第10回横浜マラソン
1991年1月27日(日) くもり
種目:20Km 一般男子
記録:1時間16分15秒
順位:83位/616人 総合147位/1950人
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3Km | 11:11 | 11:13 |
4Km | 15:04 | 3:51 |
5Km | 18:53 | 3:48 | 18:53 |
6Km | 22:45 | 3:52 |
7Km | 26:41 | 3:56 |
8Km | 30:42 | 4:00 |
10Km | 38:24 | 7:42 | 19:31 | 38:24 |
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11Km | 42:10 | 3:46 |
12Km | 45:48 | 3:38 |
13Km | 49:52 | 4:03 |
14Km | 53:29 | 3:36 |
15Km | 57:28 | 3:59 | 19:04 |
16Km | 1:01:16 | 3:47 |
17Km | 1:04:48 | 3:42 |
18Km | 1:09:03 | 4:02 |
19Km | 1:12:41 | 3:38 |
20Km | 1:16:15 | 3:34 | 18:47 | 37:51 |
起床は6時。納豆ご飯にもち3個、お腹は十分である。体調もまずまずの様。更にお弁当にもち1個を持って行く。予定よりちょっと遅れて7時15分のバスで途中まで乗り、本郷台駅へと向かった。7時半の電車で関内へ。8時少し前に駅に到着。会場の山下公園まで歩く。8時を過ぎていたので、途中も会場の公園も結構人が居た。
ゼッケンは「8番」。招待選手の様な顔をして受付を済ませる。8番とはなかなか気持ちが良い。
風が少しあり、雲がたちこめていてあまり暖かくない。11月のレースとはやはりちょっと違う様である。寒くてなかなか気持ちが盛り上がらないが、気が散漫にならない様注意した。
1時間前の9時頃からウォーミングアップを始める。やはり寒いためかなかなか汗をかかない。先週のかすみがうらとはずいぶん違う。それでもジョグとストレッチを十分にするうちに汗をかいてくる。20分ほどで切り上げる。
サロメチールを両足に、ワセリンを太ももの内側に塗る。最近ランパンによる股ずれがよく起きるからである。肉が付いてきたという噂もあった。右側脇の下もやはり同じ様に擦れて困る。素早く着替える。
9時30分頃からスタート地点への集合を放送していたので、やや早かったが、40分頃にはスタート地点へと向かった。やはり早くても集まって来ている人はいるものである。前の方へと進んで、前から3~4列目のところに位置した。ちょっと前過ぎて空いている為寒かったので、少し後ろへ下がった。珍しいことだ。20分は少々長い気もしたが、それも少しの間だった。スターターは高秀横浜市長との事だった。
30秒前に50m前方のスタート地点までゆっくり歩き、10時ちょうどスタートの合図が鳴った。一斉にスタート、やはり前の方は速い。殆んど停滞する事は無い。速過ぎて困ってしまうくらいであった。初めは流れに沿ってやや速めのスピードで行くが、それもいちょう並木が途切れて左折するあたりまでにした。あとは少しペースを考えながら走った。
今日のレースはフルの後という事もあるので、だいたい1時間18分くらいのタイムと予想した。5キロ19分30秒、10キロ39分といったことろである。スタートがやはり前の方だったので、前半はどんどん後ろから抜かれて行く。しかしここはじっと我慢。ラストでのスピードが勝負である。
3キロ地点は首都高速の出口を過ぎて、右に曲がったあたりであった。11分13秒、なかなか良い。いつも横浜マラソンは、周りのペースが速過ぎて、逆にペースを落とし過ぎてしまい、出だしが遅くなってしまう。しかし今日はまずまず、3分45秒のペースである。
産業道路に出て暫く直進。今まではそのまままっすぐ行き、D突堤の方へ行っていたが、今年は右折し、錦町、かもめ町の方へと向かう。あとはどんなものかと言ったところである。私は何となくこちらの方が良さそうである。長い距離を行ってまた元のところへ戻って来るよりも良い。
工場群の中を行く。路面はコンクリートで、更にとても荒れている。しかしここは、12月のバイアスロンで走ったのでコースを良く覚えた。そのお陰で今日はいくぶん気が楽であった。日産を過ぎたあたりで4キロ、15分04秒、ラップは3分51秒。まだまだ追い越して行くランナーもいる。しかしそれもだいぶ落ち着き、順位もあまり変わらない。
5キロ地点はどの辺りだったろうか、良く覚えていない。3分48秒、18分53秒、結構速いではないか。5キロの先はかもめ町。この辺は良く知ったコースでもある。安心して走れる。
陸橋手前で先頭が見えて来る。日産の加藤選手であった。ダントツである。2位グループとは2~300m離れている。先頭グループとすれ違うと、陸橋の上り坂。得意の上りでいつもの様に何人か抜く。上り切るとすぐ左折。そして下り坂になる。下り切るともうすぐ先に折り返し点が見えた。
折り返しは7.8キロくらいの様である。順調に折り返し、8キロ地点はどんなものか、という様な調子であった。8キロのラップは4分00秒。5キロを過ぎてだんだんペースが落ちてきて、遂に4分になってしまった。これではいけないと思い、再び徐々にペースを上げ始めた。10キロ、39分のペースにまで何とか戻す様に務めた。
折り返してから陸橋の下を通過するところまでは同じだが、その先陸橋に上がるまでやはり短くなっていた。すぐに折り返して陸橋を上り始める。昨年までのその中途半端な距離がいつもイヤだった。それが無くてホッとする。そして得意の上り、再び左折、そしてすぐ下り。9キロ地点はどこにあったのだろうか。分からなかった。
陸橋を渡り終わったら既に4分を過ぎていた。少しずつペースを上げながら工場群を元へ戻る。10キロ地点はかもめ町のはずれの角あたり。38分24秒であった。この2キロは7分24秒。スピードアップしたとおりタイムも縮んでいた。10キロのタイムとしてはほぼ予定どおりといったところ。しかしこの5キロは19分31秒で、ややスローダウンであった。6~8キロ辺りでペースダウンしたためである。
10キロを過ぎ、大きく右に曲がるあたり、後ろから鉄人クラブの菅野氏が追い付いて来た。声を掛けてくれる。10キロを36分程度で走る人が後ろから来たので少々ビックリ。すぐ私の前へ行ったが、私もそれに刺激され、付いて行くようにした。ここから更にスピードアップという事になった。
小さな橋のところに給水所。だいぶ暑くなってきていたので、スポーツドリンクを取る。菅野氏に遅れを取らないようにしっかりと付いて行く。あと残りは10キロを切り、ゴールの方に向かって走っているので、思いっきり走る事ができた。この辺りから、ロングスパートを掛けても走り切れるだろうという思いはあった。
11キロを過ぎ、12キロを過ぎてもどんどんペースは上がっていった。但し、12キロのラップが3分38秒というので少々びっくり。そんなに速いのだろうかという気もした。しかしその後、スピードは落としたつもりも無いのに、13キロでのラップは4分03秒。途中の区間が多少違っている様であった。そんなところが後半に何ヶ所かあった様だ。
12キロ過ぎは今まで走った事の無い新しい区間。海づり公園として新しく整備されていた。埠頭のいちばん先には、なかなかシャレたシンボルタワーも建っていた。ここは殆んど一直線、風がやや向かい風であった。しかし調子は上向き、ぐいぐいと引っ張って行った。前半で先行した長谷川氏もこの辺りでとらえた。あっという間にとらえ、そして追い越した。目を見張るようなスピードであったと思う。路面はまだアスファルトで舗装したての様であり、良い状態であり、とても走り易かった。この辺りから更にスピードアップして行った。
シンボルタワーを過ぎて、ぐるりと回った先で15キロ地点。この5キロは19分05秒、15キロは57分28秒。ずいぶんペースが上がった。このタイムは、15キロのベストに近いタイムの様である。
埠頭は一直線。ここはちょうど追い風となりとても走り易い。少年野球の子供達が一生懸命応援してくれていた。それに応えてまた元気に走って行く。残りはおよそ4キロ。はフルパワーでダッシュ。清水会長が残り3キロ地点辺りの路上警備にあたっていた。会長から声を掛けてくれてた。更に元気が出た。
2ヶ所目の給水所は残り2キロ地点。1回目で取ったコップには殆んど水は入っていず、仕方なく2つ目のコップを女子高生より受け取る。あと残りは2キロ、殆んどダッシュ。同じ様なペースで走っている人は殆んどいない。前に居るランナーにどんどん追い付いて行く。19キロでのラップは3分38秒、ずいぶん良いタイム。
最後の1キロは3分30秒を切るくらいのつもりで走って行く。最後の陸橋を上り切ると残りは500mほど。周りの応援で元気付けられる。最後のカーブはどれくらいのタイムで通過するだろうか。ゴール前の直線はおよそ1分の距離である。
坂を下って来ると応援の列がすごい。『おとーさーん』という声がたくさん聞こえてくる。自分かと聞き間違えるほどたくさんいる。どうしてもそちらへ顔が向いてしまう。
右折して行くと正面に時計が見える。1時間15分を少し過ぎていた。14分台で曲がれば何とか15分台のタイムは出るだろうと思っていたが、それはならなかった。1時間15分08秒程度であったと思う。あとは、1分掛かるところを何とか縮めようと猛ダッシュをする。遠い。ゴールまでは本当に長かった。最後までダッシュをしたが、目標までは少し及ばなかった様である。
ゴール地点には時計が無く、ゴールラインを過ぎてからゴールタイムが分かった。ゴール前の時計が欲しかった。そうすればもう少し速かったかも知れないが…。それにしても優勝タイムは速かった。59分11秒というコースレコードだそうである。私の方はと言えば、やはりベストの1時間16分15秒であった。十分満足の行く、そして先週のうっぷんを爆発させる様なレースができました。お疲れ様でした。
レース終了後は閉会式の声を聞きながら、公園でビールをたらふく頂き、そしてその後は中華街まで出掛けて、また美味しいビールを頂きました。ご苦労様。
※後日追記※
毎年11月第2週に開催されていた横浜マラソンは、前年の1990年11月11日(日)に開催予定であったが、今上天皇の即位の礼が翌12日(月)に執り行われる為に、警備上の問題から翌年の1月に日を移して開催された。
1991年の大会は通常通り開催されたため1991年には2回の横浜マラソンが開催された。
(No.103)
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