第5回佐渡国際トライアスロン大会
1993年9月5日(日) 天候:晴れ(強風)
種目:Run 8.6Km、Bike 182Km、Run 42.2Km(Aタイプ)
記録:11時間20分55秒
順位:総合189位 男子35-39歳27位
| Run | | 34:34 | | (109) |
Bike | 6:24:55 | (247) |
Run | 4:21:25 | (202) |
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Total | | 11:20:55 | | (189) |
■8月30日(金)
朝8時、東京駅に集合。8時32分のあさひ303号で一路新潟へ向かう。台風が近づいているという事であるが、まだ天候はもっていた。駅からバスで15分程の佐渡汽船乗り場へ(160円)。ターミナルで30分程待って12時10分発、佐渡・両津行きのフェリーに乗る(1,780円)。所要時間は2時間20分、昼寝をしている間に着いてしまう。両津から宿のある佐和田までは乗り合いバス(470円)。慌しかったが、3時過ぎに宿へ到着。この後は、4時から開会式と歓迎パーティ。少々遅れて出掛ける。台風が日本海側へ向かっているという事で、6時より受付が行われる事になり、明日予定されていた説明会等は一切無くなった。
■9月4日(土)
昨日から心配されていた台風は日本海へ抜け、この佐渡の方へと進路を進めていた。朝のうちはまだ天気は良かったものの、昼頃からは次第に風が強くなり始め、外には出られない程になっていた。結局今日は何も無かった。夜は9時前には床についた。
■9月5日(日)
夜中、強い風と雨足に何度か起こされた。4時起床。風はやや強かったものの、雨は降っていなかった。これならば何とか大会も開けるだろうと思った。早々に朝食を済ませ、朝の準備に取り掛かる。カルピスを薄めてボトル1本。もう1本にはオンザゴーを入れた。
5時に大会の実施審議結果が発表される事になっていた。結局強風のためスイムは中止となり、代わりに中止時の予定通り8.6キロのランが行われる事になった。雨の降る中、最終受付のために出掛ける。1st.ランのスタートは、第2ウェーブの7時10分となった。スイムがある時よりも40分以上も遅くなったので、やや気が抜けてしまった。宿に戻って来て暫く横になり、気、体を休める。
再び会場へ向かったのは6時半少し前だった。その頃には雨も上がり、日も差し始めていた。急いでバイクのセッティングを進める。1st.ランのスタート地点はトランジッションエリアより500mほど行ったところ。海は荒れているものの泳げなくはなさそうな感じがした。その海を尻目に、バスターミナル裏のスタート地点へと向かう。これから日本最長のデュアスロンが始まるかと思うと改めて気が引き締まった。
まず6時55分、第1ウェーブがスタート。私は7時10分、第2ウェーブである。鉄人のメンバーは殆んどこの中に入っている。1st.ランは8.6キロ。海抜80m辺りまで上って帰って来るコース。およそ3キロ地点までが上り、あとは殆んど下りまたは平坦である。
結構きびしいコースである。あまり飛ばさないけれども、結構速いペース…ほぼ4分くらいのペースで走ったつもりである。順位は30~40番といったところをずっとキープしていた。8.6キロという事で、給水は元々無い。しかし応援は山間部ではあるが、ところどころに居てくれた。下ってくるコースはずっと川沿いの道。最後は海岸線のバイク、ランのフィニッシュと同じコースを走った。
1st.ランは多少寒くても大丈夫だろうと思い、バイクパンツとランシャツで走った。バイクに移ると寒いかと思い、ウィンドブレーカーまで用意したが、結局ランを走り終わる頃には、暖かく日も差しており、そのままの格好で行く事にした。
ヘルメットをかぶり、サングラスをしてそのまま出て行く。バイクを押して走り出したところで、ランニングシューズのままである事に気付き、戻って履き替える。少々ロスをしてしまった。バイクスタート地点までは乗車禁止。その後からバイクにまたがり180キロのバイクがスタートする。さすがに佐和田地区は人も多く、応援にも熱が入り、とても嬉しく体が熱くなってくる。これからガンバルゾという気になってしまう。
1st.ランでずっと一緒だった塚越は、バイクのスタートも一緒だったが、次第次第に先の方に行ってしまった。相川に行く途中に、佐渡の坂を象徴する様な長い坂がある。しかし初めのうちは元気も良く、何とかこらえて上り切り最初のトンネルをくぐる。今回は2度目の佐渡であるので、前回よりもバイクの余裕はある様な気がした。しかし、レース後誰かが言っていたが、同じところを何回も走らせていたのではないか、と言うくらい似た様なコースでアップダウンを繰り返す道が続いた。
大佐渡の方では前半のためまだ余裕もあったが、両津の街中を過ぎ、小佐渡に移ってからは道路も狭くなり、問題の風が向かい風となりだいぶ苦しめられた。それまで30Km/h平均くらいで走れていたものが、かなりペースも落ち込んでしまった。2度目の佐渡は何とか6時間くらいで走りたいと思っていたのだが、やはりそれ程甘いものではなかった。結局バイクタイムはほぼ前回と同じ様な、6時間24分というタイムであった。
腰の方もかなり疲労が来ていたが、ゴールしてしまえばそんな痛みも忘れてしまい、次のマラソンへと気持ちは行っていた。バイクパンツをランニングパンツに履き替え、更に靴下を履いて、1st.ランで履いたシューズを再び履きマラソンコースへと向かった。日はかんかん照りで暑い。しかし蒸してはいないので走りやすかった。
これからマラソンへ向かうところ、Bタイプのランナーが次々にゴールへと向かって走って行く。それらと次々にすれ違う。我が鉄人の井口、加藤、そして山口といったメンバーとすれ違う。
1st.ラン、そしてバイクを走った後だけに、足は思った様に進まない。しばらく住宅街の中を走った後、田んぼ道へと出る。もうこの辺りから両膝に筋肉痛が出てくる。前回の宮古島、そして佐渡の様な走りになるのかと不安になる。その為、ペースは上げず(上がらず)、キロ5分を超えるゆっくりとしたペースのジョギングとなる。
およそ2.5キロ毎に置かれたエイドでは水分補給と膝の冷却、そしてサロンパスを忘れない。両足をだましだまし2.5キロ先のエイドを目指して走る。それでも何とか10キロ地点の街中を過ぎたエイドでは53分、割り合いにいいペースで来てしまった。このままのペースで行ければ、3時間台で走れるかもしれないなどと、再び甘い考えをしてしまった。
距離表示は2.5キロあるいは5キロ毎に出ていた。ペースはほぼキロ6分となり、20キロは左手に加茂湖が広がっていたところを走り抜け、もうそろそろ新穂の折り返しがすぐそこに見えて来る辺りの頃。時刻にすると4時を少し過ぎた頃だったろう。まだ日は高いが、次第に肌寒くなってくる頃である。それまで体中に水を掛けていたものが、膝だけとなり、水を必ず取っていたものを、フルーツを取る様に心掛けた。
今まで走れば走るほどゴールから遠ざかっていたが、折り返し地点、あと残りは21キロ。これからはだんだんゴールが近付いて来る。エイドステーションはおよそ2.5キロ毎。20キロ、17.5キロ、15キロ。この辺りから残り表示となる。あと15キロ、その次のエイドを過ぎれば12.5キロ、そして10キロ、その次はもう7.5キロである。気持ちだけはプラス思考に。辛くても一歩一歩進めば必ずゴールはやって来る。
スタート直後から痛かった膝も無理をせず、だましだましサロンパスと冷水で冷やす事を繰り返して最後までもたせてしまった。だんだん日が傾いてきてからは、次第に冷えてきて、頭からかぶっていた水、氷も必要なくなり、エイドに止まるたびに飲んでいた水、コーラもいらなくなってきた。その代り、オレンジやグレープフルーツがとても美味しかった。
残り7.5キロのエイドを過ぎて暫く行くと田んぼの中の細い道になる。正面には沈みつつある太陽が大きく見える。あの太陽が沈んでしまう前にゴールできればいいが、などと考えながらひたすら走り続ける。周りは全て田んぼ。残り5キロもまだ田んぼの中。膝がエイドを欲しがっているが、ここにはそんなものを置く場所は無い。
はるか前方正面にエイドの白いテントが見える。4.5キロ地点までもう500mほど、じっと我慢。一昨年もこの辺りで日が沈んでいった。しかし今年は前半にあまり飛ばさなかった分だけ、後半になってもつぶれる事なく走り切る力は残っていた。残り2.5キロ地点は最後のエイド。あと残りは2.5キロ。最後の補給をしてゴールへと向かう。
次第に人の数も増え、またゴールでのアナウンスが遠くに聞こえる。橋を渡れば残りは1キロ。どれほどここを待ち望んだか。ゴールする選手への激励のアナウンスが聞こえてくる。もう少しで自分もあの感動を味わう事ができる。そう思うと自然に胸が熱くなってくる。
全ての応援が私に向けられている。やっと自分もゴールに達する事ができた。その感動が今度は喜びに変わってくる。ランの辛かった事全てがこの喜びに変わった。そして感動のラストラン。既に灯りは点灯し、ゴールが白く照らされていた。応援の人々と感動を一つにし、230キロに及ぶレースは終了した。
■9月6日(月)
朝から素晴らしい天気。日差しはまさに台風一過。今日が大会当日であれば良かったと誰もが思っただろう。朝9時から完走パーティ、表彰式。その前にバイクの分解をし、日通に輸送の依頼を済ませる。その後は、10時半パーティ終了、10時50分両津港へ向けてバス出発。12時40分フェリー出港。こうして'93佐渡は終了した。
(No.162)
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