第12回横浜マラソン

1992年11月8日(日) 晴れ、強風
種目:ハーフマラソン 男子36歳以上
記録:1時間22分20秒 102位/1651人

 1Km 3:43 3:43 陸橋上
2Km
3Km11:117:27高速の先
4Km15:063:55日産前
5Km
6Km23:027:56かもめ町北
7Km27:044:01かもめ町南
8Km31:084:04折り返し手前
9Km35:023:53折り返し過ぎ
10Km38:573:55かもめ町信号
11Km42:503:52かもめ町北
12Km46:564:06給水
13Km   
14Km   
15Km   
16Km1:03:1015:37シンボルタワー
17Km  
18.1Km1:10:438:08あと3キロ・産業道路
19.1Km1:14:383:55あと2キロ・給水
20.1Km1:18:233:45あと1キロ・陸橋手前
21.1Km1:22:18 3:54ゴール・山下埠頭


 昨日台風が太平洋沿岸を通過した余波か、天候はまずまずだったものの、朝からずいぶん風が強かった。

 毎年横浜マラソンに出場しているが、今年でもう8年連続である。朝はあまりいつもと変わらず、7時少し前に家を出た。受付は8時から、そしてスタートは10時ちょうど。例年いくつかのショップが出るのだが、今年はひとつも無い(Tシャツを除くと)。昨年買ったPUMAの靴下がとても良かったので、今年も買おうと思って早めに行ったのだが、残念だった。8時少し前に受付が始まるといちばんに済ませ、今年は少し早めに準備を始めた。9時半には準備も全て終わり、あとはスタートラインに並ぶだけだった。

 今年のレースの目標はまずキロ4分を切って走ること、トータルでは84分を切る事である。更に上の目標は80分を切る事であるが、これは今の自分の力ではとても実現不可能なタイムであろう。5キロ19分を切って走らなければならない。――これは鉄人クラブの設定タイムであるが……。

 スタート地点には9時35分頃着いた。ちょうどカラーガード隊の演技の最中だった。もう既に並んでいる人もいたのだが、それをすり抜け、殆んど一番前に並んだ。いつもの「井口君」がやはり同じ様なところに居た。あとは特に知った顔はいなかった。9時45分から開会式が行われた。高秀市長の簡単な挨拶だけで、5分ほどで終わった。スターターは高秀市長、10時ちょうど、第1回のハーフマラソンのスタートが切られた。

 周りに調子を合わせてスタートする。それ程速くもない。山下公園前の大通りを勢い良く駆け抜ける。ゴールとなる埠頭の前を通り過ぎ、陸橋を上がる。ちょうどてっぺんに1キロ地点、タイムは3分43秒、まずまずだなというところだった。

 その後は暫く――1キロほど高速道路の下。そして帰りに給水所となる橋の上でおよそ2キロ。産業道路の3キロ地点では11分11秒。ここまでは3分台をキープしながら来た。ここまでのペースとしては全く問題ないが、やや自分としては目いっぱいの様子だった。

 産業道路の直線を日産前まで行き右折、4キロ地点は15分06秒。ここへ来てややペースダウンした様な感じ。後ろからのランナーに徐々に抜かれて行く。いつもはこんなはずではないのだが、などと思いながらじっと我慢して走る。勝負はゴールした時に決まるのである、などと思うが、やはり前にたくさんのランナーがいるのは悔しいものだ。この1キロに付いては3分55秒にペースが落ちた。

 この先はよくバイアスロンで走ったコース。だんだん辛くなってきて、コースを知っているだけに更に辛い。途中5キロの表示は見付けられず、かもめ町の6キロ地点は23分02秒。徐々にスピードが落ちてきた。この辺りがいちばん辛いところの様だ。10キロを過ぎれば楽になるのだろうが……。

 かもめ町の角まで行った辺りで後ろから声が掛かる。振り返るとATCの高城さんだった。いつもはこの辺りで私が追い付くのだが、今日は逆だった。しかし高城さんもこれが目いっぱいの様で、後は遅れて行った様だ。7キロ地点を通過した時は27分04秒。この1キロでは遂にキロ4分をオーバーしてしまい、4分01秒。これにはショック。スピードを上げるつもりで走る。高城さんとはこの先の陸橋の上り、下りで離れた様だ。追って来なくなった。

 ちょうど陸橋を下り切る辺りでトップとすれ違った。昨年と距離が変わったもののすれ違う所は変わっていない様だ。その分今年は自分のスピードが遅い事になる。ま、致し方ないだろう。昨年と比べる方が間違っている。折り返して来る人の数も少しずつ増えてくる。遅いとは言いながら、それほど前にいる人の数も多い訳ではない。

 8キロ地点は31分08秒、この1キロもキロ4分を超えてしまった。このままではダメだと思いスピードを上げる。折り返しは8.5キロ地点辺りだろうか、本牧公園の駐車場の入口付近である。第1折り返しを過ぎてからはやっと本当の走りになった様で、今までの鈍い走りから少々切れのある走りになってきた。3キロ過ぎからの辛い走りは何だったんだろうか。

 陸橋の下を通過し第2折り返しを回ってその陸橋を上る。今までこの坂では抜く事はあっても抜かれる事など無かったのに、今日はひとりに先行されてしまった。しかし他に抜き去る人もいた。そして下ってかもめ町の信号。その先が10キロ地点。まずまずのタイムとなり、38分57秒。何とか39分を切る事ができた。

 風が強かったが、ここまでは特に風に悩まされる事は無かった。追い風か横からの風であった。しかしかもめ町の角を曲がった辺りから向かい風になってきた。しかしそれほど辛くもなかった。暫くはややアゲインストの風となった。日は初めはやや陰っていたが、出てきて温度も上がり、だいぶ汗もかいてきた。暫く前から水が欲しいと思っていたが、やっと12キロ地点の橋の上に給水所。少し口に含み、残りは頭に掛ける。少々元気が出てきて、前のランナーを必死で追い掛ける。だいぶ順位も上がってきた。

 日産の前まで来ると、そのまままっすぐやや右手方向へ進み、シンボルタワーへと向かう。この辺に14キロの距離表示があるはずだが見当たらない。海釣り公園を過ぎ、向かい風の中、海岸べりを走る。ときおり波のしぶきが掛かってくる。向かい風だからか、後半ばてて来たのか、ペースの落ちてきたランナーを次々にとらえる。途中、15キロ地点の表示があったが、タイムからすると速過ぎる。14.5キロ地点辺りだろう。

 シンボルタワーをぐるりと回り16キロ地点、ここまで来て1時間02分35秒。何とか目標のキロ4分ペースは超えることができそうなタイムである。残りは5キロ、ひとまず安心できるところであった。そうなると今度は逆にやや気が抜けてしまうところもあった。コースもほぼ知り尽くしているため、急に力が抜けた。楽に走れるというところもあった。この辺りは路面も良く走りやすい。

 直線を抜け、埠頭から抜け出てくると残りはあと3キロほど。もう殆んど気が抜けて走っていた。ただ走りの力を抜いたという事は無かった。前を行く壮年組のゼッケンのランナーは次々ととらえていった。最後のラスト1キロは陸橋を上る手前。陸橋を上りきってしまえばあとひと息。しかしいつもここからが長い。

 右折してゴール前のストレート。コーナーにある時計は1時間21分をちょっと超えたところ。しかしゴールまではあと1分。ラストの250m、一生懸命走る。いつもながらこの直線は長い。ゴールが目の前にありながらなかなか着かない。ゴールは目標の1時間24分は何とか切る事ができた様だった。ゴールタイムは1時間22分18秒、今までの記録から比べるとやや見劣りはするものの、何とかキロ4分ペースを切る事のできたレースであった。

 ゴール後は先日の座間のレースと同様、まだ余力を残しており、給水を取った後、着替え場所まで1キロほど走って来てしまった。もう少々スピードが出せればナ、というレースだった。これならば何とか河口湖も目標をクリアする事ができそうな気がした。膝の方も特に問題は起こらなかった。快調そのものといった調子だった。

 レース後は公園でビールを飲んで盛り上がった後、いつもの様に竹山夫妻と善久さんとで中華街へ繰り出して行った。

(No.140)


  
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