第17回横浜国際元旦マラソン
1994年1月1日(土曜日) 晴れ
種目:10Km 一般男子
記録:37分28秒
順位:第48位/500人
| 1周 | 12:07 | | 12:07 |
2周 | 12:28 | 24:36 |
3周 | 12:30 | 37:06 |
10Km | 0:22 | 37:28 |
元旦の朝7時、家族4人で永田台団地へ向かって出かけた。本当は許されないのだが、車で行ってしまった。元旦の朝は道も空いており、30分も掛からずに到着した。今年は昨年と同じ、玲子と母親がファミリー1マイル、紀子は写真班、私は10キロに出場。今年は横浜ケーブルテレビの生中継がある様だった。
ファミリーの部のスタートは9時。エアロビクスの後、250組程が出発した。玲子組は予想以上に速く、11分台で帰って来た。148位。昨年より40番ほど早い様だった。
メインの10キロの部は2マイル、5キロの終わった後の10時35分スタート。位置は最前列。堂道やNECのかなり速い人々もいた。気持ち良くスタートを切る事ができた。周りはとても速く、あっという間に取り残されてしまった。自分はやや速いくらいのマイペースといった感じで行く。
昨年は37分を少し切ったくらいの36分台。後半、女子のトップと競り合ったせいか、かなり良いタイムが出たが、今年はそこまでいかなくても、37分台くらいのタイムが出れば十分だろうというつもりでいた。1周のラップも12分台で走れればいいだろうと思っていた。
最初の上りはいつもきつい。長い上り坂を上りきるとすぐ左折、そして下り。次にそのまま上りながら右折すると、次は急な下り坂。ここは心臓破りの下り坂。脚にもだいぶ負担が掛かる。この辺ではまだ勢い良く抜いて行く奴もいる。下りきると左折、まだまだ下っている。もう一度左折して県道に出る。少々下っているものの殆んど平坦に見える。しかし下っている。
消防署まで来ると左折して上りに差し掛かる。ここはだいぶ長い上りである。ここへ来て先行していたATCの高城氏に追い付く。ここはいつも順位を上げるポイントである。住宅街の中を上りきると、左折して一気に下り。底まで行くと今度は一気に上り。勾配はだいぶきつい。少しずつ緩やかになりながら、ゴルフ練習場横まで上り。そこを右折して緩やかな下り。ここだけが本当に平らかな、と思えるところ。しかし確実に下っている。そして左折、ぐっと下ってスタート地点へと戻る。結局、平らなところは殆んど無いというコースである。
1周目は12分少々、なかなかのペースである。もう2周も回るのかと思うと、このままで持つかと心配になってしまう。2周目は順位は殆んど変わらず、ペースも、自分では殆んど落ちていないつもりでいた。しかし少々ダウンの様、12分28秒でカバー、まずまずだろうと思いながら3周目に入る。3周目も殆んど変わりなく、同じ様なペースで走り抜く事ができた。
消防署からの上りではいつもは順位を上げて行くのだが、今年はどういう訳か、殆んど変わらない。速いところへいるからか、或いは上りでのスピードが出ないのか、などと思いながら上り切った。下りを一気に駆け抜け、ランナーをひとり捉える。そして最後となるきつい上り。これを上りきってしまえば後は下りだけである。あとはもう楽だ、などと考えながら上った。しかし、上りきってしまえば、それはそれで平坦なところでも、結局きつい事に変わり無い。平らな方がよっぽどきついかも知れない。
ラスト500mを過ぎ、今度は最後の下り。昨年はここを女子の部で優勝した女の子と競り合ったものであった、などと思いながら、思う様に進まぬ足を一生懸命前へと出していた。後ろから抜かれぬ様に頑張ろうと思っていた。スタート地点を過ぎ、3周目は12分30秒。2周目とほぼ同じであったが、少々ペースダウンしてしまった。やはり競り合う相手が居なかったからであろうか…。
あと残りは100m程。小学校の門を入りラストのダッシュ。体中の力を振り絞り走り抜けた。まだ時計は37分台になったばかりであった。昨年の様な36分台は無理であったが、ラストを頑張り、37分30秒は切る事ができた。昨年に引き続き、納得のいくレースをする事ができた。
レース後は鉄人クラブのメンバーに会う事ができ、記念写真を撮って年の初めのレースを祝い、今年1年の無事を祈った。帰りには昨年と同じレッドロブスターで昼食を取って帰って来た。カニを思う存分食べ、満足した。
(No.170)
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