第1回 2001 Ironman Japan in GOTO Nagasaki

2001年7月22日(日) 天候:晴れ・猛暑
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11:45:47 (総合 78位 男子45-49 3位)

 Swim	1:16:52 (348)
 Bike	6:39:23 (173)
 Run	3:49:32 (51)

 暑さのせいか、足が回らない。上り坂はなんとか上っているが、平地や下りでは全く走れない。背中がじりじり暑くなって来るのが分かる。冷たいコーラが恋しかった。
 もうだめだ。たまらなくなって、エイドで停止。まだ90キロも来ていない。あと半分走れるだろうか、完走だけしか頭に浮かばなくなってきていた。エイドで貰った冷水、アクエリアス、梅干し、これで少しずつ生き返っていった。3回ほど繰り返し、いちばんの坂をのぼりきったところで復活してくれた。やっと前を行く安川を追う気になってきた。

7月20日(金) 晴れ
 いつもの休みの練習日と同じ時刻に起きて出発の準備をすすめる。横浜駅に6時45分集合、羽田発は、8時40分発の長崎行きANA。空港ロビーは連休の初日のためか、たくさんの人であふれていた。トライアスロンツアーの列も長く延びていた。

 羽田で埼玉の守田夫妻と合流、あまりゆっくりもできず、すぐに搭乗口へ向かう。やや遅れて出発、長崎着は10時半頃だったか。ツアーのバスで長崎港まで1時間ほど。福江港行きのジェットフォイルは3時40分発、それまでの間は自由時間。行くところはひとつ、長崎の中華街。チャンポンだけで済むわけもなく、ビールと紹興酒で2時半頃までのんびり居座ってしまった。

 ジェットフォイルで2時間ぐっすりと休み、やっと目的地の福江島に到着。受付終了まで余裕もないので、すぐに出かけて受付だけ済ませる。カーボパーティは既に始まってしまっており、遅ればせながら出かけていく。公園の真ん中に大きなテントが張られており、その下に1,000人ほどのパーティ客。アイアンマンという雰囲気が少し出てきた。いす席はほぼ満席、座るところもなく、芝生の上でのんびり食事をする。早めに切り上げて、宿に戻る。宿で再び酒宴、今日は酒浸りとなった。組み立てる予定だったバイクは、明日に延ばし。早々に寝付く。

7月21日(土) 晴れ
 早々と起床、6時前には目が覚めていた。今日は朝から仕事が沢山ある。バイクの組立、9時からの競技説明会、その間にトランジッションバッグの用意をし、2時からスイム会場にてバイク預託。その後は軽くスイム練習という予定。

 7時前にバイク組立も終了し、朝食をとる。空いた時間をみてトランジッションバッグの準備もする。いつものカーボショッツ、羊羹、そして梅干し。ウェアの準備も忘れない。競技説明会は、近くの福江市文化会館、立派な建物がある。アイアンマンエキスポも一応有ったが、大したものは無く、地元の海産物などが多かった。9時から1時間ほど説明会が行われたが特に難しい話は無し。

 宿に戻って少し休憩し、午後のバイク預託の準備をする。バイクは福江市文化会館でも預けることができるが、スイム会場でも良い。スイム会場も見たいので、20キロほどの道のりをバイクで行くことにした。バイクコースは予想どおり坂ばかり、明日の苦労が思いやられた。日差しも暑く、大変なレースになりそうだった。しかし、景色はとても良い。それだけが慰めだったか。バイクとトランジッションバッグを預ける。

 スイム受付所にはバンガローやキャンプ場などがある。芝生が植えられ海水浴場もあり、きれいなところだ。スイム会場は潮が引いており、沖の方まで底が出ている。明日朝に満ちているだろうかと心配になった。景色はきれいだったが、水はそれほど透きとおっても無く透明度は高くない。宮古島と比べたら残酷だろうか。沖のスイムスタート地点から、最初の大きなブイまで軽く泳ぐ。それで戻ってきた。

 松岡、対馬と3人で泳いでいたが、他の3人が見あたらない。帰るには、大会のバスが有るだろうと思ったが、そんな用意は無いという。仕方なく、3人で富江の町まで歩くことにした。富江からはバスがあるはずだった。福江までヒッチハイクを試みるが、なかなか止まらず、そのうちに、ツアー客を数人乗せた大安さんの車。手を挙げたら止まってくれた。暑い中歩いた後の車のクーラーは心地よかった。ツアー客を送り届けるのに、途中、福江市内のバイクコースも通り、レースの参考になった。4時半頃に宿に着く。あとは夕食をとって早く寝るだけだった。残りの3人は、自分たちが乗る予定だったバスで帰ってきたようだった。トライアスリートの身勝手さが話題になった。

 就寝は9時前、起床は3時半の予定。明日の天気の心配は全く無かった。

7月22日(日) 晴れ
 気持ちよく目覚める。朝の準備をしてレースに備える。朝食はお弁当ができていた。おにぎり4つは食べきれなかった。スイム会場へは4時45分にバスが出る。用意をして、4時25分頃には宿を出た。東京よりだいぶ西に位置するので、日の出が遅くまだ暗かった。昨日バイクで行ったコースをバスで会場へ向かう。バスで行っても坂はきつそうだった。会場に着く頃には明るくなっていた。

 他の大会ではスタート準備をする頃には結構緊張しているのだが、今大会は特に目標設定というものが無かったからか、アイアンマンというのにあまり緊張感は無かった。当日の受付をし、ナンバリングをする。そのあとバイクのセッティングをしてしまったら他にすることもなく、時間に十分余裕があった。スイムスタート地点でしばらくストレッチなどをして、スイムエントリーの時間を待った。7時スタートで、6時半にスイム会場に入場する。ウェットを着込み、早速ウォームアップをする。風もなく、波など全くない。雲も多く、このまま日が差さずに済んでくれればなどと思った。

 スタート地点は岸から150mほどのところ。岸から出てすぐに防波堤があり、幅が狭くなっているので、沖にスタート地点が設けられた。10分ほど前に岸からスタート地点へ向かって泳ぎ出す。どこからスタートしようかと考えていたのだが、コースがやや曲がっていたので、外側からでもあまり距離は変わらないだろうと、一番外側へ出た。人はあまりいなく、ほとんど最前列に並んでしまった。

 スタート直前になってもあまり緊張はしない。スタートの合図は左端の舟の上から切られた。バトルなどはほとんど無い。左に寄っていく癖を注意して泳ぐだけだった。ほとんどいちばん前という感じ、右側には人はたくさん居るが、私の前にはあまりいない。人の流れに乗るように右側に寄っていくようにするが、なかなか行けない。まわりの人の流れに付いていくしかなかった。

 最初は750mほどの直線。集団から離れていることを除けば、特に問題はなかった。しかし、やはり気が付くと左に寄っていて、蛇行しているようだった。最初のコーナーを見つけ右にターン。ブイを回ったのだが、そのブイの位置がなかなか変わっていかない。流れがあるのかと心配したが、そうではなかったようだ。なるべく人の後ろに付いた。もう一度右にターンして900mほどの直線コース、岸を目指す。こちらの方が泳ぎやすい感じがした。泳ぎも慣れてきて、気持ちよく泳げる。あっという間に岸に着いたような気がした。

 岸に上がったところで36分、まだ半分は行っていなかったのだが、まずまずだろうと思った。なんとか1:20は切れるだろうと思って、再び泳ぎだした。今度は、なるべくブイのそばを泳ぐようにして、人の後に付いていく。やはりこちらの方が泳ぎやすい。そのまま、左にずれるのを注意しながら、集団の中で泳いでいった。2周目もあまり苦労なく気持ちよく泳ぐことができた。岸まであっという間に来てしまったような感じがしていた。練習の成果かもしれない。

 岸に上がってゲートの時計を見ると1:16、まずまず上出来のスイムだった。チェジュよりは速かった。あとは、クラブのメンバーがどこにいるだろうかという事だけだった。守田さんのバイクは私のすぐそば、まだあることが分かった。松岡など他のメンバーは分からなかった。松岡には宮古島でも負けているので、前にいるかもしれないと思った。安川にはスイムでは負けていないので、まさか前にいるとは思わなかった。バイクで走り出してすぐ川島に会った。結局バイクの時に見たのはそれだけで、他は誰にも会うことはなかった。

 すでに暑かったからか、あるいはこれから先のアップダウンが気にかかったからか、スピードに乗っているというペースではなかった。なにか、今ひとつペースに乗り切れないという感じでペダルをこいでいた。そのうちに、鉄人の赤いユニフォームを前方に見つけた。トレックのYフレーム、川島だった。後ろから声を掛ける。すぐ前に安川が居ることを知らされた。どれ位前かは分からなかった。前方を見る限り、安川の姿は見えなかった。しかし、そのうちに追いつくだろうというつもりでいた。だが結局、安川のバイク姿を見ることは無かった。何度も赤いウェアを見て近づくが、いつも違っていた。ニューバイクの影響力はこれほど大きいかと思い知らされた。

 福江市内を抜けるのは50キロ過ぎと思っていた。富江町から何度か峠を越えて、更に鬼岳を周回して福江市街を抜けていく。結局、福江市を抜けたのは60キロ地点、それまで市内の同じような所を何度もまわされていた。福江市を抜けてしまえば、あとは分かり易い。大きくぐるりと2周回するだけ。

 補給については、結構気を付けていたつもりだった。20キロ毎にカーボショッツを摂っていた。それで十分だろうと思っていた。しかし、やはりそう簡単なものではなかった。山間部に入って行くので、ゆったりとした気持ちで、伸び伸びと走って行くつもりでいた。しかし、どうも足が回らない。上り坂ではなんとか登って行けるのだが、平地や下りでは全く走れない。どうしたものかと思いながら、耐えるしかなかった。順位というものが気にならなくなっていた。このままでは完走というのも危うく感じた。思い切って休むのがいちばんと思い、エイドで停止する事にした。

 冷たい水を頭からかけ、梅干しを貰う。更に冷たい水の入ったボトルに交換し、気分を入れ替えて再びスタートした。それまでよりは少しは楽になった。しかし、まだまだ本調子ではなかった。結局、その後2ヶ所で同じように停止して体を休めた。それが良かったのか、本コース最大の登りでは前を次々ととらえ、生き返ってしまった。山の中で体が冷やされたのも良かったのかも知れない。いつもの練習から比べれば大したことのない峠を登りきり、山を下っていく。足も回るようになってきた。もうエイドでも止まらずに済むようになった。2周目に入ってからは、コースもわかり更に調子も上がってきた。あとは練習のつもりで行くだけだった。

 バイクのフレームに貼り付けたとても高低図は役に立った。距離表示とピークが判るだけでもずいぶん楽だった。2周目を終え、残りは20キロほど。中盤であまり足を使っていなかったせいか、まだまだ余裕はあった。しかし、前との差はあまり詰まらないように見えた。後ろとの差は開いていくのだが、前との差は詰まっていかない。安川に追いつく事は諦めていた。残り少なくなってからも、いくつか峠越えがある。山道ではなく車用の道路だけに、直登で、けっこうつらい登りだった。さすがにアイアンマンでいちばんのバイクコースとの評判である。

 福江市内に戻ってきたところで、やっとほっとする。次のランに備え、少々軽いギアを回す。体調の方は全く問題なかった。暑さも気にならなくなっていた。バイクの最後は、ランの周回コースの真ん中に出てきた。周回コースを既に走っているランナーも見かけられた。周回を終えて外周道路へ向かっているランナーとはすれ違うことはなくほっとした。バイクゴールまで500mほどのところで、走り出していた安川とすれ違う。ぱっと見では体が傾き、きつそうな様子だった。およそ10分の差と見た。これならば追いつけそうだと判断した。目標が見つかり、元気が出てきた。

 中央公園のバイクゴールに到着し、ランへと着替える。体も軽い。結構走れそうな感じがしていた。周回コースまでは1キロ、そして片道6キロのコースを2往復。そこを抜け出し、最初のエイドまで行くと26キロという距離になる。周回コースに向かうところ、私が安川とすれ違ったところで、今度は私がバイクの松岡とすれ違った。こちらもおよそ10分差ということになる。3人が等間隔で並んでいたことになる。周回コースに入るところでサブスリーの角野氏。スイムから上がったところで会っており、バイクで先にスタートしていたはずだが、どこで抜かれていたか。しかし、私のあの走りでは抜かれていても不思議ではない。でも、私と同程度ということは、大したタイムでもない。ランはかなり不調そうで、あっさりと抜き去った。

 ランのエイドはしっかりと1キロ毎。コーラもちゃんと有る。積極的に水分を摂っていく。大好きなスイカもある。最後のランナーまで有るだろうかなどと、余計な事を考えるが、走っているときは人のことまでは心配していられない。1つ目のエイドを過ぎてから、折り返してきた安川とすれ違う。その差が気になり、一応時計を見ておく。折り返しまで3分かかり、6分の差を確かめる―約1キロ。折り返しでゴムを1本貰う。1本目は緑色。

 コースは多少のアップダウンはあるのだが、大して気にはならなかった。1回目の折り返しを終え、2回目の折り返しに向かうところの、滑走路脇に出る登りがいちばんつらかった。しかしそこにも、登り切ればエイドが待っていた。あとはしばらく滑走路脇の直線道路、日陰もあまり無く、背中がじりじりしてくるのがよく判った。エイドでは、頭、背中にたっぷりと水を掛けて冷やす。滑走路の下をくぐって「コ」の字型になったコースのもう一つの折り返しに向かうところで安川とすれ違ったのは、もうすぐ目の前が折り返しという所。差にして2分、1キロあった差も500m以下になっていた。

 私の方の走りはとても快調。エイドで氷さえあれば十分だった。そして安川を捕らえたのは、そこから2キロも行かないところ。かなりつらそうで、前方で歩いているのが見えた。難なく安川をパス。その先で前方から来る松岡を発見、安川が歩いていることを知らせると、顔色が変わったように見えた。あとは、この調子をどこまで維持できるかだけだった。この時点では、安川を気にする必要はなかった。

 周回も2回目に入り、3本目のゴムを貰い折り返してくると、再び安川。しかし今度はかなり気合いの入った顔色をしていた。一応差は10分くらい開いていた。最後の折り返しへ向かう時には陽もだいぶ傾き、日陰もだいぶ多くなっていた。1周目よりはだいぶ走り易くなっていた。やや疲れも出てきたのか、走りにキレが無くなったようにも感じていた。最後の折り返しを廻って22キロ、まだ2時間まで過ぎていなかった。エイドで最後のゴムを貰い、次のエイドまでまだ500mくらいあるところで安川とすれ違った。前回の差からすると、かなりつまってきたことになる。やはり安川もただ者ではなかった。ゾンビのように生き返ってしまっていた。これを見て、のんびり走るわけにも行かず、また気合いが入ってしまった。

 周回コースの中ではランナーが多く、氷なども充分ではなかったが、外周コースへ出てしまえば走っているランナーも多くはないので、充分補給できるだろうと思っていた。エイドの人達もまだまだ元気で、ランナーの受け入れ態勢も十分だった。後ろからの安川の追撃を思い、帽子を目深にかぶり自分の走りに集中した。気持ちよく走れていた。コースも道幅が広く、車の往来も無く、走りに集中できた。まわりにいるランナーも既にふるい落とされて来ており、皆いい走りをしていて、いい方向にまわっていた。

 30キロ地点を過ぎて残りは12キロ、更にマラソンの壁とも言える35キロ地点を過ぎても走りに変わりは無かった。それまでラップなど特に気にする事もなかったが、先も見えてきた残り5キロ地点で時計を見ると、トータル11:20、12時間を切れそうだということが分かった。まだまだ体に余裕もあり、全精力を出し切って走ろうと思った。5キロを20分で行くくらいのつもりで走っていた。前のランナーとの差も少しずつ詰まり、順位も1つずつ上がっていった。もう後ろの安川は気にならず、前を追うだけだった。途中で81位という声が掛かった。ランスタート時に181番というのを聞いていたので、100人ものランナーを抜いたことになる。2ケタ台の順位となって、更に気分が良くなった。

 残り5キロを切ってからは、アップダウンを繰り返しながらも、徐々に市街地へと下っていた。残りの距離も先が見えてきて、安心して走れていた。40キロ地点ともなると、もう街の真ん中、応援の人の数も増えてきている。ゴール手前のアイアンマンのネオンサインを早く見たいと思いながら、気持ちよく走っている。いくつかの角を曲がって、やっとあのネオンサイン。ついに長年待ちこがれた「アイアンマン・ジャパン」のゴールが見えてきた。まだまだ走れそう。前のランナーにも追いつきそうだった。しかし、もはやここで無理をしてもしようがなかった。

 石田城の門をくぐって城内へと入る。もう間もなくゴール、気持ちよくゴールできそうだった。ゴール手前はきれいに花道が作られ、ゴールを祝ってくれる人の数も多い。差し出された人の手にタッチをして喜びを体で表す。暑い中、一時はどうなるかと思えたこのゴールも、まだまわりが明るい中、祝福に迎えられて、再びアイアンマンのフィニッシュテープを切ることができた。至福の時だった。この時ばかりは、レースの辛さを忘れていた。

 初めてのアイアンマン・ジャパン五島長崎ではあったが、応援、サポートどれをとっても初めてとは思えない立派な大会だった。この会場にいる全ての人達がフィニッシャーに思えた。そのままサポートの人達に支えられ、体育館の中のマッサージエリアへと連れて行かれた。たくさんの高校生ボランティアが働く中、充分なマッサージを受け、気持ちよく体をほぐすことができた。そして、これだけのサポートに支えられ、素晴らしいゴールが切れたことを感謝し、更にこの大会が毎年開催されることを願った。

 一段落してから、宿まではゆっくりとレースをかえりみながら歩いて帰ったが、今度はそれまでの辛さがよみがえり、辛さだけが残ってしまったような気がした。宿では、一度横になってしまったら、起き上がることはできなかった。なぜこんな辛いことを繰り返すのか、もう二度とこんなレースはやりたくないと、それしか思うことはできなかった。

 夕食は宿に用意されていた。全員が帰って来るまで待つつもりだったが、対馬はいつになっても帰って来なかった。案の定、点滴を受けていた。川島は食欲が無く、3人での夕食となった。今大会の優勝者は田村、チェジュに引き続き2連勝である。ホテルから同宿の田村へ日本酒と鯛が贈られ、それが皆に振る舞われていた。

 食後、横になって休んでいたが、いつの間にか寝入ってしまっていた。

7月23日(月) 晴れ
 やはり朝はやくから目が覚めてしまう。濡れ物などを外で乾かす。朝食後に中央公園へバイクの引き取りに行く。その帰りに成績を見に文化会館へ立ち寄った。自分では年代別で、やっと10番程度に入ったくらいのつもりでいた。昨年のチェジュで7位、またハワイのスロットもかなり少ないことから、当然の事ながら、ハワイなどは無関係のものと思っていた。そこで発表されている結果を見ると、上から3番目に私の名前が載っている。更に、ハワイのスロットも3つ、私のところまでマーカーで線が引いてある。なんと3位入賞、ハワイの権利も獲得であった。4位には安川が入っていた。しかし、当初からハワイには行かない予定でいた。名前に線が引いてあるのをそのまま見送り、宿へと帰った。

 ハワイロールダウンは10時から。10時を過ぎて安川へのロールダウンの様子を見に行った。結局これが後の混乱を招く元となった。安川と2人でハワイへ行けることが実現しそうであった。しかし現実はそう甘くはない。当初の予定からハワイへ行くつもりは無かったので、一度はハワイへの申込書へ記入したが、悩んだ末それをキャンセルしてしまった。宿へ帰り、ひとり遅れてバイクの片付けを始めた。あとは皆で昼食に出かけ、土産の買い出しをしてきた。その後は、パーティまでの間宿で一休み。

 今回の結果で嬉しかったのは3位入賞という事だった。思いがけず、表彰されるということがとても嬉しかった。5時からのパーティの食事自体は、金曜日とほとんど同じ。1時間ほど食事の時間があり、6時半ころから年代別の表彰式が始まった。アイアンマン・ジャパンという晴れの舞台で表彰台に乗れるという晴れがましいことを喜んだ。

 アワードパーティの後、福江市に移り住んでいる川島さんの先輩のお宅で地元の魚とお酒を夜遅くまでごちそうになった。ご夫婦2人、福江島での生活を楽しんでいるようだった。今日でアイアンマンの行事は終了。

7月24日(火) 晴れ
 あさ9時20分のジェットフォイルで長崎港へと向かう。羽田へ向かう飛行機にもスムーズに乗り継ぐことができ、3時過ぎには羽田の地へ降りていた。重い荷物を抱え、なんとか家にたどり着くことができた。

 ツアー料金  100,000円
 小使い     30,000円
 参加費     35,000円


  
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