第11回日本海オロロンライントライアスロン国際大会
1997年8月24日 日曜日 天候:くもり
種目:Swim 2Km、Bike 198.8Km、Run 42.2Km
記録:11時間58分50秒 総合92位/331人
| Swim | | 39分07秒 | | (207位) |
Bike | 7時間 | 7分55秒 | (126位) |
Run | 4時間 | 11分48秒 | (89位) |
■8月22日(金)
羽田発は、9時55分。例年同じJAS105便。全員トライアスリートというわけにはいかないが、私のまわりはすべてトライアスリートである。毎年同じ顔ぶれが見える。
大船から羽田直行バス、飛行機、千歳からは再び直行のバスを乗り継いで、増毛到着は15時。今年はスピードアップしたのか、少々早かった。5時から競技説明会、6時からはカーボパーティが開催された。例年のようなウニ、カニはなく、少々寂しいものだった。しかし、式典だけは盛り上がった。あとは、近くのホテルへ戻り、バイクの組立を行い、明日の車検に備えた。12時過ぎに床につく。明日は少々のんびりの予定。
■8月23日(土)
ゆっくり起きてバイクを調整する。まだ雨はふっていないもの、どんよりとしたいやな天気。ホテルのまわりを軽く乗ってくる。戻ってきて、水泳の練習に行くまでの間に、少々雨が降ったが、出かける頃には雨も上がり、その後は降ることは無かった。
午前中は水泳会場でひと泳ぎ、昼は、名物の3人前はありそうな大盛りのちらし寿司を食べ、車検を済ませる。あとは、のんびりと過ごし、ホテルの露天風呂でゆっくり体を休めた。明日は午前3時起床予定。一風呂浴びて、8時過ぎには床についた。
■8月24日(日)
陽がのぼるのは早いはずなのだが、3時ではやはりまだまわりは暗い。更に、雨が屋根に当たる音も聞こえてくる。今年もまた、雨の中の大会になってしまいそうだった。天気予報での気圧の配置も、あまり良さそうとも思えなかった。とりあえずは、レースの準備をすすめる。首のうしろに、キネシオテープ。先週の遠泳ですれてしまい、痛い。あとは、両ひざ裏に、擦れ防止のテープ。バイクに200キロ乗るために、ボトルは3本、水、バーム、オンザゴー。今年は、いろいろ工夫もしてみた。まわりの人達も動き出し、3時半には朝食も済ませる。昨日までにカーボローディングもしてきて、もう充分。
5時のバスには少々間があり、ひと休み。会場へ移動する頃には、雨はほとんどあがっていた。何とか、雨の中での準備はしなくて良さそうだった。しかし、前日からの雨で、水たまりがたくさん。いい気分ではない。やはり、天気は、好天に限る。昨日から預けていたバイクにエアを入れ、ボトル、補給食をセットする。後ろのエアが昨日から入りにくく、やや心配だったが、路面が濡れているからちょうどいいかとも思う。バイクのセッティングが終われば、あとは自分の準備だけ。最終受付をし、ボディナンバーの記入、ウェットを着込み、ワセリンを塗る。昨日の試泳でもかなり水温は低かった。19℃とのこと。来年は、やはりフルウェットスーツだ。これで3分短縮(!?)。バイク、ランのトランジッションバッグの預託、それから、ゴール地点に向かう荷物も最後に預ける。ゴール地点は、50キロほど離れた羽幌という街になる。
6時半スタートで、6時がゲート入場のリミット。15分前にはすでに泳いでいる人もいる。最後のチェックを済ませて、ゲートをくぐる。今年は北海道知事の出席もあり、楽器の演奏で雰囲気も盛り上げてくれる。なぜか、和泉雅子さんも同席していた。2人の挨拶もあり、開会式が盛り上がった。水温はやはり低い。しかし、風もほとんどなく、波もうねりも全くない。コンディションは上々である。スタート地点は、いつものように左端。真ん中よりやや前あたりにポジションをとる。
6時半、知事の合図でスタートが切られる。前にいる選手が出ていくのを見送ってから、ゆっくりとスタートする。スタート前はガンガン行こうと思うのだが、スタートを切り、群れの中に入ってしまうと、なるべく人のいない左へ、左へと進み、余計に泳ぐことになってしまう。今回も結局、同じパターンであった。やや余裕を持ちながら、第一コーナーを目指す。遠泳の時忘れた耳栓を、今回は持ってきてはいたのだが、今度はするのを忘れてしまっていた。耳に水が入るのを気にしながらのスイムとなってしまった。やはり、慣れというのは恐ろしい。初心忘れるべからずというところ。数年前は寝る前には必ず準備したものを思い浮かべながら床についたはずなのに...。
防波堤の外に出ても波は無い。水も南の海と比べるまでもないが、視界は悪くない。ブイから10m位離れたところを泳いでいるが、ブイのそばを集団で泳いでいる方をうらやましく思う。あの中に入ってしまえば、だいぶ楽に泳げるだろうに....。そんなことを考えながら、必死で人のあとをついて行くようにする。まわりで泳いでいる人の様子が目に入るが、フォームの悪い人もいる。自分は、あんな格好で泳いでいる奴と同じ程度かと少々落胆もする。ま、とりあえず、全力を出すだけ。水泳の力を余らせてもしようがない。
第2コーナーあたりから内側に入り、人の流れに乗るようにする。第3コーナーを曲がると、もう半分以上来ている。あとはゴールを目指すだけ。このあたりまで来ると、まわりは同じ様な泳力の人達。離されないようにと気を使う。第1コーナーのブイが見えてくれば、あとゴールまで、200mほど。更に元気が出てきて、ゴール地点のクレーンを目指す。港のコンクリート部分が下に見えてきたところで、やっとスイム終了。ひと安心する。今回もなんとかゴールまでたどり着くことができた。時計を止めるのを忘れたが、シャワーを浴びながらウェットを脱いでいるところで40分。早いとはいえないが、自分ではまずまずのタイムであった。すぐ前には、村田さんも居たらしい(毎年来る元ATC神奈川のメンバー)。塩辛い口をゆすいでバイクトランジッションへと向かう。
今年はバイクが200キロ。昨年までは、ランシャツで済ませていたが、今年は長丁場に備えて、バイクジャージにした。結局、これは大正解。横風、向かい風の中も寒さをしのぐことができた。中には、長袖、ウィンドブレーカの選手もいた。ランシャツでは少々寒そうだった。
バイクの出だしは好調、まだあまり風もなく、やや追い風の様でもあった。なにしろ今年は200キロ。無理して踏むことは止め、なるべく足に負担のかからぬように努めた。ニューバイクの恩恵にあずかるよう、スピードも人より少し早い程度。最低35キロを目標に置く。雨上がりということもあり、路面はまだ濡れているが、走行には全く影響は無い。ニューバイクは快調に走った。増毛から留萌、小平と全体からすると人影の多いところが続く。このあたりはコースも平坦で、スタート直後ということもあり、気持ちよく走れる。スイムから上がったときにバイクの数も多かったので、まわりを走るバイクも多い。集団とはならないものの、一列になったバイクの列が続く。少しずつ前を行くバイクを捕らえて行く。
今年のバイクコースは、110キロの遠別までは従来通り。その先、今までマラソンコースだった部分を往復してきて、結局ゴールは同じ遠別となる。平らで楽な部分は55キロまで。その先、およそ100キロ地点までの45キロはアップダウンの繰り返し。ほとんど平らなところは無く、坂を上りきると次は下り、そして上りという連続。しかも視界をさえぎるものは何もなく、次のアップダウンが見えている。精神的にはなかなか辛いところである。遠別から先は未経験のところ。ランでは走っているが、バイクコースになってからは、コースもやや変更になっている。しかし、アップダウンは無くなりコース自体はフラットで走りやすいところだ。従来の最終ゴールであったところをぐるりとまわって、残り40キロを戻ってくるという、200キロに及ぶコースである。
コース自体、単純・明解、間違えるところなど一ヶ所もない。天候はほとんど曇りだったが、時折変わり、雨が強く降っているところも一ヶ所あった。そこを通過してしまったあとは、雨に降られることは無かった。大変なのは、そのあとだった。フラットなところも終わり、55キロ地点ののアップダウンが始まるころから、徐々に陸から海に向かっての横風が吹き始めた。それまで快調に飛ばしてきたのが嘘のように、横からの風にあおられるようになってしまった。まわりは風を防ぐものもなく、風に翻弄されているようだった。
100キロも過ぎ、以前ならばそろそろゴールもみえてくる峠の下りでは、スピードが出ていたところへ、横風と対向の大型トラックの風圧にあおられ、あわや落車ということもあった。眠気がさめたが、それ以後は、横風だけでなく、対向車にも気を付けなければならなくなってしまった。110キロ地点では、バイクゴール前を通過し、それからは、バイクでは初めてのコースを幌延へと向かった。横風はまだまだ止みそうもない。スピードは30キロ出れば速い方で、25キロ以下に落ちてしまうことも度々だった。
天塩のエイドで130キロ、この先はマラソンコースとは別の、海岸沿いのコースへと移った。ここでは、景色はいいが、風の影響が最悪で、バイクが斜めになって走っているような状態だった。まっすぐ走るには適したスピナジーも、横風には弱点をさらしてしまった。多くのバイクに使われていたスピナジーは皆同じ状況だった。風がなければ快適と思えるようなコースも、風が吹いて、全く恨めしいコースとなってしまった。しかし、向かい風で悩まされたコースも、逆コースとなって、追い風になることだけが楽しみだった。
昨年までのフィニッシュラインであった幌延町役場前をわざわざぐるりとまわって、やっと追い風になり、バイクゴールの遠別へ向かった。ここからは、今までのスピードが嘘のようで、スピードはぐんぐんあがっていった。40キロも楽々と越え、ニューバイクの性能を発揮してくれた。遠別のひとつ手前の街の天塩で、元のコースに戻ってきた。残りは20キロほど。往路では130キロ地点。ここに多数のバイクが並べられていたのが見えた。向かい風の影響でタイムオーバーとなってしまった選手のものだろうとは、容易に推測できた。向かい風では仕方がないだろうと思いながら、残りの20キロを進む。
当初は、風がなければ6時間半程度を目標にしていたのだが、ペースダウンにより、途中から7時間程度に変更したが、それも無理となってしまっていた。時刻は2時を少々回っていた。食事は、ジャムサンドが意外においしかった。あとは、元気のもとのおにぎり。「もち」があると聞いて、食べてみたら「すあま」。醤油のもちが食べたかった。あとは、即効性のカーボショッツ、口直しの「梅しば」。これがおいしかった。
遠別市街に入ると、遠くに道の駅「富士見」の塔が見えてきた。やっと視覚で200キロのゴールをとらえることができた。バイクゴールでバイクを預け、ランニング用のトランジッションバッグを受け取る。着替えのテントの中は、消炎剤のにおいが充満し目が痛い。仕方なく、テントの外で着替える。パンツだけはしようがないので、テントの中ではき替えた。
トイレに寄って気分を入れ替え、エイドではボトルに水を詰め、オレンジを2,3切れ食べ、スタートに向かった。背中には、カーボショッツ、梅しば、更にエアサロンパスを入れたが、走るには少々重すぎた。仕方なく梅しばは捨て、エアサロンパスを手に持って走ることにした。これで気持ちよく走れるようになった。これだけ準備しているので、走る上での目標は、エイドでは食料補給のみとし、長く立ち止まらない、5キロごとのラップは30分以内などを設定した。そして、トータルとしておよそ4時間程度で走りたかった。
羽幌までの42キロは、すべてバイクコースと同じ。来たとおりを逆行する。最初の5キロほどは平坦が続くのだが、あとの35キロは全て地形に沿ったままの、うねりのあるアップダウンコースである。元気であればとても楽なコースなのかもしれないが、200キロのあとのランとしては、足に負担のかかるつらいコースだ。
スタートして直後、順位が121位と教えられた。スイムでの順位が分からないまま、バイクに移り、--かなりのバイクが置いてあったので、100番台位だろうかなどと喜んだのだが--自分ではかなりの人数を抜いたつもりでいたので、すでに100番以内には、入っていると思っていたのだが、期待はずれだった。実は、あわよくば、50番程度を狙っていた。年代別入賞というところまでは望まなかったが、せめて40代10位くらいを狙っていた。思ったよりもうしろの方だったので、第2目標の100位以内に切り替えた。
このあたりの位置だと、前にランナーが見えてくるとどんどん抜ける。順位もすぐ110番台になり、100番台になるのも時間の問題だった。前にランナーが見えて来るのが楽しみであり、1つずつ順位が上がっていくのを数えながらのランとなった。時には4、5人を一気に抜けることもあった。いつもは走行距離を気にしながらのランであり、中間点までは走行距離が増えていくのが楽しみであり、中間点からは、残りの距離が減っていくのが楽しみだったのだが、今日は順位が上がることだけを考え、ひとつずつ上がっていくのが喜びだった。
ラップの方は順調に刻み、ほぼ予定どおり5キロ30分以内をクリアしていた。エイドでも水を持っているという心強さからか、オレンジを2、3切れ程度かスイカを2、3切れ口にしては、すぐに走り出していた。順位は、順調に上がり、20キロを過ぎたあたりで、すでに目標の2ケタになっていた。しかし欲望にはキリが無く、90番台になれば次は80番台、70番台と望みは上がっていった。しかし、皆そう楽々と抜かせてくれる訳でもなく、また後ろからもランナーはやってくるわけで、せっかく上がった順位も下がってしまうことが何度かあった。そういう時は、それに付いていこうなどということは考えず、潔くあきらめた。しかし、エイドで何人かをまとめて抜けるときなどは、気持ちの良いものだった。
手に持っていたエアサロンパスも、バトン代わりにするだけでなく、時には左右の膝に吹き付けて冷やす役目も果たした。これほど役に立つバトンは無いかもしれない。コース上で立ち止まり、スプレーするのはいやだったが、それも仕方がなかった。何度か立ち止まり、お世話になった。そしてまた走り出すことができた。
90番台も半ばになった辺りからは、ほとんど順位の変動はなかった。しかしその代わり、残りの距離はどんどん減っていった。残りも10キロを切ったところで、ちょうど11時間。キロ6分で目標どおりである。しかし確実にペースは落ちており、キロ6分は危ういところだった。しかし両膝はすでに限界に近く、無理はできなかった。だましだましのランとなってしまった。しかし、このままでは目標達成はならないことは判っており、どこからペースアップするか考えながら走っていた。堀さんの、ラスト10キロ、ロ~~ングスパートを思いだし、そのくらいなら何とかなるのだろうと思い、残り5キロからと思っていたのを、あと6キロ地点から少しずつペースを上げていった。痛かった膝もなんとか言うことを聞き、次第に調子が上がってきた。
残り3キロの表示が出てくると、視界の下の方に街が現れ、ようやくゴールが見えてきた。コース上の監視員の他は誰もいなかった応援が、ぽつりぽつりと現れ、それに勇気付けられ、更に調子に乗っていった。見慣れた街に帰ってきて、ゴールも間もなくだと感じられた。応援も各交差点ごとにいる。名前を呼んでくれる人もいる。思わず感動してしまう。応援には全て手で応えていく。
42キロを走り終え、コースを左折すると、目の前に青く浮かび上がったゴールゲート。200キロのバイクに耐え、42キロのマラソンのゴールが目の前にあった。ゴールゲート前に集まってくれた人達に感謝しながら、私の名を呼んでくれているゴールに走り込んだ。まだまだ余裕の、明るいうちのゴールとなった。
しばらくゆっくりしてから宿へ戻り、着替え、食事をした後、ゴールへ戻り、最後のランナーを出迎えにいった。宿に戻った後は、早々に床についてしまった。長い一日だった。
■8月25日(月)
朝は6時過ぎに目が覚めてしまった。昨日とうって変わって、陽がまぶしかった。この天気のもとでレースをしたかった。公民館へ様子を見に行くと、何人かがバイクの引き渡しを待っている。7時からとのこと。腹がへったので、宿に戻って食事をしてから、また来ることにした。
足が痛いが、階段の上り下りに支障を来す程度で、あとは特に問題は無かった。食事のあと再び出かけ、昨日よごれたバイクをきれいにして、早々にバイクの梱包を済ませた。10時半からのパーティ、表彰式では、楽しみにしていた海の幸がたくさんテーブルに出され、たっぷりと味わうことができた。これだけでも、満足のゆく大会となった。来年は是非、風のないところでバイクを走りたいものである。
パーティは続いていたが、羽幌発12時30分のバスに乗り、札幌までおよそ4時間、都会に戻って来た。そして今年は、札幌発19時24分の北斗星6号で15時間かけて上野まで帰ってくることになった。現実から離れ、まさに浮き世を楽しんだ5日間だった。
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