第17回河口湖日刊スポーツマラソン

1992年11月29日(日) 晴れ
種目:一般男子35~44歳 42.195Km
記録:2時間58分08秒 年代80位/2271人 総合482位

 スタート SPL. LAP 大池公園・河口湖グランドホテル前
5Km19:5619:56四つ角左折後
10Km40:0820:11トンネルの間
15Km1:00:3020:22小海三差路の先
20Km1:22:3522:05小曲トンネル先(ゴール先)
25Km1:42:4320:08林の中(5キロより1.5キロ先)
30Km2:04:5922:16湖岸トンネル先
35Km2:23:3818:39河口湖遊園先
38.2Km2:41:2117:43ゴール駐車場横・あと4キロ
39.2Km2:45:123:50給水所先・あと3キロ
40.2Km2:49:364:24大橋手前・あと2キロ
41.2Km2:53:494:13大橋出口先・あと1キロ
42.2Km2:58:084:19ゴール・船津駐車場


 30キロからの12キロ、そして35キロからの7キロ、いつもながら辛いところであった。しかしながらそれを克服し、今年も何とかサブ3、3年連続の河口湖サブ3の達成である。

■11月28日(土)
 昼過ぎの12時半にタツノ前を出発、土曜日とあって海岸沿いの道は混んでいた。やはりもう少し早く出発しないと思いどおりの行動はできない様である。河口湖には4時半頃到着、もうそろそろ暗くなり始めていた。すぐに受付を済ませて、周りの様子を見て回るが、もうだいぶ終わってしまっている様だった。いつものホットカルピスはちょうど終わりになってしまうし、サロメチールも配っている様子は無かった。プーマのブースでは昨年と同じ様に、宮塚がサイン会を行っていた。その後5時頃、河口湖グランドホテルへ行ってみたが、カーボパーティは終わってしまっていた後だった。何とも抜け殻の様な始末であった。

 その後は山中湖まで戻り、一ノ橋荘へ向かった。夜は9時前には床についた。天気の方は3時頃からパラパラと雨が降り出し、河口湖でもずっと雨だった。結局寝るまでずっと雨は降り続いていた。起床は3時過ぎの予定。車は萩原氏に出して貰っていた。

■11月29日(日)
 萩原氏は眠れなかったのか、3時には起きていた。準備も順調に進み、4時半頃一ノ橋荘を出発。昨日からの雨は降り続き、止む気配は無さそうだった。雨の中を車は河口湖へ向かい、ちょうど5時頃、いつもの湖南中学校に到着。車の数はまだポツリポツリといった様子だった。しかし、この頃から徐々に雨は小降りになってきて、会場へ向かう頃には殆んど止んでしまった。みんなの熱気で雨が上がっていってしまった様だ。

 今年もゴール用の荷物とスタート用の荷物を作り、ゴール地点に着いてからスタート地点へと行く事にした。ゴール付近では、ゴール地点が変わった為、雨が降っていたにも係わらず、いつもの東屋は空いていた。今年のエントリー者は14,500人ほどとの事。昨年よりも2,000人も増えてしまっている。スタートもきっと混乱するだろうと思い、早めに行動した。

 6時過ぎにはウォーミングアップを始め、6時半頃に一度切り上げ、荷物をまとめ、スタート地点へと向かう。案の定、スタート地点は混み合い、7時頃には既にランナーでいっぱいになってしまった。審判長からの注意事項などがスタート前にあり、スタートは7時30分、予定どおりにピストルの合図が鳴った。

 割合に前の方に並んだせいか、殆んど混乱も無く、すぐにスタートが切れた。周回方法は昨年と同じ。河口湖を2周回り、3周目は大橋を渡り、そしてゴールという具合である。1周約18.5キロ、2周してスタート地点まで戻って来ると37キロ、3周目はおよそ4キロ、スタート地点からゴールまでがおよそ1キロといったところである。今年の目標はやはり55分を切る事である。その為には、5キロ毎のラップは20分程度で走らなければならない。

 5キロ地点は甲府方面に抜ける道を西湖方向に左折し暫く行ったところ、19分56秒で通過した。今までで初めての19分台であった。なかなか調子の良いスタートが切れたと思った。朝降っていた雨は完全に上がり、気温も7時には7.3℃まで上がっていた。スタートしてからも気温はだいぶ上がった様だ。この先は景色も良くまた日も差すので走るには絶好のコースである。富士山も頂上を少し雲に隠す程度で、きれいに見えていた。

 10キロはややペースが下がり、20分11秒、40分08秒だった。自分では同じか少し早いくらいのつもりでいたのだが、ややがっかり。しかしトータルでもまだ40分を少し回っただけだったので、まだ余裕はあった。15キロまでは民家もあり、日陰もありで、景色としてはあまり良くない。調子の方はやっと出てきたところか。体も暖まり気持ち良く走れる。

 15キロは小海の三差路を過ぎて少し行ったところ。前方には松林もあり、また違った景色が続く。20分22秒、またまたタイムが落ちてしまった。再び上げたつもりであったのに、またもや裏切られてしまった。トータル1時間00分30秒、しかしまだまだいいところ。いつもの河口湖遊園の前の給水所を過ぎ、鉄人クラブの定宿である秀水前を通過。知った顔は誰もいなかった。給水所ではなるべく手袋を外し水に濡れないように努めた。

 河口湖大橋の下をくぐり、大池公園に向かうと、正面に富士山。今度は雲ひとつ無く澄み渡っている。きれいに見えた。そろそろ18キロ。1時間を超え少々疲れが出てきたところか。スタート地点に置いた「オンザゴー」を目指す。バリケードの下に置いたのだが、既に取り外されており、散らばってしまっていた。何とか2個無事に有る様だった。1個拾い上げ食べる。18.5キロで1個、37キロで1個という具合に、2個置いた。最初はまだあまり腹は空いていなかったが、後のためにきちんと食べた。

 ゴール前を通過し、小曲りトンネルを出たところで20キロ地点。時間を見てびっくり。何と22分を超えてしまっていた。今まで20分そこそこで来ていたのが、突如22分をオーバー。毎年この辺りにある様なので、ほぼ正確なのだろうか。目を疑ってしまった。スプリットは1時間22分35秒。急にペースダウンとなった。しかしまだ望みはいくらでもある。

 この先の中間点は大橋手前のトンネル出口にあった。ここでのタイムは何と1時間30分。しかしラップを見ると8分を超えていた。明らかに距離が違うのだろう。しかし1時間30分というタイムにはびっくりし、やや動揺してしまった。調子は悪くなさそうなので、そのまま行く事にした。

 甲府へ向かう道を左に折れ、25キロ地点へと向かう。25キロ地点はやはり早く、20分08秒。トータルでは1時間42分43秒、まずまずというところ。残りは17キロ。もう半分以上来ているがまだ先は長い。25キロを過ぎた辺りから、いつもの様にあちこちに、やや疲れの色が出始める。呼吸も少々荒くなり、自分の息づかいが聞こえる様になった。

 湖岸に近付くと景色もだいぶ良いが、疲れも出ている。1周目と2周目のチェックポイント、例えば5キロと25キロ、10キロと30キロは、およそ1.5キロ―時間にして6分違うのが普通であるが、そのタイムもまちまちであり、そのあたりでもだいぶ戸惑った。かなり距離のポイントの位置がずれている様である。

 30キロ辺りはいちばん景色も良い辺りだろうか。2時間04分59秒。3時間まであと55分、ぎりぎりの線であろう。残りは12キロ、スタート地点まで7キロ。そしてその後、もう1周の5キロ。35キロまで行ってしまえばあと7キロ、そう思いながら走る。しかしここからがいちばん辛くなる。残り12キロ、そして11キロ、10キロ。1キロずつ減っていくのをじっとこらえながら走る。ここで頑張らねばと、辛いところを一生懸命走る。この辺りまで来ると、まだ1周目を走っているランナーを時々抜いて行く。また2周目でも、ガックリとスピードの落ちてしまったランナーをあっさりと抜き去る。この辺は優越感に浸り、また先を見据えてしっかりと走る。

 ちょうどいちばん辛いところが日陰の冷たい道路。三差路まで来てしまえば、あと残りは8キロほど。その先に私設エイド。ウーロン茶がテーブルにいくつか置かれていた。そのうちの1つを断りながら頂く。ザバス、水とも味が違い、またまた元気になる。

 その先の35キロ地点はやや早めに出てきてしまった様だ。18分39秒は少々速過ぎるタイムである。この辺りが本当に辛いところか。1年振りに、久々にこの苦しさを味わった気がした。やはり1年に1回ではこの苦しさを忘れてしまっているようだ。良い走りをするには、思い出せる様でなくてはならないと思う。残りは7キロ。暫く行くとあの秀水、ぐるりと見廻すといつもの奈良島氏、挨拶をして通り過ぎる。

 その先はもう河口湖大橋。いつの間にか残りは5キロ。後ろからはもう3周目を回って来たエリートランナーたちが走って来る。まだ2時間35分。このランナー達は40分を切るランナーである。私の方は5キロを残し、タイムリミットまで25分。何とか3時間を切れそうなところまでは来た様だ。しかし気を緩めるとあっという間に時間は経ってしまう。

 2周目のエネルギー補給で、道路に転がっている「オンザゴー」を拾い上げる。ちょうど腹が減り始めたところで、良いところだった。ゴール前を通過し、東屋を過ぎるとあと残りは4キロ。後ろから勢いのいい女性がひとり、駆け抜けて行く。女性に抜かれたのは今回これで2人目。もうひとりは2周目に入って大橋の先の辺り。パンツの後ろには「BOSCO」、そしてゼッケンには「礼子」の名。何と樹脂グループ会社勤務で、トライアスリートの坂東玲子嬢であった。いいペースでグイグイと行った。思わず私もつられて行った。残りはもう4キロも無い。「あと3キロ」を過ぎれば、もう3キロは無いわけである。

 最後のトンネルをくぐると、左側に大橋。もう1周回る人は大変だな、などと思いながら優越感を持って橋を渡る。しかし前方を見ると、走っている人も結構居る。ややがっかり。それでも橋の真ん中を走り、もう一度スタート地点へと向かう。後で聞いた話であるが、3時間程度で大橋は交通規制が解除されてしまい、後の人は歩道しか走れないそうである。真ん中を走れるのも、速いが故の特権であろう。3回目のスタート地点を通過した時、ちょうど2時間55分のアラームが鳴った。今年も55分を切る事はできなかった。

 あと1キロも無いし、何とか3時間は切れそうだった。まだまだこれから1周回る人を後に、左側の駐車場へ入る。最後の力を出すが、スピードは全く変わらない。ゴール前の時計を見回すが見当たらない。しかし何とか3時間は切り、58分を少し超えたところであった。走れなかった時期の事を思い出し、よくもここまでになったものだと思った。目標どおり、3年連続サブ3を達成した瞬間であった。

 ゴール後は、感激の「フィニッシャーTシャツ」を貰い、いつもの様に、おしるこにホットカルピス。そして初めて坂東玲子さんに会うこともできた。感激の余韻を味わいながらレースを振り返り、そして着替えに戻った。今年もあのランニングパンツは股ずれがひどかった。何度目だろうか、フルマラソンでは、もうはくのはよそう。シューズは素晴らしかった。最後まで走り切れたのは、あの「スカイセンサー」のお陰かも知れない。指付きの靴下も素晴らしかった。いい走りをするには良い道具を選ぶ事も必要である。

 レース終了後は恒例の伊東・大東館へみんなで出掛け、楽しいアフターレースを味わう事ができた。

(No.142)


  
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