第6回全日本ショートトライアスロンin伊豆大島
1994年6月12日(日曜日) 天候:曇り時々雨
種目:Swim 1.5Km、Bike 45Km、Run 10Km
記録:2時間41分51秒 35-39歳男子7位
| Swim | 25分36秒 |
Bike | 1時間35分38秒 |
Run | 40分37秒 |
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Total | 2時間41分51秒 |
今年の第1戦は大島となった。私はなかなか好きな大会である。今年も宿は何とか昨年と同じ甚之丸を取る事ができたので、ゆったりとした大会にする事ができた。木曜日に堀内が自転車を取りに来てくれていたので、土曜日は荷物だけで行く事ができた。こちらも楽だった。6時30分に大船発の電車で熱海に向かい、8時過ぎには熱海港に着いた。こちらには堀内、石山が車で到着していた。
船は9時10分出港で、大島元町港には11時半到着。天気はとても良く、暑いくらいだった。翌日雨になるとは信じられなかった。他の船で早くから来ている選手もおり、受付会場はだいぶ賑わっていた。しかし、昨年よりはだいぶ参加者も減ってしまっていた様である。
受付を済ませ、車検を行ってから宿へ向かった。食事の後スイム会場へ行ってのんびりと水泳を楽しんだ。水はきれいで、魚もたくさんいた。スイムは思いきり泳げそうな気がした。3時半から競技説明会、そして4時半からいつもの開会式が開かれた。夜は9時過ぎに床につく。寝ついたのは10時頃だったろうか。緊張のためか、なかなか寝つかれなかった。起床は4時半とした。
日曜日、予報は雨であったが、やや薄日が差しており、雨が降りそうな気配は無かった。いい大会になりそうな気がした。5時前には食事になった。6時過ぎに会場へ。この頃から雨が降り始めた。やはり降って来た。仕方が無い。雨の中を会場へと向かった。バイクをセットし、当日の受付へ。
ウェットを着込みスイム会場へ着いたのは、もう第1ウェーブのスタートの頃であった。水に浸かって体を慣らしてくると、スタート前のコールが始まっていた。私は30代の部。ゼッケンは509で最後、スタートは第4ウェーブ。その前の第3ウェーブがスタートする頃には、第1ウェーブのエリートクラスのトップはフィニッシュしてしまった。20分を切るスピードレースの様である。
第3ウェーブとの差は3分差、第5ウェーブとの差も3分。中には私達を抜いて行くスイマーもいる事だろう。とりあえず目標は30分を切る事。そしてランで40分を切る事であった。ここのところバイクの練習もそれなりに積んだので、昨年のタイムも更新できるだろうと思った。スイムコースは昨年よりやや短い様な気がした。最初のコーナーがだいぶ近い様だった。
黄色いキャップの第3ウェーブの後、3分後に青いキャップの第4ウェーブはスタートした。コースの右端からスタート。昨日泳いだところを思いきり飛び出して行く。今までの練習の成果を出すつもりでいた。意外に泳ぎやすく、混乱・バトルも無かった。目の前のブイがすぐに近づいて来ると何度も感じられた。なるべく人の後ろから、付いて泳いだ。たまにコースを外れてひとりになってしまうと、結構辛く感じる。やはり後ろに付いて行くのが楽だった。ペースも乱される事無く、マイペースの泳ぎができた。
2周目になると、3分前にスタートしている黄色キャップが目に付くようになった。遅いだけあって、やはり邪魔だった。やや優越感に浸る。最後のコーナーを曲がってからも特に問題は無かった。水もきれいだし、手の先までしっかりと見えた。ラストは残りの力を振り絞り、一生懸命泳いだ。桟橋を上がっていく人もまだあまりいなかった。時計をよく見ると、なんと25分台、自分でもびっくりするくらいのタイムだった。
気を良くしてトランジッションへ向かう。まだまだバイクもたくさんある。気持ちが良い。バイクシューズを履いてスタートへと向かう。スイムゴールとバイクスタート、両方でタイムを取る。トランジッションのタイムまで出してくれるらしい。トライアスロンの団体もやっとひとつにまとまり、JTUとなり、今までのJTSの機材などがこちらへも使われる様になってきた。運営もしっかりとしている様である。
バイクも調子が良さそうで、この先楽しみであった。心配された雨も降っておらず、安心した。思いきり走れそうだった。大島のコースは坂のきついのが評判で、筆島からの上りが距離も長く大変なのだが、それより前にも幾度となくきつい上り坂がある。今回はギヤ比とかシッティングとかあまり考えず、ただ速く上れる様にというつもりでただひたすら漕いで行った。
スイムで速かったせいもあってか、前を行くバイクもあまり多くない。それでも前のバイクを徐々に捉える事ができた。筆島からの上りでは、確かではないが、5キロ走るのに20分くらい掛かっていた様な気がした。ちょうどランニングと同じスピードである。とにかくきつい所である。しかしその坂も無事にやり過ごした。まだ体力の方も余裕が有るらしく、20キロを過ぎ、もうあと半分かと思えるくらいであった。ランは40分を切るペースで行くつもりでいたが、バイクでも「ランの為に」と言う事で体力を温存しておくつもりは無かった。
山のピーク辺りでは時折り雨も降り、ゴーグルが曇って視界も悪かったが、何とか無事山を下って来る事もできた。下りの連続ではスピードの出し過ぎの為か、転倒したり接触して倒れているバイクもいた。応援の無いところでは少々だれてしまったところもあったが、再び民家の有る様な所まで来るとまた元気も出て来た。岡田の辺りでは残り10キロの表示も有り、ちょうど1時間40分のアラームが鳴ったところだった。予定で行けば、ちょうど2時間くらいでゴールできそうであった。だいぶ記録更新ができそうで、気を良くして走った。
空港を過ぎるとあとは殆んど下り。時折りある応援を背に、気を抜く事無く漕ぐ。あまり漕ぎ過ぎてランで脚が使えるだろうかという事まで気にしてしまった。最後は港への下り坂を下ってバイクゴール。シューズもその前にしっかり脱いで、裸足で走れる様に準備していた。バイクゴールで計時をしてゴールイン。バイクラックへと急ぐ。まだバイクも少ない。
再び気を良くしてランスタート。時計は2時間1分を指していた。水を1杯かぶって走り出す。目標は39分台。初めからとばして行く。特に悪いところは無さそうで、走れそうであった。
ゴール付近に来たところでアナウンス。エリート女子の部のトップがゴールするところであった。山倉紀子と佐藤千絵のデッドヒートの様である。10mほど差を付けて山倉の優勝であった。私はあと残り9.5キロ。だんだん調子が上がってくる。前を行くランナーを次々に捉える。
3キロ程行った辺りから右足ふくらはぎに少々“張り”が出てくる。最後までもつだろうかという気はしたが、目標は39分台、それを目指していける所まで行く事にした。そのうち、いつの間にか“張り”は消えていた。
2ヶ所のエイドではスポンジを取り、腿を冷やす。再びスピードが上がっていく。折り返し手前の5キロ地点では、ほぼ20分と少々。何とか40分の前半は行きそうであるが、39分台はどうだろうか、というところだった。また年代別というところでは、折り返しまでに400番台のゼッケンも結構居た事だし、とても入賞などは無理だろう--しかし、結構上位の方だろうというところだった。
折り返してからもペースは殆んど変わらず、逆にあと半分という事もあり、ややペースアップした様な気がした。ラスト1キロくらいは並走するランナーも出てきて、だいぶスピードアップしていた。この調子では目標の39分台が出るか、などと最後には頭に浮かんできたが、目標達成には至らなかった。ラストも抜きつ抜かれつを繰り返し、息も付かせぬゴールインとなった。ランは何とか40分台、トータルでも2時間41分と、昨年の記録を大きく更新した。
ゴール後はいつもの“あしたばうどん”でもてなされ、空腹を満たした。長根浜での“温泉”ではゴールした一流アスリートが皆浸かっており、私もその仲間に入れて貰った。
今年は天候もすっきりとしなかったので、表彰式、パーティは総合開発センターで行われる事になった。今年はやはり参加者が少なかったせいか、パーティもそれ程混乱する事無く、食事もゆっくり取る事ができた。記録発表では35~39歳の部で何と7位に入っていた。表彰は3位までであったが、なかなかのところに入っていた。優勝はグレンマンガム、2位はあのランシューズでバイクに乗る田村嘉規であった。今年は総じて人数が少ない大会であった。お疲れ様でした。
(No.182)
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