第13回横浜マラソン
1993年11月14日(日) 天候:曇りのち晴れ
種目:ハーフマラソン 男子36歳以上
記録:1時間23分27秒 85位/1460人
| 1 | Km | | 3:44 | | 3:44 | | 陸橋上 |
2 | Km | 7:53 | 4:09 | 橋手前 |
3 | Km | 11:18 | 3:24 | 高速ガード先 |
4 | Km | 15:19 | 4:01 | 日産正門前 |
5 | Km | 19:24 | 4:04 | 給水所手前 |
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6 | Km | 23:25 | 4:00 | かもめ町信号先 |
7 | Km | 27:31 | 4:06 | 日石横 |
8 | Km | | | |
9 | Km | | | |
10 | Km | 39:41 | 12:10 | かもめ町信号先 |
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11 | Km | 43:38 | 3:56 | かもめ町 |
12 | Km | 47:50 | 4:12 | 給水所 |
13 | Km | 51:22 | 3:32 | 日産横 |
14 | Km | 55:26 | 4:04 | シンボルタワー入口 |
15 | Km | 57:39 | 2:13 | 海釣り公園 |
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16 | Km | 1:03:10 | 5:30 | シンボルタワー前 |
17 | Km | | | |
18 | .1Km | 1:11:52 | 8:42 | あと3キロ・産業道路 |
19 | .1Km | 1:16:01 | 4:08 | あと2キロ・給水所 |
20 | .1Km | 1:19:46 | 3:45 | あと1キロ・陸橋手前 |
21 | .1Km | 1:23:27 | 3:41 | ゴール・山下埠頭 |
起床6時。前日のあらしの様な雨は上がり、日が差していた。暑くなりそうな気配だった。出発は7時少し前、本郷台へ向かう。7時20分頃の電車で関内へ。まだ電車も空いている。しかし関内駅にはたくさんの人出があった。山下公園のいつもの『赤い靴の女の子』の像の前には8時頃到着。やはりメンバーは誰も来ていなかった。そして誰も来なかった。結局今年は私ひとりであった。
朝からとても暑く、9月頃の陽気との事であった。今日は水がとても大切だと思い、スタート前から水を取る様に心掛けた。先週の月例ではなかなかのタイムが出たので、今日はタイムが期待できるだろうと思っていた。8時半頃から少しずつアップを始め、9時過ぎにはだいぶ調子もでき上がった。
横浜マラソンはなるべく早く支度を済ませ、スタート地点に行かなければ良いポジションは取れない。9時半には準備も全て終わり、スタート地点に着いていた。消防局のポートエンジェルス、マーチングバンドの演奏が行われていた。そして9時45分より開会式。10時には定刻、高秀市長の合図でスタートが切られた。
スタート地点は県民ホールの前。私の位置は、前列より2~3番目。男子、女子の境い目が空いていた。スタートを切るにも十分な余裕。その余裕で、自分の走りができた。周りはずいぶん速かったが、まどわされず自分のペースは崩さない。
いちょう並木が切れると左折し、陸橋を上がっていく。間もなく1キロ地点。陸橋上の1キロは3分44秒、ちょうど良いペースと思った。このまま行ければいつものペースでOKである。高速道路の下の産業道路を本牧埠頭方面へとひた走る。ペースは変わる事なく走り続けたつもり。しかしスタートがやや速過ぎた様であったのか、ふくらはぎがやや張る様な感じがしていた。
そろそろ橋に差し掛かる辺りに2キロ地点。タイムは7分53秒。この1キロは4分09秒も掛かっていた。そんなにペースを落とした訳でもない。距離が違っていたのだろうと思う。しかし、ペースが落ちたのだろうか?、などとやや悩む。とりあえず3キロへと向かう。
良く走り慣れたコースで、3キロ地点も変わり無い。いつもの場所だ。11分18秒、3分24秒のラップであった。やはり2キロ地点が違っていたのだろう。3キロのスプリットは例年どおりの問題ないタイムである。しかし、問題無いとはいえ、後ろからはどんどん抜かれて行った。知った顔も次々に抜いて行く。しかし、今は先に行っても、ゴールは私の方が先だという思いで走り続ける。
そう思いながら走ったが、4キロは4分01秒。何と、また距離が違うか?しかしいつもの場所である。そして5キロ、4分04秒。再びペースダウン。6キロは4分00秒。完全に4分ペースになってしまった様だ。後ろからもどんどん抜かれて行ってしまう。これはどうも調子が悪い様だとやっと気が付いた。
かもめ町の角をぐるりと回り、陸橋に向かうストレート。ずっと先の方に7キロの看板が見える。向かい風の涼しい風が吹いて来て気持ちを入れ替える。ここからやり直しだと思う。しかし4分06秒、これは本当に重症だと思った。
右手に10キロポイントの表示を見ながらかもめ町の信号を過ぎ、上りに差し掛かる。この上り下りで弾みをつけたいところだが、なかなかそうも行かなかった。陸橋を下りきってから、折り返して来るランナーとすれ違った。1人だったのでトップかと思ったが、今思うと、トップは既に先に行ってしまっていたのかもしれない。女子優勝の田村有紀の姿も見えなかった。
本牧公園の駐車場前を折り返し、今度こそ、ここからと思う。気合いを入れ直して、来た道を戻った。9.5キロ地点くらいで再び折り返し陸橋を上る。それを下り切ると10キロ地点、39分41秒。何とか40分は切っているものの、納得できないタイムである。
そう言えば、だいぶ前の横浜マラソンではこういう事が何度かあった事を思い出した。10月の走り込みの疲れがまだ取れていないため、走りに『キレ』が無いという事が何回かあった。今年は540キロも走った事でそうなったのかもしれない。であれば、つくばまではゆっくり疲労を取る事が必要であろう。なるべくいい方に解釈した方が良いだろう。鉄人クラブの目標タイム、1時間22分をクリアする事はなかなか難しくなった様だ。しかし希望は捨てず先の頑張りに期待する。
昨年よりハーフになってから、給水所が減ってしまった様な気がする。今年の様な暑さではもっと必要であろう。早く水が欲しいと思った。給水所のある12キロでは、47分50秒。またまた余裕が無くなってきた。しかし水を取って生き返る。今までのペースがウソの様に走り出す。勢いのいい高校生にしっかりと付いて行き、港区スポーツセンターで良く見かけるランナーにも取り残されない様に喰らい付いて行った。やっとここで生き返った様になる。
貨物線の線路の横をペースを上げて走る。日産の門の前を通り、右側の海釣り公園の方へと向かう。例年だとこの辺りから更にスピードアップし、前を行くランナーを次々にとらえて行くのだが、今年はそこまでは至らなかった。しかし少しずつではあるが、順位は上がっていった。
また今回のレースでとても気になった事は、距離表示がいい加減であったという事だった。この海釣り公園に向かう道の15キロ地点でも、14~15キロは2分13秒といういい加減なものであった。こういう事でずいぶんペースが狂ってしまった事もあるのかもしれない。
16キロはシンボルタワー横、1時間03分10秒。14キロからの2キロは7分43秒。ペースを上げた甲斐があってか、望むタイムが出た様だった。あとは残り5キロ。倉庫街を通り抜ければ残りは少々。
いつもこの辺りから少々長いロングスパートである。前のランナーを必死で追い上げ、ペースを上げる。2キロ過ぎ辺りで簡単に抜かれてしまった高城氏にも何とか追い付く。スポーツセンターの人との差はだいぶ詰まったが、依然離されたままでなかなか追い付かない。
産業道路まで出るとあと3キロの表示。3キロとはいえまだ先は長い。後ろから追い付き、抜いて行くランナーに必死で喰らい付いて行く。いつもならばこんな所で抜かれる事は無いのだが、どうも今年は例年とは違う様である。で、少しでもタイムアップを狙う為、離されない様に付いて行く。4人の小集団ができた。あと2キロくらいまでは固まっていたが、給水所でバラけた。
2回目の水を取り、元気を取り戻し、まさにラストスパートを掛ける。高速のガード下、日の差さない道をペースを上げ、ゴールへ向かい走り抜く。時々右側、10キロの部の後ろを走るランナーをとらえる。ラスト1キロまでは3分45秒。スピードを上げた甲斐があった。やっと出た感じ。清水会長はまだメガホンで頑張っていた。行きも帰りも声援を送ってくれた。何とか最後まで頑張れそうだった。
陸橋を上り切ってしまうと、あとは下って長い直線。だいぶ力尽きたランナーがいたが、ラストだけは頑張って抜くと、そのまま喰らい付いて来る。私もここで負けるわけにはいかず、更にスピードを上げるがまだ付いて来る。まさにラストの勝負となり、ゴール前50m程で何とか突き放し、先にゴールインとなった。
ゴールタイムは1時間23分27秒。ラストに頑張ったせいか、最後は3分41秒というラストにふさわしいタイムが、1回だけであったが、何とか記録する事ができた。ゴールした時には息はあがり、汗はびっしょり、という状態で暫くは口もきけなかった。競い合ったランナーはすぐ後ろ、やや年配のランナーと健闘を称え合い、労をねぎらった。
ゴール先の給水所には大塚製薬の『エネルゲン』が置かれており、初めて味わった。まずまずの味であり、2杯も飲んでしまった。また、あちこちの筋肉がピリピリしており、公園までは昨年の様に走って帰る事もできず、陽気もいいことであり、のんびりと歩いて行く事になった。更に今年はいつものメンバーがひとりもおらず、寂しい横浜マラソンとなってしまった。中華街へは寄らず、鉄人クラブのメンバーと労をねぎらった。お疲れの1日でした。
(No.167)
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