第13回つくばマラソン
1993年11月28日(日) 晴れ
種目:マラソン 一般男子
記録:3時間06分49秒 総合482位
| 5 | Km | | 20:41 | | 20:41 | | (4:08) |
10 | Km | 41:22 | 20:41 | (4:08) |
15 | Km | 1:01:51 | 20:29 | (4:06) |
20 | Km | 1:22:29 | 20:37 | (4:08) |
25 | Km | 1:43:37 | 21:07 | (4:13) |
30 | Km | 2:05:06 | 21:28 | (4:18) |
35 | Km | 2:27:46 | 22:40 | (4:32) |
37 | .2Km | 2:39:34 | 11:48 | (5:22) |
38 | .2Km | 2:44:53 | | 5:18 |
39 | .2Km | 2:50:19 | | 5:25 |
40 | .2Km | 2:55:48 | | 5:29 |
41 | .2Km | 3:01:28 | | 5:40 |
42 | .2Km | 3:06:49 | 27:15 | 5:21 |
初めてのつくばマラソン、不安と期待を持って出発した。起床は5時。6時の団地発の始発バスに乗った。予定どおり6時20分大船発の電車に乗り込む。ランナーとおぼしき人がかなり乗っていた。月例湘南のいつものメンバーの様であった。10人程いた。
東京駅には7時過ぎ。上野発7時30分のひたち101号に何とか間に合う。ひたちも1号車にはランナーが半分くらい乗っていた。あとはゴルフ客で満席。電車の中で2回目の朝食を済ませ、8時半頃到着。土浦駅には関東鉄道のバスが待っており、すぐに出発。(530円)9時、会場の筑波大に到着。陸上競技場に場所を確保し、暫くのんびりとする。天気は雲ひとつ無く上々、今日は暑くなりそうな様子だった。なるべく前もって水分を取っておく様に心掛けた。
9時45分頃から少しずつ準備を進める。10時過ぎから開会式、招待選手の紹介などもあった。特に有名な選手はいなかったが、山梨学院のマヤカ選手が10キロの部に出場するとの事。少しずつアップをし、ストレッチを十分に行った。10時半頃には支度を始める。その頃から少々風が吹き始め、気温も冷たく感じ、なかなか良いコンディションになる様な気がした。
スタート地点は陸上競技場から500m程離れたところ。「なんとか池」とか言う名前の付いた池のそばであった。先頭には陸連登録者、その次に2時間台、そして3時間台という様に並んでいた。結局陸連の後ろに並ばされ、スタート時のロスタイムと走りにくさには参ってしまった。道の幅はやや狭く感じる。河口湖と大差は無い様に感じた。30分も前から寒い中を待たされるよりは良いかもしれないが…。
11時ちょうど、つくば市長(だと思う)の合図でスタートが切られた。予想どおり、思う様なスタートはできず、スタートラインを通過したのは、ピストルが鳴ってから40秒ほど経ってからであった。その後も進路をはばまれ、思う様な走りができる様になったのは、10キロのスタート地点の、1キロ程走った辺りであった。その後は何とかキロ4分くらいのペースで走れた様だ。初めてのコースであるため、なかなかペースをつかむのが難しかった。スタート地点より500m程手前の5キロ地点に来るまでは、ペースの確認ができなかった。
5キロは20分41秒。何とかキロ4分であったが、自分ではもう少し速いペースで走ったつもりであった。ややガッカリ。もう少しペースを上げなければ、と思いつつ、次の10キロ地点を目指した。最初の5キロは筑波大構内をぐるりと回り、スタート地点がおよそ5.5キロくらいの1周のコースであった。そこから今度は一般道路へと出て行った。
今回のつくばマラソンは初めての大会でもあるので、前もってコースレイアウトだけは十分に頭に入れておいた。
1周5キロの大学構内を走った後は、東大通りへと出て10キロ地点へと向かう。およそ13キロ地点で左折し、工業団地の中に15キロ地点。
その先を再び左折、そこからおよそ10キロ南下する。この辺りでは、予定ではだいぶ調子も出てきていい気分で走っているところである。
26キロ地点に向かう辺りで再び左折、科学万博の会場のあった方へと向かう。そこで30キロ地点を迎える。残りは12キロ。あともう1時間もすればゴールに入っているところである。
32キロを過ぎたところで再び左折、学園西通りというところへ出る。ここからが最後の頑張りどころ。
35キロのセキショウサービスポイントを過ぎてしまえば、あとはもうわけはない、というところだ。
という予定を描いていた。
タイムも、平坦なコースであるので55分程度も出せるのではないか、うまくすればベストタイムも、などと目論んでいた。
東大通りは上下4車線の分離帯もある道路。そのうち1車線だけがランナーに開けられていた。その右側は車が走っており、まだ周りにランナーがたくさんいるこの辺りでは、思う様に抜く事もままならなかった。この辺りでは抜く方と抜かれる方を比べると、まだ抜かれる方が多かった。時々知った顔が現れ、私を後にして行く。港区のスポーツセンターでの馴染みの顔もいた。平井さんはどこへ行ったのだろうかと何度か周りを見回したが、一度も会う事は無かった。
東大通りを4キロほど行って10キロ。ペースも上がっただろうと思っていたが、全く同じ20分41秒。10キロ41分22秒はとても速い方ではない。ペースを上げる様にガンバル。変わらぬ景色の中、およそ13キロ、ラーメン屋の角を左折。少々景色が変わる。だんだん調子が出てきて気持ち良く走れる様になってきた。左には工業団地のきれいな景色が見えてきた。
15キロは20分29秒、1時間01分51秒。少々ペースが上がった程度で殆んど変わりが無い。これはもうこのまま我慢して行くしかないと思い始めた。15キロを過ぎて左折、ここから10キロ程南下、殆んど直線のコース。気持ち良く走ってはいるのだが、ペースはあまり変わっていないのであろう。この道路は割り合いに交通量も多く、対向車も同方向も結構走っている。車に横で走られるとなかなかペースがつかみづらい。あまりよそ見はせず、前方だけを見据えて走った。道路は殆んど平坦、全くと言っていいくらいアップダウンは無い。
20キロは1時間22分29秒、20分37秒のラップ。やはりペースは上がっていない。20キロ手前辺りからひとりのランナーが後ろに付いてきた。ペースメーカーとして付いてきている様だった。走りながらひと言、ふた言。私の走りがいいと褒めてくれる。褒められて悪い気はしない。このままの調子で行ければと思うのだが、後はどうだろうか…。この時点では何も分からない。中間は1時間26分程度だったろうと思う。このままで行ければサブスリーは何とか達成できるだろうというつもりでいた。
中間点の先で結構大きな道路と交差するらしい。場合によってはランナーが止められるかもしれないらしい。しかしそこは何とか止められずに済み通過、ひと安心して走る。25キロは1時間43分37秒、ラップは21分07秒。ついに21分台になってしまった。しかしまだこの程度であれば大丈夫だというつもりでいた。後ろに付いてきているランナーはその後もずっと付いてきており、27~8キロ辺りまでは一緒に走っていた。その後は私がペースダウンし、私が置いていかれてしまった。
給水はきちんと5キロ毎。1、6キロの各地点に置かれていた。更に今日は暑くなると見たのか、その中間にスポンジのテーブルまで用意されていた。これにはだいぶ助けられたと思う。全ての場所で水を取り、頭、足に水を掛けた。この通りはエキスポ通りと言うらしく、その昔科学万博の会場があったらしいのだが、だいぶ疲労してきており、それを確認する余裕などは無かった。脚の腿にもそろそろ疲労が出始め、走りに柔らかさが無く、体がぎこちなくなってきた。そして後ろに付いていたランナーにも先を越され、置いて行かれてしまった。
多少のアップダウンのあるところを通過し、30キロ。サブスリーのためのチェックポイントのひとつである。2時間05分06秒、タイムだけ見ればぎりぎり3時間、と言ったところ。しかしこの間のラップは21分28秒。徐々にではあるが確実にペースダウンしていた。サブスリーが達成できる時には、この辺りまではほぼイーブンペースで来ているものである。もう既にかなりの疲労が出ている事は自分でも認めており、残り12キロを55分で走り切る事はかなり難しい事だと既に分かっていた。しかしこの先どんな復調があるかも知れず、とりあえず自分で頑張れるだけの努力はするようにした。
32キロを過ぎた先で左折、学園西通りというところへ出た。ここはスタート前の予定で行けば、最後の踏ん張りどころ。ここの調子如何でゴールタイムはどうにでもなるところである。そういう肝心なところで『つくばおろし』とも思える様な強い向かい風。風にも負けずゴールを目指すランナーと、疲労と風とに負けて力無く走るランナーとの差が大きく出るところであった。私は残念ながら後者であった。前半抜き去った女性ランナーにも軽々と抜き返され、行かれてしまった。やはり(!?)女性は強い!!
ちょうど35キロ地点にはガソリンスタンドを経営する「セキショウ」のエイド。水、ポカリ、バナナ、飴など豊富に揃っていた。しかし私は力無く前を通り過ぎる。水を1,2杯、そしてポカリを1杯、更にバナナ。ここまでの疲労が全部出てしまった様に、力無く止まってしまう。しかし残り7キロ、希望だけは無くさず、ゴールを目指す。
風と疲労の為か、血糖値が下がってきたのか、眠気が襲ってくるのが良く分かった。このままではまずい!!と思い、パンツにピンで止めた紅茶飴をなめる。これはランナーズにも良いと書いてあったので試してみた。その後は風も弱まったのか、次第に意識ははっきりとしてきた。
38キロ地点で学園西通りから分かれる。疲れた脚にはだいぶこたえる陸橋を上り、右へ曲がりながら大学方面へ向かう。陸橋を上る手前には残り5キロの表示。陸橋を渡り、下って暫く行くと、あと4キロ。後は1キロ毎の表示。ラップを取るものの、やはりまだまだ確実にペースは落ちていた。既にキロ5分を大幅に上回っていた。
いつの間にか大学構内となり、あと2キロの表示が来る前に、私の時計の2時間55分のアラームは鳴り響いていた。そして3時間は1キロ以上も残っているところで過ぎ去った。結局3時間を切る事はできないまま、残りの1キロは次のマラソンへの練習だと思いながら走った。
広々とした筑波大構内はランナーに解放され、人気はあまり無く、所々に応援の人が出ているだけで、疲れ切った体には強い風と共にだいぶこたえた。周りの木々も強い風に木の葉が飛ばされ、寒々としていた。朝11時にスタートした地点を過ぎると、あと残りは500mほど。ゴールは陸上競技場をおよそ3/4周。最後だけはと思うが脚には力が入らない。後ろからは一度抜いた覚えのある女性ランナーに再び抜き返されてしまい、その姿を見送る事になってしまった。トラックはアスファルトよりもクッションが良く、疲れた体には心地良い。ホームストレッチのラスト50ほどは少しスピードも上がり、何とか6分台でゴールインする事ができた様だった。
ゴール後は残念ながら完走証の交付も無く、飲み物のサービスも無かった。疲れた体を芝生の上に投げ出し、暫くはそのまま動く事はできなかった。暫く後に出された記録速報では、ゴールタイムは3時間06分49秒、482位という結果であった。こんな事ならば、やっぱり河口湖に行っていれば良かったかなぁなどと考えてしまっていた。レース後は土浦駅まで戻り、疲れた体を銭湯でゆっくりと休めた。そして名物のうなぎで腹を満たしのんびりと帰路へついた。
(No.168)
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