第44回勝田全国マラソン大会

1996年2月11日(日・祝) 晴れ
種目:フルマラソン
記録:3時間12分11秒 総合540位/約9000人

 5Km21:3021:30
10Km20:5742:28
15Km20:521:03:20
20Km21:251:24:45
25Km22:071:46:52
30Km22:562:09:48
35Km25:582:35:47 (トイレ休憩)
40Km25:573:01:44
42.2Km10:253:12:09


 朝4時半起床。前日にお願いしていたタクシーで、5時25分に大船駅に向かう。一緒に行く予定の石山さんから、寝坊したとの連絡が5時10分頃に電話であった。とりあえず紀子と私は予定どおり、大船発5時44分の電車で東京へ向かう。予定より1時間遅らせて、上野を8時00分発のスーパーひたちで勝田に向かうことにした。なんとか紀子、石山さんとも自由席に座る事ができた。

 現地には9時45分頃到着。余裕はあまり無かったが、レースには間に合う時間だった。10時頃からアップを始め、少しだけジョグ、ストレッチをして切り上げる。トイレはすぐそばの勝田会館を借用、立派な宿泊施設の様だった。

 スタートは11時。今年からスタート地点が変更になり、商店街のメインストリートからとなった様だ。以前は運動広場の横からのスタートだった。並び順は、先頭に陸連、その次からタイム順にプラカードが掲げられた。とりあえず一般の先頭に並ぶ。しかしいつも不思議に思うのだが、こんなに前方でも、スタートするとかなりの数のランナーが前を走っている。

 11時、定刻どおりスタートが切られた。スタート地点の道幅もそれほど広くなかったので、駅前大通りに出るまで、しばらくはゆっくりと走らされてしまった。今日は現地に着いてからあまり時間が無かったので、レースに対しての余裕が無かった様に感じた。大通りに出てからは、ほぼキロ4分くらいのペースで走る事ができた。4車線ある道路を全て使っていた。5キロ地点までは一直線、多少のアップダウンはあるものの、走り易いところではある。しかしまっすぐ5キロというのも気が滅入る様な感じがする。5キロくらいまでは周りに人はたくさんいる。まだまだ先は長い。自分のペースで行ける。

 5キロ地点を過ぎて右折、やや狭い道路になる。これからが本調子になるところである。5キロは21分30秒で通過する。やや遅いが、最初のロスタイムとゆっくりペースと本日の調子をいえば、まずまずのところだろうと思った。このまま最後まで21分ペースで行ってしまえば十分であるのだが…。21分×8=168分=2時間48分(40キロ)。ゴールはちょうど3時間というところだ。

 応援は民家の前にちょろちょろ、申し訳けなさそうにいる程度であった。たまには大声援の中走ってみたい気もする。2キロほど走って国道245号に出る。そこを鋭角に左折、国道を北上する。前回走った時もそうだったが、路面の状態は良くなく、走りにくい。路面のいいところを選んで走る様にする。周りは殆んど私と同じペース。無理に走っているペースではないので、だいたい21分と思える。時折り速いペースで先行していくランナーもいる。しかし相手にはしない。ここも殆んど一直線、8キロほど。アップダウンも1ヶ所を除けば、うねりという程度しかない。周囲にも殆んど何も無い。荒地の様であり、応援も殆んど無い。

 東海村(?)町(?)の原発研を過ぎて、15キロ地点を過ぎて左折。曲がった途端に悪路。ここは国道以上にひどかった。ここでもいいところを選んで走ることにした。まだ何とか21分ペースで走っていたが、走りに切れが無いのが分かってきた。なるべくいい走りのランナーに引っ張って貰って行く様に、付いて行った。

 給水所はたくさん有り、欲しくなる頃にはすぐに取れる様になっていた。スポンジテーブルも給水の合間に有ったが、手袋やシューズが濡れるのを避けるため、今日は一度も取らなかった。給水は一度欲しいところがあったのだが、取れなかった。その時、他の人が捨てようとする水を分けて貰った。助かった。

 20キロの手前で再び左折、20キロは1時間24分45秒。やっと20キロまで来たという感じであった。残りのもう20キロは、かなり遠く感じた。中間点は何とか1時間半を切り、1時間29分台。まだまだサブスリーに望みはつながっていると思った。しかし本音では辛いところであった。

 国道6号線と平行に走っている道路であるためか、本当に何も無いところで、林の中を走るところもあった。(様な気がした。)しかし、そろそろ食べ物も欲しくなるところなので、私設エイドらしきものがボチボチ現れ出す。バナナなども多数置いてあり、そのうちの1つに手を伸ばす。他にもアメやチョコ、そしてポカリなど多数ある。あとで考えたところだが、あまりにも多く同じ様なものなので、主催者側で用意した私設エイドではないかとも思った。

 20キロを過ぎるとペースもかなり落ち、4分半くらいになってしまった。腿の張りもだいぶ表れてきた。25キロは常磐線の陸橋前、15キロ過ぎからずっと付いて来た「日立」の人も少しずつ下がってきた。もはや3時間という目標も危うくなってきた。25キロは1時間46分52秒、この5キロは22分07秒。

 30キロ手前あたりに日立化成の工場。その周りをぐるりと回って30キロ。2時間9分48秒、ぎりぎり9分台、5キロは22分56秒。ひとつの目標である30キロ、2時間5分も大幅に過ぎ、3時間も全く無理に思われてきた。30キロ過ぎのガソリンスタンドに「トイレ」表示。スタンドの裏に回って用足し。顔も洗って出直す。暫くは細い道が続く。ぐるぐると回されて、どの辺りを走っているのかも分からなくなってくる。

 35キロは2時間35分47秒。ここまで来るとあと7キロ。コースの先も見えてきたので、とりあえずひと安心だが、ペースは全くダメ。キロ5分でゴールタイムも15分を過ぎてしまうのではないか、などと思われた。全くゴールタイムは見えなかった。コースは、この直線と右折してからの残り5キロとなる。キロ5分ペースは変わりそうにない。まわりの連中も皆同じ様に、ペースも変わっていない。

 残り5キロの表示があり、暫くして右折。駅からの一本道に出る。この直線が延々と4キロほど続く。もう少し変化があってくれても良いのにと思った。周りのペースは、みんなガックリと落ちてしまっているランナーばかり。時折り、勢いのいいのがスッと抜いて行く。40キロは3時間1分44秒。あと2キロ、何とか15分までは掛からなそうである。堀さんのベストタイムには何とか勝てそうだった。しかし、自分のワーストタイムになりそうな気配である。

 メインストリートを左折し、公園の方へ向かうと残り1キロの表示。もはや時計を見る元気もなく、ひたすら早くゴールしたいという気持ちだけ。ゴールのスポーツひろばへ左折しても、ラストスパートする元気も出ない。時計も12分を超えてしまった。疲れた体でフィニッシュ。ゴールできたという事でひと安心した。

 迎えに来た紀子に愛想をふりまく元気もなく、着替えに向かった。疲れた体には暖かいうどんとビールがとても美味しかった。今にもつりそうな足では座ることもできず、暫くは立ったままだった。

 着替えを済ませてからは、4時間15分くらいで帰ってくる予定の石山さんを迎えに大通りに向かった。なかなか帰って来ず、暫く待たされたが、4時間半くらいにやっと現れる。ゴール付近まで並走し、完走をねぎらった。ゴールタイムは4時間36分、つくばよりもやや悪いものの、風邪で不調だった割には立派なタイムだった。

 終了後は駅前までバスで戻り、腹へ食べ物を詰め込む。ビールもとても美味しかった。帰りは「ひたち」でのんびり、スピーディに帰ってきた。

(No.221)


  
home report