1994 彩の国さいたまマラソン
1994年2月6日(日) 晴れ
種目:42.2Km
記録:2時間57分44秒
| 5Km | | 20:05 | | 20:05 |
10Km | 40:52 | 20:46 |
15Km | 1:01:22 | 20:30 |
20Km | 1:22:09 | 20:46 |
25Km | 1:42:56 | 20:46 |
30Km | 2:04:04 | 21:08 |
35Km | 2:25:12 | 21:07 |
40Km | 2:47:40 | 22:28 |
42.2Km | 2:57:44 | 10:04 |
前日の2月5日(土)、埼玉県上尾市へと向かう。当日のスタートは8時40分と早いため、朝出掛けて行くのは大変なので、前泊することにした。11時過ぎに公田を出発、途中道路も空いており、2時間ほどで上尾運動公園に到着した。なかなか立派な公園だった。昼食のあと、2時からの受付を済ませ宿へと向かった。マラソンの一般の駐車場はかなり遠いので、一度宿へ行った後、再び車を会場内に置きに来ることにした。宿は駅前の東武ホテル。会場まで徒歩で15分程、ちょうど良い距離である。土曜日はその程度で特に何もしなかった。夜も食事を早めに済ませ、10時には眠りに付いた。
当日、2月6日(日)、朝5時起床。朝の天気予報では良い天気になる様だった。コンディションは良い様である。昨日買っておいたおにぎりなどで朝食を済ませる。ヨーグルトを食べる様にしている。何となく調子が良いのである。スタート時間の関係で5時に起きたが、会場までは15分程で行けるので、しばらくのんびりとした。6時半過ぎにチェックアウトを済ませ宿を出た。会場の運動公園に着いたのはちょうど7時だった。芝生スタンドの上に場所を確保する。アップを始めたのはスタートのちょうど1時間前から。この大会の出場者は皆のんびりとしており、10分前になってもまだアップをしている人がたくさんいた。
スタートは申告タイム順。いちばん前は2時間40分以内。出せもしない様な連中がたくさん居る。迷惑である。スタートで焦っても仕方がないので、初めはゆっくり行くつもりで少々後ろに並ぶ。前の方は人がいっぱいだったが、後ろの方はガラガラの様だった。出場者登録は5,000人ほど、たぶん実際に出走するのは1割減の4,500人程度だろう。この大会の主催者は埼玉陸連。そのためか運営はとてもしっかりしており、補助員の高校生もかなりの人数がかり出されていた。
スタートも8時40分定刻に出発した。先頭には招待の中山竹通選手もいたらしい。河口湖の様な混乱も無く、スムーズに出て行く。競技場前の公園内を中山道へ向かって走り出す。公園前の道路はやや狭く少々走りにくい。
中山道に出てからは13キロを北上するコースである。上尾駅前はおよそ2キロ地点。応援もそれなりにいて気持ち良い。対向する車もあまり無く走りやすい。初めのうちはいつもの様にまだまだ本調子ではない。どの辺りでまともになるだろうかとなどと思いながら5キロ地点を通過。ゼッケンのチェックをするし、役員もきちっといるし、なかなかの運営だと思った。タイムは20分05秒、理想どおりのタイムだと思いながらこのまま行けば良いと思い走る。しかし後ろから来るランナーが次々に私を追い抜いていく。少々4分ペースを下回っていた様である。しかしそんなに頑張って走ってもまだまだ先は長いと思いながら、やや遅いマイペースで行く。
中山道はほぼ一直線。真っ直ぐだいぶ走ったなぁと思って10キロ、40分52秒。この5キロは20分46秒もかかった。やはり遅くなってしまった様だ。5キロ地点では水を取らなかったので、ここ10キロでは水を取る。陽気もいいので調子を見ながら、気を付けて水を取る様に心掛けた。13キロの少し手前で左折。何となくコースはつくばの時と同じ様な感じがする。すぐ先に給水、しかしここでは取らない。ほぼ1つ置き─5キロ毎くらいに取る。
15キロの手前に荒川に掛かる橋。景色ものどかなのんびりとした風景に変わり、走っていても気持ちがいい。この辺りで後ろから女性ランナーに抜かれる。ゼッケンは「905」か、殆んどキロ4分といったペースである。私より少々速い。15キロは1時間1分22秒、まずまず。この間少々ペースアップしたので、20分30秒でクリア。先頭だけでなく私の周りにも白バイは付いており、前へ行ったり後ろへ下がったり、バイクのメーターがデジタルで表示され、少しはペース配分の助けとなる。風景はこの先ずっとのどかな田舎の風景である。あまり景色に目は行かないが、走っていて気持ちは良い。
20キロは1時間22分09秒。このラップは20分46秒。そして25キロも同じく20分46秒というラップを刻み、1時間42分56秒で通過した。走っていてもちょうど良いというペースだった。走っていて楽だったのは給水。これが15キロ以降は必ず2.5キロ毎に置かれているので、1つ飛ばしてもすぐに次の給水があるという感じがした。殆んどが10分ほど走れば次の給水という割合である。ただ残念なのは、水しか無かったという事。バナナなどが他にあればとても助かると思った。しかし所々、そろそろ欲しくなるなというところには、どこの大会でもある様に、私設のエイドが有って助けられた。私もバナナを2切れほど貰った。そろそろお腹が空いてきたなと思った25キロ過ぎだった。
今回のレースは、前回つくばでだいぶ痛い目にあっているので、同じ様な失敗は繰り返さない様に心掛けた。まず練習では1月中は殆んどスピード練習に振り向けた。帰りのトレーニングは、公園では必ず5キロ程度のスピードトレーニングを入れた。また朝の通勤では、なるべくスピードアップして走る様に心掛けた。お陰でスピードについてはだいぶ自信があった。またレースにおいてはあまり緊張しない様にし、走る事だけに専念したつもりだった。コースの位置などもあまり問題にはしなかった。お陰で無心で走る事ができた。またこの大会では、要項のどこにも書いてなかったが、一般でもスペシャルが置ける様であった。数多くはなかったが、置いている人もあり、また放送もされていた。来年は是非持って来ようと思う。
25キロまでは殆んどペースも変わらずいい調子で来たが、やはり30キロに近付くに連れややペースは落ちた様だった。しかし周りは更に落ちて行くので、自分では速いつもりでいたが、私のペースも落ちていた。しかし自覚はあまり無かった。30キロは2時間04分04秒、この5キロは21分08秒。初めての21分台。もう少し20分台で走りたかった。残りは12キロ、そして残された時間は56分という事になった。4分半のペースで行けば十分という事で、このタイムは今までに何度も出ているタイムであり、今の調子では問題は無いと思っていた。走りの方もまだまだ十分行けるペースだった。
そして35キロは2時間25分12秒、5キロは21分07秒。全く同じペースで来ていた。しかし徐々に足に疲労が来た感じだった。残り7キロ、タイムは35分。ここでキロ5分まで余裕ができた。こうなればもう十分なタイムである。残り7キロ、キロ4分で走れば28分。ベストタイムも出るかな、などと調子のいい事を考えながら走っていた。それくらい走りの方には無理が無かった。
また気象条件も非常に良かった。13キロまでの中山道ではやや向かい風の様であったが、殆んど気にならない程であり、そこから左に折れてからは走っていて無風、つまり追い風であった。その後も風は向かってくる事は無く、殆んどフォローの風が吹いていた。また日差しも、良い天気ではあるが暑いという事は無く、全く絶好のコンディションと言って良かった。
35キロ手前辺りから徐々にではあるが、少々腿前面の筋肉に張りが出て来た。少々ペースにも鈍りが出て来るかなという事も感じられたが、給水所でのスポンジで水を掛ける事で、あまりペースも落ちる事なく走れた。37キロ、残り5キロくらいになるとだいぶ風景も変わり、市街地風の景色になってきた。それまで道路の左側を走っていたものが右側に移った。その後は1キロ毎の残り表示となり、距離が短くなるにつれてサブスリーへの期待が大きく膨らみ、気が楽になっていった。距離が減る毎に余裕も大きくなり、徐々に久しぶりのサブスリーの実感が湧いてきた。
JRの線路を上に見てガードをくぐるとすぐに元の中山道に出て右折、残りはあと3キロ程となる。朝よりも応援の数も増えた様な気がしたのは私だけだろうか。40キロの表示は上尾駅から少々先へ行ったところ。残りはあと2キロ。タイムは2時間47分40秒。この5キロはだいぶ落ち、22分28秒になってしまった。ほぼ4分30秒ペースまで落ちてしまった。一時浮かんだベストタイム─55分を切る事も少々無理となってしまった様だった。しかしサブスリーは間違いない。残りは12分と少々。キロ5分で行ったとしてもおつりが2分、問題は無い。
競技場入口への交差点を左折し、もう少々、久々のサブスリーはもう少し、と思いながら競技場へと向かう。最後は競技場の周りをぐるりと一周。既にそこを走り終え、競技場へ入って行く人もいる。長い一周と思いながら、思う様に進まなくなった足を必死で動かす。競技場の中からは2時間55分が過ぎた事を知らせるアナウンスも聞こえてくる。また55分は切れなかったと思いながら、残り400m程となったラストのグランドへと入る。最後は先日の大阪国際女子マラソンのラストの勝負を思い出し、思う様には走れないものだと感じながらホームストレッチを走り切る。何とかまだ時計は57分台を示しているのを確認しながら、久々のサブスリーに感動しながらのゴールとなった。
アフターレースも河口湖マラソン程では無いにしろ、甘酒、バナナ、アクエリアスなどのサービスがあり、満足させられるものであった。しかし一番は、やはりビールであった。お疲れ様でした。一緒に行った善久さんは、走れるかどうか不安そうであったが、何とか4時間と少々で走り切ってしまった様である。
レースの次の日、久々にのんびりとした休日を過ごした。港南プールでひと泳ぎした後、そばのうなぎ屋でビールを飲んで、急に食いたいと思ったてんぷらもうなぎも食ったし、その後は上郷森の家で十分くつろいだ。そしてその夜は藤沢へと出掛けてたらふくビールを飲んで、最後は寿司まで食ってしまった。満足、満足!!
(※1994年大阪国際女子マラソン: 安部友恵が2時間26分09秒の日本最高記録で優勝。藤村信子が同タイムで2位、浅利純子は3位)
(No.174)
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