第5回ジャパントライアスロン駅伝 in 沼津
1993年8月22日(日曜日) 天候:晴れ
種目(駅伝):Swim 1Km、Bike 28Km、Run 10Km
記録:1時間55分29秒
| Swim | 26:09 |
Bike | 48:25 |
Run | 40:54 |
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Total | 1:55:29 |
■8月21日
洋光台・フラワーサイクル前、8時5分発。東名横浜、9時、沼津着12時、ほぼ予定どおりの行程。食事を終えてから会場の千本浜海岸へ。少々風が強く、海も少し波が立っていた。その中を少しばかり体慣らしの為に海水浴。夜は名高い沼津の鮨(沼津駅前・魚河岸鮨)をたらふく食べて床についた。
■8月22日
起床は3時40分。今年は鉄人クラブでは抽選に漏れてしまったので、平井さんのいるATCのメンバーに入れて貰った。県トラ理事の山崎さんの代理で、マスターズのメンバーに入ってしまい、第1走で出場する事になった。起床後すぐに食事を取り…おにぎり3個、パン1個…、4時半にはロビーへと降りて行った。駐車場までは車で10分くらい、5時半頃には会場へと着いた。
第1走の私は、6時からの最終受付を済ませ、スタートの準備を進める。6時45分くらいにスイム会場へ入る。波はだいぶ出てきている。第1走のスタート地点はスイムゴールより更に右へ100mほど移動したところである。波が荒いため、全員が岸からのスタートである。400人ほどであるが、それ以上いる様に感じた。
7時を1分ほど過ぎてスタート。波が高く、沖に出て行くのにひと苦労する。スタートエリアも広くなく、バトルが繰り広げられている。外側からスタートしたものの、それでも少しバトルに巻き込まれた。波が高いので思うように進めず、その為バトルが広がったのであろう。潮は右から左へ流れており、往きは楽な様である。なかなかバトルが解消しないにも係わらず、あっという間に折り返し点まで来てしまった様に感じた。その後はだいぶ集団は散らばったが、今度は潮の加減で岸の方にどんどん流され、だいぶロスをしてしまった様だった。
タイムは岸に上がったあたりではまだ25分台であったが、階段を上がり始めたところで止めたタイムは26分を過ぎてしまっていた。26分のタイムでも海が荒れているお陰か、まだまだバイクもたくさん残っていた。着替えもスムーズに済み、殆んどロス無くバイクスタート。堤防のフラットなコースを西へと向かう。初めのうちはバラけていたのだが、そのうちドラフティングが普通となり、徐々にその数も増えていった。何回か先頭を替わるうち、どれくらい来たかと思っていると、もう折り返しが見えてきた。それでも往路はやや向かい風のためか、平均でも35Km/h程度であったと思う。
折り返してからは追い風となり、ほぼ常時40Km/hを超えていた。何度か後ろを千切って引き離そうと思ったが、結局離れず、殆んど同じメンバーで28キロを走り切ってしまった。タイムとしては昨年をかなり上回り、50分を切るタイムが出ていた。ドラフティングのためか、脚の疲労もあまり無く、ランでも勢いよく飛び出して行った。
ランではやはりコースを知っているのと知らないのとでは結果もだいぶ違ってくるのだろうと思った。林の中は涼しいのだが、林の中だけになかなか速く走るのが難しいコースである。距離表示が1キロ毎にされているので、走るペースはつかみ易いが、なかなか思う様にペースは上がらなかった。前半はキロ4分10秒~20秒くらいのペースの様であった。3キロ過ぎから堤防上になるので、それまでに比べるとだいぶ走り易くなる。しかし日を遮るものも無く、照り返しもあるのでかなり暑い。周りのランナーよりもだいぶ速く、スタート直後にかなり速い2人に抜かれた以外は誰にも抜かれる事は無かった。
そろそろ折り返しという辺りで、前方に我が鉄人クラブの園田を見つける。ペースはあまり速くない。すぐに追い付けるだろうと思い、ペースを更に上げた。だいぶ疲れている様であった。難なくパスし前に出る。少し励まし、付いて来るかと思ったが、それには応えて来ず、ひとりで行く事になった。その後はもうあまり前方には人がいなくなり、たまにひとり、ふたりが見えてくる程度だった。
時計を見るとタイムはだいぶ速く、残り1キロ地点でも1時間51分を少し過ぎたところであり、55分台のタイムも出るだろうと予想できた。最後は堤防の階段を駆け上がり、少々走り、海側へ階段を駆け下りた。
第2走は50歳くらいの本来のATCメンバーの佐高氏。青いリストバンドを外し、第2走へとバトンを手渡した。何かあっという間に終わってしまった様なレースであった。
(No.161)
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