第3回トライアスロン・ジャパンカップ イン 佐渡

1991年9月1日(日) 晴れ
種目:Swim 3.9Km、Bike 184Km、Run 42.2Km(Aタイプ)
記録:12時間07分27秒 179位

   
Swim1:27:11
Bike6:25:17
Run4:14:59
Total12:07:27(179)

 佐渡の自然の中から東京の人込みの中に帰って来て、私は浦島太郎になった様である。佐渡の自然とたわむれた私は、まさに実社会を忘れ去っていた。

■8月30日(金)
 8月30日朝8時32分、あさひ303号は新潟へ向けて出発した。新潟まではおよそ2時間、あっという間に日本海へと出てしまう。そろそろ9月というのに新潟も蒸し暑い。太陽が肌を刺す様だった。佐渡へ向かうフェリーの出る新潟港までは、バスで15分程掛かっただろうか。(¥150)フェリーは12時5分発。間もなく出港した。

 佐渡の両津港へとフェリーは向かう。こちらは2時間20分の所要時間。到着したのは2時半頃か。ここで最終ではない。もう一度バスに乗り、佐和田という両津とは反対側の街まで行かなければならない。30分ほどバスに揺られる。(¥480)

 佐和田の町では徐々に大会の準備が始まっていた。宿となる旅館「浦島」はバスターミナルより歩いて数分のところにあった。既に選手もだいぶ到着していた。

 30日は午後4時よりカーボパーティが佐和田町体育館にて開かれた。私は宿に到着後、託送した自転車を組み立て、暫く遅れて出席した。自転車は無事到着していたが、前より調子の悪かったメータがやはり不調であったのと、後輪がやや振れてしまっていた。後輪は翌日のメカサービスに依頼する事にした。メータは新しいものを購入したが、やはり同じ様に不調であった。メータ自体ではなく、他のケーブルなどが不良なのかも知れない。

■8月31日(土)
 31日は9時過ぎに会場へ向かい、車検、競技説明会に出席する。また後輪の不調も調整して貰う。午前中はこれで終了した。台風の影響で朝方までずっと雨が降っていたが、会場へ出掛ける頃には一応雨も上がった。

 午後は宿の前の海でひと泳ぎ。台風のためだいぶ風が強く、前日の海とはうって変わっていたが、泳げない程でもなかった。20分程海に浸かっていた。2ヶ所ほどクラゲに刺されてしまった。31日はこれでひと休み。あとはゆっくりと準備を進めた。夜はカール・ルイスの活躍する世界陸上を見ながら8時過ぎには床についた。明日は3時半起床である。

■9月1日(日)
 まだ外は真っ暗、空には星もきらきら輝いていた。これから長い1日が始まるわけである。4時半には食事も終わり、バイクの空気も入れ直し、5時に会場へ向かった。かなりの選手が集まって来ていた。選手受付をし、ゼッケンを記入する。スイム用のバーコードも受け取る。バイクのセッティングをし、トランジッションバッグを用意する。周りが気になり落ち着かない。

 体中にクリームを塗り、ウェットスーツを着る。ひざの裏にはすりむけ防止のため、テーピングをする。首周り、袖の周りにはワセリンをたっぷりと塗る。6時過ぎ、スイムスタート地点へと向かう。水は昨日と変わらず暖かい。台風の影響か、水はやや濁っていた。

 Aタイプの参加者は900人、海岸は広い。そのためか、900人もの選手が参加しているという程人がいるとは感じられない。スタート地点の幅は50mくらいあっただろうか。軽くウォーミングアップをする。遠浅になっている。スタート時のバトルに巻き込まれない様、いちばん外側、スタートラインより10mくらい後ろに場所をとる。同じところに我がクラブの阿部夫妻もいた。

 6時半を少々過ぎた頃スタート、ピストルの合図が鳴る。周りの様子を見ながらゆっくりとスタート。何の気負いもなく、すんなりとスタートした。しかしこれから12時間にも及ぶ熱い戦いが始まったのである。

 とりあえずは前方900m程のところにある第1折り返しの赤いブイが目標。周りには報道、救助の船がたくさんいる。ブイの近くには海上保安庁の巡視船も来ている。スイムはゆっくり、順調。阿部氏の黄色いウェットスーツがよく目立つ。ほぼ同じペースで進む。なかなか心強い。

 暫くしてから少し内側に入ってみたが、やはり後ろからどんどんやって来る。少しでもゆっくりしていようものなら、後ろからぶつかって来る。やはり外側が良い。コース確認の為にスピードダウンするのがやはり辛い。どんどんと進めるのがいちばん良いのだが…。或いは少々のコースアウトは覚悟しどんどんと行くべきだろうか…。現在のところは前者になってしまう。少しずつ努力しよう。

 だいたい1キロくらい泳いだだろうと思ったあたりで最初のブイに辿り着く。たぶん後ろの方だろうと思うが、少々まばらになった様である。しかし周りを見ると、まだまだたくさんいる。

 折り返しは180度ではなくV字形に折れる。やや方向を見失う。なかなか難しい。しばらくはどちらに向かって泳いでよいかよく分からなかった。目標を決め、再び泳ぎ出す。右オープンで顔を上げたところへ太陽が見える。眩しい。更に周りはばらける。常にいちばん外を泳ぎ、すぐ左には救助のボートがいる。海の底は水が濁っていて見えない。残念。

 次のブイまで行けばおよそ半分泳いだ事になる。そこからは左カーブのため外側が有利である。少々ショートカットし、ボートの外側を泳いで行ってしまう。

 次は岸に平行に700mの往復で1.4キロ。だいぶだれてくる。普通のレースはこの往復だけで終わってしまうのだから、やはりフルは長い。方向が変わるとどちらに向かって行って良いのか分からない。ブイも遠くにあるので探すのに苦労する。

 最後の折り返しを過ぎると、今度は正面に太陽。今度は本当にどこへ行けば良いか分からない。山の上の方へ目標を決める。

 3キロも泳いだところで、もう泳ぐのに飽きてしまった。なんでこんなに泳がなくてはならないのだろうか、などと考えてしまった。…アイアンマンへ出るためか…。途中、ゴーグルがきつくて頭が痛くなってしまった。

 700mの折り返しも終わり、最後のブイを過ぎると、あと500m+200m、最後の頑張り。もうそろそろだろうと左前方を見ると、フィニッシュゲートが見えた。もう終わりである。何と初めての3.9キロ。簡単に泳ぎきってしまった。感激の一瞬であった。最後の舟の角を曲がると正面がゴール。まさにラストスパート。もう怖いものは無かった。

 海岸に上がりゴーグルを外し、バーコードを切り取る。計時のところで時計を見ると7時58分。何と1時間半を切ってしまった。感激に浸りながらバイクへと向かう。まだ私の周りもだいぶ残っていた。正面の奈良島氏のバイクも残っていた。

 ランシャツを着込み、バイクパンツにはき替えスタートする。その前にトイレでひと休み。スタート直後は追い風のためかどんどんスピードが出る。メータもこの時は調子良さそうだった。街中では応援がたくさん出ており、とても嬉しくなってしまった。我々にこんな応援をして貰い、感激のあまり涙が出てきてしまった。これから180キロ、頑張らねば!

 レース前に聞いていたところでは、佐渡の坂はとてもきついという事。しかし、スタート直後はそれ程でもなかった。どんな坂が出てくるのか、楽しみでもあった。大島での坂も経験しているわけでもあり、それ程坂に弱いわけでもないので、あまり心配していなかった。何しろ人に付いて行けば良いだろうというつもりでいた。目標はとりあえず6時間…。時速30キロというところである。

 暫くして上り坂、トンネルもある。まだ新しいためかとても走りやすい。峠にはトンネル、それを通過すると下り坂、そして街の中といった事の繰り返し。最初の街は相川というところ。まだ佐和田から近いため、割合に大きな街である。応援もたくさん居る。道端にむしろを広げ、そこに座って太鼓、空き缶を叩いての応援、とても嬉しい。どの街へ行っても応援風景は変わらない。

 人里離れると、周りの海は青く澄んでいて、レースをしている事を忘れさせる。20キロほど走ればきちんとエイドステーションは待っていてくれる。おにぎり、バナナ、氷水何でも揃っている。まさに町、島を挙げて我々を歓迎してくれている様である。

 難関の坂は70キロ地点と155キロ地点の2ヶ所か。それ以外も坂は多いが、何とか踏ん張れば行けてしまう坂である。しかしこの2ヶ所はだいぶ苦労させられた難所であった。しかし最初の坂はまだ良かったと思える。海が周りにあり、それに助けられ、まだ前半という事で余裕もあった。ギアも、もう1枚残しておいた。

 155キロからの上りには参った。街中を通り過ぎ、エイドステーションもあり、その先右折したところで突然の坂。うねった上りで先が見えない。どのくらいの坂だろうかなどと考えても遅かった。上り坂が延々と続いていた。簡単に最後のギアに入ってしまった。あとは耐えるしかなかった。結局160キロ地点まで上りが続いた。

 この大会に来るまでは、180キロのバイクなど簡単に走りきれるのだろうか、などと不安になったが、案ずるよりは生むが易しといったところか…。ただし、それなりのトレーニングはだいぶやったつもりだが…。もう180キロなどと聞いても何という事も無いであろう。今度は6時間で帰って来よう。

 途中トイレタイムは2回。坂を上り終わってひと息ついた頃、2~3時間くらいの頃と4時間半くらいの頃-120キロ過ぎだったろうかと憶えている。

 バイクの時は走り始めて暫くしてメーターが不調となり、また頼りにしていた腕時計も突然表示が見えなくなってしまった。時計の方はどんな事をしても表示が再び出てくる事は無かった--電池切れであった。あと頼りになるのはメーターに付いているタイマーのみであった。これでおおよその時刻の予想がついた。スタートしたのは8時過ぎであったため、メーターのタイマーに8時を足せば時刻が分かった。メーターもたまにスピードが出る以外は殆んど「0Km/h」のまま。エイドステーションに出ている距離表示とメーターの時間でおおよその位置は分かっていた。

 最後のエイドを過ぎた辺りがだいぶ辛かった。6時間を過ぎゴールは遠かった。街中では再び応援の数も増え、ゴールに近い事が分かった。ゴールそばの中央会館を過ぎ、スイム会場まで行くともうバイクゴールである。Bタイプのランナーが続々とゴールしているところであった。

 ほっとしてバイクゴール、それ程のダメージは無い。バイクパンツからランパンへ着替え、軽やかになれる。バイクのコースを反対側に向かってスタートする。調子は良さそう。キロ5分程度のペースで走れそうである。

 1キロほど行った辺りから田んぼ道。今度はランナーを応援する人達がたくさんいる。タライに水を汲みランナーに水を掛けている。みな一生懸命応援してくれる。それが嬉しい。

 ペースはほぼ5分ペースで行ける。時計が無いため時間は全く分からない。5キロ毎に時刻を聞いて、それでおよそのペースを割り出した。ほぼ5キロ25分程度で走れている様だった。

 エイドはおよそ2.5キロ毎に1ヶ所設けられている。オアシスを見つけた様な喜びがある。2.5キロ走ったんだという喜びもある。水を補給し、氷を帽子の中に入れ暑さ対策をする。ひざをスポンジで冷やす。前半は休みながらでも十分に5キロ25分のペースで行った。だんだん調子も上がっていった。

 トップの城本とはランの10キロ地点辺りの街中ですれ違った。白バイの先導があったが、既によれよれであった。しかしそれでも優勝タイムは新記録との事だった。

 折り返し手前では招待選手の古川益三選手が足を引きずりながら歩いていた。声を掛けて追い越して行く。折り返しは両津市農協。半分来た事で少々気が楽になる。グレープフルーツがとても美味しかった。ひとりでたいらげてしまった。

 元気を出してゴールに向かって出発する。時刻は4時20分頃であった様な気がする。十分に目標タイムをクリアできるつもりでいた。しかしペースはだいぶ落ちた。

 初めに左ひざ外側に痛みが出、徐々に右ひざにも同様の痛みが出てきた。歩き始めているランナー、ウォーカー?も見受けられる様になった。歩く事だけはしない様に努力。折り返しで200位程度であったが、170~180位くらいまでには上がった様だ。1キロ毎に屈伸をし、ひざの負担を軽くした。

 残り10キロ辺りで目標の12時間まで1時間弱。何とか踏ん張れば行けるだろうというところまで行った。残り5キロでは6時半までにあと20分ほど。この時点でもはや目標クリアは無理だろうと感じた。しかしそこからはもうのんびりとストップしていられないと思い、給水所でも軽く止まる程度で先へと進んだ。やはりひざの痛みがいちばん辛かった。しかし痛いながらも何とか最後まで走りきった。

 太陽もほぼ山に隠れ、ラスト2キロを過ぎた辺りから徐々に灯りが点き始めた。薄暗くなったところをゴールへとひた走った。川を渡ったところでラスト1キロ。短い様だが最後の1キロ、なかなか遠い。まさにフルトライアスロンを象徴している様であった。お世話になったスポンジを大事に両手に持ち、身を整え、ゴールの準備をした。

 ゴール前では大勢の観客がフルトライアスロンを完走した選手に声援を送っていた。応援してくれた人達に感謝しながらゴールラインを踏んだ。感激のゴールであった。頑張ったトライアスリートを皆暖かく迎えてくれた。

 きつかったレースも振り返ればいい思い出となり、再び来年のレースの組み立て方を考え始めたところである。

(No.113)


佐渡完走記 (鉄人だより)

 前日の雨が嘘の様に晴れ上がった朝、佐渡の暑い1日が始まった。スイムスタート地点は十分にスペースが取ってあり、スイムに苦手意識のある私でもゆっくりとスタートを切る事ができた。同時に我がクラブの阿部夫妻、倉田、奈良島各氏もゴールを目指しスタートを切った。海は前日の台風の影響で若干濁っていたものの、水温は高く、クラゲの他は何の心配も無かった。そのクラゲも、900人という人数に驚いてか、私のところには1匹も近寄って来なかった。

 3.9キロのスイムに初めて挑戦した私は、なるべく人に巻き込まれない様、外側を泳ぐ様に注意した。3.5キロ程泳ぎ終え、前方左手にスイムのフィニッシュゲートが見えたときは、何とか泳ぎきれそうだという安心感と、その感激に少々浸ってしまった。

 スイムゴールはほぼ真ん中くらい、タイムは1時間28分程度。目標の1時間30分をクリアし、機嫌良くバイクのスタート地点へと向かった。バイクがまだたくさん残っているなか、スタートできるのはとても気持ちのいいものでした--私は滅多にこんな事は経験できません。

 バイクでは島民の応援がとても多く、ここでも感激し、気持ち良く走れた。ただここのところ調子の悪かったメータがやはりここでも不調であり、うまくスピードが表示されず、また頼りにしていた腕時計もいつの間にか表示が消えて使いものにならなかったのは残念だった。そのため、ランニングのタイムも全く分からなかった。

 佐渡のバイクコースはきついという話は聞いていたものの、全く予想はつかず、人の後を付いて行けば何とかなるだろうという程度にしか考えていなかった。距離に対する不安はそれ程無かったので、6時間程度で走りきれるだろうというつもりでいた。しかし実際に走ってみなければ分からないもので、殆んど平坦なところの無い海岸線や、延々と続く上り坂にはだいぶ苦労させられました。しかし、きれいな景色にも助けられたところはあった様です。

 前半、大佐渡(北側半分)は追い風という事もあり楽に走れたが、小佐渡(南側半分)は向かい風もあり、更に疲労も重なり苦労した。タイムははっきり分からないが、6時間を20分くらいオーバーしてしまっていた様だ。

 バイクからランに移ったのは2時25分頃の様でした。その時の目論見では、ランで4時間を切り、総合でも12時間を切れるつもりでいた。折り返しまではほぼキロ5分程度のペースで走れ、エイドでのロスタイムを入れても2時間を切って走る事ができた。調子は悪くなかった様です。

 2.5キロ毎に設けられたエイドが楽しみで、グレープフルーツ、オレンジがとても美味しく、助けられた。また私設のエイド、応援にも力付けられた。

 ランの折り返しを過ぎ、このままのペースで行けば何とか目標どおりゴールするだろうなどと思ったが、やはりトライアスロンでのマラソンも予定どおりには行かなかった。

 折り返してコースの半分も来た30キロあたり、やはりあちこちにガタが出てき始めた。初めに左ひざ、そして暫くして左ひざにも同じ様に痛みが現れてきた。ここで無理しても仕方ないと思い、痛くなってきたら止まってひざの屈伸、ストレッチ。1キロ毎にこんな事を繰り返しながら、何とか残りの10キロを走り切った。

 残り5キロくらいの地点までは、何とか最初の目標がクリアできそうであったが、最後のエイドで時間を聞いた時、もはや目標のクリアが無理である事を知った。しかしクリアできないものの、最善の努力は払わなければならない。ゴールを目指しひた走った。

 ゴールには既に明かりが点き、大勢の応援が出迎えてくれた。初めての佐渡、初めてのフルトライアスロン、感動のなかでゴールインできました。私たちのゴールを支えてくれた全てのスタッフ、ボランティアそして応援の人達に感謝しながら完走記を終わります。

 走り終えた直後は暫くはトライアスロンの事は考えるのはよそうなどと思っていたが、今ではもう来年は宮古島と佐渡か、などと考え始めてしまっている。


  
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