第18回 全日本トライアスロン皆生大会
1998年7月19日 日曜日 天候:くもり時々雨
種目:Run 7.8Km(Swim 3Km)、Bike 140Km、Run 42.2Km
記録:9時間16分38秒 総合164位
| 1st. Run | | 30分51秒 |
Bike | | 4時間48分27秒 | | 5時間19分18秒 |
2nd. Run | | 3時間57分20秒 | | 9時間16分38秒 |
■7月18日(土)
7時15分、米子行きANK。どこへ行く飛行機も満席。3連休の初日ということもある。そういう私も、3連休を皆生で遊ぶ人である。8時半頃には米子空港着。バスを乗り継いであっという間に皆生温泉、9時半頃。まだ選手もちらほら。とりあえずは、宿泊先の「かんぽの宿 皆生」へ行き、バイクを組み立てる。車検は10時から。
11時過ぎに車検場へ行きバイクチェック。身分証明等何も要らない。IDカードなども無い。ゼッケン番号「160」を言って、チェック終了。ゼッケン番号を貼り付ける。対馬さんと昼食をとった後、解散。対馬さんはバイクの下見へ、私はスイムへと向かう。海で様子見のため、30分ほど泳ぐ。そのあとは、宿へ戻って明日の準備をすすめる。
宿は3人部屋。澤氏はつくばから。31歳。鳥取県出身、いわば地元。田中氏は三重から。34歳。かなり速いらしい。バイクはトップクラスで皆生の常連さん。温泉にもつかり、9時には床についた。
■7月19日(日)
起床4時。天候が危ぶまれていたが、月が見え、風もない。いいコンディションと思えた。前日は風が吹き荒れ、海は大波だった。同部屋の2人はいずれも出場経験があり、話を聞く。支度をして、6時前に出ていく。
会場に着くと、アナウンス。海がうねっていてスイムができないらしい。スイムは中止となり、第1ラン、7.8キロが代わりに行われることになった。スタートも、7時30分に変更となった。5年前の佐渡以来、2度目のフルデュアスロンになってしまった。
第1種目の準備を、スイムからランに変更する。宿まで戻って、第1ラン用の靴下をとってくる。佐渡の時もそうだったが、ランがスタートでは、どうも気持ちが高まらない。やはり、スイムの緊張感がいい。スタート前に米子市長の挨拶があり、それに続いて、スタートとなる。7.8キロという距離は中途半端である。長いともいえず、30分程度のきついランである。会場のまわりをぐるりとまわって、その後、海岸線の往復というコース。目標は約30分。キロ4分程度で走る。
目見当で、だいたい100位くらいである。結構きついランであった。暑くて汗がすごい。バイクトランジッションでシューズを履き替え、バイクスタート。バイクは、山岳コースというふれ込み。しかし、40キロあたりまではアップダウンはあるものの、それほどきつくない。ということで、まずはリラックスして行く。
ある程度の集団について行き、無理には飛び出しては行かない。ここまでは、順位はほとんど変わらない。米子道のわき道を通って、しばらくして大山への山上りとなる。およそ300mほど上る。急激な上りではないが、だらだらと長い坂が続く。上りの手前で、130位とのこと。スイムが無かった割には、遅い方であった。大山まではまだまだありそうだが、バイクコースは途中のゴルフ場の方へ右折して上りは終了。あとは一気に下る。路面はあまり良くない山道だが、70キロ近くは出る。また、下りだけではなく、所々上りも出てきて、ペース作りが大変。
大山が終了し、今度は、折り返しへと続くコースへ出る。この先は、長い上り坂は無いが、アップダウンの繰り返しばかり。200mほどの坂を上るとすぐに下り、そしてまた上りという連続である。こんなコースは今までに経験はない。それまでほとんど抜かれることはなかったが、このあたりから、何人かのグループに何度となく抜かれ続けた。抜くことはほとんどなく、抜かれる一方。自分ではそれなりに一生懸命走っているつもりなのだが、どうも遅いようだ。何しろ抜かれ続けた。
宮古での例があるので、補給だけはきっちりと採った。ほぼ20キロ毎にカーボショッツをひとつずつ。だいたい40分に一つくらいの割合となる。ランでは5キロ毎なので、ほぼ同じくらいのエネルギー量かと思う。もう少し早めでも良いかもしれない。後半ばててきて、少し早めに採ったところ、元気が出てきた。エイドの数も十分であった。ボトルも、水、ドリンク、麦茶なども揃っていた。後半では、スイカ、メロンもあった。
はっきりとした折り返しという所は無いが、90キロあたりがだいたい折り返しにあたる。アップダウンの繰り返しをもう一度やるわけで、かなりタフなコースである。よく毎年このコースに来る人がいるかと思う。だからみんなバイクが速いのか、折り返しまでにほぼひととおり抜かれたからか、その後はあまり抜かれなくなった。といっても坂が楽になったわけではなく、速い人がいなくなったためだろう。坂道の辛さは変わらない。
ひととおり山道が終わって、いなかの街中を通過。バイクも残り20キロほどになり、平坦なところが多くなってきてからやっと調子が戻ってきた感じ。気持ちよく走れるようになってきた。次のマラソンのことも考え、補給だけは十分とっておこうと思う。マラソンにも期待がもてるように思えた。堤防横の王子製紙の工場を通過すれば、ゴールももうすぐ。距離も、途中、140キロを越えるかと思ったが、140キロにも満たずに終了しそうだった。
見慣れたところまで戻ってきてバイクゴール。意外に速く、5:20もかかっていない。これならば、スイムが無くなったというものの、その分のタイムを入れても、予想以上のタイムになりそうだった。ランにはどのような手順でトランジッションをするのかと思っていたが、バイクを置いて、そのままバッグのラックに行って着替え、そしてそのままランへと出ていく。バイクで抜かれた分、すべて抜いてやる位のつもりで走り出した。
出だしは好調、どんどん抜ける。温泉街を抜け、市街に出ると、直線コースの前方にランナーがたくさん見える。ほとんど全員とらえられそうだ。割合に速いペースで行く。たぶん、キロ5分程度のペースだろうと思う。このまま行ければ、3:30。途中ペースが落ちても、45分程度でも走れるかな、などと思う。それくらいでは走りたいと思った。エイドの数も多く、あっという間にエイドの案内が出てくる。およそ、2.5キロ毎に設置されていた。これはとても安心して走れた。
問題の歩道橋は、7.5キロあたり。ひとつの目標をクリア。そこを過ぎると、徐々に町並みがまばらになってきた。あとは一本道の国道を、境港に向かって、ただひたすら走るだけ。応援もたくさん居るわけではなく、単調なコースである。国道脇の歩道は狭く、すれ違うのもやっと。競り合いながらの走りはとても無理がある。その代わり、といえるのか、アップダウンは殆ど無い。唯一、空港手前に陸橋が1ヶ所あるだけ。しかしここは、「きつい坂」なため、やはりつらい。
10キロまでは、50分を切り、いい調子。しかし、前半の調子が良かったのもそれまで。10キロを過ぎたあたりからぐっとペースが落ちてしまった。飛ばし過ぎかハンガーノックか、どちらかである。このままではゴールまでもつだろうかという不安がよぎる。折り返しまでの10キロが、とても長く感じられた。--実際に時間は少々長かったが-- そこまで補給食は、今回初めてゲル状の「GU」だったが、これがいけないのかと思った。やはり、カーボショッツでなければだめかと思った。
折り返し地点まで到達し、このまま行っては潰れてしまうと思い、ひと休みする。スポーツドリンクやスイカなどが冷やしてある水槽に両手を肩まで入れ、体を冷やす。また、ゆっくりカーボショッツもとった。それで、少しは元気は戻ったか、以前よりは楽に走れるようになった。
折り返し直後には、宮古島でも抜かれた小椋よう子とすれ違う。そしてしばらく行ったところで信号待ちをしていると追いつかれ、その後は、差が開いていくだけだった。若林さんとは、次のエイドですれ違う。私もだいぶ回復してきたので、なんとか抜かれずに済むだろうとは思ったが、距離にして4キロほど、20分程度の差だった。安心はできない距離だった。
折り返しに向かう時は暑く感じられていたが、復路に入ってからは、気温も下がったようで、だいぶ楽になってきた。しばらく抜けなかったランナーも、再び次々と、とらえることができた。5キロのラップも30分は超えることなく、キロ5分台でなんとか走れていた。しかし、相変わらず、エイドでは氷と水分の補給のため、止まらなくてはならなかった。
今回のランでは、宮古島と同様、ボトル用のウェストバッグを持ったが、これはエイドの数から全く不要だった。水や氷が欲しくなる頃にはもうエイドが前方に見えていた。30キロ地点を過ぎるまでは無理をせず、その先ペースアップをするつもりでいた。涼しくなってきていたので、最後まで走りきれることは確実だった。あとは順位とタイムだった。2ケタまで上げたいと思いながら走っていた。
35キロを過ぎると、もう一度歩道橋、それを通過してしまえばあとは市街地、応援も多くなる。残った力を全て使って走る覚悟である。再び前に見えるランナーの数も増えてきており、順位を上げるチャンスだった。一度はバイクやランで抜かれたランナーにどんどん追いつき、抜き去る。大会本部となっていた「観光センター」が見えてくれば、あと残りは1キロである。ペースはキロ5分にまで上がった。そして観光センターを右折すると、500m前方にゴールゲートがある。前のランナーとの間隔を開け、余裕を持ってフィニッシュしたように見せる。
実際のところは、後ろから抜かれないようにと願いながら、しっかりとフィニッシュラインを踏んだ。ゴール前5キロあたりでは、ゴールできそうだという確信もあり感慨に浸ったが、ゲート前ではよくやったという喜びだけになっていた。トータル9時間半を切り、ランは4時間もなんとか切ることができ、充実したゴールができた。それにしても、やはりバイクが遅かった。100人もの人にバイクで抜かれてしまった。
■7月20日(月)
6時半に起床、バイクをパッキングする。9時から閉会式。宿をひき上げ、会場へ向かう。表彰式のあと、簡単なパーティー。そして抽選会もあったが、何も当たらなかった。11時前には全て終了。対馬さんの友人の案内で、境港の地ビールレストランで昼食。そして解散となった。充実した皆生大会となった。
---- 皆生大会について思ったこと ----
・全日本クラスの大会を目指しているのではなく、大規模なローカル大会という印象。
・登録などにわずらわしい手続きがない。IDカードもない。
・事前に預けるものもなく、大会当日に全てセットすればよい。
・宿から会場まで近い。
・バイクコースは、山岳コース。とてもきつい。
・バイク、ランともエイドが多い。
・マラソン大会のようなトライアスロン大会。98年の大会はスイムが無く、まさに陸上の大会だった。
参加費:25,000円
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