第14回横浜マラソン
1994年11月13日(日) 晴れ
種目:ハーフマラソン 男子36歳以上
記録:1時間22分12秒 71位/1618人
| 1Km | | 3:41 | | 3:41 | |
2Km | | |
3Km | 7:34 | 11:15 | |
4Km | 3:59 | 15:14 |
5Km | 3:53 | 19:09 | (5Km 19:09) |
6Km | 3:54 | 23:04 |
7Km | 3:59 | 27:04 |
8Km | 3:51 | 30:55 |
9Km | 3:51 | 34:47 |
10Km | 4:06 | 38:53 | (5Km 19:44) |
11Km | 3:51 | 42:45 |
12Km | 4:17 | 47:03 |
13Km | | |
14Km | 7:52 | 54:56 |
15Km | 3:43 | 58:39 | (5Km 19:46) |
16Km | 3:19 | 1:01:58 |
17.1Km | 4:41 | 1:06:40 |
18.1Km | 4:00 | 1:10:40 |
19.1Km | 4:02 | 1:14:43 |
20.1Km | 3:46 | 1:18:29 | (5.1Km 19:50) |
21.1Km | 3:43 | 1:22:12 |
第14回の横浜マラソン。私自身にしては10回目の横浜である。近年はいつも暖かい日が続いている。今日も天気は良さそうだ。今年は例年よりやや出足が遅れ、7時過ぎに家を出る。本郷台を7時半頃の電車に乗り、関内駅には7時50分頃。周辺にはランナーがずいぶん集まっていた。そのまままっすぐ山下公園へ向かう。
いつもの赤い靴の女の子のところにも人はたくさん、竹山が既に準備をしているところだった。受付を済ませ、参加賞を受け取る。Tシャツと使い捨てカイロ。ゼッケンは前もって送られて来ていた。--1632番、速い人は早い番号を付けている様にも見えた。(始まりは1500番から)
元のところへ戻って来て8時30分。途中靴下の買い物、2足で1,000円。ぼちぼちとアップを始める。いつもの様にザ・ホテルヨコハマへトイレを借りに行き、ストレッチとジョグをする。最近アップの量が少ないが、もう少し多めにとった方が良い様な気もする。--最近出発してから、暫く筋肉の張りがあるのはアップが少ないからではないか。
9時20分頃には全ての準備も終わり、9時半のスタート招集に備えた。9時半には県民ホール前のスタート地点へ向かう。既に100人以上のランナーが並んでいた。端の方から前に行き、何とか最前列に潜り込む。いつもの様に空いている女子の隣に行く。今日は暖かいので並んでいても苦にならない。9時45分からは開会式。高秀市長の挨拶がある。例年の消防隊による演奏は無かった。
10時ちょうど、暖かい中、市長の合図でスタートは切られた。すぐ後ろには竹山も来ている(と言っていた)。とりあえず、スタートの1キロは周りに合わせてダッシュする。周りは空いていて走りやすい。停滞は全く無い。それほど速いという感じは無かったが、実際には速い様だった。
陸橋のピークを過ぎ、少し行ったところで1キロ、3分41秒のラップ。タイムとしては十分であったが、やはり少々きついペースの様だった。下りながら少しペースダウンして行く。毎年の事ながら、この高速の下の直線がいちばんきついと思う。走り出して、速いペースのところから徐々に落ちてきて、後ろからもどんどん抜かれていってしまう。最後には抜くと思うが、やはり嫌である。
2キロ地点の先に少々アップダウンのある橋。その先に給水所があるが、まだ準備はされていない。暑くなると思い、だいぶ水を飲んでいたので、まだそれほど欲しくはない。スタート前にはトイレに行きたくなるくらいだった。
その先、あまり舗装の良くない産業道路。高速のガード下を通り、3キロのチェックポイント、11分15秒で通過した。ペースとしては申し分なかった。このままのペースでずっと行ければと思ったが、そうは行かない様だった。ATCの高城氏にいつもの様に抜かれ、他にも次々と後ろから抜かれてしまった。明らかにペースは落ちている様だった。
日産の角を右へ曲がり、かもめ町方面へ向かう。正門の辺りに4キロ、3分59秒まで落ちてしまっていた。後ろから抜かれて行く人に合わせ、なるべく付いて行く様に努めた。そのうち小柄な女性に抜かれる。このままズルズル行っては去年と同じ様になりそうだったので、必死で付いて行った。両足のすね辺りには張りが感じられた。後になれば無くなる事は分かっているのだが、その時は辛い。
帰りの給水所となる所より手前で5キロ。付いて行ったお陰で何とか3分55秒までペースが上がった。その先、本牧デュアスロンのコースの線路脇の6キロも3分54秒。しっかりとイーブンペースで走れている。大したものだと思った。
いつもの本牧デュアスロンのスタート地点となる辺りで7キロ、3分59秒でややペースダウン。自分のペースもやっとつかめてきたので、女性を振り切り先に行く。陸橋の上り、下りではずみを付けてペースアップ。陸橋を下って暫くして先頭ランナー。殆んど例年同じ場所ですれ違う。
第1折り返し手前の8キロは3分51秒。調子が出てきた様だ。折り返しを過ぎると、向かってくるランナーが多く、目が回りそう。なるべく見ない様にする。誰とすれ違うか見る気もない。
下ってきた陸橋の手前で9キロ、3分51秒。いい調子、ペースを維持する。陸橋の下をぐるりと回って第2折り返し。上って下ってかもめ町の信号が10キロ地点。速いと思ったにも係わらず4分06秒。距離が違っているのだろうと納得して行く。スプリットは38分53秒、まあまあ。調子はそれほど悪くはない。だいぶ暑くなってきていた。
11キロ地点はかもめ町南端、3分51秒で通過。その先に行き、松下通信の女性だろうか、ひとり捕らえる。かもめ町の信号まで戻って来て、暫く行った先に給水。一口飲んで、足と頭にも掛ける。すぐ先に12キロの表示、タイムは4分17秒、だいぶ距離が違っていた。
目の前に先行されていた高城氏が見えてくる。もう間もなく追い付く。抜き際にお尻をポンとたたいて気合いを入れる。壮年の部のゼッケンがだいぶ目に付くようになってきた。なるべく大きな番号は抜く様に、付いて行くように調子を上げる。いいペースになってきた。ランニングハイの状態かもしれない。
日産の角まで行って、シンボルタワー方面に向かう。まだ10キロのランナーが走っているのが見える。いつの間にか14キロ。13キロは見落としたらしい。7分52秒、まずまずと言ったところか。
この先はコースも良く、毎年気持ち良く走れるところである。ペースを上げて前のランナーを抜いていくところだが、今年はあまり上がっていった方ではなかったようだ。しかし、少しずつではあるが、順位は上がっていった。シンボルタワーを目の前にして、15キロは3分43秒、スプリットは58分39秒。納得はいかないが、まずまずか。
シンボルタワーを抜ける角に16キロ、3分19秒で来てしまった。だいぶ得をしたと思ったが、次の「あと4キロ」では、4分41秒もかかっていた。1.1キロを走ったとしても少々長い。嬉しい気持ちも半減--打ち消されてしまったか。
埠頭の中を通り抜け、元の道路へと向かう。残りは3キロ少々というところ。産業道路に出て暫くすると、あと3キロのプラカード。自分では一気に行くつもりでペースを上げているが、実際にはそうでないらしい。4分00秒のラップ。例年ならまだこれから行けるところだが、もう目一杯といった様子。ゴボウ抜きとはいかない。路面はコンクリートで、足にも負担が掛かっていて、やや張った感じがした。
橋の手前に給水所。1杯取りひと口、残りは足へ。その先もう1杯取って、足と頭へ。それを過ぎてすぐ残り2キロ。少々チェックが遅れて4分02秒。何度となく4分台のタイムが出てしまった。不満である。やはり走力が落ちているのが現れてきているのだろうか。ラスト2キロは高速の下を行く。みんな頑張っている頃だと思いながら、残りの力を全て出し切り前のランナーを追う。ひとりずつ確実にとらえる。
ラスト1キロ、3分46秒、限界の力が出ているか。昨年まではここに清水会長がメガホンで応援してくれていたが、今年は残念ながら居ない。会長の為にもラストを頑張る。何とかひとつの目標の24分は切れそうだ。22分はギリギリか、というところ。昨年のタイムは上回りそうである。
ラストの陸橋が辛い。上りきって、下ってもまだ500mくらいはある。右折するとゴールが先に見えてくる。目いっぱいの力で走りきる。前のランナーをかわすが、他のランナーに抜かれて行ってしまう。最後の100m、ダッシュで走り抜ける。
ゴールの時計は22分を少し回ってしまった。しかし何とか、しっかりとゴールインとなった。タイムは1時間22分12秒。足はもう言う事を聞かなかった。息も上がってしまっていた。ハーフマラソンとなった一昨年の記録より数秒早い記録の様である。厳しい横浜のコースで、再び何とかベストタイムを更新した様であった。
ゴールの給水所で頭に水を掛け体を冷やす。また「エネルゲン」がずいぶん美味しかった。ゴール地点から公園までの道のりがまたやけに遠く感じられた。途中、港区SCの人や高城氏にも出会う。2人とも1時間24~5分くらい。今年も勝つ事ができた様である。竹山も25分くらい。羽生は37分、西山氏はなんと44分もかかってしまったとの事である。やはり練習不足であった。ママは64分で完走だった。お疲れ様でした。
今年はTシャツ1枚でも過ごせるくらいに暖かく、アフターレースのビールはとても美味しかった。今年は中華街ツアーはありませんでした。
(No.190)
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