第14回三浦国際市民マラソン

1996年3月3日(日)
記録:1時間22分24秒
順位:総合83位/4291人

 LAP SPL.Dis.(/Km) 
4Km15:0315:034Km(3:46)スタートダッシュ
8Km16:2231:264Km(4:05)岩堂山で苦戦
10Km7:3839:042Km(3:49)下りでスピードアップ
12Km8:1247:162Km(4:06)折り返し後、城ヶ島大橋の登り
16Km16:001:03:174Km(4:00)三浦半島の馬の背をクリア
17.1Km4:081:07:251.1Km(3:45)残り4キロ地点、下り
21.1Km14:591:22:244Km(3:45)海岸線をラストスパート


 起床5時、出発は6時5分。6時18分の江ノ電バス横浜行きに天神橋から乗る。6時半頃には上大岡駅に着いていた。上大岡から京急に乗り、三浦海岸駅には8時頃到着。参加者も多く、人混みに巻き込まれてしまった。十分なアップはできなかったが、1キロほど走る。

 ハーフのスタートは9時37分、10キロは9時30分。10キロがいなくなるとすぐにスタートである。今年は整列するのに10キロの中にまぎれ込んだ。後方からスタート地点まで走り、10キロのランナーが行き過ぎるのを待つ。その名案のお陰で、殆んど最前列に並ぶ事ができた。

 9時37分、定刻どおりにスタートした。スタート位置は殆んど最前列、スタートからダッシュを掛ける。すぐにトップスピードとなる。周りには平塚の小宮さん、とりあえずの目標と言って良いランナーである。県トラの太田さんもいた。しばらく併走する。

 1キロは3分50秒くらい、まずまずのペース。この辺りで既に10キロのランナーに追い付いた。2.5キロ迄は一緒のコース。その先は、右に折れて坂を上って行く。10分は切っており、9分45秒程度。これもまずまず、調子は悪くなさそう。但し、練習不足で坂がどれくらい辛くなるかだけ。

 霊園へ向かう坂はまだまだ良し、マイペース。霊園の中に入ってからが最初のヤマ場。坂もかなりきつい。いつもならグングン行けるところが、周りと一緒に走っている程度。たまに1人、2人抜く程度、上りでじっと耐える。上りきってしまえばずっと下って外へ出る。そこに4キロ地点、15分03秒。かなり速いペースだった。最初のスタートが良かったのか。

 下りきったところから再び急な上りが始まる。これほど急なところはここしか無いが、その後もしばらく上りが続く。踏ん張り所である。ひと息ついて坂を下って、今度は岩堂山へ向かう。

 岩堂山頂上あたりで後ろから小宮氏が追い付いて来た。晴れているので景色もまずまず。富士山はかすんで見える。房総半島ははっきりと見える。大島までは見えなかった。暫く小宮氏と併走。下りは良かったが、その後は徐々に離されてしまった。平地ではスピードの差は仕方なかった。

 あとは城ヶ島へ向かって下り坂。途中給水が1ヶ所。少し水を取り、気分を入れ替えスピードアップする。城ヶ島入口の大橋手前で8Km。4キロのラップは何と16分22秒も掛かってしまった。それでも前のラップが良かったため、何とかキロ4分は切れていた。31分26秒。上りが多かったせい、という事にした。気持ちを入れ替え、次のラップを刻むことにした。

 橋を渡り始めるともう先頭が現れる。トップは箱根でも活躍した駒澤大学の1年生との事であった。ダントツだった。橋を渡り終える頃にポツリポツリ。そして昨年もいた「お猿」ともすれ違う。他に知った顔には出会わなかった。折り返す人数をざっと数えてみると、なんとか100番くらいには入っている様であった。私が折り返してからは、鉄人の中村、平塚の佐藤、西山などなど。多数から声が掛かってきた。

 橋を渡る手前に10キロ地点、39分04秒、ラップも7分38秒、速すぎるかなという気もしたが、納得して先を目指す。ペースは悪くなく、「良い」という感じもした。橋を通過し、再び上りへと続く。風がやや向かい風となり、少々寒く感じる。再び岩堂山へと向かう。

 今年はやけに後ろの方に人が多い様な気がした。まだ折り返しに向かうランナーもいる。私は気持ち良く走れていた。12キロ地点を過ぎれば、向かって来るランナーは殆んどいなくなる。12キロは47分16秒。この2キロは8分12秒も掛かってしまった。距離が違っているのだろうと思う。彼らの後ろからは収容車も迫ってくる。

 給水所で再び水を取り、気分を入れ替える。そして岩堂山の上りに差し掛かる。前を行く小宮氏は見えているがなかなか追い付かない。小宮氏との間は20人くらいはいた様だ。距離は仕方無いにしろ、人数だけは詰めて行きたかった。岩堂山の上りでだいぶ抜き去るが、差はかえって開いている様な気がした。

 岩堂山から一度下って、三浦半島の馬の背、霊園方面へ再び向かう。アップダウンもかなりある。昨年はこの辺りから、調子に任せてぐんぐん行ってしまった。その時は良かったのだが、海岸線の平坦地になって、思う様にラストが走れなかったので、今年はここでは無理をしない事にした。気持ち良く走れた。

 前方に見えていた「お猿」は力尽きたらしく、その差はぐんぐん詰まり、何度目かの坂であっさりと抜き去る。昨年とは大違い。その代り後ろから、いつも月例マラソンで私よりも前を走っているランナーが追い越して行った。なるべく離されない様に目標にして走った。小宮さんには追い付けそうに無かった。最終的には1分の差が付いてしまっていた。--250m以上--ラストでだいぶ離された様だ。

 16キロ地点はもうそろそろ大根畑も終わりというところ。1時間03分17秒。この4キロは16分ちょうど。16分台になってしまったのは気に入らないが、この先頑張れば何とか22分台は出せるだろうというくらいだったので、とりあえず納得。あとは海岸線の県道に出る。急な坂を下り始め、その中間辺りにラスト4キロ地点。1時間07分25秒。何とか残りを15分30秒くらいで走れば22分台という目標までできた。いつものペースで走りきれば大丈夫だろうという気もした。ひとまず安心とまではいかないが、ホッとする。

 あとはラスト4キロの平坦を、前を追って一生懸命走るだけである。離されてしまわない様にしっかりと走る。そのうち5キロの部の折り返し。ラスト2.5キロ、あと10分も掛からない。時計を覗けば何とか大丈夫そう。昨年も思った様な気がするが、このラスト2.5キロのところは、往きは分からないのだが、帰りになるとずいぶん上っているなと思う。

 カーブを左に曲がり、もう一度小さなアップダウンを過ぎると、ラストの1キロ。3分半で走れば22分も切れるところまで来ていた。何とか目標は達成できそうだった。しかし目標としていたランナーには追い付けそうに無かった。ラストのダッシュを掛けて1人を抜くのがやっと。そのままハイペースのままでゴールを目指した。

 ゴール直前、松野、上野の応援があった。通過した時は誰だか不明だったが、とりあえず手を上げて応える。時計は22分を回ってしまっていたが、30秒までは経っていなかった。何とかそこそこ満足できる1時間22分24秒、昨年からは15秒遅いだけの立派な記録でした。

 それほどのダメージも無く、いいレースができた。今年は私の周りには女性は1人も見当たらなかったが、私の前には3人いた様であった。とりあえず着替えに戻り、ビールとコロッケを買って、仲間の帰りを待った。今年のアフターレースは上大岡でビール、餃子、ラーメン、チャーハン。4人前くらい食べてしまいました。

(No.222)

 この年の優勝者は駒澤大学の1年生、藤田敦史(19歳)だった。優勝タイムは、1時間06分11秒。 2位は同じ駒澤大学・佐藤裕之、2分45秒の大差を付けた。藤田は卒業後は富士通に入社、ご存知のとおり実業団でも活躍した。
(2011年6月)


【レース報告】
 昨年ほどの練習ができていなかったので、それほど無理をせず、1時間23分程度を目標にしていました。しかし、昨年の記録は22分09秒、今年は22分24秒であり、まずまずの結果が出たようです。
 スタート地点は、先頭から3列目くらい。合図とともに勢いよくスタートがきれました。そのためか、最初の4キロはだいぶ良いタイムが出ました。その反動か、そして岩堂山の登りのためか、かなりペースダウン。その後のペースアップを期待しました。
 大橋を渡り、城ヶ島内を折り返して来て、再び橋の手前の10キロ地点は、39分04秒でまずまずの通過タイム。その後は、16キロ地点までの登りとアップダウンの繰り返しとで、タイム的には満足できるものではありません。こらえ所でした。昨年は、アップダウンのところでペースを上げ、気持ちよく走れましたが、最後の平地で辛かったので、今年はややセーブし、勝負はラストの4キロに持ってきました。
 昨年もいたお猿さんは、今年はだいぶ早くペースダウンしており、目標とはならず、そのかわり、月例マラソンでいつも前を走っているランナーを目標に必死でとばしました。ラスト4キロは15分を切り、目標タイムも余裕でクリア。いいレースとなりました。


  
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