第8回全日本宮古島トライアスロン大会

1992年4月26日(日曜日) 天候:晴れ/雨
種目:Swim 3Km、Bike 155Km、Run 42.2Km
記録:10時間22分51秒 218位

 Swim 1:00:37 (479)    
Bike5:18:32(294)6:19:09(313)
Run4:03:42(199)10:22:51(218)
Total 10:22:51 (218)


■4月23日(木)
 南西航空021便羽田発8時55分。B373は予定より30分ほど遅れて宮古島へと向かった。乗客は、130人殆んどがトライアスロン関係者の様だった。ちなみに、私の席の右側には昨年優勝のポールハドル、そして一人おいて、宮塚がいた。12時半にはあこがれの宮古島の地へと降り立った。宿は、曰く因縁付きの申し込みの結果、『ホテル共和』となった。ひと休みした後、総合体育館へ向かい、選手登録とバイクの受取りをする。バイクは全く問題なし。3時過ぎまで掛かりバイクを組み立てる。ホテルまで戻って来て休憩。軽く散歩とジョグ。ツインの部屋の相手は市川の仙波氏、31歳。ナショナルOA勤務。

■4月24日(金)
 朝から仙波氏とバイクでスイム会場の東急リゾートへ出掛ける。およそ10キロ。初めて見る宮古島の海岸、素晴らしい景色、白い砂浜、エメラルド・グリーンの海、最高のロケーションである。ウェットを着て軽くスイム、ゴーグルを忘れてしまった。

 午後からはバスでのバイクコース下見。およそ3時間半のコース、宮古島をぐるりと1周。その後は工業高校にて競技説明会。そして隣の総合体育館でワイドーパーティ。たくさんのごちそうとビール、ジュースなどなど、ずいぶんと盛り上がったパーティとなった。ここで、元・鉄人クラブの久保田氏と対面、今は宮崎にいるとの事。私は以前、一、二度会った事がある程度。鉄人Tシャツを着ていたので分かった様である。

■4月25日(土)
 午前中フリータイム。バイクでマラソンコースの下見に出掛けた。平良市から東平安名岬へ向かうコース、だらだらと上りが続く様なコースだった。保良の折り返し点を通り過ぎ、東平安名岬まで出掛けた。東平安名岬は素晴らしい景色、ぐるりと見渡す限り海。水平線がま~るく見える様である。折り返して来てから4キロほど来たところでにわか雨。ざっと降ったが、10分ほどで上がった。しかしお陰でバイクは泥だらけ、きれいに掃除してしまった。

 午後からは東急リゾートにてバイク受付。スイムの後、リゾートにてレストランでひと休みして戻って来た。翌日は早いので9時には床についた。起床予定は4時。

■4月26日(日)(レース当日)
 レース当日、起床は4時。バスが5時半に迎えに来る事になっている。今朝だけは朝食はバイキング方式であった。十分に取る。まだ暗い中、定刻どおりバスが来た。東急リゾートへと向かう。

 金曜日の競技説明会で、『やさしさあふれ、世界一安全』であるという事、そして底まで透き通って見える海という事で、いつもは緊張しているレース前もゆったりとした気分で会場へ向かう事ができた。6時少し前にリゾートに到着。周りはまだ暗いが、もう全てが動き出していた。

 バイクの調整を済ませ、選手登録。腕のゼッケンは『338』。ここまで終われば、もうあとはする事は無い。しばらく芝生の上でくつろぐ。くつろぎながらも、周りの空気は緊張していた。7時に実行委員会から、一応競技を予定どおり実施するとの発表がなされた。水温は26℃、気温25℃。7時20分頃からスイム会場の浜へ出て行く。ウェットを着込み、ワセリンを塗る。

 ゼッケンのバーコードで入場チェックをして浜へと出る。会場には既に役員、報道の船がたくさん出て、いやが上にも気分は盛り上がっていった。水に入り、軽くウォーミングアップ。スタート地点は左の方へ取る。昨年優勝のポールハドルの合図で気勢を上げる。それまでやや緊張していたものが、解きほぐされた。良いレースができそうな気がした。

 8時、定刻どおりスタート。海は全く静か、天気は晴れ。良いコンディションである。前方の選手はダッシュして行く。後ろの方は徐々に出て行く。自分はおよそ10秒ほど遅れて泳ぎ出した。海は透明、安心して泳げる。ダイバーが潜っているのも良く見える。魚もゆっくりと泳いでいる。

 コースは600m、1250m、1150mの三角形のコースを右回りに泳いで帰ってくる。初めの600mは割合に調子よく泳ぎ切れた。やや短く感じた。コーナーを右に曲がってからの1250mは、向かい潮という事で、やはり長く感じられた。時間もたぶん長かった事だろう。また、真ん中辺りまで泳いだところで、大粒の雨が降り出した様だった。頭や手を雨のしずくが強く打った。しかし右側に見えていた太陽が隠れ、まぶしくなくなりちょうど良かった。特に心配は無かった。次の1150mはラストであり、更に追い潮という意識もあってか、楽に泳げた。スピードも随分上がり、タイムもだいぶかせいだ様だった。

 水から上がり時計を見たところ、ちょうど1時間になったところ。遅いだろうと思っていたのだが、予想外だった。一応目標どおり。バイク用バッグを探し出し、スイムパンツの上にバイクパンツをはく。雨が降っている。日焼け止めは塗らなかった。このお陰でずいぶん日焼けしてしまった。真っ黒だった。バイクのトランジッションは5分くらいは掛かっただろうか。東急リゾートの前の駐車場を後にバイクで出て行く。雨で塗れた路面、スリップに注意、155キロのスタート。初めは殆んど平坦、スピードもずいぶん出ていた。

 最初の坂は空港横。緩やかな様であったが結構きつい。ここは3度上った。雨脚も強い。リゾートから西平安名岬までは追い風、楽ができた。1周目は今年2月に開通した池間大橋を渡り、池間島までの往復。結局池間島まで行って戻って来た辺りで雨はやんだ。西平安名岬から東平安名岬まではずっと海岸線の近く、陸から海への風が強かった。

 インペックスの「オンザゴー」は、バイクに3つ。50キロの後、90キロ、120キロあたりで1つずつ。5つ用意して、1つはバイクスタート前、もう1つはランスタート前。それでもお腹が空いた。いつもの事ながら、初めのうちはある程度速いが、後半はだいぶペースダウン。やはりバイクが他に比べ遅い感じがする。

 東平安名岬の近辺がアップダウンがきつい様だった。コースは今まで反時計回りだったのが、時計回りに変更になったとの事。今まで何箇所か交差していたところが無くなった様である。これは良い措置であると思う。目標タイムは5時間―およそ30Km/hであったが、トランジッションも含めると20分近くもオーバーしてしまっていた。やはりバイクが弱いのだろう。

 バイクのゴールは陸上競技場の隣にある駐車場。疲れきった体でゴールイン。バイクを高校生に手渡し、トラ・バッグを自分で取りに行き、テントの中で着替えをする。どっかりと座り込み着替える。バイクパンツを脱ぎ、ランパンをはく。靴下もはく。およそ2分ほどで終わりスタートへと向かう。ここから時計をスタート。天気は晴れ。しかしそれほど陽は強くない。帽子はかぶる。サングラスは無し。やや足どりは重いがゆっくりと進む。調子は悪くない。目標は3時間台、5キロ25分程度で行ければ充分である。

 最初はぐるりと街中を走る。応援が数多く、元気が出る。宮古空港を過ぎると5キロ、23分で通過した。調子は良さそう。エイドはおよそ2キロに1箇所、充分に揃っている。オレンジが美味しい。また、水、アクエリアス、コーラがある。コーラは炭酸抜きでとても美味しい。糖分も充分あり、トライアスロンにはちょうど良い。

 5キロから先は県道。両側に樹が植えられ、その下にはハイビスカスの花もちらほら咲いている。道はだらだらと上り、5キロのラップは次のとおり。

 5キロ:23:32、10キロ:25:30、15キロ:28:15、20キロ:28:33(1時間45分52秒)

 折り返しまではややペースが落ちてきたものの、それほど調子悪いところも無く、順調に走れた。このままの調子で行けば、何とか4時間は切れるだろうと、再び甘い考えをしていた。折り返し手前の上り坂を上り切り、テレビカメラの前を通過し、今度は陸上競技場のゴールへ向かう。坂を下ってきたところのエイドでひと休み。

 その先、やや勾配の急な下り坂あたりまで来たところで突然、右ひざ外側に痛みが出た。じん帯である。こうなるともう無理はできない。屈伸を行いながら走る事になる。これをおよそ1キロ毎くらいに繰り返した。25キロを過ぎると、かなり痛み出し、回復は考えられなかった。

 その先、下り坂途中にメディカル・テント。ここでテーピングをして貰う事にした。手際良く右ひざの回りにテープが巻かれる。高校生のボランティアはタオルで体を拭いてくれた。5分ほど掛かったのだろうか。右足はテープでがっちりとガードされた。走り出す。脚が軽い。今までの膝の痛みが嘘の様だった。しかしテープで固定されているため動きがややぎこちない。メディカルテントを飛び出し、元気よく坂を下って行く。

 30キロまでのラップが飛び抜けて悪い。テーピングの為の時間である。仕方がない。その後は順調に(!?)キロ6分程度で走れた様である。自分では5分ペースくらいで走っていたつもりだったが、やはり疲労が出てくるものである。

 2キロ毎のエイドが楽しみだった。空港へ向かう上り坂を過ぎると再び街中へと向かう。あと残りは5キロほど。ぐるりと市内を1周である。キロ6分のスピードでも最後まで楽に走れたのはやはり周りの応援のお陰だろう。佐渡では最後が田んぼの中だったので、いささか寂しい気がした。

 最後のエイドを過ぎると残りは2キロほど。交差点を右折し、競技場方面へ向かう。一度下る。その後少々上っている。病院を通過するといよいよ残りは1キロといったところだろうか。だんだん感動の場面が近付く。ストロングマンへの花道が続いている。子供の差し出す手に応えながら競技場のゲートをくぐる。あと300m、やっとここまで来た。

 ゴールシーンに備え、身なりを整える。ぐるりとグラウンドを1周、ゆっくりと自分のレースを楽しむ。ゴールが目の前に現れる。あこがれの宮古島――やはり宮古島である。全てが自分の為に……ストロングマンの誕生である。
感動のゴ~~ーーール!!花の冠にずしりと重いストロングマンの完走メダル。そして大きなタオルが掛けられた。その後はゆっくりとレースの余韻を楽しんだ。夜は緊張の為か、なかなか寝入る事ができなかった。

■4月27日(月)
 9時からバイク引渡し。前日のレースの余韻を残した競技場へ行きバイクを探す。自分のバイクを見つけ引き取って行く。朝、強い雨が降っていたが、会場に着いた頃にはすっかり止んでしまっていた。バイクを分解し、今度は輸送の方へ預ける。バイク1台4,500円、バッグ1個2,800円。いちど街まで帰り、昼食と土産の買い物。3時過ぎから体育館にて表彰式とパーティ。6時頃からはボランティアふれあいパーティ。

■4月28日(日)
 1日中フリータイム。午前中は土産の買い物。昼少し前から釣りに出掛けた。2時頃まで居たが何も釣れず。熱帯魚に餌をずいぶんと取られた。3時、近くの砂浜まで行き最後の海水浴。4時、チェックアウト。4時20分のバスで空港へ。東京直行の飛行機に乗るために方々から人が集まって来ていた。東京行きは5時30分発。ほぼ定刻どおり出発。8時過ぎ、東京・羽田に到着。宮古島トライアスロン、5泊6日のツアーは終了した。


1992年 鉄人便り
宮古島『歓走記』

本吉・ストロングマン・民男

 「宮古島」、すばらしいトライアスロン・アイランドでした。白い砂浜、エメラルド・グリーンに輝く海、照りつける太陽、申し分のない南の島です。おかげさまで、第8回全日本宮古島トライアスロン大会に参加でき、楽しんでくることができました。

23日(木)
 東京を9時半に出発。2,000キロ離れた島までおよそ3時間、あっという間に南の島に到着です。その日の内に、選手登録と託送したバイクの受け取り、組み立てを済ませました。

24日(金)
 午前中フリータイム。(東急リゾートへ下見)
 午後から、コース下見、競技説明会、ワイドーパーティーと続きました。たくさんのビールと御馳走、そして歓迎セレモニーに満足しました。

25日(土)
 午前中フリータイム。(バイクで、ランコースの下見)
 午後から、バイクスタートの東急リゾートでバイクの受付。ついでに、スイム会場でひと泳ぎ。すばらしいロケーションです。

26日(日) 大会当日
 起床は4時。5時半に選手輸送用のバスがやってきます。市内からバスで20分ほどで東急リゾートへ到着。バイクの調整と最終受付、ゼッケンの記入。スイムスタートは8時ちょうど。充分余裕があり、少々リラックスできました。

 7時に実施の最終決定と気象が発表されました。気温25℃、水温26℃、湿度95%。スタート15分ほど前には、皆、スタート地点についています。幅広いスタート地点の左側の方では、昨年優勝のポール・ハドルのリードで気勢をあげます。右の方でもやっています。宮塚か城本でしょうか。

 8時ちょうどに、大会会長の合図でスタートです。皆、一斉にダッシュ。私はやや遅れてスタート。それほどバトルはありません。下で泳ぐ魚を眺めながら、気持ち良く泳げました。

 スイム中盤から、大粒の雨が降り出し、結局バイクの初め1時間半ほど、雨に降られてしまいました。道路には水があふれ、スリップもあり、リタイアも数人いたようです。城本選手もブレーキ調整のため、だいぶロスをしたようです。

 バイクコースは島内を2周。今年は昨年までとコースは大きく変わり、反対回り(右回り)になりました。また、島の西側の、池間大橋の完成により、はじめて池間島まで渡ることになりました。当然、池間島での応援も、雨の中ですが大変盛り上がっていました。その池間大橋は、トライアスロンのバイクコースとして使う事を当初から考慮し、欄干を高く設計し、強い横風が避けられるように造られたそうです。素晴らしい景色でした。

 また、島の東側にあたる東平安名岬も、海のまん中に突き出た岬で、疲れを忘れさせてくれるような美しさでした。しかし、アップ・ダウンもけっこうあり、だいぶ苦労させられました。

 バイクゴールは、平良市陸上競技場となりの駐車場です。そこからランが始まります。ランコースは完全な折り返しコースになっています。

 私のスタートは午後2時20分ころ。スイムスタートから6時間20分ほど経過していました。バイクは目標の5時間を少々オーバーしてしまいました。

 ランのコースは、はじめの5キロほどは市内をぐるりと回り、それからまっすぐ東平安名岬へ向けて行き、保良という所で折り返してきます。折り返しまで少しずつ上がっているようなコースでした。しかしそれも、エイドのボランティアや中学生、高校生の応援に助けられながら走れます。エイドはおよそ2キロ毎、他にメディカルテントなどもあり、いたれり、つくせりの応対です。

 折り返しを過ぎ、そろそろ25キロ地点か、というあたりで、右ひざ側面に痛みが走りました。佐渡のときにも痛みの出た、じん帯のようです。3キロほどは何とかだましながら走りましたがダメでした。その先にメディカルテント。そこで右足にテーピングをしてもらいました。それからは、それまでの痛みはまるでうそのよう。ロスタイムは5分ほどでしたが、その5分のおかげで、最後までしっかりと走ることができました。

 残り1キロ、競技場へ向かう道路はストロングマンへの花道でした。完走を祝ってくれる人達がたくさんいます。競技場も、再び降りだした雨にもかかわらず、たくさんの応援です。そして、フィニッシュ・ゲート、感激のゴールを味わうことができました。ゴールは午後6時23分、スタート後10時間23分が経過していました。ランニングは目標の4時間を切ることができませんでしたが、やはり、応援のおかげで最後まで頑張り通す事ができました。こんなに素晴らしい大会にしてくれた皆さんに心から、「ありがとう」を言いたい気分です。

 その後も続々とランナーが帰ってきます。みな、喜びが体中からあふれています。午後10時まで、競技場は感動に包まれていました。「やさしさ漂う、世界一安全な大会」。これが今年からできた大会のモットーです。まさにこのとおり。素晴らしい世界一の大会です。

27日(月)
 雨にぬれたバイク引き取り。まだストロングマンの余韻が残っているようでした。午後から表彰パーティー。再び盛大なパーティーが催されました。この日に帰る人も中には居ます。名残惜しそうに帰って行きました。

28日(火)
 飛行機は夕方5時半、東京直行。それまで、最後の宮古島を味わってきました。午後8時羽田着。
第8回宮古島トライアスロン、5泊6日のツアーは終了しました。

 エントリー代 23,000円
診断書10,000円
ツアー130,000円
食事、土産、他60,000円
合計 230,000円

(No.129)


  
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