1992 東京シティマラソン

1992年1月26日(日) 晴れ
種目:21.1Km
記録:1時間19分49秒
順位:総合271位/4600人 男子30歳代85位

 3Km 11:14  
4Km15:013:46
5Km18:503:4818:50
6Km22:403:50
8Km30:197:38
9Km34:073:48
10Km37:553:4719:05
11Km41:473:51
12Km45:363:49
13Km49:273:50
14Km53:173:49
15Km57:083:5119:13
16Km1:00:533:44
17Km1:04:403:46
18Km1:08:043:24
19.1Km1:12:254:21
20Km1:15:473:2118:39
21.1Km1:19:474:00


 受付は1週間前から前日まで、新都庁第2庁舎1階のロビーで行われていた。都庁の見物がてら、金曜日(24日)に受付に行った。既に大会の準備は進められており、テントなどが張られていた。受付後にスタート地点などの下見も行った。ゼッケンNo.は『1499』。一般参加は1001番からなので、割り合いに早い方の番号である。スタート地点もゼッケン順で、前から10mくらいのところの様である。それほど悪くはない位置なので、気を良くして帰った。

 当日のスタートは9時35分。5時10分頃起床し、家は6時過ぎに出た。食事はいつものとおり、ご飯と餅。品川に7時15分頃到着。トイレで用を足して新宿へ。ランナーが色とりどりの格好で都庁方面に向かっていた。都心でこういう景色を見てとても嬉しく、またこれだけのビッグイベントができ、それに参加できてとても嬉しかった。

 会場は都庁前の通路及び隣の新宿中央公園。まず初めに公園で選手登録をする。それで走れる事になる。あとはウォーミングアップをして、荷物を預け、スタート地点へと向かう。荷物を預けてしまうので、なかなかいつもの様に思うとおりにには行かない。アップも体を暖める程度にし、ストレッチを十分に行った。荷物受付は9時迄だと思っていたが、8時45分という事で、ややあわただしい準備になった。荷物と引き換えに、防寒用のシートを1枚貰った。9時頃にスタート地点へと向かう。

 9時30分に車椅子の部がスタート。一般のランナーの声援に送られてスタートして行った。5分後の9時35分、鈴木都知事の合図で一般のランナーがスタート。中央分離帯を挟んで、右側のランナーが初めにスタート。およそ1,000人のランナーが全て出終わってから左側の残りの3,600人余りがスタートという変則スタートであった。しかし、この方が一列よりも混乱は無いだろうと思う。都庁第1庁舎と新宿中央公園の間の12号街路を北に向かってスタート。400mほど行って青梅街道、それを右折して新宿駅へと向かう。

 申告タイム順に並んでいるのでスムーズにスタートが切れる。前がつかえて走りにくいという事も無い。新宿駅を過ぎると、青梅街道から靖国通りに変わる。コースはどんどん坂を下っている。スピードもやや速めの様だった。しかし急な下り坂ではなく、緩やかに下っていた。調子よく飛ばして、3キロは11分14秒、やや速過ぎたか。キロ3分45秒のペースである。

 右手に電車が見えてきたら市ヶ谷。左手には自衛隊の駐屯地があった。地下鉄工事なのか、路面は良くない。5キロポイントは市ヶ谷駅前、18分50秒。ややペースは落ちて、3分50秒近くなってきた。暫く線路伝いに外堀通りを行く。仕事で良く行く神楽坂、飯田橋そして水道橋を通過。東京ドームを左手に見て交差点を右折、ガードをくぐって神田方面へ。神保町駅を通過しオフィス街になる。景色が一変した。日比谷通り、立派なオフィスビルが立ち並ぶ。右手には皇居も見えてきた。

 10キロ地点はちょうど東京駅前、37分55秒。この5キロは19分05秒、ほぼ3分50秒ペースに落ち着いた。10キロほど走って、やっと本来の調子になった様だ。それまで前半ややペースが速過ぎ、少しずつ後ろからのランナーに抜かれて、少々辛いレースとなっていた。両足のすねもやや張り気味だったが、それも解消した。

 地下鉄神保町駅を過ぎた8.4キロ地点辺りに最初の給水ポイントがあった。水だけだったが少々元気回復。この先日比谷から芝・増上寺にかけては、東京国際マラソンなどで走る有名なところ。今回はその先まっすぐ行かずに、国道15号線の手前で左折。15号を横断して裏手の旧海岸通りへと出る。昔はそこから先はすぐ海であったのだろう。今は埋め立てられ、更に海の方にも道が延びている。見慣れたヤナセの前を通過する。この旧海岸通り、この先、橋を6つ渡るそうである。数えてはいなかったが、いくつか、橋でのアップダウンがあった。ヤナセの先の橋は結構急であった。ランナーはそれ程でもないが、一緒に走っている車椅子はずいぶんと苦労していた。

 15キロ地点はその先交差点の角、田町ハイレーンのタツノビルを右折したところで57分08秒。この5キロは少々ペースダウン、19分13秒。あと残りは6キロ。まだ残っている力を出し、ラストのペースアップをする。ここまで来れば、もう先は見えた様なもの。何とか頑張れば、20分も切れそうか、といったところだった。前を走っていた勝倉の姿もだんだん大きく見えてきて、こちらもとらえられそうな気配になってきた。1キロ毎のラップも、3分50秒あたりから40秒台前半に伸びてきた。

 20キロは1時間15分47秒。この途中タイムではあるが、かなり良いタイム。20キロのベスト3に入るくらいのタイムである。この5キロは18分39秒と、かなりアップ。残り1キロ地点の20.1キロまでは21秒。ギリギリ20分が切れそうなところまできた。首都高・羽田線のガード下を通過し、ゴールの大井競馬場へと直進する。ゴール地点は初めて入る競馬場内。建物の下を通過し、右折して、ゴールはスタンド前。タイムはまだ19分40秒台を指していた。

 ゴール後、1時間後には早くも記録証が出来上がっていた。1時間19分49秒、271位という立派な記録であった。ゴール後は、アクエリアス、おにぎりのサービスもあった。ビールを1杯やって、アフターレースの昼下がり、のんびりと帰って来た。

 同日、大阪では国際女子マラソンが行われ、ダイハツの小鴨由水が優勝、松野明美が2位、何れも日本最高記録であった。また大相撲では貴花田が14勝1敗で史上最年少優勝(19歳5ヶ月)をした。

(No.122)


  
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