2000 Ironman Asia in Jeju

2000年7月2日 日曜日
種目:Swim 3.8Km、Bike 180Km、Run 42.2Km
記録:11時間18分08秒 総合149位
 Swim    1:26:05(336)
 Bike    5:35:00(126)
 Run     4:17:03(205)

坂道を下りきり、ロッテホテルの入り口を左折、そこには、フィニッシャーの花道が用意されていた。きつい道のりを越え、やっとたどりついたアイアンマンのゴールだった。 びわ湖アイアンマンには拒まれ続け、参加もできずに大会開催は終了となったあと、ついに、初のアイアンマンとなった瞬間だった。
■6月29日(木)
 早朝に出発、本牧の上野さんを迎えに行く。横浜経由で成田空港へと向かう。途中、偶然にも同行の中村グループと遭遇、そのまま、成田空港近くの駐車場へ向かう。自分の好みには関わらず、航空会社は大韓航空、飛行機は702便、ソウル行き。ソウルで国内線のチェジュ行きに乗り換える。久々の国際線に少々緊張。チェジュの到着は夜8時過ぎ。スーパーで食料の買い物をし、宿の韓国コンドミニアムへ向かう。宿の到着は10時、今日はこれで寝る。
 ちなみに、アイアンマンツアー代理店は、ホスピタリティーツアー、代表者は津川さん、信頼できそうな人でした。

■6月30日(金)
 早朝よりスイムの練習。スタート時間に合わせて、会場で泳いでみる。ツアーに同行の山本光宏さんの案内で、スイム会場へ向かう。水は結構冷たく、ウェットが無ければ泳いでいられないくらい。30分ほど泳いで上がる。宿はコンドミニアムなので、その後、自分達で朝食を作って食べる。これもひとつの楽しみか。しかし食事は、カップラーメンと赤飯、あとはスーパーで買ったソーセージを茹でる。食事の後でバイクの組立。バイクにはひと乗りしたいところだが、天気がはっきりせず霧のような雨が降り続いており、乗る気にならない。

 組み立て終了後、隣のロッテホテルで選手登録、選手の証のリストバンドをする。やっとアイアンマンに近づいた感じがする。昼食はホテル内でふつうの食事、久しぶりにスパゲティを食べる。その後も天気は回復せず、宿でくつろぐ。

 6時からカーボパーティ、VIPの紹介や招待選手の紹介の後、食事、アルコールは無し。たらふく食べて、8時に終了。

■7月1日(土)
 きのうと同じように、朝一にスイム練習。やはり水温は低い。200mほどのところで泳いでいるとイルカに遭遇、初めて自然で泳ぐイルカを見た。

 朝食の後はホテルにて競技説明会。日本語説明会は、10時の予定がやや遅れて始まる。が、終わりは11時、さっと終わる。荷物の預託などは、レース当日で良くなった。午後にバイクの預託だけする。昼食はコンドミニアムのレストランでビビンバ、これは美味しかった。夕食は早めにロッテホテルで洋食。海外の招待選手も食事に来ていた。相変わらず雨が降り続いているが、次第に回復していきそうな感じだった。9時過ぎには就寝、起床は3時半の予定。

■7月2日(日)
 3時半に目覚ましが鳴る。寝起きはいい感じ。まだ暗いが視界は良さそう、雨も降っていない。朝食はもち、小さめなので6個、網で焼いてしょうゆ、のりで食べる。5時前には、バイク、荷物のセッティングに出かける。まだ外は暗い。途中の階段上から眺めると、1000台ものバイクが並んでいて壮観である。第1回のアイアンマンアジア、準備は順調に進んでいる。

 バイク、ランの荷物を預けた後、バイクには空気を入れるだけ、すぐに終了する。6時前には宿に帰ってくる。最後の準備をして、しばらく出かけるのを待つ。6時15分、スイムスタート地点へと向かう。入り口の手前でウェットを着込む。スタート地点はトランジッション地点から200mほど行ったところ、20m位は下って行く。途中、鉄人メンバーとははぐれてしまう。ツアー同行の山本さんにウェットのジッパーをしめてもらい、軽くアップをしてくる。調子は悪く無さそうで、腕のかきに注意して泳ぐように気を付ける。

 10分前からカウントダウンが始まる。鉄人メンバーも集まってきた。スタート地点はなるべく左側に寄る。全体の位置からすると、真ん中あたりだったかもしれない。スタート数分前に招待選手の紹介があり、気勢が上がる。そのままスタートまで徐々に盛り上がっていく。沖の方は霧がかかり始めた。そして7時、スタート。

 先頭がスタートし、しばらく間をおいて出ていく。ひどいバトルは無く、すぐに泳ぎやすくなる。初めのうちは、ブイなど気にしていなかったが、そのうち、右側に見えてくるようになる。あとは、皆の泳ぐ方向に進むだけ。同時にスタートした川島の姿がすぐ右側に見えていた。あとのメンバーの姿は見ることはなかった。

 第一のコーナーにはボートがいるとのことだったが、全く見当がつかなかった。まずは人の流れにのって泳ぐしかなかった。第二コーナーも全く不明、霧の中に包まれ、どちらが岸か、見当がつかない。サーファーに言われるまま、指さす方向に行くしかなかった。途中、まわりにいる数十人が方向を見失い、全く違う方向へ進んでいるようだった。右方向へ来すぎていたのか、突然全員向きを変え、左方向へ向きを変えた。それで何とか修正できたのか、霧も晴れて、岸に向かっているのがわかった。最後のコーナーはブイの内側に入ってしまっていた。かなり先から内側に向かうコースに入り込んだ。

 一周目の岸に上がったところで時計を見ると、43分、全く予想もしていないタイムだった。泳ぎ自体に悪いところは無く、気持ちよく泳げていた。二周目で頑張るしかなかった。二周目をスタートする時、前方も後方も人影はまばら、沖の方は霧に隠れ、自分がどれ位の位置にいるかも、全く不明だった。二周目はブイの近くを泳いだが、今度はブイの位置がずれていたため再び混乱し、ブイの外側までわざわざ泳がされた。

 二周目はコーナーにアイアンマンの黄色い旗が立っているのを発見し、旗を回ればいいことに気がついた。2回目のコーナーも旗ははっきり判り、確実に回ったつもりだったが、流れがあったからか、コースから離れていくようだった。しばらくは、いくら修正しても元に戻らないように感じた。何とかブイに向かって泳いでいるうち、再びまわりに人の気配がし、横に平泳ぎがいるのを発見した。霧も晴れていたので、これで、コースミスをすることは無いと確信した。あとは、平泳ぎに付いて泳いでいけば良かった。コースの心配は全くなく、真っ直ぐゴールに向かっていた。しかし、最後のコーナーだけは、2回目も発見できず、途中からコースロープの外側に出た。

 岸に上がったところで、時計は1時間24分くらい、なんとか2周目の方が早く帰ってこられた。それからしばらく浜を走らされ、タイムチェック、その次は、トランジッションまで急な坂を登らなければならない。ここでは、もう走ることも出来ず、仕方なく、息を整えながら、歩いて登った。トランジッションエリアまで来て、バイクバッグをピックアップして、着替えテントに入っていく。外で着替えることは許されていなかった。中まで入らず、入り口のそばで、着替える。やや着替えに手間取りながらも、落ち着いて出ていく。

 バイクコースも厳しく、リゾートから国道に出るまでしばらく、長い上り坂が続く。ここで力を使い切るわけにもいかず、無理しない程度で上る。善波峠くらいの坂は上りきった。その後は、アップダウンは多少あるものの、普通に走れるコースであり、最後まで走り切れるつもりでペースをつくった。人を追いかけるのではなく、人を引っ張って行くようなつもりで走っていた。この考えがいけなかったのだろうか、本当に人を引っ張る形になり、最後に大集団になるなどとは、思いも寄らなかった。

 バイクコースはよく整備されており、交通規制もしっかりされ、選手の安全は確保されていた。道路自体も道幅が広く、非常に走りやすいコースだった。ただ、大きく緩やかなアップダウンがたくさんあるのはつらかった。50キロあたりからか、下りで追い風のとても走りやすいところでは、40キロ程のペースで調子よく走っていた。まわりを見ると、ほぼ同じようなメンバーがいつも一緒に居るようだった。まだこのあたりでは、集団という意識はなく、ドラフティングなど考えてもいなかった。ただ、下地はこのあたりから作られていたようだった。

 100キロより少し手前だったか、スタート時に先行した角野さんを捕らえる。そして、この角野さんも集団に吸収された。余程の力の差が無い限り、この集団から落ちることもなく、逆に先行することも無かった。120キロあたりだったか、街中を走行中に数本さんに声をかけられる。数本さんも、集団が吸収した。集団は50人を越えていたろうか、マーシャルも気が付いたようで、なんとかばらけさせようと努力はしていたようだが、なかなか思うようにはいかなかったようだ。もはや、ひとり努力して集団から抜け出ようとするものは誰もいなかった。マーシャルもただ見ていたわけではなく、ばらけさせようと努力し、残りも30キロあたりか、上りで向かい風、更にエイドで少し差がついたところで、走路を狭め、少しずつばらけさせていた。その甲斐あってか、残り10キロあたりでは、あの大集団も、全くなくなっていた。

 アップダウンも多く、上りの向かい風というところもかなり有り、だいぶ苦労もさせられた。もうぼちぼちリゾートのロッテホテルも見えてきたあたりでは、ランコースの脇を走っていた。バイクでは気持ちよく下っていたが、ランではすでにトップ選手がきつい表情で走っていた。リゾート地区に向かう交差点では、再び、交通規制の警察官が多数出動していた。国道を右折し、坂を下ってトランジッションへと向かう。たくさんいた集団もすでにばらけており、ゴールするのはまばらだった。

 坂を下りきったところでバイクゴール。そこでバイクを渡し、すぐ先でタイム計測、7時間を超えていた。バイクタイムは5時間30分ほど、アベレージは33Km/hを少し切るくらいだった。上出来のバイクだった。ここまで来てしまえば、あと先は見えてきた、と思っていたが、走り出してとんでもないと判った。周回コースまでの道のりは、ほとんどバイクコースと一緒、バイクで上り下りしてきたコースを再び上らなければならなかった。歩道を走ると言われていたところは、車道を走ることができ楽だった。一部短い折り返しがあり、そこで角野、鈴木、そして数本らとすれ違った。鈴木はまだ余裕があり、次第に離されていってしまった。

 途中までは、バイクコースと同じ、国道まではだらだらと長い坂が続く。T字路まで出ると一安心、あとはフラットだと思いつつ走る。周回コースへ向かうランナーはそれほど多くない。結構速い位置だろうと思う。周回コースへ入って一安心と思ったが、平らなのは最初だけ、あとは上り下りの連続。その間も、ほとんど平地はない。前を行く鈴木は、徐々に離れていく。こちらの余力もあまりなく、付いて行くこともできない。

 周回コースは、片道約6.4キロ。取り付き点から初めの方向が2.4キロ、反対方向には4キロ有る。片道30分位で走れればいいタイムが出るだろうと思っていたが、とんでもないコースで、4時間がひとつの目標に変わった。最初の折り返しに向かうところ、1キロほどのところで、対向してくる中村に出会う。そしてすぐ後ろに疲れた表情の塚越。中村がトップとは驚いた。これならば自分がトップに立つこともあり得るかと元気が出てきた。しかしなかなかペースは上がらず、差もあまり縮まる事はなかった。

 二人との差はおよそ2キロ、約10分だった。エイドはちょうど2キロに1ヶ所の割合で設置されていた。しかし、バイクの終盤から天候は回復し、日差しも差して来たため、コースのきつさと相まって、エイドが少なく感じられた。しかし、コース上だけは歩くまいと思い、必死にこらえた。エイドだけが楽しみとなった。あとは、折り返しで1つずつもらう輪ゴムの数だった。

 2回目の折り返しに向かうところで、半分を過ぎたあたりから長い上り坂が1ヶ所、1キロ以上は続いていると思われた。1回目はコースも分からず、まだ良かったが、2回目、3回目ともなると、疲れてきていたので、とても辛く、歩き出したいくらいだった。しかし、かなりペースは落ちていたが、なんとか走っていた。3周目で5本目のゴムをもらい、最後の6本目までが遠かった。長い坂を上りきっても、まだアップダウンを繰り返し、そして最後の6本目をもらう。このゴムは、なぜか光り輝いて見えた。しかし、それからもまだ残りは6キロほど、やっと、35キロ地点を過ぎたところであった。距離的にはきつい所ではあるが、下りの部分が長いということもあり、多少は救われた。しかし、辛いことには変わりはなかった。最後に取り付き点を右折すれば、あとは本当に下りだけ、1.5キロほど。椰子の木が両側にあり、まだ人影はまばら、かなり上位で入っているようで、景色も気分も最高だった。

 眼下にはゴールとなるロッテホテル。坂道を下りきり、ロッテホテルの入り口を左折、そこには、フィニッシャーの花道が用意されていた。きつい道のりを越え、やっとたどりついたアイアンマンのゴールだった。皆に祝福され、感激のフィニッシュを迎えた。初のアイアンマンとなった。

 ゴール後は、すぐにサポートが付き、体調まで気遣ってくれた。フィニッシャーメダル、タオルをもらい、Tシャツとバッグを受け取る。あとはマッサージ。まだまだゴールしている人数はそれほど多くはないようだった。ひとしきりマッサージを受けた後、速報板を見に行く。ちょうど私のところまで記録が出ていた。総合で150位、年代別で7位、ハワイスロットの予定数内に入っていた。見事一発でハワイの権利を獲得してしまった。まさか取れるとは思ってもみなかったが、現実となった。

■7月3日(月)
 朝早く目が覚める。今日帰る予定の、川島、渡辺の様子を見に行く。

 朝食を取った後、バイクの分解、そして、ハワイのスロットの確認にロッテホテルへ出かける。私の年代は予定のスロット数9が8に減っていたが、なんとか7位で合格であった。あとは、塚越が15位までの15位で通過、中村は19位でスロット外、上に3人居た。4人キャンセルしなければ行けなかったが、こちらもギリギリ、上位4人がキャンセルとなり、ハワイの権利を獲得した。355ドルとパスポートを持って、手続きを済ませる。昼食は焼き肉を食べに、近くのレストランまでツアーのバスで出かける。

 アワードパーティは6時から。先に食事が始まり、1時間ほどしてから表彰式が行われた。抽選会などもあったが、残念ながら、誰も当たらなかった。これですべてアイアンマンアジアの公式行事は終了。

■7月4日(火)
 飛行機はチェジュ発7時00分。コンドミニアムは5時半発、ソウルで乗り換え、成田へ向かう。初のアイアンマン、いいレースができた。時差もなく、旅は快適に終わった。

 ツアー(5泊6日): 85,000円
 食費・交通費他  : 50,000円
 大会エントリー  : 32,000円
 パスポート    : 15,000円
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 合計       :182,000円


  
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