第17回 全日本トライアスロン宮古島大会
2001年4月15日 日曜日 天候:くもり
種目:Swim 3Km、Bike 155Km、Run 42.2Km
記録:9:34:11 総合 151位
swim 53:33
bike 4:50:42
run 3:49:56
4月13日(金) 晴れ
朝はやく、本郷台から横浜へと向かう。横浜からは6時過ぎのバスで羽田へ向かう。昨年は朝一番の飛行機で那覇経由、今年は7時半羽田発、11時頃宮古島着の直行便に乗れた。少しは楽になった。羽田で1時間ほど余裕があって宮古島行きに乗る。あとは、宮古に着くだけ。
宮古島はまずまずの天気、暑いと言うほどでもなかったが、もう初夏の陽気である。主催者のバスで体育館へ向かい、受付を済ませる。そのまま宿の東急リゾートへ入り、チェックイン、昼食をとって一休みする。その後は、バイク組立、買い出しなどをして、競技説明会、歓迎パーティと続いた。特に変わった事もなかった。今日はこれでおしまい。同行の遠藤、安川ははやく寝てしまい、ひとりでワインを飲みながらのんびりする。11時床に就く。
4月14日(土) 晴れ
朝はやく、明日のスタート時間と同じくらいに泳ぎに出る。潮の流れが結構あった。朝食をとってから平良市内までサイクリング、お土産を買う。昼食はいつものファミリーレストランの「ばっしらいん」、相変わらずの雰囲気だった。宿まで戻ってきて明日の準備、4時過ぎにバイクの預託をする。今日はゆったりと夕食も早めにとってのんびりする。9時過ぎに床に就いたがしばらく寝付かれず、寝入ったのは10時近くなってからのようだった。
4月15日(日) くもり
起床3時50分、すぐに朝食を食べに行く。3人と少ないせいか、動きも早い。余裕もゆったりとある。5時半に受付をして荷物を預ける。バイクのセッティングをして準備は終わり。部屋に戻って最後の準備をする。レースウェアを着込み、耳栓をしてウェットスーツを着る。6時半に最後の荷物を預けてスタート地点へ向かう。この時、雨が落ちてきた。また雨かと思ったが、準備はすべて終わっている。あとは天に任せるしかなかった。早々にスタートエリアに入り、軽くウォームアップをする。今年は「練習」が禁止されていて、岸に上がるようにしきりに促された。10分ほど前からコールが行われ、皆で気合いを入れた。あとは大会会長のスタート合図を待つだけだった。
7時半、号砲一発、長い一日のスタートが切られた。私のスタート地点は、だいたいコースの真ん中あたり、トップ選手が集まっている後ろから出ていった。前は速い選手なので、それほどのバトルも無かった。第一ブイのあたりで、右側からの選手が集まってきたのか、やや混雑したが、またすぐにばらけた。あとはほぼマイペース、なるべく集団の中で泳ごうと努力をするのだが、どうしても左にずれて行くようで、いつの間にか、コースの左の方に寄ってしまっていた。幾度となくコースの修正をせざるを得なかった。第一コーナーを曲がった後、最も長い直線コースは潮の流れがあるので、それほど長いとは感じられなかった。それでも左へ寄っていってしまい、何度もコースの修正をしていた。第二のコーナーを曲がってからは、やや潮の流れに逆らうようにフィニッシュラインを目指す。まわりからそれほど遅れるという様子もなかったので、いいタイムを期待していたのだが、昨年とほとんど変わらない結果だった。53分33秒。
浜から上がり、シャワーのところで目の前に遠藤さんを発見。やはり速いかと思ったが、遠藤さんが不調のようだった。バイクラックまで行くと、今度は鈴木を発見、ちょうどバイクに乗って出ていくところだった。さっさとバイクウェアに着替えを済ませて、バイクコースに出ていく。バイクに乗ったのは、58分くらいだった。
路面は濡れていたが、雨は上がっており、コーナーでスリップに注意するくらいで、あとの心配は無かった。出だしは無理をしないようにやや押さえ気味に出ていった。日頃の練習と変わらないくらいのペースで漕いでいた。平良市内に入ったあたりでは雨の降ったあともなく、あとは順調にバイクも進んだ。とりあえず一周、100キロまでは無理することなく、練習と同じようなペースで行くつもりでいた。補給食もいつもと同じ。エイドでも、ほとんど何も貰わない。曇っているので、水の補給もいらず、途中バナナを一本取ったくらいで、あとは何も要らなかった。
池間大橋を渡って、島を一周して再び橋へ戻ってくると35キロくらい。しばらくは池間島へ向かうバイクと対向するが、三叉路を左折して東平安名崎を目指す。およそ40キロあたりになる。このあたりまではまだ元気もいい。いつも長く感じられるのが、この宮古島の北東側のコース。ここはアップダウンも多く、疲れも出始める頃で、気分的にも長く感じられる。ここまでだいたい30キロほど──1時間くらいは掛かっている。
左手に海も見え、坂を下っていくと東平安名崎への入り口となる。東からの風が強いのか、岬に向かっては向かい風となる。東平安名崎を折り返してから先にスタートしていた鈴木とすれ違った。てっきり前にいると思ったが、どこで抜いたか分からなかった。しばらくして、その後に安川、相変わらずしぶとい。遠藤は分からなかった。東平安名崎のあたりで尿意をもよおす。止まるのも嫌なので、スピードを落とし、バイクに乗ったままする。少し出て楽になった。その後も、2~3回乗ったままする。最後には慣れてきて、十分満足するくらいにできた。
その後はしばらく、きつい上り坂がいくつかある。このあたりも、無理せず、練習のつもりで上る。まだまだ先は長い。調子は悪くなく、気持ちよく上って行ける。下りなどは、無理してスピードを出す事もしない。マイペース。上野村を通過すると、しばらくゆるい下りが続き、スピードが出やすいコースとなる。そして、2つ目の来間大橋の往復となる。ここで再び後続との差を確認。安川、そして遠藤も確認できた。鈴木、遠藤は不調そうだった。安川は相変わらずという感じだ。
大橋から戻ってきて、リゾートの前まで来ると一周、約100キロが終わる。今回は、調子が良かったからかなのか、距離を見たり、時計を見たりというのがほとんど無かった。一周回ってきたところでも、時計を見ることはなかった。あと残りが55キロというだけだった。調子の方は、まだまだ快調、100キロを超えスピードの落ちてきたバイクを捕らえていく。まわりのバイクもまばらになってきている。
平良市内を過ぎ快調にとばしているところへ、来間大橋ですれ違った「松本晴美」が追いついてきた。敵も快調に飛ばしていた。こちらもまだまだ行けそうなので、松本に付いて行く。無理をすることなく、同じペースで走ることができた。そのまま後ろに付いていった。2度目の池間島でも調子は良く、島の中のいくつかある上り坂でも楽に上っていった。一周目に大きな集団で前を走っていた連中も、だいぶばらけたのか、遅れた連中と思えるバイクが、まだ集団でいた。それらも難なくパス。松本と一緒に、ペースを上げて引き離して行った。松本は、ややドラフティング気味に人の後ろに付く。既に1回ドラフティングでつかまっているらしく、背中のゼッケンには、赤いマジックでマークが入っていた。既に警告を受けているバイクは普通に走っていても、すぐに人の後ろに入るような走りをしている。失格となっても、不思議ではない。
池間島から戻ってきて、再び三叉路に出ると、残りも20キロほどとなる。ペースも速く、あっという間にここまで来てしまった感じだった。ここから15キロほどは、アップダウンが多くつらいコース。ドラフティングの集団がばらけて、ペースの落ちた集団がいくつか居る。それらをパスして快調に飛ばした。150キロを過ぎてバイクフィニッシュへと向かうため、右折する。あと残りは5キロ、ギアを軽めにし、次のランに備える。ここで初めて時計を見る。トータル、5°40′くらいを指していた。上出来のバイクだった。5~6人が一列でフィニッシュゲートをくぐっていた。
バイクを降りても、体は軽い。着替えテントに入って、ランウェアに着替える。まだ早いせいか、テントの中も空いている。消炎剤の臭いもしない。5本指ソックスをはき、ランシャツに着替えて出ていく。陽が出ていないので、それほど暑くもない。気持ちよく走れそうだった。
走り出してしばらくして、バイクパンツをはいたままなのに気が付いた。道の真ん中で脱ぎ、そのまま近くにいた人に預けてしまった。──ゴールした際、この人はわざわざゴールまで来てくれていた。更に、パンツも私の荷物の中に入れてくれていた。そのまま快調に走ることができた。感謝。
目標はとりあえず10キロまで行くこと、そうすればだいたいの見当はつくはずだった。序盤は非常に快調で、それほど速いとは思っていなかったのだが、前のランナーを少しずつ捕らえていった。時折とても速いランナーが抜いていく程度だった。10キロを過ぎたところで時計を見ると47分、いい調子だった。このまま行って、ペースさえ落ちなければ、3時間半で走れそうだった。それくらいを目標にしていた。まだ陽は照り出していなく、しばらくはそのままの調子が維持できた。
バイクで抜いていた鈴木も、ランまで不調ということはなかった。鈴木夫人が何度か、いつの間にか先回りしていた。そのうちに来るかと思っていたが、15キロあたりで追いついてきた。ランはとても快調そうで、どんどん先に行ってしまった。私の方は、それなりに調子は良く、マイペースで進んでいた。折り返しまでは特に不調ということは無かった。だが、陽が差し始めていた。このあたりから徐々につらくなり始めていた。カーボショッツは一応、5キロ毎に一つずつくらいの割合。経験上、後半になるとそれほど欲しくもならないので、無理して食べることもしなかった。
折り返して、陽も出て、カーボショッツばかり食べていたからか、25キロあたりから急に腹の辺りが気持ち悪くなっていた。後続の安川とは4~5キロの差、それも心配だったので、のんびり休むわけにもいかなかった。それまで一度もエイドでは立ち止まらなかったのが、ついに止まって休むようになってしまった。たぶんミネラル分が汗で出て不足したのだろうと思い、梅干しや塩を取るようにした。やはり、梅干しは効果があった。何度かエイドで梅干しを食べ、体調は元に戻ったようだった。ペースも速くはないが、なんとかまともに走れるようになっていた。あとは35キロを過ぎ、街中に出てしまうだけだった。そこまで行ってしまえば、気持ちで走り切れるだろうと思っていた。
メイン道路も4車線となり、人影も増えてきて、あとゴールも間近と思えてきた。あとは、滑走路横を通って街中に出るだけだった。やはり昨年よりは順位も早いせいか、まわりにランナーはそれほどいない。前方にも見えず、ひとり気持ちよく走れている。声援に応えながらゴールの陸上競技場を目指した。競技場手前のゆるやかな上り坂でも前方にはランナーが見えず、自分だけのレースの様だった。競技場内でも自分のアナウンスが聞こえ、放送席前でも声援に応えることができた。ゴール前では疲れてしまったけれど、納得のいくレースができた。9時間半は少しまわってしまっていたが、昨年の記録を20分以上更新し、順位もついに目標の100番台となったレースだった。
ゴール後、先にゴールしていた鈴木と記念撮影。その後は体育館でシャワーを浴びて高校生によるマッサージ。すっきりした後は、ビールと沖縄の焼きそば2つで700円、量もたっぷり、おいしかった。安川、遠藤もとっくにゴールしていたので、バスで宿のリゾートへ帰った。帰ってからは、腹が減ったので、リゾートのレストランでビールと寿司で腹を満たした。一段落してからは、洗濯、あとは、テレビを見ながらゆっくりビールを飲んでいたら眠くなった。11時就寝。
4月16日(月) くもり/雨/くもり
ゆっくり朝起きて朝食、バイクの引き取り、11時にチェックアウト。その後にゆっくりバイクの分解、パッキング。それでもまだ3時からのパーティには余裕があり、しばらくホテルのロビーでのんびり。3時から5時までアワードパーティでたっぷり浴びるほどビールを飲んで空港へ。7時25分の羽田行きに乗って宮古島ツアーは終了となった。
ツアー料金 115,000
小使い 40,000
土産 12,000
交通費 5,000
飲食費 10,000
写真 4,000
輸送費 6,000
その他 3,000
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合 計 155,000
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