第15回横浜マラソン

1995年11月12日(日) 晴れ
種目:21.1Km 男子36歳以上
記録:1時間20分50秒
順位:36歳以上男子59位

 1Km 3:44 3:44 
2Km  
3Km7:3911:29
4Km3:5915:23
5Km3:5319:17(5Km 19:17)
6Km3:5623:14
7Km4:0027:15
8Km3:4631:01
9Km  
10Km8:1239:13(5Km 19:56)
11Km3:4843:02
12Km3:4146:44
13Km3:3350:18
14Km  
15Km7:5658:14(5Km 19:01)
16Km3:131:01:27
17Km  
18.1Km8:141:09:42
19.1Km3:531:13:36
20.1Km3:261:17:02(5.1Km 18:48)
21.1Km3:481:20:50


 起床は5時半、紀子、玲子も行くので準備は早め。家を7時5分に出て25分頃に駅到着。関内には8時少し前に到着。いつものとおり山下公園の赤い靴の女の子の隣に場所を確保。すぐに受付を済ませる。私のゼッケンは1601番。36歳以上の1番かと思ったが、それは1501番だった。少しがっかり。受付から戻って8時半。ぼちぼちアップを始める。今年は何となく少し早め。トイレはいつもの様にザ・ホテル、やや混んでいた。2F、3Fと探しに行ってしまった。軽いジョグとストレッチで体を暖めて戻ってきた。

 9時を少し回ったところだが、早めに着替えにかかる。そのうちに、早くもハーフの集合がかかる。グループ別に並んでからスタート地点へと向かう。私が行った時には既に100人程が並んでいた。9時25分頃、少々早めだったが列に並ぶ。寒さ対策として上に捨ててもいいようなTシャツを着て行った。スタート時に道路際に捨てて行くつもりでいた。これはなかなか有効であった様に思う。9時45分頃から開会式。それまで列に並んだまま待たされる。じわりじわりと前の方へ移る。結局スタート時は前から5列目くらい。それでももたつくランナーは前にいるもので、スタート時やや人をかわしながら走る事になった。

 10時ちょうどスタート。Tシャツはホテルニューグランド前に捨てていった。勢い良くスタートダッシュ。ここのところ月例が終わってから疲れを取るように心掛けていたのが効いたのか、それほど疲労感もなく気持ち良くスタートを切る事ができた。陸橋の1キロ地点は3分44秒、まずまずの出来、このまま行ければ全く問題ない。後ろからは速い連中で後ろに並んでいた様なランナーが次々と抜いて行く。それはそういう事だと思ってそれほど気にしない。2キロ地点は分からず、2.5キロと思われる給水所前を通過、この給水所はまだ始まっていない。乾燥しているのか、やや唇、喉が渇いてきた。その他は特に問題なし。3キロの通過は11分24秒、まずまずのペース。1~3キロは7分39秒、悪くはない。

 しかしいつもはこの後4,5,6キロ辺りでペースがガクッと落ちる。それに気を付けながら広い産業道路を日産方面に向かう。日産の角を右折、かもめ町方面に向かう。4キロのスプリットは15分23秒、ラップは3分59秒。いつもよりは急に落ち込まないものの、それでもやはり落ちてしまった。じっと我慢、そしてペースを維持する。しかし、5キロも同じ様にほぼ4分、このままではいけない。

 給水所を過ぎ、そして6キロ。眼の前を松下の女の子がちょうど4分ペースくらいで走っている。少しずつではあるが、落ちていく。4分を切るペースに上げるため少々踏ん張る。そろそろ周りも落ち着き、ペースは変わらない。置いて行かれない様に踏ん張る。

 7キロ地点は27分15秒、ラップはちょうど4分掛かってしまった。かもめ町の陸橋、ここもひとつのポイント。上り下りとも割合に長くきついところである。周りの景色は高速道路を建設中で、以前とはだいぶ変わってしまった。工事中のなかを第1折り返しへと向かう。

 8キロ地点は建設中の高速道路の下、そろそろ折り返しというところ。それより前に後ろから肩をたたかれる。竹山が追い付いて来た。その存在は全く考えてもいなかった。しかしこの時点ではとても良い走りをしており、ペースも良かった。ここで離されてはダメと思い、ややペースを上げ、竹山を見逃さないように付いて行く。8キロ地点は下りでペースも上がったので31分01秒、3分46秒のラップ。竹山は第1折り返しから第2折り返しの間では、常に7~8m先に見えていた。第2折り返しを回り再び陸橋を上るところで、ペースの落ちた竹山を捕らえる。そして次の下りで一気に引き離す。竹山は付いて来る様子は無かった。

 10キロの関門前を39分13秒、8分12秒で通過。タイムは良くない。ポイントが違うとしか思えない。直後、後ろから「1212」松下通信の佐藤さん(18歳)がスッと抜いて行く。女性に抜かれては、と思い、また春の神奈川の時の女の子かと思い、必死で食らい付く。きっとペースも一緒くらいだろうと、ゴールまで一緒に行く(連れて行って貰う)つもりで、お尻を追い掛けて行った。速い速い。それまでモタモタしていたのが嘘の様で、ペースはぐんぐん上がって行った。11キロのラップは3分48秒、ペースがぐっと上がった。

 いつものデュアスロンのコースを戻ってきて、給水所で水を取りひと飲み。そして12キロ地点を通過。すると前方に早くも高城さんを発見。今日は走る前に話をしていて、抜く時は「スッ」とただ行く様に言われていたので、何のアクションも無い。しかし抜くと、彼の方から気が付いた様子。手を挙げて抜いて行く。

 ペースは上がったまま落ちない。私が女の子に付いて行く様に、もう2人、男の子が付いて来た。私よりも速そうな子である。私も負けずに付いて行く。暫くは4人で集団となって前を捕らえて行った。何と13キロのラップは3分33秒まで上がっていた。本当だろうか。しかしそれくらいのつもりで走っていた。日産まで戻って来て、今度は右折して埠頭の方へ向かう。

 まだまだ速い。女の子はややペースが落ちたか、私の前を走っていたものが、隣に並ぶようになった。若い男の子は、依然として後ろに付いて来る。時には前へ出たりする事もある。女の子はだいぶ疲れ、後ろに下がる様になった。私が引っ張って行く様に走るが、次第に落ちていった。もうそれ以上相手にするのはやめ、更に前を狙って行く様にした。

 シンボルタワーをぐるりと回って16キロの関門。正しいとは思えなかったが、とりあえずチェック、1時間1分27秒。何と1キロのラップは3分13秒を指していた。とりあえず、残りはあと5キロ。鉄人で設定した目標タイムの1時間22分は何とかクリアできそうな様子になって来た。

 残り5キロ地点を過ぎ、若者のうち1人はスパートをかけ、前の方へ行ってしまった。やはり若いのか、付いて行けない。高校生の様だった。元の産業道路まで出てくれば、そろそろ残り3キロほど。毎度の事ながら、ここからがいつも辛い。路面がコンクリートというのもやはり走りづらい。あと12分などと思いながら必死で前を追う。

 ラスト2キロ、給水所を通過。目一杯で走っているので、水も欲しくなる。テーブルの上のコップもスピードを落とさずに取る。勢いが付いて、中の水も半分くらい無くなる。最後のテーブルでもう1度キャッチ。今度は飲んで、更に頭にもかける。路面がアスファルトに変わると走り易くなる。やはりコンクリートの硬い路面は走っていて体にこたえる。

 何とか目標の22分も切れそうな目途は立った。途中まで一緒に走っていた若者はかなり前の方に行ってしまった。もはや追い付ける様な距離ではなかった。

 ラスト1キロを通過すると、目の前に陸橋が見えてくる。この坂を上りきればゴールがあるのだが、またそのゴールまでが長くて辛い。とりあえず自分の出せる最高のスピードで走りきる。最速ではあるのだが、息はそれほど辛くない。脚の方が付いていかない状態だった。

 いつもの様にゴール前の長い直線、とても辛い。時計はまだ1時間20分台を指していた。何とか20分台は出せそうである。周りのランナーもラストを一生懸命頑張っているのか、必死の形相で抜きに掛かってくる。こちらは何とか目標クリアなので、ある程度余裕をもってゴールイン。

 途中で女の子と互いに競い合ったのが良かったと思いながら、自分の書いた注意点がこれほど効果があるのだと納得して帰ってきた。ゴールから赤い靴の女の子まではとても遠かった。疲れた体と今にもつりそうな脚で元の場所まで帰って来た。みんないいレースをしていた。着替えた後はいつもの様に中華街でたらふく食べて満足して帰りました。

(No.214)


  
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