていってしまった。しかし、気持ちだけはしっかりしていた。あとは、5キロのラップを1回だけクリアすればゴールだと思いながら走っていた。やや腹も空いてきて、エネルギー補給のためカーボショッツを摂る。やや道も狭くなり、少しではあるが、アップダウンを繰り返す。じっと我慢して走るしかなかった。ペースは、明らかに落ちていた。
残り5キロからは1キロ毎の表示。それまでに比べ、1キロのペースがだいぶ落ちてしまっていた。時計は気にはなっていたが、5キロのラップ以外全く見なかった。残り4キロを過ぎると、そろそろ街の中。街中の4車線道路に出るとすぐに残り3キロ。もうわずかだと思うのだが、ペースは上がっていかない。ついにやってきた40キロ地点は、23:15もかかってしまっていた。2時間48分台、なんとか3時間はクリアできそうなタイムだった。やっと、ほっと一息つけたような気がした。しかし、油断はならなかった。今にも足はつりそうだった。もうカーボショッツはいらなかった。ゼネラルのドリンクを取り、水を頭からかぶる。まるで、トライアスロンのラストのようだった。ラストは、前回出場の時とはコースが違っていて、見当がつかなかった。試走していれば、もっと楽に走れたかもしれない。ラストの1キロはとても長く感じられた。競技場の裏側へまわり、裏側のゲートから競技場へ入っていった。中へ入れば、あと残りは100m。ゴールの時計とにらめっこしながら、なんとか57分台を目標にゴールを目指した。
一応余裕を持ってのサブスリーなので、ゴール手前であわてることなく、一歩一歩踏みしめながらのゴール前だった。スパートはする気は無かった。できなかったのかもしれない。ゴール時の時計はちょうど2時間58分、新記録はならなかったが、サブスリーは達成し、とりあえずは満足した。今回の参加者の中でもレベルは低いが、一応トップでもあり、満足。ゴールでは鳥居さんが出迎えてくれていた。最後まで走り切れ、これも満足。あとは、まわりのランナーとしばらく健闘を讃え合い、疲れを癒した。中には途中まで競り合っていた50歳の黒長袖ランナー、以前神宮外苑で走っていた自衛隊ランナーの姿もあった。まわりのランナーは、3時間を切ることができ、満足そうないい顔だった。上位の結果は、RCチップを使っているので、すぐに発表されていた。トップは2時間19分、30位まで表彰があり、30位は2時間45分だった。2時間58分では、予想では80番台くらいかと思ったが、さすがにレベルは高く、後の通知では95位ということだった。女性のトップは、私の少し後で、なんとか女性には勝つことができた。
レース後は、市内の温泉ホテルで風呂を浴び、その後は例年通り近くの餃子屋で慰労会となった。開放感もあり、餃子もアルコールもたくさん平らげ、帰りの新幹線も大賑わいだった。家に帰ってきたのは、12時をまわっていた。
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