第9回日本海オロロンライントライアスロン国際大会
1995年8月27日 日曜日 天候:曇り
種目:Swim 2Km、Bike 110.3Km、Run 40.5Km
記録:8時間14分40秒 総合100位
| Swim | | 44分49秒 |
Bike | 3時間 | 40分09秒 |
Run | 3時間 | 49分42秒 |
■8月25日(金)
朝10時25分のJASで羽田から千歳へ。ほぼ定刻に千歳着。その後は、貸し切りバスで増毛町の体育館へ。今年は順調に、4時前に到着。開会式、競技説明会、カーボパーティと続いた。
■8月26日(土)
朝7時半、バイクを引き取りに、宿にトラックが到着。人間は10時半のバスで増毛港へ向かう。自分のバイクで向かう人もいるが、私たちの場合は、子供がいるのでバスに乗る。バイクを組み立てたのち、車検。途中、10時から12時の間、スイムの公式練習。バイク組立に時間がかかり、10分だけ泳ぐが、今年はとても冷たかった。車検は問題なくパス。バイクをバイクラックに設置して、人間は留萌へ戻り昼飯。「横綱」という魚屋が経営している寿司屋を宿の人に紹介してもらい、出かける。7人でお店の人がびっくりするほど食べる。坂口さんという園田さんの友人は、3人前くらい平らげる。みんなびっくり。夜は、近所の銭湯へ。9時前には床に着く。
■8月27日(日)
未明からものすごい雨。その音で目が覚める。起床予定は3時半。もう一眠りする。3時半に目覚ましに起こされる。まだ雨は降っていた。雨の中のレースはいやであった。選手輸送のバスは4時50分。それに合わせて、食事、準備を進める。バスに揺られて30分ほど。5時半には、現地での準備が始まった。私と石山さんは大チョンボ。宿にIDカードとチェックカードを忘れてしまった。しかし、誰が気を利かせたのか、バスまで届けてくれた。大助かり。
ボトルの水、パワーバー、空気入れ。やはり雨が降り、水で濡れてしまっているので、思うようには準備が進まない。なんとかぎりぎり6時半。ウェットを着込んでスタート地点へ入場する。軽くアップしてスタート地点へ戻る。突然雨が降り出し、寒くて震えてしまう。昨年の暑さを考えると、雲泥の差。しかし、これが本来の北海道かもしれない。スタートは7時ちょうど。問題なくスタートはできそうだが、水温も低く、うねりもあり、泳ぐには多少苦しそうだった。
定刻7時にスタート。やや後ろ、左側から勢いよくスタートする。途端、右側のゴーグルに水が入ってきた。少々ゴムがゆるかったようだ。その他は、特に問題なし。防波堤を過ぎると、うねりが大きくなった。最初のブイを右に見て、やや右に折れると、だんだんひとが少なくなる。はるか右の方を皆泳いでいた。コースから大分ずれていた。最初に200m、次に三角形の一辺700mを右回りに泳ぐものが、700mのあと、皆左に曲がっていく。いつの間にか、左回りに変わっていた。わけのわからぬまま、皆の後をついていく。
うねりが大きかったほかは、特に泳ぎにくいことはなかった。堤防の内側に入り、ラスト200mを泳いでいると、急にバトル状態になってきた。あちこちから人が集まってきた。人の手がゴーグルに当たり、ずれて水が入って、少々パニック。止まって必死で直し、なんとか泳げる状態にする。この混雑も、きっと早い方だからだろうなどと喜びながら岸に上がると、時計は44分。早いのではなく、遅くて混んでいたのだった。ガックリ。出だしで気をそがれてしまった。やはり、スイムは早くなければ。
ややがっくりしながらも、気を取り直し、バイクへ向かう。まだまだバイクはある。隣の山口のバイクもまだあった。バイクパンツをはく前にバイクシューズを履いてしまい、もたもたしていると、そのうち山口が現れる。スイムタイムはほとんど変わらなかった。準備を終え、出口へ向かう途中の石山さんのバイクは、まだ置かれていた。娘の紀子から、園田は7分も先に出ていったと聞く。だいぶ早いのか、あるいは私が遅いのか..。とりあえず、追い風に乗ってバイクで出かける。
路面は濡れており、スピードは思ったようには出ていない。先も長いので、マイペース。少しずつではあるが、前のバイクをとらえる。スリップ、落車だけには注意した。街中に出れば、ぽつりぽつりではあるが応援は居る。その他は全く居ない。まわりの自転車に乗っている者だけが人間だ。前半は、街中を除けば、ほとんど平坦。たしか、小平町のあたりにトンネルが一つ。割合に長く、路面も悪い。ここで峠を越える。昨年はほとんど追い風だったところが、今年は一部向かい風となったところもあり、昨年ほどのスピードも出ない。30キロを割るところも所々あった。しかし、なんとか前半は、平均35キロ以上で走っていた。
ちょうど中間の55キロを過ぎるあたりから、少々内陸に入り、コースもアップダウンの繰り返しが始まる。横からの風ということもあり、思うようなスピードも出ない。下り坂でも、漕がないとスピードが出ないところもあった。前半にやや力をセーブしたこともあり、後半は、昨年ほどはつらくなかった。若干のドラフティングの結果かもしれない。途中、かなり上位と思われる3人の女性の熾烈な戦いがあり、私もその中で、戦いを楽しませてもらった。
残りも20キロを切ると、だいぶまわりはばらけて、人もまばらになってきた。ひとの後について行くようにして、なるべく気持ちが切れないように努力した。多少腰は痛くなってしまったものの、なんとかゴールの遠別までたどりつくことができた。途中、山口に抜かれたところはなかったが、たぶん、私のトイレの最中に、先に行ったのだろうと思った。私より後ろにいるとは思わなかった。
ランへのトランジッションも終わり、2度目のトイレ休憩をしていると、園田にばったり。バイクはだいぶ遅かったようだ。私が先に出ていく。昨年ほどは暑くなく、走りやすそうだ。その為、ボトルを持って走るのはやめた。初めのうちは、走りも軽く快調。少しずつ前をとらえていく。2度目という事もあり、コースもわかっているのでだいぶ走りやすい。昨年もそうだったが、5キロ地点が妙に早い。たぶん距離が違うような気がする。そこを過ぎると、もうあまり人もいない。横を通り過ぎる車と、役員だけが応援のような気がする。
昨年の暑さもあり、今年は、エイドの数が倍に増え、とても楽である。ひといき頑張るとエイドにたどり着く。15キロ地点あたりまでは、なんとか5分半ペース。その先は、だいたいキロ6分で、5キロ30分といったペースに落ち着く。15キロ手前で園田に追いつかれる。彼の調子は良さそう。私と同じように、エアサロンパスを手に持っていた。これのおかげで、気持ちよく走ることができた。
今年は涼しいせいか、あるいはバイクで皆が遅かったせいか、後半になってランで抜かれる人の数がだいぶ多かった。バイクで一緒だった女性にも、一度は簡単に抜き去ったものの、再度抜かれて、そのままゴールまで追いつくことはできなかった。また、10キロ以上も私のうしろで私を風よけにして走っていたランナーにも、残り4キロあたりで、あっさりと抜かれて、かなりの差をつけられてしまった。今年は、ランではあまりいい思いはなかった。ただ、ラストまでしっかりと6分ペースだが、走れたことが収穫であったといえよう。
最後のエイドは橋の手前、あと残り6キロ。橋は残り10キロ地点あたりからずっと見えており、張り合いがあった。橋の直前であと5キロ。もう先も見えてきたところ。橋を渡りきって右折。長い直線を過ぎれば、もう残りは2キロ。そこに北緯45度線。通過記念の撮影隊もいる。意識して通過する。ラストはどの様にしてゴールしようかなどと考えながら、最後を懸命に走る。
ラスト1キロの看板が見える。その先に、どこかで見たような姿を発見。私よりずっと後ろにいると思っていた石山さんが迎えに来てくれていた。石山さんの励ましの中、ラストを走りきる。ゴールではフィニッシャーの紹介。皆さんの応援の中、気持ちよくゴールイン。
石山さんは、バイクでタイムアウトしてしまい、最後までたどり着かなかったようである。私は、なんとか2ケタの順位をねらっていたのだが、残念なことに、1つ届かず、ちょうど100位。3ケタではトップでのゴールでした。昨年より40分近くダウンのタイム、順位でも22番も下がってしまった。
ゴール後は、アイシングサービスとスイカ、オレンジなどのサービスもあった。ゴールは3時15分。すでに皆ゴールしてしまっていたので、さっさと帰り支度をして、5時のバスで今日の宿のある羽幌まで帰ってきた。80Km、バスで1時間20分、ちょっとしたバス旅行でした。
■8月28日(月)
朝から雨、バイクをかたずけるのに、憂鬱ではあったが仕方がない。出かける頃には雨も上がり、なんとか濡れずには作業をすることができた。10時半からは、閉会式&パーティ。表彰式が11時20分頃まで延び、結局、パーティまでは1時間近く待たされてしまった。タラバガニをたらふく食べさせてもらい、12時には散会となった。皆は用意されたバス、私たちは札幌行きのバスに乗り、札幌へ向かった。2度目のオロロンツアー、やはり満足するものでした。
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