第10回 '92三浦国際市民マラソン

1992年3月1日(日) 曇り
種目:5Km、ハーフマラソン一般男子
記録:
(5Km) 20分01秒
(ハーフ)1時間23分07秒 総合110位

(5Km) SPL. LAP 
折り返し10:14
5Km20:019:47
(ハーフ)SPL.LAP
1Km3:43直線終わり
2Km7:293:46
6Km23:2015:50岩堂山下り
8Km31:067:46大橋入口
10.5Km40:489:51復路大橋中央
12Km46:425:43
14Km54:287:46
15Km58:484:19
16Km1:02:443:56
17.1Km1:07:004:15急坂途中
18Km1:10:253:25
19.1Km1:14:574:31
20.1Km1:19:004:03
21.1Km1:23:004:00
(公式タイム)1:23:07110位


 起床は5時、出発は6時。そして天神橋で横浜行きの始発バスで上大岡へ、という予定であった。昨年は出発が少々遅れ、目の前をバスが通過するという目に会ってしまった。その二の舞はしない様に、出発時刻だけは遅れないつもりでいた。──実際にもほぼ予定通りだった。

 ご飯を軽く1杯と餅3個。カーボローディングは先日の青梅ほどはできなかった。バスは6時18分。家を6時5分頃に出た。上大岡には6時半頃到着。6時43分の特急で三浦海岸まで。まだそれほど混んではおらず、すぐに座れひと眠り。三浦海岸駅にはちょうど7時半頃到着。列車からはずいぶんたくさんのランナーが降りてきた。海岸までは5分ほど。雨が降ると言われていたが、何とか天気はもちそうだった。お陰でずいぶん暖かった。

 すぐに受付を済ませる。5キロはタイムの計測も無いので、好きなゼッケンが貰えた。なるべく良さそうなところを選んだ。『15015』イコーイコーである。ハーフは登録制、4030番。今年はハーフを申し込んだ後、三菱ふそうの招待があるというので、無料ならば5キロにも出場するか、という事にした。それぞれの目標は、5キロは軽く流して20分、ハーフは5キロの後という事もあるので、昨年並みのタイムは無理であろうから、1時間22分程度に置いた。

 5キロのスタートは8時40分。8時過ぎからウォームアップを始めた。ストレッチだけにしておいた。気温が高いせいか、或いは2つ走るという事で緊張感が無かったのか、やや体がだるい様な気がしていた。しかしそれもストレッチを行う事で次第に回復した。8時30分頃にスタート地点へと向かう。先頭は招待選手。その後ろ、やや後方の10mくらいのところへ並ぶ。

 定刻スタート、ゆっくりと出る。ほぼ4分ペースが目標。三浦での5キロのレースは初めて。2.5キロの折り返しであるが、どこまで行くのだろうか、という気持ちだった。2キロ地点は7分50秒程度で通過した。折り返しは10分14秒、あと残り半分。しかし後にハーフマラソンが控えていると思うと、いつもの様なペースにはしない。ハーフのコースが変わった様だという事が走っている最中に分かった。5キロのゴールはスタート地点より100mほど手前。最後は女子高生2人を引き連れ、ラストスパートを見せてゴールイン。ちょうど20分になったところだった。さすが!!

 着替え場所まで戻って来たのは9時5分頃。次のハーフのスタートまでは30分ほどある。ハーフ用のスタイルに着替え、次のスタートを待つ。5キロはウォーミングアップにはちょっと長過ぎた様な気もした。10キロのスタートが9時30分、その5分後にハーフのスタート。ハーフは10キロの部が完全に出切らないと並べない。10キロの部もランナーが延々と続き、全員が出るのに3分くらい掛かった様だった。その後スタートラインへと付いた。やや慌しく、スタート時間は2~3分遅れた様だった。ほぼ先頭に位置する。

 大会会長の三浦市長のピストルの合図でスタート、調子良く飛び出した。既に5キロ走っているので、初めのラップはどの様なものかと思っていたが、1キロは3分43秒、速過ぎるくらいのペースだった。とりあえず安心。次の1キロも3分46秒、なかなか。トータルで考えると7キロになるわけで、ちょうど調子が出てきた辺りとも言える。

 2キロ地点を過ぎ、5キロのコースの折り返しの少し手前を右へ入って行き、坂を上る。以前ほど坂は急ではなかった。少し家並みの中を走って行くと、前方に三浦霊園、長い上り坂を上っている。路面は新しくて良いが、いかにも山道といった様子できつい。この上り坂に来てやや疲労、しかしまだまだ余裕。上りでスピードの落ちたランナーを抜いて行く。上りきった坂を今度は下ると霊園は終わり。右折して再び上り坂、かなりタフなコースである。それを上り切ってもう一度下ると、左手前方にいつもの岩堂山が現れてくる。

 岩堂山エイドで5キロあたりらしいが、表示は分らなかった。エイドで水を1杯取る。岩堂山を上り切るとあとは折り返しまで下る一方である。しかしだいぶ疲れてきた。いつもの下りのスピードもあまり無い。下り始めて暫くして6キロ、23分20秒。上りの連続だったものの、この4キロは15分50秒でカバーしていた。トータルすると11キロ、だいぶスピードが鈍って来たのか、或いは周りの人の調子が出てきたのか、ポツリ・ポツリと抜かれる様になってきた。悔しいが仕方が無い。じっとこらえながら走る。この辺りで周りのランナーと勝負しても勝ち目は無いと思った。15キロを過ぎれば何とか勝負にもなるだろうという事で、後半に期待する事にした。

 大橋の入口で8キロ、31分06秒。この2キロも7分46秒でカバー。何とか走れている様だった。橋を渡り始めると広報車。女性の白バイの先導で橋の中央あたりでトップとすれ違う。日産の若倉との事。100mほど離れて2位に平塚の堂道がいた。彼はいつも2位である。

 橋を渡り切り、下り始めると太鼓の音、調子が出てくる。エイドで水を1杯。折り返してくるランナーとすれ違うが、それ程の数でもない。ずいぶん前の方を走っている様であった。およそ100番前後の位置の様であった。今日は佐倉でもフルマラソンがあり、そちらへもかなり多くのランナーが行っているのであろう。

 折り返して再び橋の中央まで来ると中間点、40分58秒。ちょうど目標タイムの半分だった。このまま後半ももつだろうか…。今度は岩堂山までゆるやかな上りが続く。途中に12キロ地点、46分42秒。8キロからの4キロは15分36秒。下りが多いためか、まずまず。復路は今までとコースが変わっているため、距離のポイントがつかみにくい。岩堂山を上り切ってもまだ14キロである。

 岩堂山を過ぎると再び新しいコースになる。上りが続き、このコースの最高地点へ。あとは全て下りだろうと思っていたが、それは全くの間違い。そこからが勝負のコースであった。大きくはないが、急な山のアップ・ダウンが何回か続いた。帰りは三浦霊園横を直進し、畑の中のアップダウンを進んだ。15キロは霊園横あたり、58分48秒。まだまだ何とか持ちこたえている。しかし、5キロを加算すると既に20キロ走った事になる。だいぶ疲れも出てきた。

 アップダウンを繰り返し、16キロは1時間02分44秒。そしてやっと海岸線の道路に出る。しかしそこは10キロコースの折り返しの付近であった。あと5キロ弱残っていた。急な坂を下って行く途中に残り4キロの表示。下り切ってしまえば、後は殆んど平坦。しかし既に20キロ以上走り切った体には、この平らなコースが辛かった。思う様なスピードが出ず、ポツリ・ポツリと後続のランナーに抜かれ始めた。遠くに海岸線が見えるが、どうもそこはゴールではないらしい。なかなか辛い。

 18キロ地点、あと3キロ。まだ5キロの折り返し点も見えてこない。1時間10分25秒。しかしこの2キロは下りがあったせいか、7分41秒で通過している。岬を回ると5キロの折り返し。やっとあと2.5キロ。トータル26キロのレースと思い、辛抱のレースをする。

 あと2キロまで来ると、もう見慣れた走り慣れたコース。今日だけで4回目の地点である。この辺がいちばん疲れていた様である。19.1キロ──あと2キロまで4分31秒も掛かってしまった。あとは小学校のちょっとしたアップダウンがあるだけ。そこを過ぎて、残り1キロ。途中に私設エイド、軽く1杯。あまりに暑く、頭にも掛ける。風は追い風らしく、ちょうど走る速さと同じくらいで、走っている方にとっては全く無風状態の様だった。あと1キロでは、タイムは1時間19分00秒。何とか1時間24分は切れるだろうというところであった。

 5キロではスタートとゴールが違い、残り1キロ地点から3分半程度で走ったので、22分台だろうと思った。しかし残り500mを過ぎてもまだフィニッシュゲートは見えてこない。おかしいなと思いながらラストを頑張る。ゴールは1時間23分00秒。ゴール地点は何とスタート地点と同じところであった。

 最後は本当に疲れたレースとなった。26キロレース、ご苦労様でした。レースが終わると、あちこちに分散していた元、現タツノの各メンバーの顔が見え、最後は三浦海岸で久しぶりの宴会となった。東京電力のお湯、お茶のサービスは汗をかいた体にはとても満足のいくものでした。どうもご苦労様。

(No.125)


  
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